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消えた愛美と占いの館

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消えた愛美と占いの館

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幕間『やがて来るチャンスに向けて』

 暗幕をくぐった瞬間、小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)の足先に何かが触れた。
「おっと?」
 足元のそれを踏みつけないように、美羽は片足を高く持ち上げた。
 あとひと動作で大男のあごでも蹴り飛ばせそうな片足立ちのまま、美羽は薄暗い部室に視線をめぐらせる。
 占いの館の床には、文字通り足の踏み場もなかった。
 等身大の人形たちがごろごろと床に散乱していて、美羽の脚力と跳躍力を持ってしても、次に踏めそうな床までは足が届きそうにない。
「……ああ、占い希望?」
 闇に紛れる黒尽くめの益代が、身の丈より大きな人形を、肩で押すようにして立て直していた。
「ええっと……私、出直してこようか?」
「そうしてくれるかしら……?」
 蛍光グリーンの瞳が、初めて美羽のほうを見た。
 疲れたように細められていた緑の目が、突然、暗闇に放り出された猫の瞳のように丸く変わった。
「待って、ちょっと、あなた」
「ほい?」
「やっぱり今占うわ。ちょっと場所空けるから待って……ひゃっ!?」
 益代は、倒れこんできた大柄な人形に押し倒されるようにして、床に倒れた。
 つぶれた益代の姿は、もう床に転がるほかの人形と見分けがつかない。
「ええっと……私も手伝おっか?」
「たっ……頼むわ……。超重いから気をつけて……。どんなにぶつかっても、壊れないようになってるから……テキトーにお願い」
「あいさー」
 美羽が元気に返事をしたとき、くいくいっ、と制服の袖が引っ張られた。
「ほい?」
 首だけで振り向くと、コハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)が深くうつむいたまま、控えめに美羽の袖を引いているのが見えた。
「コーちん、どした?」
「あの……美羽さ」
 やわらかそうな栗毛の下で、コハクが搾り出すように言った。
「ぱんつ丸見えだから、そろそろ足下げたほうがいいよ……」
「わお! ごめん、もうちょっと下向いてて!」
 美羽は高く持ち上げていた足を下ろして、あわててスカートのプリーツをととのえた。

 冬だと言うのに額に浮いた汗をぬぐって、美羽はさわやかなため息を吐いた。
「何とか終わったね……片付け。いつもこんな荒れ放題なの? それとも大地震でもあった?」
「いいえ……さっきちょっとした騒ぎがあってね、そのせい。大地震があったかどうかは分からないわ。ここからは外見えないし。……校舎倒壊してる?」
「いや、大地震はなかったんで安心してください」
 暗幕の向こうを覗き込もうとした益代を、コハクが止めた。
「それでそれで? 片付け手伝ったし、なんかオマケつきで占ってくれんの? 1.5倍いい結果出してくれる?」
「そうしてあげたいのは山々なんだけど、それをやるとインチキ占いって言われるのよ、なぜだか」
 ちぇー。と口を尖らせた美羽と、なぜだか恐縮した様子のコハクの前に、益代は香り立つ紅茶を置いた。
「それはささやかなお礼よ。……それで、なんでわざわざ残ってもらったか、なんだけど」
「片づけを手伝わせるため?」
「うん、ごめんなさい。ちょっとそれもある」
「あるんですか……」
 益代は、コハクに向かっていたずらっぽく微笑んだ。
 それから、ふと表情を引き締めた益代は、蛍光グリーンの瞳でまっすぐに美羽を見据えてきた。
「でも一番の理由はね、あなたが、今日来るべくしてここに来た人だと思ったから」
「私が?」
「そう。あなたと、そっちの男の子」
「僕も?」
 益代は頷き、紅茶で唇を湿らせた。
「あなたたちには今、二人の距離を縮められる重大なチャンスが迫っている」
「ほんと!?」
 美羽が身を乗り出すと、益代は大きく頷いた。
「ただし、同時に危険でもある」
 益代の真っ白い指先が、こつんと美羽の鼻に触れた。
「今日のチャンスを生かすことが出来れば、二人は急速に仲を縮められるけれど……同時に、あなたはとても痛い目を見る」
「痛い目?」
「そう。具体的にどう傷つくかまでは分からないけれど……。もし、それでもチャンスがほしいなら、あなたは今日しばらく、この占いの館にいるといいわ。もし、傷つくのを避けたいのなら……このチャンスを見逃す手もある。これから先、もっと穏便に、仲を深められる出来事もあるかもしれないし」
「チャンスを……生かすか、見逃すか」
 美羽は、また袖口が引っ張られるのを感じて、コハクのほうへ視線を移した。
「美羽……やめておこう。美羽が危険な目に遭うのは、僕はいやだよ」
 迷子の子犬のような目で見上げてくるコハクに、美羽の言葉が一瞬詰まった。
 けれど、あえてその瞳を振り切るように、美羽はかぶりを振った。
「ごめん……でも、私試したい」
「美羽!」
「だって! だって……いつかなんて待てない。来るかも分からない次なんて、待ってられない。たとえ危なくっても、一分でも一秒でも早く、コーちんと仲良くなりたい。ひとつでも多くコーちんのこと知りたい。……コーちんは、同じ気持ちじゃないの……?」
「……そりゃ、僕だって、美羽のことはもっと知りたいよ? ……でも」
「大丈夫! 私はいつだって、立ちはだかった壁はみんな蹴り壊してチャンスをつかんできたんだもん! 今回だってきっと平気! 今度のチャンスだって掴むし、次にあるかもしれないチャンスだって全部掴む! 小鳥遊美羽の人生に、見逃しなんて言葉はないのだ!」
「美羽……」
 子犬のようなコハクの瞳が、ゆらりと潤んだ。
 潤んだのは、もしかしたら美羽の瞳のほうだったかもしれない。
「……わかった。でも、いつもみたいに無茶しないでね」
「分かってるし、心配だってしてないよ。だってコーちんが隣にいるかんね。私、自分の実力を何より信じて生きてきけど……今は、同じくらいコーちんのこと、信じてるから」
 美羽がいたずらっぽく笑って見せると、コハクは潤んだ瞳のまま、力強く頷いた。
「……えっと、益代さんでしたっけ」
 コハクに問われて、益代は小さく頷いた。
「その、痛い目見るのって……僕が肩代わりできないですかね」
 蛍光グリーンの瞳が、値踏みするように細まった。
「……難しいわね。にぶいわたしに見えるほど、強く決定付けられた運命だし……それに、占いの精度は起こる時間が近いほど上がるから。……けど、まあ、不可能とまでは言わないわ」
 軽くウインクして、益代は微笑んだ。
「運命なんて、本人の心がけ次第でいくらでも変わるもの」