校長室
リアクション
* * * 「かたっ苦しい儀式が終わったら、あとは戦勝祝賀会や!」 おもむろに、日下部 社(くさかべ・やしろ)は両袖をまくり上げた。 「さー、これから忙しくなるでぇ〜。けど、これぞ腕の見せどころっちゅうもんや! 846プロ社長日下部 社の名に賭けて、完璧な宴会プロデュースしてみせたるからなぁーーーっ!!」 工兵たちに頼んで、突貫工事で組んでもらっている特設ステージを前に、社は吠える。 そこを、ゴン、と後ろから鈍器で殴られた。 「…………っ…!」 声も満足に出せない痛みに思わずしゃがみ込む。その視界に、回り込んでくる小さな足。 「やー兄、うるさい」 マイクを両手で口の前に掲げ持った日下部 千尋(くさかべ・ちひろ)がひと言そう言った。 「準備ガンバってる、みんなのメーワクでしょ」 「ったってなぁ、ちー。これはええチャンスなんやで? ここにはこの国の有力者が勢揃いしとる。このイベント成功させたら、ええ宣伝になるし、今後カナンでの846プロダクションの活動がスムーズにいくようになるかもしれん。そうなったらうちの所属タレントたちのためにもなるんやで」 と、社は再びこぶしを握って立ち上がった。 「やっぱ、プロダクション社長としては、ここが一番の張り切りどきなんやーっ!」 「あの、社さん?」 わははー、と笑っている社に、後ろから工兵の1人が声をかけてきた。 「なんや? なんか不足でも出たか? なら調達してくるで?」 「いえ。舞台ができたので、ちょっと具合を見てもらえないかと思いまして」 この言葉に、社は隣の千尋を見た。 「ちー、ちょお上がってくるか?」 「うんっ。いいよー♪」 千尋は小走りに駆けて行くと、ぴょんっとステージに飛び乗った。そしてマイクのスイッチをオンにする。 「あー、テステステス」 かわいらしい千尋の声が、上下にセッティングされたスピーカーから会場いっぱいに響いた。 「みんなー、聞こえるー?」 ステージの上からめいっぱい手を振る千尋のかわいらしさに、立食パーティーの準備をしていたカナンの人たちが笑顔で手を振り返す。 「聞こえてるみたいやな。ちー、音響のテストや。歌ってみ?」 「えっ? いいの? ……えへへっ。じゃあここで1曲、歌わせていただきますっ♪ カナンのこれからに願いを込めて」 千尋は胸いっぱい息を吸い込み、幸せの歌を歌った。ここにいる人、いない人。起きている人、眠っている人、笑っている人、泣いている人。いろんな人がいるけれど、みんな、みんな、幸せになりますようにと祈りにも似た願いを込めて…。 「おー、いい声だなぁ」 聞こえてくる歌声に、渋井 誠治(しぶい・せいじ)は仕込んでいた手を一時止めて腰を伸ばした。 立食パーティーの一角を借りて持ち込んだラーメン屋台越しに特設ステージの方を見る。聞いているだけで、力とやる気が湧き上がってくるようだ。 「よっしゃ。もうひとふんばりするか」 「誠治」 笑顔で具材を切る作業に戻った誠治の前にヒルデガルト・シュナーベル(ひるでがると・しゅなーべる)が立った。 「ラーメン鉢とレンゲの準備が終わったわ」 煮沸と乾燥が終わって新たに積み上げられた鉢とレンゲとわりばし、それから箸が使えない人のためのフォークを視線で指す。 「ああ。ありがとう」 「何かほかに手伝えること、ある?」 「って言ってもなぁ」 誠治はうーんと考え込んだ。ヒルデガルトは料理がヘタなのだ。それはもう、壊滅的に。救いようもなく、ヘタだ。才能がカケラもない。 だがせっかく手伝おうとしてくれている彼女のやる気を削ぐのも悪い気がして、誠治は包丁で、屋台でぐらぐら沸いている湯鍋を指した。 「――じゃあ、湯切りしてくれるか? そっちにタレのひしゃくがあるだろ? それをすりきり一杯鉢に入れて、スープ入れてくれ。今準備してくれてる人たちに、まず振る舞いたいから」 「分かったわ」 味にかかわらせなければ大丈夫だろう、と踏んだのだが。 ぼてん。そんな音がしそうな、どう見ても伸びたでろんでろんの麺をスープ鉢に移すのを見て、誠治は頭を抱えてしまった。 ――まずそこからか! 「……おまえ、それ出す気か?」 気づかず具材を盛っているヒルデガルトに、待ったをかける。 「え? 何か間違った?」 きょとんとした顔。全く気づいているふうではない彼女に、はーっと息を吐き、誠治はわりばしを差し出した。 「それ、おまえの今日のまかないな。忙しくなる前にここで座って食べてろ。あとはオレがやるから」 そう言うと、返事を待たずにさっさと湯に突っ込まれた麺の湯切りを始める。手馴れたもので、流れるようにスープの用意から具材の盛り付けまで、ほんの数秒たらずでこなしていった。 「それ、おいしそうですね」 においに引き寄せられてきた給仕係りの青年の言葉に、ぱっと表情を明るくする。 「おう、お疲れ!」 出来立てのラーメンを差し出した。 「見かけだけじゃなく、ほんとにうまいぜ? さあ、食ってくれよ」 「いいんですか?」少年が笑顔になった。「うわぁ。おいしそうだ」 誠治は屋台から身を乗り出し、後ろで様子を伺っているほかの人たちに声をかけた。 「ほら、あんたたちも。動いてお腹空いただろ? 今からオレがとっておきのラーメン作るから、食べてくれよ! これからますます忙しくなるんだし、腹入れとく必要あるだろ?」 その言葉か、それとも誠治の満面の笑顔につられてか。ラーメン屋台にたくさんの人が集まってきた。そのほとんどの人がラーメンは見るのも初めてらしい。まるで魔法のようにみるみるうちにできあがっていくラーメンに、だれもが興味津々で、誠治に質問を投げてくる。 ときにラーメンあるあるで冗談も挟みながら笑顔で受け答えしている誠治を、ちょっとだけうらやましい思いで見つつ、ヒルデガルトはわりばしを割った。 (お客さんの話し相手なら、できるわよね。知識もあるし。それに、初めてラーメンを食べるカナンの人に、アンケートをとるのもいいかも。好みの味付けとか、こちらで合いそうな食材があるかとか……受け入れられやすいラーメンのネーミングのヒントをもらうのもいいかもしれないわね) 早く食べて、誠治を手伝おう。そう考えて、ひと口ぱくり。 「…………まず」 顔をそむけた先で、ヒルデガルトは思わず口元を覆ってしまったのだった。 * * * 戦いは終わりを告げた。 しかし、本当の意味でカナンが元の姿を取り戻すまでは、まだ時間がかかることだろう。ある意味では、それもまた戦いであるのかもしれないと、セシリア・ライト(せしりあ・らいと)は思った。 冒険者ギルド「ニネヴァ」――南カナンに作られたそこでは、数々のコントラクターたちが各地の街の復興のために助力を惜しまない活動を続けていた。ネルガルが亡くなり、イナンナが元の力を取り戻したことで確かにカナンの緑化は進んでいるようだが……人々の生活はまだ戦いの傷跡を残している。 話によると、かつて訪れたヤンジュスの町にも人々が戻り始めているということだったが……全ての人が元の場所に戻ってくるまでは、時間がかかりそうだった。 「セシリアー! こっちにも種を分けて欲しいのですぅ!」 「あ、はいはーい! いま行くよー!」 カナンの民と一緒に畑を耕していたメイベル・ポーター(めいべる・ぽーたー)に呼ばれて、ヤンジュスを思い出しながら空を仰ぎ見ていたセシリアは、急いで彼女のもとに向かった。 が。とてとてっと走りながら畑を跳び越そうとして、彼女は土の窪みに足を引っかけ、転げてしまった。ポカンと、それを見つめる農民とメイベル。起き上がったセシリアの顔が土にまみれて茶色になっているのを見て、どっと笑った。 「セシ……セシリア……あは、あはははは、面白い顔ですぅ」 「う〜! もう、ひどいよー、笑うなんて」 「あはははは、ご、ごめんですぅ」 全然悪びれてなさそうだが……まあ、いいだろう。顔や身体の土を払い落として、セシリアは軽く息をついた。そして、ようやくメイベルのもとに着いて、作物の種を分ける。 「ん〜、汚れちゃったなぁ……。じゃあ、僕は着替えてきてから食事の準備を手伝ってくるね」 「はーい、了解ですぅ」 楽しそうな農民とメイベルに見送られて、セシリアは畑から脱出した。今度は、ちゃんと土に足が引っかからないよう気をつけて、だ。 そういえば、メイベルに聞いた話によると、『ニネヴァ』という名は地球にあったと言われる図書館からとったものらしい。皆の助けとなるような知恵が集まるように。そんな願いを込めて、メイベルは率先してこの施設の建設に一役買っていた。 皆の知恵。 冒険者だけではなく、人々の笑顔が集まる場所としても、このギルドが長らく機能することを、彼女も願う。 ――ま、それはさておき。まずは食べることが大事だよね。 「よーし、頑張るぞぉ!」 ぐっと拳を握りしめて空に振り上げ、セシリアは気合を入れた。 剣を取らない戦いは、まだ始まったばかりだった。 * * * みなさま、ようこそどるふぃん温泉へ。 当施設では自慢の温泉はもちろんのこと、『サンドドルフィン』や『砂鯱』と触れ合える砂族館や砂風呂も併設しております。 ゆったりと湯船に浸かりながら、砂泳動物が泳ぐ様をのんびりと眺める、そんな心と体を癒す静かで優雅なひとときを――― 走る〜走る〜。 「滑るからっ! 走るなって!!」 ………………えぇと、もう一度。 当施設ではゆったりと湯船に浸かりながら、砂泳動物が泳ぐ様をのんびりと眺めることができ、それはもう静かで心休まるひとときを――― 走る〜走る〜子供た〜ち〜。 「ほらっ、早川も遊んでないで手伝えって!」 だっ、誰が遊んでますか! 建設と運営に関わる者として、より多くの人に当施設を知って頂こうとこうしてPRしているというのに――― 走る〜走る〜。 「あっ、またっ!」 …………鬼院……。まぁ、気を取り直して。当施設の特徴は立ち上る湯気もはっきりくっきり見えるほどに澄んだ空気と落ち着いた調の中でゆったりと――― 子供た〜ち〜。 「待てってんだよ!」 …………………………もぅいいです。 走る〜走る〜子供た〜ち〜流れ〜る汗は垂れ流したまま湯船に入るのでは無く気持ちと汗を押さえてから体を洗った後に入るのがマナーだぞっ! 「捕まえたっ!!」 鬼院 尋人(きいん・ひろと)は両手でグシッと脇を押さえて捕まえた。追いかけっこが面白かったのか、または尋人の大きな手がくすぐったかったのか、男の子はキャッキャキャッキャ言って余計に手の中で暴れていたが、尋人はどうにか体ごと持ち上げると、そのまま足湯の中にバシャッと下ろした。 「ほれっ、足湯だ。温っかいだろ〜」 それはもうバシャバシャと。湯水を踏みつけては蹴り上げる。その子の真似をして他の子もバシャバシャバシャバシャと始めるから、湯は大きく波打ってしまうわけで。 「止めろって止めろ! ほらっ、あの兄ちゃん、あの兄ちゃんみたいにするんだよ」 そう言って尋人は呀 雷號(が・らいごう)を指差した。彼は足を開いて腕を組み、口は真一文字に結び閉じていたのだが、流石に視線を感じたのか「なんだ?」と顔を向けた。 「あ…… いやほら、みんなの手本になるような見事な姿勢だったからさ」 「………… そんなつもりはない」 「足湯、気に入ったか?」 「……………… 悪くはない」 「そか」 雷號の真似をする子供もいたが、長いことじっとしていられるわけもなく、尋人はまた子守に追われることとなる。巻き込まれるのは御免だ、と早川 呼雪(はやかわ・こゆき)は露天の風呂へと退散した。 「呼雪君」 エメ・シェンノート(えめ・しぇんのーと)が手を振って呼んでいた。湯船の中から。これまた傍にカナンの子供たちの姿が見えて躊躇したが呼雪は笑みを作って歩み寄った。 「楽しそうだな」 「えぇ、これからヘル君が温泉卵をご馳走してくれるんだよ」 「はい、呼雪の分」 「あ……」 背後から聞こえた声、パートナーのヘル・ラージャ(へる・らーじゃ)が温泉卵を差し出していた。 「ありがと。…………てか裸なのか」 「ん? 温泉なんだから当然だろ?」 大層なものを隠しもせずにまぁ………… とそれは置いといて、っつーか目を逸らして。 「わっ、あわっ、ちょっと待って」 初めて食べるのだろうか。エメはゆで卵のように殻を剥き始め、案の定に中身ドロドロがドバドバで慌てて入れ物を探していた。 そんな様子は子供たちに笑い声を上げさせたし、すぐ傍でジュリオ・ルリマーレン(じゅりお・るりまーれん)も子供と一緒になってドロドロ白身を啜っていたり、 「こっちへ来い」 と自分の膝の上に座らせて湯に浸かったりしている。普段は質実剛健な雷オヤジなジュリオも今だけは不器用にも子供たちを愛でている。そんな様は呼雪はもちろん、パートナーであるエメだって初めて見る光景だった。 「ふむぅ…………」 離れた所で浸かっているブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)は首を戻して言葉を続けた。 「この数ヶ月の疲れも癒される。実に良い湯だ」 湯加減、湯心地、湯の調。それらに加えてエメや子供たちの笑顔と笑い声も全てが込められた言葉だったに違いない。そう思えたからこそ黒崎 天音(くろさき・あまね)も、 「そうだね」 と返したのだと思う。 湯船から肩を出して、隣接する砂風呂へと腕を伸ばす。先程から好奇心いっぱいの瞳で身を乗り出している『サンドドルフィン』の口を撫でてから天音は、そっと抱き寄せた。 求愛しているかのような、か細い声と火照った躰。自分たちは『砂風呂』なんて呼んでいるが、砂中で暮らす彼らからすれば何のことはない日常に近い状況なのかもしれない。 「こんなに可愛くて大人しいのに」 ネルガルやアバドンに操られて戦の道具として使われて。それもみんな人間の勝手な争いごと、彼らだって被害者だ。それでもこの国に降り積もった砂の多くは取り除かねばならない、人間が暮らし生きてゆくために。 「すまないね。君たちの住処がどうなるか分からないけど…… できるだけの事はするよ」 「天音、安請け合いは控えた方が良い。身が滅ぶ」 「ふっ」 天音は思わず顔を綻ばせた。悲しみに呑まれていたこの国に、これ以上の不幸は必要ない。それは人間にとっても植物にとっても魔物たちにとっても。笑顔と温もりを共有しあうこの空間のように、誰もが描く理想のために、その為に身を削る事はあってもそれが身を滅ぼす事になどなるはずがない。 キュイキュイと聞こえる声に、天音は濡れた手をそっと延ばし『サンドドルフィン』の頭を優しく撫でた。 |
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