薔薇の学舎へ

波羅蜜多実業高等学校

校長室

葦原明倫館へ

大樹の歌姫

リアクション公開中!

大樹の歌姫
大樹の歌姫 大樹の歌姫

リアクション

【3・香りは流れゆく】

東に映るは陽ノ光 西に浮かぶは陰ノ月

 歌を紡いでいるのはユリ・アンジートレイニー(ゆり・あんじーとれいにー)
 巫女服を纏い、神楽鈴を手に大樹に巫女舞を奉納していた。

神ノ御心 其ノ手に抱き

 そして。そんな彼女の歌と共にリュートによる伴奏が流れていた。それを奏でるのはシャンテ・セレナード(しゃんて・せれなーど)。彼も大樹に歌を聞かせるべくこの場に来、その際に流れる歌に惹かれ、演奏を合わせていたのだった。

祈りノ舞を捧げましょう

 香歌ノ樹からは、その歌と調べにこたえるかのごとく、梅の木にも似た心を落ち着かせるような香りがふりまかれていた。
 そうして、やがて歌が終わると同時にユリはぺこりと頭を下げて謝辞を述べる。
「あ、あのあのっ。ありがとうございましたですっ! ワタシの歌に演奏をくださって」
 ユリは実は男性が苦手なのであったが、今の演奏に少し警戒心を緩めていた。
「いえ。むしろ僕としても、一緒に演奏できたことを嬉しく思いますよ」
 にこりと微笑むシャンテに、ユリも微笑み返す。
 キコカコキコカコキンコンカン
 と、いつの間にやらこちらに来ていた薫も、また鐘の音を鳴らしていた。
「いやあ、よかったでござるよ。おふたりとも」
 そう言って歩み寄る薫に対しては、やはりまだちょっと警戒気味で後ずさるユリ。
 そんな彼女に、? と首を傾げつつ薫は、
「それにしても最近ののど自慢大会は、舞や楽器も使うのでござるなぁ。いやいや勉強になったでござる」
 などとまだ勘違いしたことを言って、今度は逆にユリの首を傾げさせていた。
「さて。それでは今度は僕が曲をお聞かせしましょうか」
 そして。シャンテはポロン、と一音鳴らし曲を奏で始める。
 リュートから発せられるその曲は、レスピーギの『リュートのための古風な舞曲とアリア』のシチリアーナ。優雅でゆったりとした優しいメロディのものであった。

つややかなる 最初に触れた木々の色

 シャンテは木に音楽を巡らせるようにイメージしながら、透き通った声色で集中して歌っていく。その声に大樹も応え、今度は泉のような澄んだ空気に周りを彩っていく。

舞い散るは言の葉 いくつ重ねればそこへ届くのか

 そうして香りが移り変わる一方で。襲い来る狼や猿モンスターから守る人物も当然いた。
 ユリのパートナーであるリリ・スノーウォーカー(りり・すのーうぉーかー)と、シャンテのパートナー、リアン・エテルニーテ(りあん・えてるにーて)。他に黒霧 悠(くろぎり・ゆう)瑞月 メイ(みずき・めい)がいた。
 リリは木の上から襲ってくる猿モンスターを火術の遠距離攻撃で撃退していく。
 リアンは周囲の木を傷つけないように狼達を氷術で氷づけにしていき、更にパートナーから離れた場所で戦うため、敵をひきつけていくという配慮の元に戦闘を行っていた。
 悠とメイは、歌い手の近くで、猿の枝攻撃などから歌い手を守っていた。
 そんな奮戦の最中、リリは考えていた。
(それにしても、こうも狙いすましたかのように襲ってくるなんてどんな手段を使っているのか……まあ何にせよ黒衣の男が現れないことには如何ともしがたいのであろうが)
「きゃっ!」
 そのとき。曲に聞き入っていたユリの声がした。
 その場の全員が目を向けると、いつの間にか妨害のために忍び寄っていた黒衣の男が、ユリとぶつかる姿がそこにあった。
(ふふっ、計算どおりなのだよ)
 リリは実は『黒衣の男がウロチョロしてればそのうちユリにぶつかるのだ。ユリのぶつかり属性は物理法則を超越しているのだよ』という目論見をもっていたりした。
 そしてそれが的中した現在。すぐさま男の前に立ち塞がるのは騎士役として黒衣の男を警戒していた、リリとユリの連れであるララ サーズデイ(らら・さーずでい)
 更にもうひとり事態の収拾の為に男を止めるべく大樹の側で隠れていた如月 さくら(きさらぎ・さくら)も、姿を見せていた。
 また煙による攻撃を企んでいたのか、男は先程の草玉を手にしていたが、ユリとぶつかった時にライターを取り落としており、今現在それはララが踏みつけていた。
「やあ、君。思うところがあるにせよ、こんなやり方では紳士的とは言えないな」
 武器のサーベルを構えながら男に言葉をぶつけるララ。
 それに対し返事は行わず素早く駆け出そうとする男に、ララはそれ以上に素早いスピードで前に回りこんでいく。そしてララを援護すべく、男の足元を氷術で凍らせるリリ。
 だが、男はそれに対し慌てる様子も無く、更に迷い無く拳でその氷の枷を叩き割っていく。その予想外の腕力と、怪我を恐れようともしない男に一瞬気圧される一同。
「おまえのその気迫……大したものだ……」
 そんな中リアンはぼそりとそう呟くや、火術による攻撃で先に氷を溶かし、そしてすぐさま雷術で溶けた氷の水を狙い攻撃を連続させた。
 バヂッ! という電気が弾ける音と、黒衣の男のうめき声がその場に響いた。
 それはさすがに堪えたかと思われたが、男の黒衣は耐電性のものだったらしく、弱ったふりをして隙をついた男はそのまま姿を隠すべく駆け出していく。
(一人に、複数で戦う……か、こう言う状況でなければ、正々堂々と戦いたいな……でも、卑怯だろうと何だろうと、今は、人助けと事態の収拾が優先!)
 そんな思いを抱きながら、さくらは男が大樹から離れたのを機に、草木に燃え移らない様に“爆炎波”で攻撃を放った。さすがに耐熱仕様ではなかったらしく、背後に迫るその炎に対しては近くの大石を放りなげて身を守る男。直後その石は見事に爆砕された。
「今から、逃げ隠れたり大樹の下へ行こうと言うのなら……さっきの炎で森ごと大樹を燃やします!」
 間髪をいれず、男はもとよりその場の全員が驚く言葉を叫ぶさくら。
 だが。その心の奥では卑怯な手段の嫌悪感に駆られていたりした。実際先程の爆炎波も、彼女の力では一回しか撃てなかったりするのだが。それを気取られない様に真剣な表情でハッタリ脅迫を続けていた。
 そんなブラフを真に受けたのか、男は立ち止まりさくらを睨む。皆は男を捕まえるべく再び取り囲もうとした。そうしてそのまま戦闘が継続するかに思われた。
 その時。
 それまでずっと歌い手の側でモンスターの相手をしていた悠とメイが、突然動いた。
「そう上手くいかせるつもりはないぞ!」
 そう叫んだ悠は、光条兵器をララやリアンの方へと向けて放ち目をくらませる。そして更に彼もブラフを信じたのか、さくらの背後に回り彼女を羽交い絞めにしていた。
 一方のメイも男にヒールをかけ、せっかくのダメージを回復させていた。
 予想外のことに、戸惑うのは生徒達だけでなく黒衣の男の方もであった。
「なんの真似だ」
 警戒心を強く出した男のその問いに、ふたりはというと、
「べつに。単にそっちに協力した方が面白そうだと感じたからな」
「……んと、だって1人ぐらい味方がいないとかわいそうだと思ったから」
 そんな言葉で返していた。
「くっ……このまま逃がすわけには……!」
 予想外の妨害にも負けるつもりのないララは目を押さえながら、がむしゃらにサーベルを男へと向け振り回したが。その剣先が男の黒衣を切り裂くだけに終わった。
 だが、姿が白日に晒されようとした時、男はやけに慌てた様子のまま腕で顔を隠し、森の奥へとまた姿を隠していってしまった。
「ちょっと、いい加減に離してよっ!」
 残された側、まずさくらが悠に文句を放ったのをきっかけに、邪魔されたことにララやリアンもふたりに詰め寄っていた。それを受けるふたりはというと、
「俺はただ自分の直感を信じて行動しただけだ」
「……ん、何そんなに怒ってるの?」
 悠は悪びれずに返し、メイはなんだかよくわかってない様子だった。
 一方。リリは、男の逃げた方向を眺めながら、
(あの男、なんだか必死に顔を隠そうとしていたが……もしやそれなりに世間に顔の知られた人物なのであろうか)
 そんなことを考えていた。

「ハァ、ハァ……」
 肩で息をしながら、なんとか逃げ延びた男は裂けた黒衣を捨て、大樹の近くに用意しておいた別の黒衣や妨害用の道具を置いてある茂みの中で身を潜めていた。
 さすがに疲労気味の男はしばしそこで体を休めていたが、ふいに近くに人の気配を感じ、すぐにまた黒衣を纏い立ち上がる。
「きゃっ!」
 その近くにいたのは、七瀬 瑠菜(ななせ・るな)と、リチェル・フィアレット(りちぇる・ふぃあれっと)に、フィーニ・レウィシア(ふぃーに・れうぃしあ)のパートナーふたりであった。
「あ、え。その格好……もしかして、噂の黒衣の人?」「そうみたいですね、どうしましょう」「えっと。とりあえず、お話ししてみたらどうかな?」
 瑠菜をはじめ、やや緊張感に欠けるその三人に、敵意が薄いのを感じ取った男はそのままきびすを返して立ち去ろうとするが。
「ま、待ってよっ!」
 瑠菜は慌てて引き止めていた。実はどうして歌の邪魔をするのか、聞いてみようと思っていた彼女だが。普通に質問をしてもこたえてはくれないだろうとわかっていた。そこで、
「リチェル、これお願い」
 男が足を止めている間に、サラサラと何かを紙に書き込んでリチェルへと手渡していた。
 そしてそれを目にして頷くリチェル。そして、

 教えて その胸のうちを

 柔らかなソプラノの、歌を歌い始めた。

 できること きっとあるから
 聞かせて その秘めた心を

 瑠菜としては、聞きたいことを歌詞にして歌ってみれば届くかもという考えでのことであった。その意を汲んだリチェルは、どうせなら楽しい歌のほうがよいかと思い、

 そうすれば わかりあえる 必ずっ

 歌詞にややアップテンポなアレンジを加えながら歌を続けていく。
 だがしかし、大樹が微かに甘い香りを放ち始めた途端、黒衣の男は口笛を吹いた。
 すると、突然空を飛んでいた数羽の灰色のカラスが軌道を変え、こちらへと飛び掛ってきた。思惑が外れたことを理解する三人。そして同時に、やはりモンスターを操っていたのは黒衣の男であることを悟った。
「みんなは、ボクが守るっ!」
 護衛の役回りをしていたフィーニが、仕込み竹箒をくるくると回し、灰色カラスのくちばし攻撃からリチェルを守っていく。
「そんな……どうしてよ! あたし達は、ただ手伝いか何かできないかって……」
 一方の瑠菜は怒るというより、やや悔しそうな面持ちで黒衣の男に視線をぶつける。それでもやはり男は何も言わず、再び口笛で更に多くのカラスモンスターを集めて、自分はまた姿をくらませるのだった。
 更には、灰狼もぞろぞろと集まり始めていく。
 そちらと交戦しているのは飛鳥 桜(あすか・さくら)。愛刀の太刀、『霊剣千桜華』で、立ち合いながらも次々と襲ってくる狼相手に若干苦戦を強いられていた。
 が。そんな状況でありながら、桜はパートナーのミスティア・ジルウェ(みすてぃあ・じるうぇ)のことで頭がいっぱいであった。『心のプログラムを探している』という無感情のミスト。本当の『歌』をまだ知らない彼女に、歌を知ってほしくてこの事件に乗ったのが桜の本当の目的だったのである。
「飛鳥流剣術、双翼刃!」
 ツインスラッシュをアレンジした桜の技。右袈裟から逆左袈裟に流れる華麗なその斬撃に、狼のうちの一匹が一瞬で地に伏した。そして次の相手が来るまでの僅かな間に、別のところへ目をやる。その視線の先にいるのは、一人、樹の下で待機しているミスト。
 ミストは桜から『暫く皆の歌を聴いていて。僕は退治に行ってくるよ』と言われており、それに『任務、了解』と返してそれをずっと実行していた。
 それでもミストの中で
(『歌う事』はプログラミングされている。なのに、何故?)
 という疑問が、しばらく渦巻いていた。
 そんな心持ちのまま、皆の歌を聴いていた。自分のため、誰かのため、楽しむため、喜ぶため、様々な歌を耳にして。ふと、ミストは皆の歌にある心を感じていた。
「これが……歌? ……心?」。
 初めて聴いたデータとしてじゃない『歌』。そして、自分が聴いていろと言われた理由に気付き始めるミスト。マスターは、『これ』を聴いてほしかったんだと。
 先程桜がかけてくれた言葉には、その後に付け足されたもうひとつの言葉があった。
『大丈夫! 君が歌う時は、僕が守るから!』と、桜は言っていた。
 そうして今。自分を守ってくれている桜。そんな桜の為に、ミストは、
「ボクの『歌』……届いて」
 ついに歌い始める。

 その顔が 恋しい
 ぼくの想いは どこにあるのでしょう Aa

 何かが足りない。けれど、綺麗な歌を。

 その腕が 愛しい その命が 嬉しい
 ここにあるのは ぼくの心だけ あなたの心だけ Lalala

 バラードの歌。それは、確かに届いていた。大樹は、快さと感傷が混じった甘酸っぱい葡萄のような香りをさせていき、そして。桜にもその澄んだ歌声が、聴こえた。
「今こそ蘇れ! 抜けば玉散る氷の刃、村雨丸!」
 桜は無意識に笑みを零しながら、奥の手であるヒロイックアサルトの太刀を召喚し二刀流となり、再び敵へと立ち向かっていくのだった。
 そんな様子を微笑ましげに見つつ、応戦に協力しているのは御凪 真人(みなぎ・まこと)
 彼は今回鉄甲をつけ、モンスターと戦っていた。狼の牙をそれで受けて守り、隙を見て反撃を繰り返すが、次第に空から襲ってくる灰色カラスまで加わっていく。
 そんなモンスターの数を受け、真人は敵をある程度ひきつけた後、サンダーブラストを使いまとめてダメージをくらわせ。更にややガタイの大きい狼には、今の攻撃で痺れている間に、追い討ちの轟雷閃で思い切り殴りつけ、黙らせていた。
「ふぅ、魔法使いだから接近戦が出来ないと思わないでくださいね。それにしても……」
 とりあえずこちらに寄って来ていたぶんは倒したようなので、しっかり戦闘時に様子を冷静に確認しておいたモンスター連中について、改めて考えを巡らせていく。
(さっき、あの黒衣の男がカラス達を操っていたのは遠目に見えましたけど、この狼達はどうして生徒達を的確に襲うんでしょう……?)
 香歌ノ樹について事前に図書館などの文献を調べてきた真人は、既に樹の香りがモンスターに対して特殊な反応をさせるものではないと理解していた。
 だがそれゆえに不可解さが真人の心中を占めていた。
(特殊な訓練をしているにしても、こうも多くの狼を広範囲に渡って襲わせるのは至難の業です。なにかしらからくりがあるとみるべき……ん?)
 くん、と一瞬何か奇妙な香りを感じた。
 歌に応じて放たれたそれとは違う、やけに鼻につく、血のような嫌な臭い。
 それが、スキルの博識の使用によりどういう類のものか真人は気づいた。
「なるほど。そういうことですか」
「なにかわかったの?」
 そう言って歩み寄ってきたのは真人のパートナーのセルファ・オルドリン(せるふぁ・おるどりん)。彼女も今まで真人のサポートに徹していたのである。
「はい。おそらく黒衣の男は、あの狼モンスターが好む臭いの元を、大樹の香りに混ぜて撒布しているんですよ。歌い手や護衛する俺たちに向けてね。そうすれば、後は臭いを嗅ぎつけて襲ってくるという寸法です」
 その言葉に、セルファは慌ててくんくんと身体のにおいを確かめる。
「大丈夫ですよ。確かあれは撒かれてから、十分くらいで臭いを失う筈ですから」
「そうなの。ま、それなら安心ね」
「これで、セルファも安心して歌えますね」
「べ、別に私は歌なんてどうでもいいんだからねっ」
 というセルファだが。真人はなんとなく、後できっと歌ってくれるような気がしていた。
 そんな予想は、これより数時間後に的中することとなる。