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消えた愛美と占いの館

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消えた愛美と占いの館

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未来予想図4
 闇咲 阿童(やみさき・あどう)後光 皐月(ごこう・さつき)が、連れ立って廊下を行く。
「リコちゃん、どこ行っちゃったんだろう?」
 きょときょとあたりを見回しながら歩いては、壁や人にぶつかりかける皐月を、阿童がしょっちゅう手を引いて助ける。
「食堂にでも行ったんじゃないのか? ハラ空かせてさ」
「もう、それはあーくんでしょう?」
「理子だって腹くらい減るさ。あー……しかしなんだな、俺もハラが減った。……なあ皐月、食堂のほう探そうぜ?」
「帰ったらいくらでもご飯作ってあげるから、まじめに探してよ!」
 うーん、と唸って、阿童はこりこりとこめかみを掻いた。
 ふと、阿童の視線が、ガムテープで補強された暗幕を捉えた。
「そういや、よく当たる占い師がいるんだったな。……ここで理子の居場所を占ってもらうか」
 阿童が、暗幕をめくって部室を覗き込む。
 薄暗闇が、狭い室内に満ちていた。
「……ん?」
 ふと、阿童が眉をひそめた。
 中に踏み入ろうとした阿童を、皐月が後ろからシャツを掴んで止める。
「……どうした、皐月?」
「あ……あーくん、ここはやめよう?」
 阿童のシャツを掴んだ皐月の手は、かすかに震えていた。
「く……暗いから……、ねっ?」
 ああ、と阿童は頷いて、占いの館から離れた。
「ごめんな。皐月は、暗いとことか狭いとこは、駄目だったよな」
 ぽん、と阿童は皐月の頭に手を置いて、優しくなでた。
「……よし、じゃあお詫びに、俺が甘いものでも奢ろう」
「ちょっとー。理子ちゃん探すんでしょう?」
「……いいや、理子は平気だよ。あとでひょっこり帰ってくるさ」
「なんでそんなこと分かるの?」
 阿童は、ガムテープで補強された暗幕を振り返って、かすかに微笑んだ。
「分かるのさ。……さあ、行こうぜ」

「――占いを続けていいかしら?」
 益代の声に、大神 理子(おおかみ・りこ)はおそるおそる暗がりから歩み出た。
「もう行った? 阿童君もう行った?」
「ええ。どうやら気を遣ってくれたみたいね」
「うそっ! じゃあ僕がいたことバレてたの!?」
「そうみたいね。……べつに、占いの内容まではバレちゃいないわよ。そんなこの世の終わりみたいな顔しなくっても」
 そんなにひどい顔をしただろうかと、理子は自分の顔をぺたぺた触った。
「それで、あなたと闇咲阿童の相性だけれど」
 びくりと肩を跳ねさせて、理子は息を呑んだ。
「どうしたの? いまさら知るのが怖くなった?」
「……ちょっとだけ」
「贅沢な悩みね。それだけ綺麗な顔してるし、パートナーなら距離だって近いだろうに」
「パートナーと恋人は、違うよ」
 理子がつぶやくと、益代は不満げに鼻を鳴らした。
「パートナーと恋人は違うわ。親友と相棒も違うわね。でもどっちが上とか、下とか言うことはない。違う?」
「……」
 口ごもった理子にかまわず、益代は続けた。
「あなたと阿童がこれ以後恋人同士になれる可能性は、十分にあるわ。あなたが阿童に異性として意識してもらえるよう振舞えばいい。占いの結果はそれよ」
「ほんとですか?」
「ええ。未来は心がけ次第だもの」
 頷いてから、「でも」と益代は続けた。
「でも、あなたは今の闇咲阿童と、後光皐月との仲が、心地いいと思っているんじゃないの?」
「……なんで皐月ちゃんの名前が出てくるの?」
 益代は、ちょっと首を傾げただけだった。
「闇咲阿童は、あなたのことを大切に思っている。それは恋人とは違うかもしれないけど。恋人以上に大事に思っているかもしれない」
 益代が、理子の目をまっすぐに見据えてきた。
「恋人になることは、出来る。けれど、そうするかどうか、今するかどうかはあなた次第よ」
「僕、次第……」
「闇咲阿童と一緒に、後光皐月の作ったご馳走を囲んでいるのを想像して御覧なさい。それって、そんなにもどかしいこと?」
「……んー、楽しい、かな。すごく」
 蛍光グリーンの瞳が、柔らかく細まった。
「なら、いまはそのままもありじゃない? ――未来は果てしなく枝分かれ、絶えず選択を問うであろう。されど、進む道に正解はない。ただその時々に、最善があるのみである。……またのお越しを」

 ※

 もともと恋愛にそれほど関心がないエヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)は、話題になっていた益代の恋愛占いに興味を惹かれこそすれ、直接訪ねてみる気はなかった。
 しかし、愛美が行方不明になった、と知ったからには話は別だ。的中率抜群の占いは、人探しにも役立ってくれるかもしれない。
 愛美やマリエルと親しい生徒たちはもちろんだが、直接彼女らと面識のないエヴァルトも愛美の身は心配だった。先ほどカフェで見かけたマリエルの姿には、胸も痛んだ。
 二人が学友だから。エヴァルトが調査に乗り出す理由はそれで十分だった。
 赤い瞳に決意をこめて、エヴァルトは占いの館の暗幕に手をかけた。
 暗い部室に足を踏み入れる。なにを見ても驚かないつもりでいたが、薄闇の中にたくさんの人影が立ち並んでいたのにはさすがに意表を突かれた。生きているものの気配など、まるで感じなかったというのに。
 ――ぱちん。
 と、不意に指を鳴らす音が聞こえた。かと思うと、あたりの風景が一変した。
 急に室内が明るくなって目がくらむ。どうにか目をこらすと、目の前に小さな影が立っていた。
 背の低い小さな影が、エヴァルトに向かって言う。
「私、いつかお兄ちゃんのお嫁さんになるの……ぜったいよ!」
 逆光で、表情はおろか人相さえ窺えないが、その声が誰のものかはすぐにわかった。
 決して大きな声ではないが、しかし強い意志を感じさせる声。引っ込み思案で甘えん坊。なのに突然、自分の意志を示してエヴァルトを驚かせるその少女――……。
「どうしてここにいるんだ……?」
 その問いかけに、答えが返ってくることはなかった。エヴァルトの周囲は再び狭苦しい壁と、居並ぶ人影に囲まれていた。
 垂れ込めた薄闇の中で、ぼんやりと浮かび上がった緑の双眸が、エヴァルトを見ている。
「あなたのことを想う人がすぐ近くにいるわ。今わたしに言えるのはそれだけよ」
 かすれた隙間風のような声が、淡々と告げる。この人が浦深益代なのだろうと、エヴァルトはわかった。
 すでに占いが済んでいたことに驚きつつも、「またのお越しを」と頭を下げる益代にエヴァルトは食い下がった。
「待ってくれ。浦深さんが占いを得意にしていると聞いて来たんだ。小谷さんのことを占ってほしい」
 どうすれば愛美をみつけることができるか、と問うエヴァルトに、益代はすげなく言った。
「わたしに占えるのは、当事者に関することだけよ」
「じゃっ、じゃあ、コックリさんで調べてくれないか!?」
「……何言ってるの?」
「浦深さん……名前からして東洋、もっと言えば日本出身者の確率が高い」
「確率が高いというか……ああ、ごめんなさい。黙っておくわ。続けて」
 益代は人差し指で口の前にバツ印を作ってから、先を促してきた。エヴァルトは頷いて、話を続ける。
「日本で育ったなら、コックリさんのことは知っているだろう? コックリさん、またの名をエンジェルさんとも言うが、狐の霊が憑依する交霊術の一種と信じられているところから狐狗狸の字を当てることもある」
「へぇ……。あなた詳しいのね」
 少しの間、エヴァルトの顔をじっと覗き込んでいた益代は、唐突に頷いて「いいわ。それ、やってみましょ」と承諾した。
 薄闇に浮かび上がる蛍光グリーンの瞳は、どこかいたずらっぽく細まっていた。
「では……あり合わせで作ったものだが」
 エヴァルトは、自分で用意した紙を机の上にひろげた。
 ノートを破いた紙に、50音を書き付けてただけの、ほとんど落書きと大差ない代物だ。
 それでも、その用紙の上に十円玉を置き、向かい合ったエヴァルトと益代が人差し指を置くと、薄暗い部屋の雰囲気もあいまって、なかなかそれっぽくなった。
 二人で「コックリさん、コックリさん、おいでください」と唱える。
 間髪置かず、エヴァルトの指に十円玉が動こうとする感触があった。
「小谷さんの居場所はどこですか?」
 ひとりでに動き始めた十円玉は、まるで複雑な模様を描くように、五十音表の上を滑っていく。
「あなた……の……すぐ……ちか……く? 小谷さんは俺のすぐ近くにいるのか……?」
 独り言のようにつぶやいたエヴァルトは続きを待つが、これ以上十円玉が動く気配はない。
「漠然とし過ぎていてわからないな……。コックリさん、小谷さんのいる場所へ導いてください」
 またコインが動き出す。しかし答えはまったく一緒で「あなたのすぐちかく」とくり返しただけだ。
「小谷さんは無事なんですか? 誰かに危害を加えられていませんか?」
 質問を変えたエヴァルトに応えて、十円玉がそれまでとは違う文字を指し示す。
「し・つ・こ・い? そんな、もうコックリさんしかいないんです! おねがいします!」
 十円玉は滑り続ける。
「いいかげん……気づけ……? なっ、なににですかコックリさん! いたずら……だってば……? 」
 十円玉はイラついたように走り続ける。益代が、十円玉に置いていないほうの手で、机をこつこつ叩いていた。
「もう……かえれ……?」
 はっとして、エヴァルトは十円玉から手を離し、立ち上がった。
「わっ、分かった! 浦深さん、ご協力ありがとう!」
「えっ!? 何か分かったの!? やば……なんか迂闊なことやったかしら……」
 益代が目を見開いて、エヴァルトを見上げた。
「ええ……もちろん。つまり、小谷さんは「俺の近く」にいて、俺は「帰ったほうがいい」つまり、小谷さんがいるのは俺の……」
 おっと、とエヴァルトはあわてて口をつぐんだ。
「これ以上は言わないでおくよ。浦深さんの身に危険が及んだら大変だ。……それじゃあ、俺は用事が出来たんで、これで!」
 片手を上げてきびすを返し、エヴァルトは占いの館を飛び出した。

 ※

 暗幕を手でどかし、樹月 刀真(きづき・とうま)は薄暗い部室を注意深く覗き込んだ。
「……危険はないみたいです。でも薄暗いから、足元には気をつけてくださいね」
「ほほ、実にご苦労。真っ赤な絨毯まで敷いてくれてもよいのだぞ?」
「それじゃあ玉藻には似合いませんよ。せめて玉砂利でしょう?」
「ほほ。それではおいそれと敷くわけにはいかぬの」
 口元を隠して笑いつつ、玉藻 前(たまもの・まえ)は刀真の脇をすり抜けて部室に滑り込んだ。
 漆黒の長髪が、川に流した墨汁のように、部室の薄闇に溶けて流れた。
「お主か、占い師」
 部室の奥の闇に向けて、玉藻が声をかけた。
 刀真にはよく見えないが、そこに誰かがいるらしい。
 不意に、蛍光グリーンの目玉が闇に軌跡を引きながら振り返って、玉藻を捉えた。
「いらっしゃ……――」
 隙間風のような声が、ふと尻つぼみに掻き消える。
 代わりに玉藻が、「ほう?」と笑った。
「見覚えがあるのう、お主。その闇に浮く緑の呪い。名は、なんと言ったか」
「……浦深益代よ」
「ほほ、思い出した。魔女になりたての小娘!」
「600年も前の話よ。蒸し返さないでほしいわね」
 益代が声を荒げて玉藻を睨んだ。
 玉藻は意に介した様子もなく、優雅な足取りで益代に歩み寄った。
「眉間にシワが寄っておるぞ? いかに魔女とて、六百年もしかめ面をしていれば老いも出るものよの?」
「あなただって、そんなに人をからかってばかりいたら、口の端に笑い皺が張り付くわよ?」
「笑い皺は吉兆であろ? そのような皺なら、我は一向に構わぬ。心善き者と、快き時間を過ごしてきた証ではないか」
 ちらと、玉藻の黒い眼差しが、刀真のほうを見た。
 ふらふらと周囲の人形に目をやっていた刀真が、ふと視線に気づいて玉藻を見る。玉藻はあからさまにむっとした顔で舌を出して、また益代のほうを向いてしまった。
「……なんだ?」
 刀真は首を傾げたが、視線の先には玉藻の華奢な背中があるだけだった。
「……お主は、あまりよい出会いをしてこなかったようだの? 六百年前のあの日から、ずっとか」
「……ええ、そうよ。あなたがあの日、気まぐれにわたしを拾って手当てなどしなければ、あそこで終われていたかもしれないのに」
「……」
 玉藻の白魚のような手が、そっと、帽子越しに益代の頭をなでた。
「あの日に死んだほうがよかったなどと……悲しいことを言うな。六百年間、苦しみしか見てこなかったような目で、そのようなことを」
「分かったような口を利かないで、古狐」
「分かるつもりよ。そこいらの、たかだか数十年生きただけの若造どもよりは。……それでも、かけられる言葉は多くないがの」
 ぽん、と玉藻はマント越しに、益代の肩を叩いた。
「いつまで、そのような呪いに縛られておるつもりか。お主の呪いは、ほかのどこでもない、お主の心そのものを縛っておる」
「黙りなさい」
「六百年前のあの日に教えたであろ? 運命は、心がけ次第で如何様にも変化する……とな」
 言うだけ言って、玉藻は益代に背を向けた。
 向かったときと同じ優雅な足取りで、玉藻は刀真のところへ帰ってくる。
「ゆこう、刀真」
「え……? おまじないは、いいんですか?」
 玉藻は、ゆっくりとかぶりを振った。
「あの者は六百年前から変われておらぬ。今のあの者にまじないをもらったとて、ご利益などないであろうよ」
「そうなんですか……?」
「そうよな」
 入ってきたときと同じように、玉藻は刀真の脇をすり抜けて、暗幕をくぐっていった。
 刀真は一度だけ、振り返って益代を見た。
 蛍光グリーンの瞳が、薄闇で眩しいほどに輝き、玉藻の背中を睨んでいた。
 暗幕をくぐり、刀真も柔らかな明かりに満ちた廊下に出た。
 玉藻は、暗幕のすぐ外に立ちすくんでいた。
 その背中が、刀真にはいつもよりも、小さく縮こまっているように見えた。
「……玉藻?」
 占いの館の中で、がつんと鈍い音が響いた。
「今の……?」
「益代が椅子でも蹴飛ばしたのであろうよ」
 振り向かないまま、玉藻が言った。
「刀真よ、我の後ろに立て」
 小さな、けれどはっきりした声で、玉藻が言った。
 頷いて、刀真は玉藻の背後に立つ。
 玉藻の小さな手が、刀真の袖口をきゅっと、きつく握ってきた。
「……刀真よ。我は、そなたに出会えてよかったと思っておる」
「玉藻?」
 刀真は首を傾げたが、玉藻は振り返ることもなく続ける。
「もし我が、そなたに出会っておらねば、もし我が、封印されたことを恨み暮らしていたのなら……浦深益代の姿は、我の未来の姿であったかも知れぬ」
 玉藻は、まるで迷子になるのを恐れる子供のように、刀真の袖を引き寄せた。
「……ありがとう、刀真。我を目覚めさせてくれて」
「俺は……いずれ君を封印する身ですよ?」
「それでよい。そなたに封じられるのならば、我は誰も恨まずに済むからの」
「……」
 刀真は、小さく華奢で、かすかに震えた玉藻の身体を、背中から優しく抱きしめた。
「……? どうした刀真、らしくないではないか」
「君が、浦深さんを怒らせるからですよ」
 努めてすねたような声で、刀真は言った。
「腹いせに、俺がまじないをかけられてしまいました」
「……ほほ。そうか。まじないならば……仕方あるまいの」
 薄暗い部室から出てきた目には、まぶしいほどに光のあふれる廊下のただ中で、刀真と玉藻は、しばらくそのままでいた。