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仮初めの日常

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第2章 祈り

 ヴァイシャリーの外れ。ヴァイシャリー湖の側に、無宗教の大きな共同墓地がある。
 普段はあまり立ち寄らない若者達の姿が、最近は頻繁に見られた。
 普段より沢山の花が供えられていて。だけれど華やかではなくて、その情景に寂しさがこみ上げてくる。
 離宮調査に加わった教導団員の大岡 永谷(おおおか・とと)も、その日、沢山の供え物と花束を持って、墓地に訪れていた。
 亡くなった軍人1人1人の墓を回って、花を供えて2礼2拍手1礼をして心から慰霊をしていく。
 自分のような外から来ていただけの者とは違い、散っていった軍人達は自らの生活の場を守るために、命を落としていったんだということを噛み締めながら。
 どうか安らかに眠って欲しいと願いを込めて、祈っていく。
 永谷は教導団員だ。これからも教導団の一員として学び、戦っていくつもりだった。
 シャンバラが東西に分かれてしまたことで、堂々とヴァイシャリーでの活動も出来なくなっていってしまうのかもしれない。
 だから、今のうちに全ての墓を回りたかった。
「しかし……」
 残念なことに、この墓地に離宮で命を落とした人、全てが眠っているわけではない。
 なぜなら、遺体の回収をする余裕はなかったからだ。
 この墓地よりずっと下。地中深くに遺体の多くは眠っている。悪く言うならば、放置されている。
(離宮をめぐる戦い自体は、勝利だったかもしれない)
 墓を回りながら、永谷は考えていく。
(だけどかなり苦戦したし、多数の犠牲も出た)
 自然と拳に力が篭る。
(教導団の軍人として、今回のことを教訓に少しでも犠牲を出さずに勝利することを目指したい)
 強く拳を握り締めて、心に決めていく。
 遺体の眠る全ての墓を回って、慰霊碑にも祈りを捧げた後、永谷は墓地……そして、ヴァイシャリーからも出ることにする。
 作成した資料や地図は、全て百合園に提出した。
 記憶に残っている部分は止むを得ないが、資料は手元に残すつもりはなかった。
 教導団の利益を考えれば、一部だけでも持ち帰った方が良いのかもしれない。
 だけれど、それは信義に反すると思った。散っていった軍人達に申し訳なく、思えた。
「さよなら」
 共に戦った仲間達に別れを告げて、永谷は去っていったのだった。

「オレ達が生きるこの地を守ってくれてありがとう」
 鬼院 尋人(きいん・ひろと)もまた、墓地に来ていた。
 だけれど、彼が祈りを捧げたい相手の大半はここには眠っては居ない。
 一緒に、使用人居住区へと向った軍人達――。
 生死を確かめることだけで精一杯で。
 尋人達負傷者を救助し、抱えて脱出するだけで精一杯で、軍人達の遺体は回収できていないのだ。
「悲しいけど、前を向かなきゃな。あなた方が残した方達を、今度はオレ達が守るためにも」
 永谷や、他の慰霊に来ている人々がいる間は、落ち着いた様子で普段と変わりのない姿を見せていたけれど……。
 やはり、酷く落ち込んでいて。前を向かなきゃと思っていても、心が沈んでしまい。
 悲しみに押しつぶされそうになる。
 だけれど、落ち込んでいても、落ち込んでいる姿を周囲に見せても。
 何が変わるわけではなく。事態が好転するわけでもなくて。
 立ち直らなければ。立ち直れていない今でも、せめて姿勢だけは。
 この墓地には総指揮を務めていた神楽崎 優子(かぐらざき・ゆうこ)の姿はなかった。
 あれから1度だけ、彼女の姿を目にしているが。
 初めて会った時と、少し印象が変わっていた。
 厳しい表情は……そう離宮にいた時と同じで。
 戦いはまだ終わっていないのか。新たな戦いの決意をしているのか。
 感情を読み取ることは出来なくても、彼女が絶望しているわけではないということだけは、尋人にも感じ取れていた。
 一緒に戦った仲間と、今は心のそこから『終わった』と肩を叩き合えないでいる。
 優子や、多くの人がなにかを置き忘れたような感覚を持ったままでいると感じていた。
 尋人は、宝物か、騎士としての誇りか、何かが得られると思って離宮へ行った。
「……こんな思いをするために離宮に行ったんじゃない」
 大きく息をついて、心の中でつぶやいていく。
(置いて来たものを、残して来たものを取り返しに行きたい。いつか)
 今は、心の中で。
「あ……」
 知り合いの姿を見つけて、尋人は軽く頭を下げた。言葉は何も出てこなかった。
 相手もそれは同じだったようで……墓地へと訪れた久途 侘助(くず・わびすけ)は無言で、手を伸ばした。
 尋人は今日は泣いてはいないけれど、腫れた目はまだ元には戻っていない。
 そんな彼の頭を、侘助はただ静かに撫でるのだった。
「それじゃ、今日はオレ、帰ります」
 自分を労わってくれていること、案じてくれていることを感じて、尋人は感謝を込めてまた頭を下げた。
「無理はしないでくださいね」
 尋人にそう声をかけたのは侘助のパートナーの香住 火藍(かすみ・からん)だ。
「うん、ありがとう」
 礼を言い頑張って笑みを浮かべて、尋人は墓地を後にする。
「……」
 尋人を見送った後、呆然とした表情で侘助はただ、慰霊碑の前に居た。
 それは、地上に戻った当初の神楽崎優子と全く同じ状態だった。
 アレナ・ミセファヌス(あれな・みせふぁぬす)が離宮を封印したことや、自分達が北の塔に居た間に、離宮で起こったこと、皆がとった行動を聞いた後から、ずっとこんな状態だった。
 墓参りも今日が始めてだ。
 今日までは、ひたすら部屋でぼーっと寝転がっていただけで、何をすることも何もする気にもなれずに、ただ呆然と日々を過ごしていた。
 火藍は侘助に元気がないことを気にかけてはいたけれど、自分自身も決して平気なわけではなく、これまで同じく何も出来ずにいた。
 勇気を出して墓参りに行こうと誘ったのは火藍の方だ。
 これだけは、行くべきだと、行きたいと互いに思っているはずだから。
「……」
 無表情で。やはり何も言わずに、侘助は花束を慰霊碑に手向けた。
 手向けた後も表情は変わらず、何の言葉も出てはこない。
 少しも心は軽くならなかった。
「彼らは、ここに生きる人々に笑っていてほしくて、命を賭けたのでしょう」
 元気を出せ、とまでは言えなかったけれど、精一杯の励ましの言葉を火藍は侘助へとかける。
 火藍は少しだけ気持の整理がついていたが、侘助の方はもう少し時間がかかりそうだった。
 侘助は軽く目を伏せて、頷きかどうかも解らないほど小さく、頭を軽く下げて。
 無表情のまま、黙祷をした。
(どうか……心安らかに……)