薔薇の学舎へ

波羅蜜多実業高等学校

校長室

葦原明倫館へ

地球とパラミタの境界で(後編)

リアクション公開中!

地球とパラミタの境界で(後編)

リアクション

「応援演説?」
ルージュ・ベルモントは会計役員候補の六連 すばる(むづら・すばる)からそれを頼まれた。
「残念だが無理だ。風紀委員の仕事があるからな」
 たとえ密航者の件がなかったとしても、立場上生徒会役員候補に肩入れするのは好ましくない。
「ならば、せめて握手して頂けませんか?」
 明日の演説への力をもらうために、ということだろう。
「会場で見ることは出来ないが、精一杯頑張ってくれ」
 

・最終演説に向けて


 天御柱学院旧イコンデッキ。
 生徒会執行部役員候補の最終演説の会場は、この場所となっていた。特設ステージが設けられ、演説はそこで行うこととなっている。
「朝からすげー人来てんな」
 やってきたのは、山葉 聡(やまは・さとし)サクラ・アーヴィング(さくら・あーう゛ぃんぐ)だ。
「おはよう、聡さん」
 高崎 朋美(たかさき・ともみ)ウルスラーディ・シマック(うるすらーでぃ・しまっく)と共に、聡達と合流した。
「おう、おはよー!」
 選挙活動期間中彼を手伝ってきたが、朋美の考えは変わらない。
「大丈夫そうだね。あとは、これが最後だからってあんまり気負い過ぎないように」
 当初はお世辞にも支持されているとは言いにくかった彼だが、昨日の時点では五艘 なつめに次いで高くなっていた。
 世界のバランスが先か、自己のバランスが先か。
 朋美は帰着する場所が同じなつめと聡の主張における過程の違いを、そう捉えていた。彼女自身は、自分自身の内側からわき上がる想いを無視してまで「世界」の側に自分を無理矢理合わせるというのは、どうにも好かない。無論、強い意思で「世界」を自分の前にねじ伏せるのが正しいというわけでもない。それこそ、ただの暴君である。
「なつめさんとの間にある明確な違い。これまでの演説でも話してきたことを、改めて強調すれば問題ないよ」
 「世界のバランス」を楯に、「自己のバランス」の調整を強制される様な体制ではないということ。「世界のため」という名目で、ややもすれば問答無用で自分自身が圧殺される。そんな時代は、過去、確かにこの世界に存在していた。世界と個人なら、構造上「世界」の方が「個人」より上位になってしまうのは仕方がない。しかし、「個人」の集まり・集合体としての総意が、「世界」をかくあるべしと規定させる側面もある。朋美はそう考えていた。
 個人個人のバランスがまずは大切。誰かの調子が外れていたなら、他の仲間・友人が「バランスが崩れていること」を本人に知らせ、協力して修正を試みればいい。仲間や友人というのはそのためにあるものだろう。「手を差し伸べる勇気」は必要だ。
 その「個人のくるい」は、予兆かもしれない――世界全体の調和が崩れることの。ならば、そうなる前に、「個人のくるい」に気付いた本人や仲間達で原因を探って対処方法を探していけばいい。
 皆が「世界のバランスが間違っていない」という前提に立ってしまうと、「個人」が潰される可能性は大きくなってしまい、それが取り返しのつかない事態を招くことだってあるかもしれないのだ。
「自分で分かるのは、自分のことで手一杯でしょ?」
「まーな。少なくとも、俺はそうだぜ。だから、世界だとかなんだとかってよりも自分に近いところに目をやったわけだしな」
 確かに、聡は優秀な人間ではないかもしれない。しかし、そうであるからこそ共感を呼び起こしもするのだろう。
「……難しい課題だ」
 ウルスラーディがぼそりと呟いた。
 生徒達に、自分のバランスが取れた状態であることを求める。それは、世界全体のバランスを取るよりも難しいことかもしれない。彼はそう思っているようだった。
 誰か、あるいは何かにすがりついて流される方がよっぽど楽だと考える人間は、世の中に溢れるほどいる。問題が起きても、そこに意志がなければ責任感を覚えることはない。意志を持ち、自主的に何かをなすということは、それに対し責任を持つということだ。
 聡を支持する以上、自分達もそれを自覚しなくてはならない。

* * *


 最終演説も残すところ副会長、会長候補となった。
「さすがに緊張してきたぜ……」
 本番を前にして、聡の顔にも緊張の色が浮かんでいた。
「山葉先輩!」
 狭霧 和眞(さぎり・かずま)は柄にもなく硬い表情の聡の元へやってきた。
「らしくないッスよ。山葉先輩は山葉先輩、いつも通りいけば問題ないッス」
 とはいえ、少し緊張をほぐした方がよさそうだ。先に来ていた朋美達と共に、最終演説のリハーサルを行うことにした。
「演説の内容は心配なさそうですね」
 彼の言葉を聞いたルーチェ・オブライエン(るーちぇ・おぶらいえん)が頷いた。これまでの練習の成果もあってか、詰まるということはなくなっていた。
「支持率34%。微妙に負けてますが、数字なんて単なる目安です。あとは度胸で補いましょう。男は度胸! ……らしいですよ?」
「それ、オレの台詞ッスよ!! ……大丈夫ッスよ! 山葉先輩ならきっと当選するッス!」
 和眞はのど飴を差し出した。
「おう、サンキュー」
 彼らも聡の応援をしてきたわけだが、選挙活動中は他の候補の主張も耳にし、考える機会が多かった。それでも、彼についていったのである。
 なつめにしても、他の候補者にしても、何も間違ったことは言っていない。しかし、なつめの言う「縛られた上での自由」というのはどうにも納得が出来なかった。問題を起こした生徒は処罰されなければならない。また、学院は立場が特殊なため、生徒一人一人が立ち回りに気をつけなければならない。最近起こった諸々の問題もあり、対外的には秩序を優先した姿勢を示す必要だってある。それは分かっている。
 しかし、秩序を先に置いてその後に自由を持ってきたら、それは「躊躇い」を生ませてしまう。実際に処罰されるかどうかは問題ではなく、「命令違反になる」、「優先度が低い」という意識を持つ――持たざるを得なくなってしまうことが問題だ。一瞬の躊躇いで、掛け替えのないものを失うかもしれない。秩序に対する「畏れ」が、取り返しのつかない結果をもたらすかもしれないのである。そういう辛気臭いのは、嫌だ。
 だから、仲間のことを第一に考え身体を張って助けに行き、それでいながら周りのこともしっかりと考えている聡なら、この学院をいい方向へ導いてくれるはずだ。

「山葉君」
 笹井 昇(ささい・のぼる)は、ちょうどリハーサルを終えた聡に声を掛けた。
「支持率の途中経過見たぜ。いい位置につけてんじゃねぇか」
 デビット・オブライエン(でびっと・おぶらいえん)が軽く口元を緩めた。
 数字の上では十分逆転可能。加えて、一位ほどのプレッシャーもかからない。
 選挙活動が始まった頃に彼の考えは聞いている。もちろん、その後の活動もきちんと見届けていた。その上で、昇達も聡を応援すると決めたのである。
 昇から見た聡と最有力候補のなつめとの大きな違いは、目指しているリーダー像だ。例えるなら、強力なリーダーシップで組織を舵取りして嵐を乗り切ろうとする船長のようなリーダーか、それとも個々人の才能と誠実を信じて、共に困難を乗り越えようとする議会の議長のような存在なのかというところだろう。
 極論かもしれないが、契約者の力は強力であり、学院の保有するイコンが小国の軍隊を圧倒出来る戦力であることは疑う余地がない。風紀委員会、監査委員会と共に一種の三権分立体制のような状態とはいえ、生徒会長はそれらの力を握ることに変わりはない。なつめであれば、それを濫用することはないだろう。
 学院は、確かに道を間違えた。信頼回復の道は長く険しいかもしれない。だが――いや、だからこそ、その道を歩むのは生徒会長や生徒会役員、代表生徒といった一握りの生徒ではなく、全生徒であるべきだと昇は考えた。そのための道標を示してくれるとしたら、それは聡だ。
「おっと、いよいよ会長候補の演説か」
 デビットがステージに視線を送った。聡の出番が刻一刻と近付いてきている。
「……ところで先輩、イコンで演説案は結局採用ッスか?」
 そう尋ねたのは、和眞だ。
「イコンで演説?」
「そうッスよ。こうやって会場も最初のイコンデッキなことだし、通ったものだと思ってたッス」
 昇に対し、和眞がそのことを教えてくれた。パイロット科の生徒らしいやり方ということで、前に提案していたものらしい。
「周りがどんどん新型に移っていく中、テストパイロットの時からの愛機、コームラントと共に最後の決戦に挑む。中々いいシチュエーションだと個人的には思うッスよ!」
「ああ、そのことなら許可は出たぜ。教官からも選管からもな」
 どうやら、聡もやる気らしい。
「そういえば、一応横断幕だけは用意していますが……使います? 使いますよね?」
 ルーチェが手にしている紙袋の中には、それが入っていた。もはや「はい」か「イエス」しか選択肢がない雰囲気である。
「よし使いますね、決定です。ということで準備しましょう!」
 イコンを使う以上、準備はやや早めに済ませなければならない。ここまででイコンで演説をした者はいないが、たった今演説中に制服を脱いだ候補者がいたくらいだ。許可も出ているようだし、問題ないだろう。
「……っと、そろそろ行かねーとな」
 聡が深呼吸し、準備を始めた。
「お前の人生最初で最後の大舞台かもしれねぇ。トチってもいいから、思い切りやってこいよ」
 彼の背中を後押しするように、デビットが声援を送った。
「残念会の準備もバッチリだから、心配するな。任せとけ、可愛い女の子も呼んでおくからよ」
「デビット。縁起でもないことを言うもんじゃない」
 気を和らげさせるつもりで口にしたのかもしれないが、昇は彼をたしなめた。
「ま、残念会じゃなくて就任祝いになりゃいいな」
 ここまできたら、当選してもらいたい。それは、昇もデビットも同じだ。