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リアクション
手首の辺りが木の枝に引っかかったのにも構わず、逃げ出そうとする御堂 緋音(みどう・あかね)を、シルヴァーナ・イレイン(しるう゛ぁーな・いれいん)は鋭い声で制した。
「待ちなさい!」
びくりと体を強張らせ、緋音は突然、動きを止めた。
強い言葉で命令されると、緋音は硬直してしまう。心ではなく体が反応してしまうのだ。
緋音に駆け寄ったシルヴァーナは、木の枝に引っかかったブレスレットを丁寧に取り外してやる。
「……これでいいわ。緋音がつけているブレスレットは、あなたの幼馴染とお揃いのものなのよ」
「おさななじみ……?」
「本人は今ここにいないけど、あなたたちはそれを大切にしていたわよ」
緋音が理解できるように、シルヴァーナは噛んで含めるように諭した。記憶を失った緋音は、パラミタに来る以前へと精神が後退してしまったようだ。
もともとさまざまな実験の副作用で体が小さい緋音だが、今はさらに幼く見える。
「私はあなたを守る守護天使。傷つけたりはしない、絶対に」
やっと安心した様子の緋音は、シルヴァーナの腕の中で呼吸を落ち着かせた。
そのまま寝息をたてはじめる。
「おやすみなさい、緋音。願わくばよい夢を」
「むしろどこかすっきりしていて心地よい」
と言って、記憶を失っているのを気にする様子がないドミニク・ルゴシ(どみにく・るごし)よりは、むしろパートナーであるミゲル・アルバレス(みげる・あるばれす)のほうが気をもんだ。
「何かを忘れたがそれが何かわからない」というドミニクのために、「そんなんゆーたって、ほっぽっとくわけにもいかんやろ!」とミゲルは積極的に遊園地の中を回った。
ジェットコースターにコーヒーカップ、お化け屋敷ではさすがに怖がってはいなかったけれど、いつもは退屈そうなドミニクも楽しそうだった。
遊び疲れて休憩代わりに乗った観覧車から見る夕陽は燃えるように美しく、ミゲルは感嘆の声をあげる。
「きれいやなぁ」
騒いだせいで少しかすれてしまった声でドミニクは賛美歌を歌い始めた。
その瞳に移るのは夕陽ではなく、燃え盛る炎と一人の女性だった。
炎の中心で身を焼かれながら、それでも神への賛美をやめなかった彼女。
吸血鬼である自分と愛しあったばかりに殺された――決して忘れてはいけなかったのに忘れてしまった人。
「私はまたあやまちを犯すところだったのだな……」
ドミニクは不意に横に座るミゲルを抱きしめた。
「大丈夫、オレはずっと一緒におるよ」
急に痛いほどの力で抱きしめられ、混乱しながらもミゲルはなぜかそう言わなければいけない気がした。
自分の腕の中に愛する者がいる幸福を感じながら、「大切な者を二度と失うまい」その決意をドミニクは新たにしていた。
楽しく遊んでいたはずなのに、突然、頭を抱え込んでうずくまったメイベル・ポーター(めいべる・ぽーたー)を、セシリア・ライト(せしりあ・らいと)はかいがいしく介抱した。
建前上は付き人として共に百合園女学院に入学したが、セシリアは常に「メイベルの友人であり、姉でありたい」と願っている。
しかしセシリアの献身でも、メイベルの失われた記憶は容易には戻らなかった。
さまざまなアトラクションに乗ってみたが記憶が戻る気配はなく、日が暮れてしまったので観覧車に乗ったら学院に戻ろうということになった。
もたれかかるようにして観覧車の座席に座り、ガラスに耳をよせていたメイベルが小さな声で言った。
「きれいな歌声ですぅ。……でもなんだか悲しい気持ちになってしまいますぅ……」
歌声に心を寄せて、自分まで落ち込んでしまったようなメイベルを見て、セシリアはあえて明るい声で提案する。
「歌ってくれない?」
「え?」
「歌うの好きでしょう?」
メイベルちゃんのことよく知っているのよ、と言っているようなセシリアの優しい瞳に促されてメイベルは歌い始めた。
澄んだ旋律が流れていく。
はじめは聞こえてきたドミニクの歌声に合わせて賛美歌を。
そして歌い終わった後にメイベルの一番好きな歌を歌い始める。
「この歌は……」
歌い終えたメイベルはセシリアに笑顔を向けた。
「私の一番好きな歌ですぅ。初めてあなたにこの歌を歌った時、あなたも好きだって言ってくれたのを思い出したんですぅ。あの時も夕暮れ時でした」
「ありがとう、メイベルちゃん……」
万感の想いを込めてセシリアはつぶやいた。
「楽しかったあぁ〜ああ、もうこんな時間なんだねぇ〜」
すっかり日が暮れるまで遊び倒した後鳥羽樹理はうーん、と背伸びをした。
「ああ。こんなに長く遊んだの、なんか久しぶりな気がする……」
長い同人生活でできた目のくまは変わらないが、マノファ・タウレトアの顔はつき物が落ちたように晴々しくなっている。
そんなマノファに向かい、樹理は事も無げにとても大切なことを言った。
「そういえば、惨状パンダ先生、同人誌の締め切りあったんだっけ〜。帰ろうか〜?」
「なにその惨状パンダって……締め切り……? なに言って……ギャアア!!」
道にしゃがみこんで頭を抱えたマノファは叫んだ。
同人誌原稿の締め切り直前に、現実(締め切り)から逃避のために二時間だけ遊園地に遊びに来たのを、樹理の言葉で思い出す。
「締め切りじゃん! 先に言えこのアホ娘が!!!」
「ぎゃんっ!? 後頭部はやめて! 私まで記憶飛んじゃう!」
「あんたの記憶なんか根こそぎなくなったって大して困んないでしょ! トーン張りとベタ塗りの仕方だけ覚えてりゃ上等!」
こうしてはいられない、とマノファは、うずくまった樹理の首根っこを引っつかむと出口めがけて一目散に走っていった。
「――――、おい……、黒龍」
紫煙 葛葉(しえん・くずは)の呼ぶ声に、天 黒龍(てぃえん・へいろん)はしばらく気が付かなかった。
目の前にいる葛葉が、自分のパートナーが誰なのかわからない。
お前は誰だ、と口を開きかけ黒龍ははっとした。
いつもは人を寄せ付けない緑の双眸から険が取れ、年相応の青年に見える。
「……いや、違う。あなたは、ずっと探していた先生ではないですか!」
「……!」
葛葉の容姿は、黒龍が唯一人心を許した憧れの「先生」そのものだった。
「今までどちらにいたんですか、先生……っ!」
「俺……は……、先生、じゃ、ない……。出会っ……た、時……に、も……言った……はず、だ」
葛葉はたどたどしい話し方で話し終えた。話すことが苦手で、言いたい事を伝えるのに長い時間がかかってしまう。
しかし黒龍は先生にやっと再会できた、という喜びで葛葉の言葉が耳に届いていないようだった。
葛葉はいつも持ち歩いているメモを取り出した。メモに言葉を書き付けると、黒龍の襟元に手を入れた。黒龍はされるがままにしている。
黒龍がいつも身につけているペンダントを、葛葉は夕陽にかざすように持ち上げた。
光を受けて、大きな宝石が赤く光った。ザクロのような赤い色だ。
その輝きに目を奪われている黒龍に、葛葉はさきほど書いたメモを見せる。
――「互いを必要とし、常に傍に在る」という証に渡したものだ。お前には俺が必要で、俺にもお前が必要だと、……常に傍らに在る、と俺に誓わせたのは誰だった――
メモを見た黒龍の瞳に冷徹な光が戻った。
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