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地球とパラミタの境界で(後編)

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地球とパラミタの境界で(後編)

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・ドクトル


「看護士として働きたい?」
 テレジア・ユスティナ・ベルクホーフェン(てれじあゆすてぃな・べるくほーふぇん)は、ドクトルのいる強化人間カウンセリングセンターへとやってきた。
「私がここへ来たのは、丁度一年前のことです。6月のこともありますが、看護士として、その後の彼らを傍観出来ません。微力ですが、ドクトルの力になりたいのです。どうか、ここで補佐をすることを許可しては頂けないでしょうか?」
 普段は病院への勤務の傍ら、学院に通っている。単位とシフトを調整すれば、両立は可能だ。
「私としては、片手間でやって欲しくはないんだよ。本当に熱意があるというなら、こちらに専念してもらえるかな? 病院の方へはこちらから伝えておくから」
 いくら看護士として働いているとはいえ、二つ返事でOKとはならないようだ。
「それに、まだここや強化人間のことは、それほど知らないみたいだね」
「はい、お恥ずかしながら。ですが、これから彼らと向き合って勉強していく所存です」
 知らないことは問題ではない。元々多くの機密を抱えていたがために、噂だけが一人歩きして誤解されていたのだから。それを鵜呑みにせず、ちゃんと知りたいと考えていることが重要であるのだと、テレジアは思った。
「元々看護士をしているということなら、今日のところはここでの仕事を見学してもらうことにしよう」
 その上で、ここで働きたいというのであれば、テレジアの務める病院に話はつけると。
「強化人間がどんな者達か、と聞かれれば『パラミタ化しただけの普通の人』としか答えられない。遺伝子操作や身体強化、薬物投与なんてものは受けてはいない。……残念ながら、今でも少数ながらそういった手段を用いる者はいるがね。超能力は単なる副作用に過ぎない」
 ドクトルの説明に、真剣に耳を傾ける。
「もう一つの副作用は、他者……特に契約したパートナーに対する高い依存性だ。これは、ほぼ全ての強化人間に起こり得る現象だよ。最近の研究では、パラミタ線の影響によって神経伝達物質が変異していることが大きな要因であるとされている。今はそれに対応する安定剤もあるけど、完全になくすのは難しいだろう」
 統計データでは、他者に対する感情が好意である場合は依存、嫌悪である場合は執着に結びつく確立が高いらしい。そしてこの相反する二つの感情が入り混じっていくと、俗に言うヤンデレ的な性格に繋がるらしい。
 カウンセリングセンターの談話室にいる強化人間達の姿を見ると、そういった傾向は感じられない。おそらく、普通にしていればあんな感じなのだろう。
「それと、一つ気になったことがあります。副作用で超能力が発露しますが、なぜ個人差があるのですか?」
「人間の脳には個人差がある。それが答えだよ。さっきも言ったように、パラミタ線の影響は脳に作用する。脳の未使用領域を覚醒させるんだ。そうはいっても、大体の者は念動力、発火、電撃のいずれかだ。訓練次第でその三つは誰でも扱えるようになる。この三つを、私達は『超能力の三原色』と呼んでいる。大体の能力は、その三つの系統で分類出来るんだ。扱う者も。この三つが均等で、かつ高水準にある者は、私が知る限りでは一人しかいない。どうしても、どれか一つに特化してしまうものだよ」
 ひと通りセンター内を案内してもらい、話を聞くことも出来た。
「所長、カウンセリングです」
「分かった、今行こう。どうだい、考えは決まったかな?」
 無論だ。むしろ、思いが強まったくらいだ。
「こちらでお手伝いさせて下さい」
「分かった。最初は雑用もしてもらうことになるけど、頼むよ。一応、今月と来月は試用期間ということで、正式な勤務は4月からだ」

* * *


「さて、待たせてすまないね」
ヴェルリア・アルカトル(う゛ぇるりあ・あるかとる)のカウンセリングのために、柊 真司(ひいらぎ・しんじ)は彼女の付き添いとしてやってきた。
 ヴェルリアがもう一人の人格と自分の存在を知ったということを、真司は耳にした。普段接している彼女の人格は後天的に生まれたものであり、眠っていた本来の人格が目覚めたのだと。最近のヴェルリアが気がつくとぼんやりと物思いに耽っている様子であったり、何かにつけて一緒にいようとしているのは、彼女が自身の消失への不安を抱えているからである。しかし、真司はまだそのことを知らなかった。
「君は彼女のパートナーだ。全てを知っておく必要があると思う。いいかい、彼に話して?」
 ドクトルがヴェルリアの了承を受け、真司に彼女の症状を告げた。
「場合によっては片方の人格が消えるかもしれない、ということか……」
「本来ならば、元々の人格の安定が優先される。そっちの彼女が統合を望むのなら、治療は人格の統合に向けて行うことになる。しかし」
 彼は言葉を続けた。
「彼女に至っては、ことはそう単純ではない。強化人間特有の依存性、すなわちパートナーである君との関係が、こちらの彼女を確固たるものにしている。この場合、どちらが本来の人格という考え方はナンセンスであり、どちらも彼女の本質であるということになる。無理に統合すると、双方を歪める結果になるだろう。そして今の彼女が抱えているのが、まさに人格の統合に対する恐怖と不安だよ。今は、それぞれが互いに向き合うことが必要だ」
 その言葉に応じたのかは定かではないが、彼女の両の眼が赤くなり、もう一人のヴェルリアが表に出てきた。
「互いに向き合う? 馬鹿馬鹿しい。この前はアレが妹だとか言ってたけど、アレはただの模擬人格よ。ただのお人形。向かい合うまでもないわ」
「何も、不安を抱くのは片方の人格だけではない。君もまた、恐れているんだよ。自分が変わってしまうことを。それほどまでに、もう一人の君の存在は強固なものになっている。そしてそれもまた自分の一側面であるという事実を、君は受け入れらずにいる。だから、頑なに拒んでいるんだよ」
 目覚めた本来の人格に真司の知るヴェルリアが侵食されているのではなく、その逆も起こっているのだと、ドクトルが告げる。
「言葉通り彼女を脅威に思っていないなら、君が表に出た時点で私と柊君を手に掛けていたことだろう。しかし、出来なかった。いや、今も出来ずにいると言うべきか……」
「それは……」
 ヴェルリアの顔に、僅かな焦りがあった。あえて彼女を刺激するドクトルの言動に、真司は内心冷や冷やしていた。
「そう、まだ死なれると困るからよ。貴方にも、その男にも。それに……この前言ってたわね、『器』があれば、そこに人格を移して別個のパーソナリティーとして確立出来るって」
「あるのか、そんな方法が……?」
 思わず、真司は口を開いていた。
「理論上は可能、という話だよ」
 かえってきたのは曖昧な答えだ。
「……俺は、いつものヴェルリアを失いたくない。だから、可能性があるのならどういったものなのか聞かせて欲しい」
「それが、人道に反するものであっても、聞く覚悟はあるかい?」
 ドクトルの眼差しは、真剣そのものだ。真司は黙って頷いた。
「……ヒトクローンだよ。寸分違わぬ同じ構造を持つ肉体を用意し、そこに人格を移す。もちろん、脳はブランク状態でなければならない。意識が形成される前、非科学的な言い方をすれば魂が宿る前の状態だ。そこに、何らかの方法を用いて一方の人格を移せば『同位体』の完成だ。傍からは双子の姉妹にしか見えないさ。もっとも、その技術が必要なわけだけどね。かつては、人の記憶や意識、人格を操作出来る者がいたが……」
 もっとも、その人物のせいでヴェルリアがこうなってしまったわけだが。
「それ以前に、ヒトのクローン技術は未だ完全には確立されていないことになっている。ベースとなる人と同じ遺伝子配列でも、姿形まで全く同一である純粋なクローン人間は『表向きには』不可能だ。もっとも、我々はすでに「クローン強化人間兵」の存在を知ってしまっているがね。
そんなものを生み出せるとすれば、彼しかいない……あまり話題には出したくない人物だけどね」
「誰なのよ、それは?」
「……ヴィクター・ウェスト。生命を尊び、人類の発展を渇望する男だよ。もっとも、彼は発展した世界には一切興味がなく、そのための研究を行うことに生きがいを見出している。たった半年だけとはいえ、彼と一緒にいたことがあるが……私以外の同僚は、一ヶ月もしないでいなくなったよ。私が最後の一人だった。それほどまでに、彼は――彼の研究は、常軌を逸していた。ウェスト君は人体実験を行っていたが、彼は被験者を不幸にしたことはない。むしろ、被験者が望んで彼の実験台になっている。そして彼らにとって最良の結果をもたらす。だけど、それは被験者にとってだけであって、彼らの友人や親族のことは一切考慮しない。今どこにいるかは分からないが、もし彼に接触することが出来たなら、確かに君の望みは叶うだろう。だが、柊君にとって納得のいく結果になるとは限らない」
 その男を間近で見ていたこともあったから、風間のやり方に対して快く思わない部分があったのだろう。そしてドクトルは呟いた。
「……大佐は以前、こんなことを言ってたよ。『人間が人間を創るということは、二度とあってはならない』と。その理由を聞いたら、『フランケンシュタインの怪物が、彼に何をしたのか考えてみろ』と」
 決して、そんなに大それたことを真司は考えていたわけではない。だが、その言葉が頭に焼き付いて離れなかった。