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リアクション
第二章 身支度
順番に湯を使い、清掃作業は夜通し続けられた。
「見ていろ」
既に夜は明け、窓の外からは眩い朝日が差し込んでいる。
ぶん、と得意げに包丁を振り上げた響の手首を、弥十郎がやんわりと抑え込んだ。
「そうではなく、……」
丁寧な弥十郎の指導を受けた響は考え込むように黙りこみ、よし、と頷いて次の作業に取り掛かる。皮剥き機を手にした彼が執拗にジャガイモの実を剥き続けるのを弥十郎が止め、どこから持ち出したかガスバーナーの先をめざしへ向ける彼をやはり弥十郎が宥め、その度に優しく方法を説明する弥十郎の言葉に、響は小さく頷いた。
「……理論は解っているのだが」
不満げに呟きながらも作業を続ける響から少し離れた後方で、ヴラドはそんな二人の姿を眺めていた。
過剰なまでの炎が上がり、一匹のめざしが黒焦げになった。難しい眼差しで眺める響に、弥十郎が声を荒げることはない。穏やかににこにこと笑みを浮かべながら、丁寧に指導を施し、二人は協力して料理を作り上げていく。
「どうだ」
ぼんやりとまるで遠くの出来事のように眺めるヴラドの視線の先で、響が胸を張る。その手元には、やや歪ながら丁寧に盛りつけられたきゅうりの浅漬けがあった。
「うん、よく出来たねぇ」
弥十郎の称賛に、響は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。ヴラドは知っている。響に見えないように、弥十郎がこっそりとその味付けを直していたことを。酷く美味そうに見えるその朝食を、ヴラドはただ眺めていた。
「ご飯、まだかなあ……」
「あー、もうすぐだろ」
一時間ほど前から既に十回以上零されたミミの呟きに、壮太はこれまた十回以上紡いだ答えを返した。がっくりとミミの翼が力無く垂れ、それでもゴミ集めの作業を続ける。袋詰めされたゴミたちは、既に十袋を裕に超えていた。
「おいしかったもんね、夜食」
モップで床を磨きながらセスの呟いた言葉に、ミミは何度も頷いた。箒で掃き続けるアランは一度手を止め、大広間全体を見回す。本日の主な会場となるらしいその空間は極めて広く、なかなか隅々まで清掃が完了していなかった。しかしそれも徹夜で行われた作業により、余すところなく元の様子を取り戻していた。
「このくらいで大丈夫でしょう」
ぱんぱん、と手を払い、アランは広間の清掃の完了を告げた。壮太、ミミ、セスと頷き合い、一斉に深く吐息を零す。流石に疲労に身を包まれた、そんな彼らの元へ突然ヴラドが姿を現す。
「朝食です」
それだけ短く告げて早くもその場を去ろうとしたヴラドは、悩む間を空けた後にもう一度振り返った。
「……ご苦労様、ですね」
あくまで尊大な物言いながら初めてヴラドが零した謝意に、一同は目線を交わし合い、笑みを浮かべた。
ご飯、お味噌汁、めざしが3匹、胡瓜の浅漬けと甘い卵焼き。
一人一人の前に並べられた朝食に、疲れ切った一同は綺麗に磨かれた椅子へと腰を下ろした。
「頂きます!」
声を揃え、一斉に朝食へ手を付ける。
「それで森の道を掃いてたら、こーんな大きな蜘蛛が出てきたんだ」
ぐわっと両腕を広げて語るファルに、北都は思わず隣に座るクナイの裾を掴んだ。驚いたようにぱちぱちと目を瞬かせるセスの反応に気を良くして、ファルは更に身を乗り出して語り続ける。
「それに、こーんな大きなムカデが……」
「ファル」
そこまで言ったところで諭すような呼雪の視線を受け、ファルはうっと口を噤んだ。再び朝食に意識を戻す。それぞれ大掃除中の苦労や出来事を語り合いながら、達成感に満ちた面持ちで、一同は食事を続けた。
「客室の用意が整っております」
丁寧な所作で食器を台所へと片付けた蒼が、おもむろに切り出した。その言葉に、何も言わないながらヴラドも頷く。彼の前には、食べ掛けのトリのワイン煮とトマトのリゾットがあった。
「口に合わなかったかな?」
心配そうな弥十郎の言葉に、ヴラドは首を横に振る。
「……食べてしまうのが、勿体無く思えました。皆さんはお休み下さい」
素直に答えたヴラドの言葉を受けて、一同は蒼に促されるまま立ち並ぶ客室へと向かった。
ヴラドが食事を終えた頃、扉の外に人の気配が増え始めた。ポスターを見た様々な生徒達がこの屋敷を訪れているらしい。
美しく整えられた道のり、庭、そして屋敷を見上げる生徒達は様々だ。さっそく迎えに出たヴラドは、こっそりと窓から侵入する一人の男の姿には気付かなかった。
「ようこそお越し下さいました」
屋敷にある衣服の中で唯一清潔さを保っていたバスローブ姿で迎えに出たヴラドは、訪れた人々を次々と綺麗に整えられた玄関へ招き入れていく。エメに言われていた言葉を思い返し、女性が屋敷へと足を踏み入れるのを何とか許容していたヴラドだが、一組の生徒を見るとその正面へと立ち塞がった。前例を気に掛け上から下までまじまじと二人を眺めた後に、重々しく口を開く。
「申し訳ありませんが、女性の二人組はお断りさせて頂きます」
やや唇を震わせて言い放ち、一定の距離を取ったまま、ヴラドはじっと二人組を見据えた。二人組のうちの一人、ミストラル・フォーセット(みすとらる・ふぉーせっと)はもう一人のメニエス・レイン(めにえす・れいん)を庇うように一歩を踏み出し、同じ距離だけ後退したヴラドを見上げる。
「メニエス様に、ご不満でもおありですか?」
感覚的に同族であることを察したらしいミストラルは値踏みするようにヴラドの容姿を眺め、後に気高く笑みを浮かべて見せた。
「あなたも同じ吸血鬼でしたら、もう少し見た目にも気を付けて頂きたいものですわね」
ずいと迫るミストラルの大きな胸から逃げるように視線を逸らしつつ、ヴラドは鼻を鳴らす。清潔さを保つことの必要性を身を持って叩き込まれた今、ヴラドに言い返す言葉は無かった。
そしてやや俯き加減にその隣へ並んだメニエスが、どこか気品の漂う一礼を施して見せる。
「吸血鬼は、高貴かつ美しくあるべき至高の種族。貴方はまず、心を綺麗にする必要があるわね」
怪訝と双眸を細めたヴラドへ、ミストラルとメニエスは優雅に背を向ける。屋敷を立ち去るように歩き出し、ふと足を止めて振り返ると、メニエスは意地の悪い笑みを浮かべた。
「貴方が貼った貼り紙の下に、『なんとかしてくれ』って書いてあったわ。……それが何を示しているのか、貴方にわかるかしら?」
答えを与えないままに立ち去って行く二人を黙して見送るヴラドは、緩く首を振った。それを書いたのが誰であるのか、浮かび上がった可能性を振り払うように。
取り敢えず集まった人々を大広間へと案内し、そのまま玄関に立ちつくしていたヴラドは、不意に腕を引かれる感覚に背後へ傾いた。咄嗟に片足をつき、振り返る。
「な……何でしょう?」
腕を掴み引っ張るアルカナ・ディアディール(あるかな・でぃあでぃーる)の妖艶な横顔にごくりと唾を呑みつつも、ヴラドは惹かれるまま歩きながら問い掛けた。ぐいぐいと引っ張るアルカナは、ああ、と応える。
「サトゥが呼んでいるからな、来てもらうぜ」
己の屋敷を引き摺られ歩く稀有な体験に目を瞬きながら続いたヴラドは、辿り着いた先が浴室であったことに肩を落とした。ぽん、とアルカナの手が肩を叩く。
「何というか、……ご愁傷さまだ」
遠くを見ながら薄笑いを貼り付け告げられる言葉に、ヴラドは背筋に寒気が走るのを感じた。恐る恐る浴室の扉を開け、踏み込む。すると現れた、幾つかのボトルと椅子を用意し笑みを浮かべた線の細い少年に、ヴラドは気の抜けた表情を浮かべる。
「待っていたよ。さあ、ここに座ってくれないかな」
椅子を引きながら示すサトゥルヌス・ルーンティア(さとぅぬるす・るーんてぃあ)の不思議な迫力に押され、ヴラドは静かに椅子へと腰を下ろす。
「さて、じゃあ今までどうやって髪を手入れしていたのかを教えてね」
甘い香りの漂うシャンプーを指に絡めながら発された、穏やかながら底冷えのする声音に、ヴラドは思わず腰を浮かせた。その肩を、宥めるようにアルカナが押さえる。
「ありがとう、アル君」
にこにこと無害な笑顔を湛え、ヴラドの長髪に触れたサトゥルヌスは、ひくりと片眉を引き攣らせた。洗ったばかりであるらしい、最低限の清潔さは保たれているものの、亜麻色の長髪は見るも無残に傷んでいた。
「えー……湖で、ばしゃばしゃと」
何故かジェスチャーまで付けたヴラドの頭皮にマッサージを施しながら、サトゥルヌスは周囲に薔薇の花とその棘までがくっきりと見えるかのような、鮮やかながら苛烈な笑みを浮かべた。
「どうやら、髪の手入れについて一から叩き込む必要がありそうだね」
びくりと背筋を震わせたヴラドに、アルカナは肩を竦めた。
「…………」
ぐったりと肩を落とし、滑らかな亜麻色の髪をなびかせて、ヴラドは廊下を歩いていた。
どれだけ時間が経ったかはわからない。基礎知識からトリビアまで、髪に関するあらゆることを一通り叩き込まれたように思う。一度も意識したことが無かった知識が一気に流し込まれたことにショート寸前のヴラドの腕が、突然強い力で引かれる。
「う、っ!?」
勢いのままに傾いた体は、固い何かにぶつかった。そちらへ視線を向けると、高く積み上げられた本の山が映る。
「…………」
再び黙り込むヴラドへ、山の背後から姿を現したヴェルチェ・クライウォルフ(う゛ぇるちぇ・くらいうぉるふ)はぐっと顔を寄せた。その胸元を見遣り怖気づくヴラドへ、機嫌良く笑みを浮かべる。
「まずはこれ、全部読んでね♪」
「…………」
呆然と本の山へ視線を数回上下させるヴラドが口を挟む間を与えず、重ねてヴェルチェは口を開く。
「いい? 美しくなるのにはね、努力が必要なのよ。まず姿勢!」
びし、とやや猫背気味なヴラドの背を叩き、ヴェルチェは更に続ける。
「態度や話し方も美しさの重要な要素よ。いい? 出来ない、面倒くさい、知らない、は絶対に使わない事。ほら、読みながら聞きなさい」
「……無理で」
禁止されたばかりの意味を表す言葉を最後まで紡ぐことを許されず、ごつん、と良い音を立ててヴラドの頭部へ拳が振り下ろされる。見た目からは想像もつかない強さで殴られた頭を涙目で擦るヴラドへ、追い付いたサトゥルヌスが声を上げた。
「髪が傷まないようにお願いしますね」
「……頭が痛みます」
力無いヴラドの恨み言に満面の笑みを返し、ヴェルチェの授業は続く。
「次、生活習慣の改善。普段の暮らしを教えて頂戴?」
「……寝て、起きて、血を飲んで、寝ます」
再び握られた拳を見たヴラドが慌てて答え、ヴェルチェはがっくりと肩を落とした。本の山から一冊を抜き去り、それをヴラドの眼前へと突き出す。
「これを読んでよく考えなさい。……知らない事より、知ろうとしないことが問題なのよ?」
モテる男の条件、と書かれた本の表紙をまじまじと眺め、暫しの間の後にヴラドは頷いた。
丁度その時、廊下の角から二人の男性が姿を現した。
「ああ、いたいた」
軽い声音で言いつつ歩み寄るのは、ヴィナ・アーダベルト(びな・あーだべると)だった。その背後からは、大量の服を抱えたティア・ルスカ(てぃあ・るすか)が付いてきている。
「よかったよかった、さっさとその恰好を何とかしよう」
金髪を掻き上げるヴィナの姿に僅かながら警戒心を帯びた瞳を向け、本を盾にして身構えるヴラドを宥めるように、ティアは温和な笑みを向ける。
「ご安心下さい、幾つか服をお持ちしましたよ」
両腕に抱える衣服を示しながら述べるティアの言葉に、ヴラドはおずおずと本を下ろした。背後から鋭い視線を感じたことも、理由の一つに挙げられる。
「……服、ですか?」
「ああ、流石にその恰好のままってのもなあ?」
軽々しい語調で語り掛けながらも、ヴィナの目つきは真剣だった。上から下までヴラドの容姿を眺め、あれでもないこれでもないとティアから服を受け取っては考え込む。
一方ヴラドはと言えば、彼が身に纏う薔薇の学舎の制服をじっと見詰めていた。
「ヴラドちゃんはまだ、それを着るには早いでしょう?」
ね、と弾んだ声音で付け加えるヴェルチェに、ヴラドは素早く頷きを返した。未だにじんじんと頭が痛みを訴える。
ごく普通のものから特殊なものまで、様々なジャンルの掻き集められた服の山から、ヴィナとティアは真剣にヴラドに似合う一品を話し合う。そんな彼らの様子を眺めるヴラドは、朝に感じたものと同様の何かが込み上がるのを感じていた。慌てて首を振って払ったところに、ずい、と差し出された黒が視界を埋め尽くす。
「ま、主催者だし、ちょっとお固いけどこれで良いんじゃない?」
いかにも吸血鬼といった燕尾服を受け取り、ヴラドはしげしげとそれを眺めた。どうやら着方がわからないらしい彼に、痺れを切らしたヴィナがそっと別室へ押し遣る。
「一応言っとくけど、入学できる保証とかは無いからね?」
「……充分です、……」
何か言いかけたヴラドは結局唇を閉ざし、ヴィナの指導のもとに渡された服を身につけ始めた。
そうしてヴラドの容姿が整えられていく中。ヴラドと瓜二つの長髪、そして蒼の双眸を持つ一人の男性が、彼らとは別の廊下にこっそり侵入を果たしていた。普段使われる廊下ではないそこが清潔に整えられている事に驚きを隠せず、シェディは暫しきょろきょろと周囲を見回す。
「ちょっと良いかな」
その瞬間、不意に背後から響いた声に、シェディは素早くそちらへ振り返った。小林 翔太(こばやし・しょうた)、瑞江 響(みずえ・ひびき)、アイザック・スコット(あいざっく・すこっと)の三人が立ち並ぶ姿に、困惑を隠さず眉を寄せる。
「……何、だ。お前たちは?」
警戒を滲ませるシェディへ、翔太はきらりと輝く王冠を手に言い放つ。
「僕たちは、ビューティー★サークル!」
「ビュー……何?」
あまりにも堂々と言い放たれた言葉に一層混乱が深まったらしい、シェディは首を傾げて見せる。響は一歩前に歩み出ると、敵意が無い事を示すように一礼してから口を開いた。
「先程、こっそりと侵入しているところを見ました。ポスターに文字を書き加えたのは、貴方ですね?」
明らかに筆跡の異なる文字で書き添えられた言葉。今この状況で身を隠す人物と言えば、その文字の主、もしくは屋敷に侵入を図った不審者だろう。
「そう、だが」
控え目ながら確かに頷くシェディに、ほっと安堵の吐息が重なる。響は一歩踏み出し、じっとシェディの双眸を見据えた。
「彼の目を覚まさせることが出来るのは、他でもない貴方です」
力強く言い切る響の言葉に、シェディの表情が曇る。不機嫌に唇を歪めたシェディが声を発する前に、アイザックが口を挟んだ。
「お前、この屋敷の持ち主のパートナーなんだろ?」
「……ああ」
シェディの首肯を受け、アイザックは両腕を広げて訴える。
「だったらお前がどうにかしないでどうする、それでもパートナーか?」
勢い付いたアイザックの言葉に、シェディは再び黙り込む。悩むようなその表情を、見かねた翔太がゆらゆらと王冠を揺らして気を引いた。
「ね、君の名前は?」
「……。シェディ、だ」
続く言葉を警戒し身を強張らせるシェディに、あくまで無邪気な口調で、翔太は続ける。
「シェディ君は、パートナーの事、大切なんでしょう?」
「…………」
黙して頷くシェディへ、翔太はにっこりと笑みを浮かべて歩み寄る。片腕を引くシェディの動作を気にも留めず、両手で持った王冠を背伸びをして彼の頭に乗せ、翔太は言った。
「なら、パートナーの為に頑張ってみようよ。僕たちが手伝うからさ」
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