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黒羊郷探訪(第1回/全3回)

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黒羊郷探訪(第1回/全3回)

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4‐02 遊郭

 迷っていたのは、橘 カオル(たちばな・かおる)である。
 迷っていた、と言っても人間的な迷いだが。
 本営で、三日月湖に遊郭があるらしいとの話を戦部から聞いて、遊郭のことばかりが気になっていた橘。
 遊郭は、湖の真ん中だ。
 湖畔に沿ってそれとなく、ずうーっと歩いてみる。
「あ。橘 カオルさん? どちらへ?」
 ときどきすれ違う同じ教導団の生徒から声をかけられる。
「し、しまったな……軍服を着てくるんじゃなかった……」
「今日は、パートナーさんとはご一緒じゃないのですか?」
「え、ええ。マリーアはみずねこの村に行ってて」
 ……。
 黙々と、湖畔を徘徊する橘。
 行き交う人々。ちっ。何でこんなに人が多いんだ。これじゃ……
 ……それに皆、何か詮索しようとしたり、いぶかしげにオレを見てる、……気がする…… 遊郭、遊郭、……
 どうしても、遊郭が目に入る。
 それは遠く、湖の小島にそびえる、城塞か砦のようにも見える。
(誰かに尋ねるのも尋ねにくいしなあ。)
 いつの間にか、情報収集はどこか彼方へ……
(くっ。どうやって行くんだ。どこにも遊郭行きなんてないぞ? 遊郭、遊郭、……)
 橘がちょっとふてくされて、つぶやきながら歩いていると、
「にーちゃん。にーちゃん。どうだ?」
「えっ?」
 にやにやしながら話しかけてくる、いかにもあやしい男だ。も、もしかして。
「……あの」
「おうわかってるぜ。(だってあんたずっとあっち(遊郭島)の方見ながらキョドウ不審で歩いてるんだもんな。へへへ。)
 ボート乗り場で、「ちょっと月のうさぎのとこまで」と言ってみな。にやり」
 男はそう言うと、去って行った。
「……うん。行くしかない」
 橘は心を決めた。
 そこで何か拾える情報もあるだろう。……というのは、もはや言い訳にしか聞こえない。

 ボート乗り場には、カップルの姿や、親子連れが多い。
 再び揺らぐ橘 カオル。
「う……オレ、目立つかな? い、いや。これは任務なんだ」
 橘は言い聞かせた。
 ボート料金5G。
 ボート小屋でぼーっとしている黒い眼鏡の男。
「……おう。お一人さん?」
 さっきの話は本当にそうなのか?
「……あの。……」
「はぁ?」
 眼鏡の奥から、じっと見つめてくる視線を感じる……
「うさぎのとこへ……」
「……」
 無言の男。じっと見られている。何だ……
「わっ」
 橘の後ろに、小さな老人が立っていた。
「行きましょか。ほな、乗ってくだされや」

 わいわいきゃあきゃあと、ボートに乗ってはしゃぐ男女や親子の顔が見えなくなるくらいの位置まで出ると、すっと岸辺を離れていく一艘のボート。
「遊郭、遊郭、……どきどき、どきどき、……えへへ」
「……」
 小男は、ただ無言でボートを漕いだ。やがて、湖面に切り立つような遊郭群が目前に迫ってくる。



 ボートを降りた場所は、ウルレミラの方からは見えない側で、島を半周ほど回った位置だった。
 ぎし、ぎし、古い木の板を組み合わせた乗り場に着いた。
 静かだ。
 黒ずんだような家の壁が湖面に並んでいる。表から見えたのとは違い、廃墟のように古くさい。
「じゃあな。楽しんできなされ。
 おっと、夜の十九時、二十一時、零時に迎えが来るでな」
 橘を降ろすと、ボートはすうと乗り場を離れ、水面を静かに去って行った。すぐ、建物の影に隠れて見えなくなる。
「……十九時のには間に合うように戻ろう。
 ……。まあ、別にちょっと情報収集するだけだし。
 ……」
 野良猫が魚の骨を齧っている細い階段を上がると、街に出た。雑居区のようだ。
 ぼろぼろのアパートや木造の建築物が立ち並ぶ。遊郭だけで成り立っているわけではなく、この小島で暮らしている人々もいるのだろう。
 ときどき路地に屯する、目つきの悪い、たちの悪そうな連中。
 黒い影のような家の並ぶ路地もある。
 それらを抜けると……
「わっ」
 けばけばしく彩られた沢山の看板。垂れ下がる灯かり。夜になればもっとすごいのだろうけど……
 乱立する、様々の建物。
 遊郭街に出た。
「えーっと……、濡場喫茶、メイド……冥土の土産屋さん? ようこそ、三日月うさぎちゃん……ここに入ってみるか?」
「おにーさん♪」「あーら可愛い僕?」「うふふ」
「えっ、……オレ?」
 どきどき。



 ここにも、遊郭を歩く三人。
「すごい」
 周りを見回して、思わずそう呟く、漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)
「刀真、女遊びをする所に女連れで来るとは阿呆か?」
 そう聞いたのは、玉藻 前(たまもの・まえ)
「アホじゃありません、仕事で来ているんですからパートナーと一緒に来るのは当然です」
 二人の間に立って先頭を歩くのは、樹月 刀真(きづき・とうま)。教導団に雇われの傭兵としてウルレミラへ来ていた。
 パートナーと三人で遊郭のある島に入ったのには実際、ここが湖賊とつながっているだろうとの読みがあったからだ。
 和風なものから洋風なものまでごちゃ混ぜの(パラミタ風ということなのだろうけど)つぎはぎのような建物がずらっと並ぶ、遊郭街を歩く。
「まあ女避けにはなるか、両手に花の男のところへわざわざ来る遊女がいるとは思えん」
 ……でも、こちらに手を振っている女もいる。柄の悪い女連中。
 遊女だけじゃなく、ならず者の類もいるようだ。
 おそらく、湖賊も……
「一仕事終われば此処に来ている可能性が高いです。彼らに会って話を聞きたいんですよ。
 遊女の人達にしても、湖賊から何か話を聞いてる可能性もありますし、何か話を聞けるといいんですがね」
 それに彼らを通して船を手に入れることができれば、行動範囲は広がる。
「ねえ」
 月夜が、後ろから話しかける。
「花魁とか本に書いてあったけど、女の人達と主に何をするのかは書いてなかった」
「金が入れば酒と煙草と女、まあ殆どの男の基本ですね……俺には理解できない所がありますが」
「刀真、聞いてる? 女の人達と主に何をするのかは書いてなかった」
「……。ええと」
 あやしげな男達が、寄ってきてくれた。今、街の中央辺りまで来ただろうか。
「よお」「女連れかよ、あんちゃん」「三人で楽しもうってのか。ホテルならウルレミラにたくさんあるぜ?」
「仕事で来ているんです」
「ほっほー」「おう、あんちゃんよ? ここがどこか知ってんのか」「俺達のシマに何しに来た」
「なるほど。君達は、湖賊ですよね」
 男達は、黙って刀真をじっと見ている。
「船と人が欲しいのですが、話のできる方はいますか?」
 二人は、顔を見合わせて、笑い出した。一人は、何も言わずぽりぽりと頭をかいてあくびしている。
「おっと危ねぇよ!」
 笑っていた一人が、突然殴りつけてきた。
「……」
 無言で避ける刀真。
「ほっほー」「おう、あんちゃん。速いね」他の二人は何もしてくる様子はない。殴りかかった男も、拳をおさめている。
「刀真!」
 月夜、玉藻が駆け寄る。
「大丈夫です」
 刀真は冷静に言う。
「どうするよ?」「お頭んとこ連れてくか」「面白いけどな、こいつ。お頭にかかったら死んじゃうよな」
「よお、どうするよ?」
「先程も言った通りです。船と人が欲しい、と」
 男ら二人は今一度顔を見合わせたが、何も言わず、一人が「来な」とだけ合図した。



 いちばん高い遊郭の、最上階の一室に案内された。
「頭、なかなかの上玉ですぜ」
 男達はそう言うと、笑いながら、去っていった。
 月夜は、自分と玉藻がそう言われたということも気に留めず、部屋を見回す。
 頭(かしら)、と呼ばれた者は、宝石の散りばめられた豪奢な椅子に座って、背を向けていた。
 傍らには、けばけばしい一室に似合わない、飾り気一つない黒の執事服で身を固めた男が一人。顔に刻まれた皺が老齢を示しているが、背は真っ直ぐに立ち、190はある長身である。
 その男が、口を利いた。
「船と人が欲しい、そうだな。さて、どうする?」
 男はそれだけ言うと、じっと押し黙る。身じろぎ一つとしない。ただこちらをじっと見ている。
 沈黙。
 頭は、後ろを向いたまま、葉巻を吸って、ただ真っ白い煙をふかーっとふき出している。
 玉藻がきり出す。
「よし、賭けをしよう。
 お前と刀真が一対一の勝負をする。お前が勝てば我をくれてやる、刀真が勝ったら船と人をよこせ」
「お前、とは頭(かしら)に向かってのことか」
「そうだ」
 玉藻は、後ろを向いたままの頭に向けて、言い放つ。
 執事服の男は、押し黙る。
 頭は、相変わらず、葉巻を吸うては、巨きな輪っかを作り出しては窓の方に放るばかり。
「ほう、我にその船と人ほどの価値は無いか?」
 艶やかに微笑する玉藻。
 そこへ月夜、
「私も玉ちゃんと一緒、それでも釣り合わない?」
「ふふふふ。小娘風情が、何をほざいておる」
 姿勢はそのままに、言葉を発する。しゃがれた声だ。
「月夜、玉藻の影響を受け過ぎだ迂闊な事を言うな」
 刀真が、二人を止める。
 刀真は、玉藻の出した賭けに怒り、今までの表情が消え、殺気をまき散らす。
「玉藻、お前を封印するのは俺だ」
「そうだ刀真、我を封印するのはお前だ」
「おやおや。仲のいい三人だ。
 テバルク。ここへ剣を持て」
「……」
 男が、無言で壁にかけてあった一振りを頭に渡す。
 剣は、魔宝石が切っ先に施された幅広のパティッサだ。
 刀真も、柄に手を置く。彼の武器はバスタードソードである。
「この勝負は負けるつもりも、容赦もするつもりも無い。剣の勝負なら死ぬぞ」
 刀真の目は冷たい。
 頭は無言で剣をゆっくり眺めている。
「殺し合いがしたいなら別にかまわないぞ」
 玉藻が言い放つ。
「玉藻。もう言うな」
「さて。続きは生きて帰れたらにしてもらおうかね。
 剣の勝負なら死ぬ。その言葉、そのまま返してあげよう」
 頭が椅子から立ち上がり、こちらを向いた。
「な……女?」
「あたいが遊郭を取り仕切るシェルダメルダ
 ほう。なかなか可愛い娘二人じゃないか。いいだろう、遊郭でたっぷりと働いてもらうとするさ。
 いやあたいが可愛がったげてもいいけどねえ。うふふふ」
 相当年は経ている筈だ。しかし、女は異様な綺麗さを感じさせる。ただ、笑みを浮かべるときその顔は奇妙に歪んだ。
「男の方は……あたいの下僕だね。
 まあ、もちろん可愛がってやるさ」
「……いいのか?」
「刀真が勝つから平気」
「月夜の言う通りお前が勝つから平気だ」
 刀真はバスタードソードをかまえた。……容赦はしない。
 頭は、笑っている。剣はかまえない。
 ……
 ……
 数分とも数秒とも取れる時間。向かい合った二人。
「ふむ、殺気立ち過ぎだ……」
 刀真は、剣を仕舞った。
「刀真?」
「くっ……貴様」
 男が、デリンジャーを抜く。
「テバルク。おやめ」
「……」
 がらん。女は宝石の剣を床に放った。
「こんな剣は飾りだ。あたいの右腕は、萎えちまったんだ。
 戦えない湖賊だね。だけど、今の湖賊は皆、このあたいの振り上げられない腕と同じ」
 頭は、再び椅子に座り、こちらを向いて話す。
「で、何に船が要り用だ。言うだけ言うてみい」
「黒羊郷で何があったのか? それに、軍勢が向かっている、と噂を耳にした。
 ウルレミラには教導団の遠征軍。何が起ころうとしている?」
「あたいらは知っているよ。
 今でこそ、三日月湖からせいぜい数百メートル上流を握るまでの湖賊に成り下がっているが、昔は川を上って、川を下ってヒラニプラの水路を自由に泳ぎ回っていたからねえ」
 そこへ、ノックの音。
「なんだね?」
「教導団の者を捕らえました」
「ほーう」
「……!」
 刀真らは、顔を見合わせる。
 刀真らは、教導団の傭兵としてここへ来ているわけだ。今、そのことを話してはいないが、教導団が何か問題を起こして湖賊と対立したのなら、状況はまずくなる。
「入りな。何をやらかしたね?」
 さっきの男の一人だ。
「えーと。店に入ったはいいのですが、何でも、所持金が50Gしかなかったらしく」
「……」
 連れられてきたのは、確かに教導団軍服を来た生徒。幼さを残すが刀真と同じくらいに思える青年だった。
「名前は?」
「……橘 カオル(たちばな・かおる)だ」
「ふゥん。あんた面白い子だね。気に入ったよ。
 さてさて、この坊やを黒羊さんへの手土産に北上するか、どうかねえ。
 問題はこの坊やに人質なり何なりの価値があるか」
「……手土産? 黒羊郷は、教導団に何か手を出そうとでもしているのか?」
「あんた、黒羊郷に行きたいのなら、どうだね、湖賊になるてえのは?
 あんたの理由は聞かないよ。
 まあ、そうさねずっと雇ってやることはできないけど、……黒羊郷に着くまででどうだい?
 その間はみっちり働いてもらうことになるよ。楽な仕事じゃあない」
「刀真……」
 不安そうに、刀真を見る月夜、玉藻。