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イルミンスールの日常~新たな冒険の胎動~

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イルミンスールの日常~新たな冒険の胎動~
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リアクション

 
「……よい、しょ……。……うん、こんなものかしらね」
 物を運び終えたシャレン・ヴィッツメッサー(しゃれん・う゛ぃっつめっさー)が、浮かんだ汗を拭って満足そうな笑みを浮かべる。
 
 彼女が切り盛りするイナテミス内の店『立ち呑み処【わるきゅーれ2号店】』は、彼女自身の自己資金に、【わるきゅーれ】グループ本社からの借入金を加えて、この度『居酒屋【わるきゅーれ2号店】』に改装された。
 まず、地下室が増設され、そこはワインやビールを貯蔵する酒蔵となった。また、店舗部分には二階が増設され、そこには四人から六人が座ることの出来る個室が四つ設けられた。間仕切りは壁ではなく障子戸となっており、二十人前後の宴会も組めるようになっていた。
 
(……でも、この借入金の額は大問題よねぇ。
 このままお客さんが増え続けてくれれば良いんだけど……もし、また戦争が始まりでもして客足が鈍ったりしたら……
 ああ、胃が痛くなるわ……)
 考え込むシャレン、幸いにして今は、イナテミスが活気づいているおかげで、業績は順調に推移している。
 しかし、この地はエリュシオンに近い。もしエリュシオンと戦争にでもなれば、この街が戦争の舞台(実際は、この近くの例えば『ウィール支城』であったり『雪だるま王国』であったりするのだろうが)となりうることは、十分に考えられる。
 
(それに、この広さでは私とヘルムートだけでは切り盛り出来ないわ。
 臨時のスタッフを雇う必要があるのだけれど……)
 そうなると、人件費が今とは段違いに上がる上、そもそも大した額を払うことが出来ない。
 そんな条件で、働いてもいい人が来てくれるだろうか……そんなことを思っていたシャレンを呼ぶ声が、通りの向こうから聞こえる。
「あっ、いたいた。シャレンさん!」
 駆けつけた数名の住民、そう、彼らは『イナテミス市民学校』で手伝いをしてからというもの、何かとシャレンの手伝いを積極的に行う者たちであった。
「シャレンさんが店の増築をすると聞いて、もしかしたら手伝えることがあるかもって思ってました!
 何かあるなら、俺たちにも手伝わせてください!」
「飲食店ですよね? 俺、接客とか掃除とかなら出来ます!」
「俺もです!」
「俺も出来ます!」
「えっと、料理作るのは、ある程度出来ると思うよ?」
 いつものように、自分が出来そうなことを口にしていく住民たち。既に接客担当が三名、厨房スタッフが二名(最初の男は何でも出来ると言っていた)集まっており、これは当初シャレンが想定していた臨時スタッフの数とほぼ一致していた。
「ありがとうございます。……ですが、いつもご厚意を頂くわけには……それに、お給料も大した額は用意できませんので……」
「何を言っているんですか! 俺たちはシャレンさんを手伝いたくて来てるんです。給料は俺たちが稼ぐくらいの気持ちです!
 俺たちは、シャレンさんの為に働けることが、幸せなんです!」
 そこまで言われて、断れるほどシャレンは非情ではなかった。
「……分かりました。皆さんのご厚意に感謝いたしますわ。
 では、奥の方で書類をお渡しいたしますので、記入をお願いできますか?」
『はい!』
 揃った返事をあげて、住民たちがシャレンの後に続いて店に入っていく――。
 
「ああ、そうだ。出来る限り早く届けてくれ」
 その頃、一旦シャレンの下を離れたヘルムート・マーゼンシュタット(へるむーと・まーぜんしゅたっと)は、おそらくシャレンが店の資金繰りに苦労すると読み、【わるきゅーれ】グループ本社の者へ手紙を書き、届けてもらうように頼んでいた。
 その、したためられた手紙の内容は――。
 
 『親愛なるハインリヒ。
 君も知っての通り、ヴァイシャリーが陥落した場合、イナテミスの戦略的重要度は跳ね上がるだろう。
 無論、この地に情報活動の拠点を維持し、必要に応じて情報収集にあたる事を可能にしている事、その重要性も教導団員である君には周知の筈だ。
 その価値に比べれば、シャレンが毎月支払っている利息なんて取るに足らない。違うかい?』

 
 そう、彼は既に、この地の南方に位置するヴァイシャリーの事態を見据えての行動を起こしているのであった――。
 
 
「何と言いますか……平和ですね」
 館内を見渡して、ラムズ・シュリュズベリィ(らむず・しゅりゅずべりぃ)が一息つく。彼が中心となってイナテミスに建設された『名前のない図書館』は、今日も静かな一日であるようだった。
「……まだまだ利用者が少ないのう。まぁ、これから徐々に増えていくやもしれぬがな」
 書籍の利用者リストにザッと目を通して、シュリュズベリィ著 『手記』(しゅりゅずべりぃちょ・しゅき)が感想を漏らす。イナテミスはまだまだ第一次産業が主な産業であるが、これから教育、サービスが充実していくに従って、ここを利用する内外の人間は増えていくかもしれない。
「その時のために本を管理するのも、我らの務め……か。のう、すまぬが害虫対策はきちんとしておるかの?」
 ふと思い立った『手記』が、普段の運営を任されているイナテミスの住民に尋ねると、彼女は首を横に振る。作物を食い荒らす虫の存在は知っていても、本を食い荒らす虫の存在は知らないようであった。
「やはりか……よし、今日は久々に時間がある、この機に対策をしてしまおうぞ」
 
 というわけで、急遽図書館は臨時閉館となり、館内の大掃除が開始されたのであった。
 
 まずは、害虫対策。
 館内から壁を一枚隔てた外に、『手記』が持ってきた香水を固定し、中へ雷術による電気を封じ込める。酸の霧の電気版といった感じで、小さな虫なら触れただけで消し炭になる程度の威力を有する。
「これで、ほとんどの害虫を駆除できよう。決して万全ではないがの」
 懸念顔の『手記』曰く、中には数十センチにもなる虫、さらにはほぼ人型をした虫(それはもう虫とは言わない気もするが、存在しているらしい。本のページを美味しそうに食べているのだとか)もいるらしい。それらに対しては、痺れる程度で駆除は出来ないとのことであった。
 
 次に、返却を滞納している利用者対策。
 『手記』が『黄のスタイラス』を手に、闇術を応用した魔法陣を描き、その上にマットを敷いた物を図書館の入口に設置する。
「これで、もし返却を滞納しとる者がここを通過すれば、その度に腹痛に悩まされることになろう。しかも二度三度と繰り返す度に、症状が悪化するおまけ付きじゃ」
「なんか……逆に図書館から遠のきそうな感じですね」
「その時は、ぬしらがこの上で飛べば、滞っておる者に症状を及ぼせる。事前に周知を徹底してさえおけば、いずれ気づくじゃろ」
 
 最後に、図書館に保管されている本の中でも、特に禁書扱いされている本の整理。
「禁書ぐらいの本じゃと、互いに何らかの影響を与える可能性がある故、たかが配置と疎かに出来んのじゃよ」
 イルミンスールの大図書館も、奥に行くに従って収められている本の数が妙に少なくなるのは、うっかり密集でもさせようものなら本が相互に作用しあい、予想もできない事態を引き起こすためであった。
 
「そっちの赤い背表紙のはそこの棚の上から二段目へ、そこに積まれた茶色い本等はこっちの棚の一番下へ並べよ」
「ハイ!」
 というわけで、住民も総出で、本の移動が始まる。
「あの、コレ何か脈打ってるんですけど……」
「その本は奥の棚の上へ上げておけ。精神が侵されたくなければ、決して開くな」
「わっ、分かりました!」
 なにやら物騒な本まであるようで、果たしてイナテミスの住民がそれらの本を利用する日は来るのだろうかと考えさせられる。
「館長! こっちの本は……」
「誰が館長じゃ!!」
 間違えて『手記』を館長と呼んでしまった住民を、『手記』が叱る。ちなみに館長は、少し離れたところでのほほんとしているラムズである。
「……平和ですねぇ」
「ぬしも手伝え!!」
 
 そんなこんなで、図書館は一通りの整理を終え、再び住民たちに開放される。
「害虫対策はやっておいたが、本を傷めるのは害虫だけではないぞ? 特に直射日光には注意した配置を心掛けよ」
「はい。今日は、どうもありがとうございました」
 ぺこり、と頭を下げる住民たちに見送られて、ラムズと『手記』は図書館を後にする。
「……何と言うか、館長というより母親みたいですね」
「何を言っておる。此処にある本とて、我の様に『魔道書』という種として目覚めても、何らおかしな話ではあるまい。
 同じ種の先人として気を配るのは、当然の事じゃよ」
 
 いつかここが、契約者だけでなく、一般の人間の前にも姿を現せる魔道書の“故郷”になったら、その時ラムズは彼ら彼女らの『父』であり、『手記』は『母』なのかもしれなかった――。