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【蒼空に架ける橋】 第1話 空から落ちてきた少女

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【蒼空に架ける橋】 第1話 空から落ちてきた少女

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■第12章


「ここは……」
 いささか呆然となる思いで、御空 天泣(みそら・てんきゅう)はつぶやいた。
 自分たちは壱ノ島にいたはずだ。なのにここは。この光景は。
「レシェフだねぇ」
 ラヴィーナ・スミェールチ(らびーな・すみぇーるち)がさらっと答える。
「帰ってきちゃったんだねー、ボクら」
 おかしい。そんなはずはない。でもこれはたしかに出発前に見た港町の風景……。
 そう表情で訴える天泣を見て、ムハリーリヤ・スミェールチ(むはりーりや・すみぇーるち)はあっけらかんと
「リーリちゃん、難しいことわっかんなーい」
 とケラケラ笑った。
 船着き場で立ち尽くす彼らの後ろを、そのときトコトコと1人の少女が通り過ぎていったのだが、硬直した天泣に気づいている様子はなかった。
「桂輔」
 口の横に手を添えて、アルマ・ライラック(あるま・らいらっく)柚木 桂輔(ゆずき・けいすけ)を呼ぶ。
 名前を呼ばれ、そちらを向いた桂輔は、先まで見ていた船を指さして言った。
「見ろよアルマ。すっごい年季物のボロ船! こんなボロ船、俺初めて見たよ。これで本当にこの船動くのかな?」
 整備士としての血が騒ぐのか、赤さびの浮いたつぎはぎだらけの船をつくづくと見上げる桂輔の目は、異様なやる気に満ちている。
「それどころじゃありません」
 桂輔の元までたどり着いたアルマはとまどいがちにそう切り出した。
 普段冷静すぎるほど冷静なアルマの声が、このときばかりは少し動揺しているように聞こえて、桂輔は「おや?」とあらためてアルマの方へ向き直る。
「どうしたの?」
「浮遊島行きの船はとっくに出てしまったそうです。私たち、時間を間違えて覚えていたようです」
「あー、やっぱりかー。妙に人が少ないし、それらしい船の姿もないもんなあ」
 どうやら桂輔もうすうす気づいていたらしい。たいして驚きもせずうなずくと、アルマの握り締めている袋を指さした。
「まあアルマはそれでも飲みながらここで待っててよ。ちょっと俺、交渉してくるから」
「交渉、ですか?」
「いいからいいから」
 袋から取り出したカップをアルマに握らせ、もやい杭の所まで誘導して座らせると、桂輔はボロ船の乗降口がある所へ向かった。そこには船員が数人いて、運ばれてくる木箱を積んでいる。
「なぁ、この船もしかして壱ノ島行くってことない? もし行くんなら俺たちを乗せてってほしいんだけど」
 そう見当をつけたのは、船体に南カナン国のマークが入っていないからだった。帆柱にもそれらしい旗が揚がっていないことから推察して、これは南カナンの船ではないだろう。
 もし違っていたとしても、それならそれで壱ノ島行きの船を教えてもらえばいい。そんな軽い気持ちで声をかけた桂輔だったが。
 船員はジロジロと桂輔を見下ろし「なあ」と後ろの船員を呼んだ。
「こいつどうよ?」
「チビだな。腕も細いし……大丈夫かよ、アニキのひと蹴りでイッちまいそうだぜ?」
「けど、数が足りてねぇとなると蹴られるのは俺らだぞ?」
 ぼそぼそ、何やら2人だけで会話をしている。その内容は桂輔には聞こえなかったが、チラチラ自分を見てくる視線から、話題にされているのは自分なのだということは分かった。
 なにやら不穏な気配がしないでもなかった。しかし、デカい体や目つきの悪さといった外見で人を判断してはいけない、という良識から、桂輔はもう一歩踏み込んで交渉する。
「俺、整備の腕にはちょっと自信あるんだ。乗せて行ってくれるんだったら、お礼にこの船の修理をしてもいい……な、って……」


「おい」
 もやい杭に腰を下ろし、買ってきたジュースを飲んで待っていたアルマの上に、人型の影が落ちた。
 いかにも海の男という格好の大男が少し先で立って、アルマを見つめている。
「なんでしょうか」
「お前、あのガキの連れだろ?」
(ガキ? 桂輔のことでしょうか)
 男はしゃくって顎でボロ船の方を指す。
「……はい」
 幾分用心しつつ答えたアルマに、男は「そうか」とだけ言うと今度はついて来いと言うように手を振った。
「桂輔はどうしたんですか?」
「先に乗ってる」
「…………」
 桂輔本人が迎えに来ないのはおかしい気がした。が、すぐにあの船を見つめていた桂輔の様子を思い出して「桂輔のことだから、船に乗れると分かった途端、修理に夢中になっているのかもしれない」と思い直した。
「来ねぇのか? それならそれでこっちはかまわないんだがな?」
 男は、いかにも気が乗らないといったふうである。おそらくアルマが女性だからだろう。役立たずとみなされていたのだと、あとになって分かったが、このときのアルマにはなぜ男がそんなに不機嫌なのか見当もつかなかった。
「行きます」
 男が桂輔のいる船へ向かっているのはたしかだ。アルマは覚悟を決めて、男のあとをついて行く。
 もしこのときアルマが振り返ったなら、ロープでぐるぐる巻きにされて船まで別ルートで運ばれる天泣たちの姿が見えただろう。しかし残念ながら、アルマに気づいている様子は全くなかった。



 船に乗り遅れたのは桂輔たちだけではなかった。
 バタバタバタっと船着き場へ駈け込んでくる3組の足音。
「あー、やっぱりないよ、それらしい船!」
 ぜいぜい、はあはあ。両手を膝にあて、コルセア・レキシントン(こるせあ・れきしんとん)が切れた息を少しでも整えようとするそばで、葛城 吹雪(かつらぎ・ふぶき)は「むう……」と眉を寄せる。
「あっちゃー、マジかよ」
 とは柊 恭也(ひいらぎ・きょうや)。やはり全力疾走したせいで乱れた息でのどをヒューヒューいわせながら、額の汗をぬぐう。大きく息を吐きだして呼吸を整え、船着き場をぐるっと見回してみたが、前に見た、それらしい大型客船は影も形もなかった。
「くっそ。余裕ぶっこきすぎたわー」
 実は恭也は一度ここに来ていた。ただ、早く着きすぎたせいでまだ乗船は始まっておらず、待合室はイモ洗いかというぐらい人で混雑していたため、すっかり閉口してしまい、ちょっと町でもブラついてこようとここを離れたのだ。
 市場を歩いて果物かじったり、新鮮な魚料理つまんだりして、ついつい満腹になったものだから、ちょいと昼寝でもとうたた寝したのがまずかった。気づけばすっかり陽は傾いて、出港時間を回っていたというわけだった。
「んんー、困ったねえ」
 コルセアは手帳をパラパラめくる。
「船は週に1往復だって。来週の今日まで壱ノ島行きの便はないよ」
「では浮遊島へは行けないのでありますか」
 浮遊島……ああ、なんて冒険心をくすぐる、浪漫あふれる響き。
 新たなるフロンティアを求めて猪の一番に降り立つつもりだったのに、まさか行くことさえかなわないとは。
「あんまりであります!」
 吹雪ははるか上空にある雲海を見上げて叫ぶ。
「船の上から「すごいよ、ラピ〇タは本当に在ったんだ!」って叫ぶはずでありましたのにッ!!」
「船でも船でなくても、伏字になるようなこと叫ぶんじゃないの!」
 語尾にかぶせるようにして、コルセアがツッコミを入れた。
 そして一気に脱力したように、はーーーーっと息を吐く。
「にしても、ちょーっと町でのうわさ話の仕入れに時間と熱意をかけすぎちゃったねえ」
 しかし、現状こうなってしまった以上、いつまでもここにこうしていてもしかたない。
 ずりおちてきたメガネをくいっと上げて、元の位置に戻す。
「さてどうしよっか? こうなったら一度シャンバラ戻――」
 視界をかすめてひょこひょこ歩き出した吹雪に、コルセアはそこで言葉を止めた。
 吹雪が向かっている先は今にも沈没しそうなボロ船である。
「何やら向こうの船から浪漫のにおいがしてくるのであります」
「えっ!?」
 あの、動き出した瞬間空じゃなくて地球にまっさかさまに落ちそうな船が!?
「おっ、奇遇だな。俺もなんかそんな気がしてきてたんだよな!」
 俺たち気が合いそうだなHA・HA・HA、と笑って恭也もそちらへ歩いて向かう。
「あきらかにいかがわしいって分かってるのに、乗り込もうとするのね……」
 コルセアとしては近付くのも遠慮したい気になる船と船員たちだというのに、吹雪と恭也はまったく意に介してないようである。1対2だ、多数決という民主制の原理からいっても、2人に従うしかない。
 はーっと重いため息を吐き出して、やれやれと首を振りつつ2人の後ろをついて行く。
 吹雪と恭也は船の乗降口に立つ、目つきの悪い大柄な2人の船員にフレンドリーに乗船許可を求め――そして案の定、後ろからぶん殴られてバタバタとその場に気絶して倒れるハメになった。
「た、大変! 助けを呼びに――」
「もちろん、行くわけねぇよなぁお嬢ちゃん」
 回れ右したところで別の船員の胸にぼすんとぶつかって、コルセアもあっけなく捕まる。
「おい。そいつらの知り合いだ。こいつも縛って放り込んどけ。あ、ちゃんと身ぐるみはいどけよ? なにかと物騒な昨今だ、どこにどんな武器隠し持ってるか知れたもんじゃねぇ」
「分かりやした!」
 首根っこを引っ掴まれ、まるで猫の子のようにぶらんぶらんさせられて運ばれたコルセアを見て、船員が吹雪をすまきにする手をいったん止める。
「……ボロボロ出てきやがる。こいつ、どんだけ隠し持ってんだよ」
 恭也をすまきにしていた船員が思わず呆れた様につぶやいたときだ。
「ほおー、これは穏やかでないな」
 そんな太い声が聞こえてきて、振り向くと、騎士の格好をした体格のいい金髪の男が立っていた。
 その後ろで
「うむ。たしかにまったく穏やかでない」
 と、ひげを生やした男がうんうんうなずいている。
「あ? なんだてめぇら。やる気か?」
 掴んでいたコルセアをその場に落とし、船員がやぶにらみの目で振り返る。体格だけなら先のシグルズ・ヴォルスング(しぐるず・う゛ぉるすんぐ)に勝るとも劣らない。
「いいか? てめぇらは何も見なかった。
 分かったらさっさとどっかへ行きな」
 いかにも海の荒くれ者といった男が殺気を放って威嚇してくるのを見て、シグルズははっはと豪気に笑うと一歩踏み出し男の胸板をトントンとたたいた。
「御託はいい。さあさあ、目撃した僕らも誘拐してくれるんだろう? 早く連れて行ってくれまいか」
 ――はぁ!?
 まさに目がテンである。
 今まさに人が誘拐されそうになっているところを目撃して、助けようと向かってくるでなく、助けを呼びに走るでもなく、それどころか自分も誘拐してくれとは。
「……てめぇ、頭おかしいんじゃねぇか?」
 それに答えたのはひげの男、司馬懿 仲達(しばい・ちゅうたつ)である。彼もまた、シグルズの意見に同意なのか、うんうんうなずいて前に出ると、まるで久しぶりに会った旧友にでもするように、親しげにぽんと男の肩をたたく。
「いやー、ちょうど「ここ最近、何か物足りんなー。どこかに良い刺激でも転がっておらんか」とか思っておったとこなのだよ。貴公らとここで出会えたのは良い出会いであった。
 まあここで立ち話も何だ。早く貴公らのアジトやらなんやらに案内せんか。後ろの船がそれであるのだろう?」
 ほれほれ、とうながしてまでくる始末。
 まったく理解できない、と男以外の船員たちも残らず硬直し、ひたすら「なんだ? こいつら……」という若干引き気味の目で見るだけである。
「仲達の言うとおりだ。さあ、さっさと連れて行け。じきに飯時だ。腹が空いた。
ああ、皆まで言うな。分かっている。食事の内容にはまったく期待していないから粗末なもので構わんよ。あのボロ船を見れば、きみたちの財政状況は知れている。寝床も、寝られるだけマシ、くらいが関の山であろうからな」
「……てめ……っ!」
 シグルズの図々しい放言にカッときて、男が声を荒げる。
 その様子に、一番後ろについていたアルツール・ライヘンベルガー(あるつーる・らいへんべるがー)が、深々とため息をついて首を振った。
 そして、とりなそうと口を開きかけたときだ。

「あぁなんだ!? ひとの船の真ん前で、何ガチャってんだ、てめェら!」

 後ろから、聞くからにイライラと不機嫌そうな男の大声がして、反射的、アルツールは振り返った。
 そこには、シグルズたちが怒らせた船員たちと同じ服装をした男たちを従えた男が胸を張って立っている。
「あぁん!? 何か俺達に用でもあんのかてめぇら!?」
 ガラの悪さはともかく、その威風堂々とした立ち姿から、アルツールはこの男が彼らの頭目だと見当をつけて、男の方へ近寄っていく。
「すまない、実は――」
 瞬間、恐ろしい殺気のこもった目で、ギン! とにらまれた。
「用がねぇなら話しかけんなコノヤロウ!」
「……う、うむ。すまない」
 その迫力に思わず謝罪して説明しようとした言葉を飲み込んでしまう。アルツールを一瞥したあと、フン、と鼻で笑って、ナオシは船員たちの元へ向かった。
「何の騒ぎだこれは。サボってんならただじゃおかねぇぞ」
「と、とんでもねえ! ナオシのアニキ。これは――」
 男たちはあわててナオシに2人の説明をする。シグルズと仲達は彼らの説明に同意するように、うむ、とうなずいた。
「何言ってるかまったく分からん」
 額に青筋を立てるナオシに、アルツールが再度謝罪を試みた。
「すまん、本当にすまん……。信じられんかもしれないが、あのお二方はいたって正気なのだ……。
 お二方とも単に今の時代に合わせて大人しくしてくれているだけで、シグルズ様は敵対する一族(フンディング一族)を悉く皆殺しにしたりているし、司馬先生は反乱防止の為に数千人規模で民衆を殺したりしている(公孫淵と戦った遼隧の戦いの後)お人だ。
 肝が据わっているとか、天然だとか、そういうレベルじゃあ無い、感性が違う時代の人間なのだよ……。犬にでも噛まれたか、良い用心棒がタダで来てくれたと思って諦め――」

「なげぇんだよバカヤロウ!!」

「ぐふぉッ!?」
 アルツールは最後まで言い切ることができず、次の瞬間顔面に靴底をくらって、吹っ飛んだ。
 そしてくるっとシグルズと仲達に向き直り、2人の頭をそれぞれわし掴みにするや、豪快に頭をぶつけあわせて気絶させる。
「こいつらも身ぐるみひっぺがしてすまきにして、船倉へ放り込んどけ」
「は、はいっ! おかしら!!」
 船員たちが背筋をぴーんとして敬礼をする前、ナオシはボリボリ頭を掻きむしると船に向かって歩いて行ったのだった。