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リアクション
九章 ヒーロー
礼拝堂のような廃墟、応接間。
そこでは、リュカを如何にして逃げ出させるかの方法が検討されていた。
勿論、ひどく衰弱している彼女を動かすことは出来ない。しかし、それではこの場から逃げ出させることは出来ない。
そうして、行き詰ったとき、ミリア・アンドレッティ(みりあ・あんどれってぃ)が一人ごちた。
「こんなに衰弱しているんじゃ、普通の手段じゃ移動はできないわけよね……」
そこまで言うと、ミリアは何かをひらめいたのか「あっ」と言葉を洩らした。
「そうだ。だったら……!」
「何かいい案が浮かんだの?」
及川 翠(おいかわ・みどり)の問いかけに、ミリアは「うんっ」と頷いた。
「リュカを動かさなくて、逃げ出せる方法を思いついたの」
ミリアはそう言って、服のポケットから《封印の魔石》を取り出した。
「これに<封印呪縛>をすれば、魔石に封じられた対象はそのあいだ時間が停止した状態になる。これをリュカに使用すれば……!」
「! リュカさんを動かすことも出来るの!」
「うん、その通りよ。翠」
「やった、お手柄なの。お姉ちゃん!」
打開策を発見できて、翠は嬉しさのあまりミリアに抱きついた。
そんな二人を見ながら、リュカは静かに目を閉じ、再び開けて。
「……私なんかのために、そこまで親身になってくださってありがとうございます。でも――」
リュカの言葉は突然の轟音によって遮られた。
それは、応接間の扉が開き、翠達に仕掛けられた<インビジブルトラップ>が発動したからだ。
部屋の中に居る契約者が一斉に音のした方を向いた。
「……チッ、やってくれるな。折角のスーツがこれじゃあ台無しだ」
もくもくとあがる爆煙の向こう、不機嫌そうな声を発したのは構成員達と同じ黒服の男。
しかし、格の違いは一目瞭然だ。周囲を圧倒する上背に、顔に刻み込まれた大きな傷跡。硬質な筋肉に包まれた分厚い身体。
この男に比べれば、他の構成員などただのチンピラに過ぎまい。
「コルニクス……ッ!」
「ほぅ、この俺を呼び捨てとは……いい身分だな、リュカ」
コルニクスは汚物を見るかのようにリュカを見て、<トレジャーセンス>を発動して舌打ちをした。
「ふん、計画の鍵は誰かに託したか。ちょこざいな。おい、傭兵」
「……なんだ?」
<壁抜けの術>で応接間に現れた徹雄に、コルニクスは命令する。
「貴様は今すぐ鍵の奪取に向かえ。誰かがもって逃げているようだが、そう遠くはない」
「……君はどうする?」
「リュカを始末してからそちらに向かう。さっさと行け」
「……分かった」
短く会話を交わすと、徹雄は再び<壁抜けの術>を使って鍵の奪取へと向かった。
コルニクスは凶器を取り出す。右手に握りこんだのは、刃渡り四十センチを超える大型のナイフだ。
「組織を裏切った罪は重い。死をもって償うがいい」
「――そうはさせませんよぉ〜」
間延びした声と共に、スノゥ・ホワイトノート(すのぅ・ほわいとのーと)が<歴戦の魔術>を発動。
何にも属さない、透明の魔法がコルニクスに飛翔する。
「と、っとと。それは困るんだよなぁ」
しかし、切が身を割り込み、《自在刀》の鞘で<歴戦の魔術>を防御。
透明の魔法が爆発し、衝撃波を生み出す。受け切った切は、数歩後退した。
スノゥが目を見開き、問いかけた。
「切さんはぁ〜、コルッテロに雇われた傭兵さんではありませんよねぇ〜?」
「そうだけど、それがどうしたのかねぇ?」
「……なら、あなたのような人がどうして、そちら側につくんですかぁ〜?」
スノゥがそう質問したのには理由がある。
彼女は観察力が人一倍強い。だから、自分の人を見る目には自信がある。
だから、目の前で敵対する切のことを、彼女はどうしても悪人には思えなかったからだ。
「うーん、どうして、と言われてもねぇ」
切はボリボリと頭を掻きながら、答える。
「まぁ、答えるのなら、昨日の縁が合ったからかなぁ」
「……昨日の縁、ですかぁ〜。それだけで、切さんは私たちの敵になるんですねぇ」
「ああ。袖振り合うも多生の縁、と言うじゃないか。
どんな出会いも大切にしなければならない、って教えもあるぐらいなんだしね」
切は《自在刀》の柄に手を添え、一人ごちた。
「……味方はコルニクス一人。敵は……まぁ、たくさんか」
続けて、複数人と戦うために<一騎当千>を行使した。
自ら精神を鼓舞し、普段以上の力を発揮。それは、スノゥ達にとって、明確な敵意を感じさせるには十分だった。
「さて、ここはれっきとした戦場なんだし、そろそろ無駄話もよそうかねぇ」
切は腰を深く落とし、最も得意としている<抜刀術>の構えをとった。
「来なよ。どんな戦法だろうと、一刀の下に切伏せてやるさ」
スノゥも覚悟を決めて《魔杖シアンアンジェロ》を構え、その後ろでミリアは《召喚獣:サンダーバード》を召喚した。
応接間に、ピリピリと張り詰めた緊張が訪れる。
この室内は戦場には狭すぎる。ゆえに、勝敗はすぐに決するだろう。ある者は経験で、ある者は直感で、それを認識した。
相手の予想をどうすればはずせるか、速く動けるか。頭の中でシュミレートして、現実の肉体は一ミリも動かさない。
そんな時。
「……このままじゃあ、ダメなの」
震えた声で、翠は呟いた。その表情は、先ほどまでとは違い、鬱蒼としたものだ。
少女は顔だけ振り返り、ソファーにいるリュカと傍らで拳銃を構えた明人を見た。
「でも、あの予言通りなの……」
翠の言う未来とは、昨日の《不可思議な籠》の残酷な予言だ。
その内容は、
}もう一方を救えば、明人は救えないだろう。{/italic
というものだ。
リュカを助ける手立てを見つけたと同時に、襲撃者が現れた。自分達はピンチに陥った。
これが予言通りだとすれば、この応接間での戦いの果てにどちらかは死んでしまうのだろう。
(……そんなの、駄目なの。なんとかして、二人とも助けなきゃいけないのっ)
翠は気丈にもそう思うが、嫌な結末の予想を止めることは出来ない。
少女は目尻に涙を浮かべ、小さく、消え入りそうな声で言った。
「やっぱり、未来は変えることは出来ないの……?」
「――そんなことは絶対ないわ。私が保証してあげる」
ぽん、と翠の頭に手が置かれた。
少女が顔を上げる。声の主はティナ・ファインタック(てぃな・ふぁいんたっく)だ。
「未来は、変わるもの。
立ち止まらない限り、諦めない限り……歩み続ければ、変えられるもの」
翠の視線に、ティナはかすかな笑みで応える。
「だからこそ……不幸しかない未来は、変えちゃわないとね?」
そう言って、ティナは前を向いた。
その言葉に嘘偽りなど一つもない。彼女がどこまでも正直者であることは、パートナーである翠が一番知っていた。
「その通り……なのっ」
やがて来る結末を恐れても仕方ない。自分達は今、前に進まなければならないのだ。
不幸な未来を変えるために。
小さな少女は、涙を拭き、前を向いた。その心に確かな決意と、大きな勇気を持って。
「二人とも助けて、それでハッピーエンドが一番なの!」
翠が魔法陣を展開する。
一層と、応接間を包む緊張が張り詰めていった。
この少女が放つ一撃が開戦の合図となるだろう。誰もが、そう感じた。
――――――――――
時間は少しだけ遡る。
コルニクスが現れ、スノゥの魔法が切に弾かれた時のことだ。
「……エリシアさん」
リュカの近くに立つ明人は、エリシア・ボック(えりしあ・ぼっく)に小さな声で話しかけた。
「……どうしたんですの、彦星明人」
エリシアも明人にしか聞こえない声量で返事を返す。
彼は一度目を閉じ、数秒してから目を開けて、感情を抑えた声で言った。
「……あの黒服の男と一騎打ちをさせてください」
その無茶な頼みごとに、エリシアは驚愕で声を出しそうになった。
が、どうにか押し留め、平穏さを取り戻してから語りかける。
「……残酷かもしれませんが、はっきり申し上げます。貴方一人ではあの男に勝てませんわ」
明人はこくりと頷く。
「……分かってます。僕は負けるでしょう」
「……死ぬ気ですの?」
エリシアの問いかけに、明人は答えず、言葉を紡いだ。
「……死ぬかどうかは分かりませんが、こうでもしないと彼女の本音は聞けそうにありませんから」
「……彼女の本音?」
「……はい。『生きたい』か、『ここで皆のために犠牲になるか』です」
「……それはどうしてですの?」
「……リュカは……他人のためには自身の犠牲を厭いません。
目前で戦いが起こっている、その原因が自分なら、動こうとしない――いや、自分の身を差し出してでも、戦いを止めようとするでしょう」
エリシアは思い出す。先ほど、轟音によって掻き消された言葉を。
『もういいんです』
エリシアには、あのとき、リュカがそう言ったように聞こえた。
「……リュカは、ペンダントを託せたのだから自分はどうなってもいい、と考えようとしているはず。
彼女は……自分を、道具みたいに思っている節がある。それは過去が関係していると思いますが……僕には、それが許せない」
明人は「……それに、こういう荒療治をしないと、てこでも動かないと思います。リュカは」と付け加えた。
エリシアにも思うところはたくさんある。《不可思議の箱》のメッセージや、人喰い勇者の伝説内容などだ。
(わたくしの予想では、彦星明人はリュカの次に死に近い瀬戸際にいますわ。こんな提案、断るべきなんでしょうが……)
エリシアは明人をちらりと見た。
彼は心に火がついたような様子だった。その火が、覚悟なのか、それとも別の何かなのかは分からない。
ただ分かることは、絶対に退かない、という心構えをしているということだけだ。
(全く、このお人は……)
エリシアは内心ため息をつき、小さく肩を竦めた。
「……分かりましたわ」
「……エリシアさんっ」
「……ただし」
エリシアは明人の顔を指差し、弟を叱るような仕草で言い放つ。
「……わたくしとの約束が一つと、貴方へのアドバイスが一つありますわ」
「……約束とアドバイス?」
「……ええ。まずは約束。危なくなったら、わたくしを呼ぶことですわ。タイミングはお任せします。
……まぁ、貴方の命の危険だと判断すれば、勝手に助けに入りますが……いいですわよね?」
有無を言わさぬその口調に、明人は思わず首を縦に振った。
そして、エリシアは柔らかく微笑むと、「次に」と呟いた。
「……これは助言ですわ。貴方はご立派な考え方をしていますが、重要なことを忘れています」
「……重要なこと?」
エリシアは小さく頷き、リュカに目をやった。
「……自分が死んで悲しむ人がいることを失念するのは、愚か者の所業ですわよ」