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第二章 美少女メイド・ラピス

「大丈夫、きっとお嬢様は無事に戻ってきますよぉ」
 その頃サーシェ家のお屋敷では、自室の扉の前に座り込むラピスを数人の生徒たちが慰めていた。
 体育座りをして額を膝に付け、酷く落ち込んだ様子でうずくまるラピスに、メイベル・ポーター(めいべる・ぽーたー)は穏やかな口調で語り掛ける。自分に出来ることを一通り終えてしまいすっかり消沈した様子のラピスの肩をメイベルが緩やかに撫でると、ぴくりとラピスの肩が跳ねた。
「……そう、でしょうか」
「大丈夫だよ、だから元気出しなって!」
 不安げなラピスの声を受けて、ラピスの隣にしゃがみ込んだ、メイベルのパートナーのセシリア・ライト(せしりあ・らいと)も同調して頷く。ラピスを元気づけるように、そしてもう一つの要因から軽く掴んだ腕を宥めるように撫でると、ようやくラピスはおずおずと顔を上げた。
「はい……うう、すみません」
「謝る必要はないですぅ」
 ごしごしと袖で目元を拭うラピスの様子に、メイベルは嬉しそうに笑みを浮かべながら首を振って見せた。いくらか落ち着いてきたらしいラピスへ、正面にしゃがみ込んで目線を合わせた立川 るる(たちかわ・るる)がにっこりと笑いながら頷く。
「皆の言う通りだよ。色んな人が探してくれてるし、きっとすぐにまた会えるよ!」
「そう、ですよね」
 三人の笑顔に励まされたラピスの顔に、ややぎこちない笑みが浮かべられた。不安を押し込めて精一杯笑っているような、そんな危うい笑顔に、るるは咄嗟にラピスの両手を握り締める。
「何か不安なことがあれば話してみて? るる、何でも聞くから。あ、それともラピスの方が良いかな?」
 優しく語り掛ける彼女の言葉に、笑みを保ったまま聴き入っていたラピスは、最後の言葉で目を丸くする。ぱちぱちと瞬くラピスとるるの間に鮮やかな黄の髪を割り込ませ、ぱっちりとした青の瞳を綻ばせたラピス・ラズリ(らぴす・らずり)は、ぱたぱたと翼を羽ばたかせて見せた。
「初めまして。僕も、同じラピスっていうんだ。だから何だか気になっちゃって……僕たちに出来る事があったら、何でも言ってね」
 彼の言葉に呆気に取られた様子で目を見開いていたメイドのラピスは、やがて嬉しそうに表情を綻ばせた。驚く程の偶然と、彼らの優しくも頼れる言葉に、溜まっていた不安が吹き飛ばされたらしい。
「ありがとうございます、ラピスさん。ふふ、自分の名前を呼ぶのって何だかおかしな感じですね」
「うん、僕も何かくすぐったいもん」
 くすくすと笑い合う二人のラピスから、穏やかな空気が場へと広がった。メイベルとセシリア、るるが目線を交わし合い、自分の事のように嬉しげな頷きを交わす。その様子を一歩離れた所から見守っていたスカイラー・ダルジョス(すかいらー・だるじょす)は小さく頷くと、徐に彼らの傍へと歩み寄った。
「ラピス。ユリアナを浚った犯人の特徴は、何か覚えていないかしら?」
 同じメイドの格好をしたスカイラーの問い掛けに、はっと我に返ったようにラピスは真剣な表情を浮かべた。そこには、先程までのような沈鬱とした様子は無い。改めて事件と向き合う勇気を貰ったメイドのラピスは、スカイラーを見上げ難しそうに眉を寄せる。
「あ、はい……皆さんにお伝えした特徴の他には……うーん……」
 演技めいた色や不審な点の無い、誠実な返答に、スカイラーは納得した様子で頷く。同時にセシリアもこっそり嘆息を漏らした。どうにも疑わしい状況の中、表向きはメイベルと共にメイドのラピスを慰める目的で屋敷を訪れ、その実彼女を監視していたセシリアだったが、彼女の落ち込む姿を直に見たときからどうにもその疑いが揺らぐのを感じていたのだ。そして今までの彼女の態度に、不審なものは一切見当たらなかった。これ以上彼女を問い詰めたところで新たな情報が手に入る事も無いだろう。ようやくメイベルの嬉しそうな表情に純粋な笑顔を返せる、セシリアにはその事がとても嬉しかった。
「じゃあ今度、歌って差し上げますねぇ」
「はい、是非!」
 その間も会話は進んでいたようだ。楽しそうなメイベルの言葉に、期待に目を輝かせたラピスが大きく頷く。「るるも聴きたいな」と楽しそうに声を弾ませるるるに、メイベルは喜んで、と返した。
 すっかり団らんとした雰囲気が漂う中、不意にスカイラーが視線を彷徨わせる。
「……誰かしら?」
 その言葉を受けて、全員の身体に緊張が走る。それでなくとも先日屋敷は侵入を受けたばかりだ。犯人は現場に戻る、の言葉をメイドのラピスは思い出した。
 赤いマントを手にした人影が、廊下の突き当たりから現れる。ごくりと誰かが唾を呑む音が聞こえ、高鳴る鼓動に導かれるまま各々が身構えた、その時。
「あれ? どうなってるの?」
 やや緊張感に欠けた声と共に、人影――クライスは手にしたマントを床へ落とした。呆然として見守るメイドのラピスたちの視線の先で、クライスの背後からかつかつと歩み寄ったローレンスが、困ったように彼と彼女とを見比べる。
「……主よ。申し上げにくいですが……」
「あそこ、ラピスの部屋だよねー……」
 更にその後ろからメイス片手にひょっこりと顔を出したカッティが、メイドのラピスの背にする扉に下げられた『ラピス』のネームプレートを見て肩を落とした。本人に知られないように中を調べることはどうやら難しいようだ。
「聞き込みをしてきたけど、皆誘拐事件を怖がって屋敷に篭っちゃってる所為で全然人がいないし、会ってもくれなかったよ。何とか聞き出せたのは、ユリアナさんとラピスさんは凄く仲がいいってことくらい……って、あれ?」
 遅れて現れたミレイユが疲れ切った様子で紡ぐ報告を聞いたのは、しかし彼女の予想した以上の人数だった。一斉に集まる視線を受けたミレイユが戸惑ったように首を傾げるのを、背後のシェイドが庇うように一歩前へ出る。
「……どういうことでしょう?」
「それは僕たちの台詞だよ」
 カッティの握るメイスを目にしたラピス・ラズリがるるとメイドのラピスを守るように翼を広げ、問い返す。じりじりと身を焦がすような緊迫と困惑に包まれた雰囲気の中、不意に穏やかな旋律が上がった。
「〜♪ ……落ち着きましょうよぉ」
 強張る精神を宥めるような優しいメイベルの歌声と、彼女の浮かべた無邪気な笑顔に、その場の誰もがすっと緊張の糸が解けるのを感じた。最低限の警戒は解かないまでも身構えた体から無駄な力を抜き、強張った表情を平静のそれに変える。
「……私たちは、ラピスさんのお話を聞きに来ました」
 暫しの沈黙の後、徐にローレンスが口を開いた。事実とはやや異なるが、この状況下でそれを口にする必要も無いだろう。そう判断しての彼の言葉に、マントを拾ったクライスも頷く。
「ええと、……驚かせてすみませんでした」
 丁寧に頭を下げたクライスに、いえいえ!と慌ててメイドのラピスが首を振る。続けてメイスを仕舞ったカッティがラピス・ラズリの前へと歩み出て、ぺこりと礼をした。
「あたしがこんなの握ってたからややこしくしちゃったんだよね。ごめんね」
 そう言いながら頭を撫でるカッティに、にっこりと微笑みながら首を振ったラピス・ラズリは、次の瞬間はっと我に返ったように後ずさる。
「子ども扱いしないでよね、僕は見た目よりずっと年上なんだからっ!」
 そんなラピス・ラズリの反応に、場の空気は一層和らいだ。スカイラーはミレイユとシェイドに情報を尋ねているが、どうやら聞き込みの結果はあまり芳しくなかったらしい。
「うん……やっぱり、ユリアナとラピスの仲の良さくらいしか、確かな情報は得られなかったよ」
「そう……」
 打ち解けたはいいものの、次に取るべき行動が定まらない状況。かと言ってじっとしている事も出来ない、そんな歯痒い空気が漂う中、突然メイドのラピスが双眸を見開いた。

「ご、ご主人さま!?」

 なんと、話し合う彼らの背後を主人であるサーシェ家当主が歩いて行く姿が目に入ったのだ。驚愕を露にしたメイドのラピスの言葉に一同が一斉に振り向くと、当主はあはは、と緩い笑い声を零した。
「やあ、ラピスちゃん」
「な、何をやってるんですか!」
「それが、僕も遺跡まで行くことになってねぇ」
 目を白黒させるラピスとは対照的に緩い調子で述べる当主に痺れを切らし、ラピスは彼の傍らの人物たちへと視線を移した。教導団の軍服を身に纏った女性と、大柄な男性。誘拐と言うには二人の仕草はあまりにも礼儀正しく、そして当主の朗らかな様子に演技めいた様子は無い。
「ユリアナさんの事、ちゃんと見届けて欲しいの」
 女性、ルカルカ・ルー(るかるか・るー)が徐に口を開く。同意するように頷き、当主は説明を添えた。
「僕がユリアナを迎えに行くのを護衛してくれるそうなんだ」
「本当はダッセ家の当主もお連れしたかったんだが……どうも、自分の息子が犯人らしいと知って泡吹いて倒れちまったらしい」
 肩を竦めつつそう述べたのは男性、ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)だ。車の鍵を片手で揺らす彼を見上げ、ラピスは僅かな沈黙の後、意を決したように声を上げた。

「……と言う訳で、クドールの部屋からは……ベッドの下を除き、不審なものは何も見付からなかった」
 やや躊躇った末に言い切られた水鏡 彰(みかがみ・あきら)の言葉に、携帯から耳を離したラキシス・ファナティック(らきしす・ふぁなてぃっく)もうんうんと頷く。
「ボクが漁ったイタルちゃんの部屋も、なーんにも出てこなかったよ」
「では、やはり皆さんで一緒にラピスさんを浚いましょう」
 そう言って再び携帯での報告に戻るラキシスを横目に、儚げな笑みを浮かべながらとんでもないことをさらりと言ったのは、荒巻 さけ(あらまき・さけ)だ。一拍置いて口元に手を当て。
「……ではなく、ラピスさんを遺跡へお連れしましょう」
「そうですね、丁度ラピスさんに聞きたい事もありますし」
 誘拐犯のようなさけの口ぶりには一瞬ぎょっと目を丸めたものの、気を取り直したガートルード・ハーレック(がーとるーど・はーれっく)が同意を示して頷く。三兄弟から不審な証拠が出てこなかった以上、ラピスの疑いは晴れない。ならばいっそユリアナとラピスを引き合わせて反応を見るのも手だろう、とガートルードは考えた。
「ラピスに兄弟の声を聞かせて、確認を取るのもいいしな」
 そう言い加えながら、犬神 疾風(いぬがみ・はやて)もまた首を縦に振った。いざとなれば力ずくで連れ出すことも辞さない、とそんな事を相談しながら廊下を歩んでいくと、唐突に女性の声が響く。

「私も連れて行って下さい!」
 強気に表情を引き締めたラピスが、真っ直ぐにルカルカを見上げ叫んだ。それからはっとしたように慌てて立ち上がり、改めて頭を下げる。彼女の突然の行動を思わず呆然と眺めていたルカルカは、暫しの間の後に当主を見遣る。
「そうだねぇ……」
 困ったように言い淀む当主を、ラピスは食い入るようにじっと見詰める。やがて決心した当主が口を開こうとした、その寸前。
「私からもお願いします」
 早足にその場へと到着したガートルードが、深々と頭を下げた。追って現れた彰たちも同じく当主へ礼を施し、突然の来訪者たちに呆気に取られたメイドのラピスたちを尻目に、当主は驚きもせずに首を傾げる。
「ラピスちゃんを連れていく必要があるのかな?」
「ラピスは犯人の声を聞いている。遺跡で三兄弟の声をそれぞれ聞かせれば、手掛かりになるかもしれない」
 当主の問いには、犬神が変わって答える。ふむ、と顎に手を当てた当主へ、おさげを揺らしたるるが勢いよく頭を下げた。一歩遅れて、ラピス・ラズリも続く。
「お願いします!」
「……わかったよ。良いかな、ルカルカちゃん?」
 苦笑交じりに折れた当主がルカルカを窺い、彼女が頷く姿にメイドのラピスは目を輝かせて深く礼をした。
「ありがとうございます、皆さん!」
「当主様とラピスはルカルカたちの車でお連れするけど、流石にこの人数は無理だよ」
 やや困ったように言うルカルカに、ラキシスは左右に首を振って見せる。
「大丈夫、ボクたちは歩いて行くよ。ね?」
 彼女の言葉に一同が頷き、改めて深々と頭を下げたラピスと当主を見送り、一同は遺跡への道を歩み始めた。

「……ってことで、ラピスはどうも白みたいなんだけど……」
「いや、まだ無実だと決まった訳じゃない。引き続きラピスを見張ってくれ、カッティ」
「でも、車で行っちゃったよ」
「……わかった。ここから先は、遺跡に行った班員たちに任せよう」
 カッティの電話連絡を受けたイレブンは難しい顔で一度唸り、登録したばかりの番号を呼び出した。
 ラピスの態度が全て演技である可能性もある。仮にそうであったなら、遺跡の班員たちが危ない!
「……私だ、イレブンだ。ああ、今ラピスが遺跡へ向かったとの報告を受けた……」
 通話口の向こうから響く頼りがいのある声に深く頷き、イレブンは通話を終えた。
 やや傾いた陽を見上げる。光に隠れて見えない鏖殺寺院の影を探るように、イレブンは鋭く空を見上げていた。