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絵本図書館ミルム(第3回/全3回)

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絵本図書館ミルム(第3回/全3回)

リアクション

 
 
 ミルムの教室
 
 
 絵本のお茶会が終わって数日後――。
 
 ルカルカに誘われた『らくらくおかあさん』にやってきたソフィアは、預かった子供を危なげな手つきで抱き上げた。
「ああ、そうじゃなくて。こうやって抱くんだよ。ね?」
 ソフィアより余程良い手つきでルカルカはお手本を見せた。一緒に来たオルネラははらはらし通しで、手を出しかけてはぐっとそれを堪えている。
 母親修業の傍ら、ルカルカはソフィアに世間話のように子供の幸せを語った。
「私の両親は働いてるけど仲良しで、必ず誕生日には祝ってくれた。家族が仲良しなのを見て、愛情を感じ思い出を得るって、大切だって、今になって思うわ」
 諦めずに頑張れるルカルカの明るさは、そんな過去によって培われたのかも知れない。
「私もこの子にそんな思い出をあげたいですわ」
 ソフィアがまだ見ぬ我が子に思いを馳せている処に、プレナ・アップルトン(ぷれな・あっぷるとん)がソフィアを呼びにやって来た。
「漢字の勉強を始めますよぉ」
「はい、すぐに参りますわ。御義母さまもご一緒しませんか?」
 ソフィアはそう誘ったけれど、
「わたくしはまだしばらくここにいます」
 とオルネラはそれを断った。さっきから気になって仕方なかった子供の世話を、ソフィアがいなくなれば心置きなく手を出せる。
「ソフィアさん、いってらっしゃい」
「行ってきます」
 ルカに送られ、ソフィアはプレナについて漢字教室に向かった。
 
 
「ソフィアさん、ようこそー」
 プレナが連れてきたソフィアに、七瀬 歩(ななせ・あゆむ)が歓迎の笑顔を向けた。
「ソフィアおねえちゃんー!」
 ヴァーナー・ヴォネガット(う゛ぁーなー・う゛ぉねがっと)はお腹に気を付けながら、ソフィアにぎゅっと抱きついた。
「お腹触らせてもらってもいいですか?」
「ええどうぞ」
 重そうに膨らんだソフィアのお腹に触り、ヴァーナーはあっと声を挙げる。
「動きました!」
「元気でしょう?」
「きっと良い子が産まれるです」
 ヴァーナーが言うと、ソフィアは嬉しそうに礼を言った。
「ソフィアおねえちゃんは、百合園に入りたかったってきいたです。よかったらこの教室で、百合園がどんなのかやってみないですか?」
 ヴァーナーはマタニティに改造した百合園女学院風の服をソフィアにかぶせ、席に案内した。席にはこれから習う漢字の本だけでなく、百合園でヴァーナーが使っている教科書も置いてある。
 これで少しでも、百合園に入りたかったソフィアの気持ちが晴れてくれたら、とヴァーナーは願っていた。
「プレナはソフィアさんと一緒に漢字を習うねぇ」
 プレナは日本語は普通に使えるけれど、漢字は苦手だから教えるのは手伝えない。だから、同級生役、とソフィアの隣に座った。
「ボクも学校ごっこするです!」
 ヴァーナーも教室の席についた。
 誰かと一緒に勉強するのははじめてだと、ソフィアは教科書を広げてみた。
「学校ってこんな感じですの?」
「教室にはもっとたくさん生徒がいるけど、だいたいはこんな感じだよっ。だって、歩ちゃんもプレナちゃんも想ちゃんも、ロザリンドちゃんもヴァーナーちゃんもあたしも、みんな百合園なんだもの」
 遠鳴 真希(とおなり・まき)の答えに、ソフィアはにっこりした。ずっとわだかまっていた叶えられなかった夢。百合園に入ることは出来なかったけれど、感じていた未練がすっと薄れてゆくようだ。
 まるで生徒のように、ソフィアは漢字を習った。見学者も多い為、それはまるで授業参観風景のようにも見えた。
 ロザリンドが集めてくれた情報から、ラテルの人々には百合園のことも地球のことも、実際にはあまりよく知られていない、ということが分かったから、歩はできるだけ噛み砕くようにしてソフィアに説明した。
「まず知って欲しいのは、漢字には意味があるってことです」
 歩に言われてもソフィアはぴんと来ないらしく、意味? と繰り返す。アルファベットに近いシャンバラ語しか知らないソフィアは、漢字のように文字自体に意味がある文字に触れたことがない。
「たとえば、あたしの名前の『歩』っていう字には、歩くっていう意味があるんです。お父さんお母さんはあたしに、立ち止まらないで人生を歩いていってほしい、ってこの名前をつけてくれたんです」
 歩が漢字を書いて説明すると、ソフィアはやっとそれがどういうものか分かったようだ。
「文字自体にも意味がある、ということですのね」
「正解です。あたしは漢字の名前好きだし、お子さんの名前が漢字になってもいいと思うけど、大切なのは漢字かシャンバラ語かじゃなくて、その名前の持つ意味だと思うんです。それで、こっちでも同じだと思うんですけど、名前をつける時には意味がある単語を使ったりしますよね?」
 男性名だから女性名だから、とつけられる名前もあるけれど、何か意味のある単語からとられる名前もある。
「サリチェさんの名前にも意味はありますか?」
 見学しにきているサリチェに歩が尋ねると、サリチェは窓の外を指した。
「私の名前はあそこにある樹よ。うちの父が好きだったの」
 ゆらゆらと細い枝を垂らした樹には、緑の芽が吹いている。
「実は、ソフィアさんがお子さんにつけようとしていた名前は、読み方は『よろしく』ですけど、漢字にはあまりいい意味がないんです」
 歩は紙に大きく『夜露死苦』と書いてみせた。
 見慣れない漢字に、ポポガは驚く。
「凄く、珍しい、名前。ポポガ、ビックリ。強そう」
「でもこれは、ふりょうさんの使うワルイコトバです!」
 ヴァーナーはソフィアにそう訴えた。滋岳川人著 世要動静経(しげおかのかわひとちょ・せかいどうせいきょう)は歩の書いた文字を押さえ、その意味を教える。
「この『死」という文字は生死の死、『苦』という文字は苦しいの苦を意味する言葉なのでござる。こういった文字を娘御の名前につけてしまうと、娘御の人生に早死に、苦しみを呼び寄せてしまいかねぬ。そのような人生を娘御に送らせたいのでござるか?」
「死と苦しみ……」
 ソフィアは弱々しく呟いた。
「わたくしも習っている最中なのですが、漢字とは複雑な文字でございます。この『夜露死苦』という文字は、あえて不吉な文字を当てはめるのを遊びとして楽しむもの。ですが赤ちゃんの名前には、不吉な文字を入れるのは良くないのではと存じます」
 ルミ・クッカ(るみ・くっか)もそう説いて、持参してきた人名漢字辞典をソフィアに見せた。
「こちらに、日本で名前をつける際にも参照される辞典がございます。お子さまの将来の為にも、こちらで文字の形や意味、響き等も考慮した、可愛らしい名前をつけてみてはいかがでしょう」
 控えめなルミの申し出に答える余裕もなく、ソフィアは呆然としている。
 よろしく、という素敵な挨拶だと思ってつけようとしていた名前が、死と苦を意味するものだったことは、相当にショックだったようだ。
「うーん、漢字って難しいからねぇ」
 それ自体が複数の意味を持ち、複数の読み方を持つ漢字は、プレナにもいささか荷が重い。
「女の子に漢字名をつけるなら、『愛』が一般的かな。変化を加えるなら、僕の姉のように『恋(れん)』とか……」
 プレナにそう教え、幻時想は赤面した。女の子に、愛だの恋だのという漢字を書いてみせていることが、ふと恥ずかしくなったのだ。プレナの方はそんな想には気づかず、書いてもらった漢字にいたずら書きして、新しい漢字を作って遊んでいたりするのだが。
 黙り込んでしまったソフィアを林田コタローはなぐさめる。
「こた、ねーたんにこたろー(虎太郎)って、つけられたったお。れも、とらしゃんみたいに、つおいこになってほしかったんらってきーて、うれしかったお。いーおなまい、いーもいれつけたら、あかたん、うれしいとおもうお」
「代わり、名前、ポポガ、考えた!」
 ソフィアが気に入る良い代わりの名前はないかと考えていたポポガは、思いついた文字を紙に書いた。『押忍』と。
「よろしく、同じ意味。挨拶言葉」
 もちろんその案はすぐに却下された。けれどポポガはすぐに立ち直る。
「じゃあ、ミルムで本、いっぱい読んで、いい名前探す! きっと楽しい!」
「そうだねっ。名前をつけるのって大変だけど、パパとママの願いをいっぱいこめられると思う」
 真希はソフィアに自分の名前を漢字で書いてみせる。
「あたしの場合はふたつ意味があって、ひとつは本当に欲しかった子供だったんだって。それからもうひとつは、まっすぐに夢や希望に向かって進んで欲しいって。それで、『本当』とか『まっすぐ』の意味を持つ『真』の字と、『のぞむ』とか『希望』の意味がある『希』の字を使って、ふたつ合わせて『真希』な……の……」
 真希の頬を伝い落ちた涙がぽたりと、紙に書かれた文字を滲ませた。真希の名前をつけてくれた両親は、もうこの世にはいない。けれどその想いは、名前に託されて今も真希と共にある。真希がまっすぐに進めるようにと。
「どうかなさったんですの……?」
「えっ?」
 ソフィアに心配されて真希は我に返った。両親と死に別れたことは周囲には内緒にしている。だから無理に笑顔を作って涙をごしごしぬぐった。
「あ……ちょっと、ホームシックになっちゃった。えと、ソフィアさんは、どんな子に育ってほしいの?」
「私は……」
 真希に聞かれ、ソフィアは自分の中にある望みを探すように目を閉じた。
「みんなに好かれる素直な子に……どんな輪の中にもよろしくと自分から言って入っていけるような、そんな人との繋がりを大切にする子になってほしいですの」
「だから『よろしく』という挨拶を選ぼうとしたでござるな」
 椿 薫(つばき・かおる)が納得したように肯いた。
「残念ながら夜露死苦は当て字でござるが、頭を下げる挨拶の言葉で似たものに『御礼』というのがあるでござる」
 薫が『御礼』という漢字を書く手元をソフィアは眺めた。
「おれい……夜露死苦よりは分かり易そうですわね」
「このままでは女の子の名前には不向きでござるが、これに『音鈴』という文字を当てて名前とすれば、それぞれの漢字から『音の鳴る鈴』が連想でき、そこに鈴の音のように凛とした女性に育って欲しい、という意味をこめられるのでござる」
「本当に難しいものなのですわね……」
 漢字は一朝一夕には理解出来ない。聞けば聞くほど分からなくなる、とソフィアは深い溜息をついた。そんなソフィアに、薫は言う。
「生まれた季節から、または『よろしく』のように使いたい響きがあったり、託したい想いがあったり。色々な願いや意味をこめて漢字の名前を探すのは途方もないことでござる。けれどそうして子に名前を授けるのは親の特権でもあるので、大いに悩み考えてくだされ」
 漢字なのかシャンバラ語なのかに関わらず、子供にどんな名を付けるのかは親の頭の悩ませ処。より良い名前を付けたいと思うからこそ、悩み考える。考えすぎてソフィアのように獣道に踏み入ってしまったりすることだってあるものだ。
 またとんでもない方向に行ってしまわないようにと、薫は付け加える。
「ただ遠い未来、あるいは近い未来我が子に、『私の名前にはどんな意味があるの?』と聞かれるとき、自慢できる回答ができるといいでござるな」
 どうしてこの名前をつけたの? この名前にはどんな意味があるの?
 そう聞く時、子供は名前にこめられた親の愛情や想いを量ろうとしている。
 その問いに自信を持って答えられるような名前であれば、子供は安心できるだろう。
「そうですわね……たくさん悩むことにしますわ。どのくらい考えてその名前をつけたのか、将来子供に語ってあげられるくらいに。漢字のことはまださっぱり分かりませんけれど……どんなものがいいのか相談に乗ってくださいます?」
 ソフィアの頼みにどんな答えが返ったのかは……言うまでもない。
 生まれてくるソフィアの子供は、親ばかりでなくミルムの人々の願いも受けた良い名前を授かるに違いない。いつか子供が自分の名の由来を尋ねる時、そこには多くの人の名が出てくることだろう。