|
|
リアクション
「いかがですか?」
「綺麗だよ、エメ」
リュミエール・ミエル(りゅみえーる・みえる)の賛辞に、ジュリエット姿のエメ・シェンノート(えめ・しぇんのーと)は微笑んだ。
天音からの連絡を受けて、急な変更ではあったが、舞台裏はそれぞれに変更点を確認しつつ落ち着いて準備を進めている。
客席のざわめきは次第に大きくなりつつあり、期待の大きさが伝わってくるようだ。そして、同時に。
おそらくはその中に、この短剣を狙う一味もいるだろう。
「でも、レプリカを使わなくて良いんでしょうか」
一応、エメは自分でも短剣のレプリカを用意していた。しかし。
「いいんじゃないか? 校長が本物がいいっていうんだし。……しかし、相手役がまさかジェイダスになるとはね」
ドレス姿のエメの肩を抱き寄せ、リュミエールはそう言う。
「光栄です」
エメは微笑んでいるが、リュミエールは少しばかり心配でもあった。
「応援してるよ」
とはいえ、表情には出さずに、エメの乳白金の髪に軽くキスをする。リュミエールの役目は、舞台に出ることではなく、裏方でスタッフたちの動きに注意することだ。その役目を全うするためにも、リュミエールは一度エメから離れた。
ほぼぶっつけ本番にはなってしまったので、エメはもう一度台本を確認することにする。ジェイダスの志向とやらで、本筋とは違うロミオとジュリエットだが、客席に楽しんでもられば良いのだが。
そんなエメの傍らで、同じく出演者であるスレヴィ・ユシライネン(すれう゛ぃ・ゆしらいねん)もまた、変更点の確認をしていた。彼は、ロミオと対決をする、ライバル役のパリスだ。
ルドルフ相手というのもそれなりに緊張をしたが、まさかジェイダスが相手になるとは思わず、聞いたときはさすがに驚いた。
……しかしその一方で、やはりそうなったか、という気もしたのだ。
スレヴィは、『シリウスの心』を盗んだのは、ルドルフなのではないかと予測していた。彼は校長の事をとても敬愛しているようだから、イエニチェリ再選出の話に動揺したのではないか。校長を試す意図もあったのではと、スレヴィは危惧していたのだった。
ルドルフのことは師匠と思っているし、彼に限ってそんな愚かな事はしないと思いたい。ただ、パリスという立場もあり、劇中ででも真意を問えればと考えていた。
伝えきいた限りでは、疑いを晴らすための行動と聞いている。……どうか彼ではないようにと、もう一度スレヴィは思った。
シリウスには「光り輝くもの」の意の他に「焼き焦がすもの」の意味もあるらしい。
ちらと見た短剣は、美しいものではあったが、ひどくスレヴィにはまがまがしいもののようにも思えた。
しかし、今は。
「集中しないとな」
裏の騒ぎは、あくまで裏でとどめておかねばならない。演目は完璧に、美しく。それこそが薔薇の学舎の学生としての、勤めだった。
(…………死にたい)
神無月 勇は、それだけを考えていた。
もうじき舞台が始まるというが、そんなことも今の彼には関係がないことだ。
ミヒャエル・ホルシュタインが目を離した隙に、虚ろな瞳で、彼は校内を彷徨っていた。賑やかな声も、人々の笑顔も、勇にはすべてが空しく無価値だ。
かつて、ジェイダスに問われたこと。
『君は自分が愛されていないと…世界は愛するに値しないと、本気で思うかね』
それに対する答えは、勇の中で決まっている。
「このセカイは……死が満ちている」 それだけだ、と。
東西は分裂し、帝国や鏖殺寺院との争いは激化するばかりだ。
校内を美しく飾る薔薇も、ただの虚飾にしか見えない。その裏は、疑いと憎しみばかりではないか。少しでも人を先んじ、のし上がろうとする醜い争い。
ナラカは多分、ここのことだ。勇はそう薄く笑う。
ここも所詮、ただの地獄の一つでしかない……。
その頃、ミヒャエルは勇を探し続けていた。ジェイダスと面会をした後、眠っているばかり思っていた彼がいなくなっていることに気づいたのだ。
勇の精神状態は、薔薇の学舎にいることで、限界に近づいている。
「天御柱学院で治療が可能なら、そちらに勇を転学させてほしい」
そう、ミヒャエルは土下座をしてジェイダスに頼んだ。
プライドの高い彼にしてみれば、普通ならば耐えられぬほどの屈辱だ。
「顔をあげろ」
顔をあげたミヒャエルに、ジェイダスは言った。
「転学に制限を設けたつもりはない。好きにしろ。……ただし」
一度言葉を切り、ミヒャエルを正面から彼は見つめる。
「何処へ行こうと、何を与えられようと、己を救えるのは己自身のみだ」
ジェイダスが語ったのは、それだけだった。
……しかし今、勇はそのような事態を知らない。何度かミヒャエルが勇を呼んでいることは感じたが、答える気力は今の彼にはなかった。
ふらふらと迷い込んだのは、没収品が集められていた一室だ。一般公開をしていないため、人気はない。
そこで、勇は、アスカが作った短剣を見つけた。ジェイダスの瞳と同じ色の石で飾られた、美しい短剣を。
「…………」
誘われるように、勇の細い指先が短剣の柄を掴む。この石を、己の血で染めてしまいたかった。しかし。
「やめろ、神無月!」
そこへ飛び込み、勇の手首を握って制したのは、光一郎だった。
「どうして……?」
「神楽坂から聞いた。黒崎も、気にかけていたしな。危ないと思ってついてきたら……やっぱりか」
短剣を勇の手から引きはがし、光一郎はため息をつくと、しゃがみ込んだ勇と視線を合わせるようにして膝を折った。
「なぁ。神無月が辛いのは、色々あるし、しょうがねぇと思うよ。けど、俺らは神無月のこと、心配してんだかんな?」
光一郎は、精一杯の気持ちをこめて、そう語りかける。
「…………」
勇はただ、黙りこくっていた。