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【金の怒り、銀の祈り】うまれたひ。

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【金の怒り、銀の祈り】うまれたひ。

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*姉さんのお誕生日*




 ルーノ・アレエ(るーの・あれえ)の誕生日会は、きっと素敵な一日になる。



 誰もが、そう信じていた。






 空の日差しはいつも以上に照りつけてくるようで、かけていくその少女の肌を更に焦がさんとする勢いだった。
 お出かけ用の装いをしたニーフェ・アレエ(にーふぇ・あれえ)はようやく誕生日会のチラシを配り終え、招待状代わりの花飾りが入っていた籠をとす、と地面に落としてしまってしゃがみこむと、丁度、七瀬 歩(ななせ・あゆむ)が反対側から歩いてきたのが見えた。籠を拾い上げ、七瀬 歩に手を振って声をかけた。

「歩さん! そちらはどうでしたか?」
「うん、何とか配り終わったよー! でもお手伝いはイルミンスールだけで大丈夫だった?」
「はい! それ以外の学校は、全部回ってきました。新しい学校にいくまで、ちょっと時間かかっちゃいましたけど……」

 そう雑談をしながら足を踏み入れたのは、以前ニーフェ・アレエの歓迎会を行った【菜の花庭園】だった。だが、春の花である菜の花は咲きいておらず、ひまわりの花が咲き乱れていた。中央の寒緋桜も青々しい葉を風にたなびかせていた。今そこは、【向日葵庭園】と呼ばれている。ここならば、百合園女学院の敷地内とはいえ、男性も入ることが許されている。
 本当は別の場所を用意しようとも思っていたのだが、今この庭園は咲く花も名も変わっており、且つニーフェ・アレエが【ニフレディ】から、【ニーフェ・アレエ】へと生まれ変わるきっかけになったその場所で、姉の誕生日を祝いたいと協力者達に願い出たのだ。

 主催がそういうのならば、と快く協力してくれたのはこれまでも協力を惜しまずにいてくれた姉の友人達だった。

「姉さんのお友達に、また頼っちゃいました」

 そんなことを小さく呟いたニーフェ・アレエに、七瀬 歩はくす、と小さく笑ってその手をとった。

「ルーノさんだけじゃないよ、ニーフェちゃんともお友達だよ」

 その言葉に、ニーフェ・アレエは小さく微笑んだ。

 今向日葵庭園は、新たに百合園の仲間となった緋桜 ケイ(ひおう・けい)が重たいパラソルや、テーブルの配置を積極的に行い、進行プログラムの書類を片手にしたフィル・アルジェント(ふぃる・あるじぇんと)がみんなに指示を出していた。長い髪が揺れて、ようやく涼しくなってきた風を感じさせた。
 それを肌に感じて空を見上げていたフィル・アルジェントに、緋桜 ケイは意識して気持ち高めの音域で声をかける。

「椅子は、パラソルの下だけでいいのかな?」
「助かります。これだけあれば、多分大丈夫かと。基本は以前と同じ立食パーティのつもりですし」
「一息入れませんか? 進行も順調ですし」

 浅葱 翡翠(あさぎ・ひすい)が入れる珈琲の香りが、庭園の入り口にまで届いていた。その言葉に、テーブルと椅子の配置を終えた二人は、嬉々として彼のところへと向かう。
 料理は霧雨 透乃(きりさめ・とうの)緋柱 陽子(ひばしら・ようこ)が用意してくれていたようで、簡易のキッチンで次々とおいしそうなご馳走が作られていた。胸をたゆんと揺らしながら、エプロン姿の霧雨 透乃がサンドウィッチの山を抱えてかけてきていた。

「簡単な朝ごはん作ったよー……あ、ニーフェさん! チラシは配り終わった?」
「はい。たくさんの方から色よい返事をいただきました。午前中は準備に当てて、あとはもう少ししたら皆さんを入れられるようにしないと」

 にっこりと微笑んだニーフェ・アレエに、霧雨 透乃はサンドウィッチを差し出した。緋柱 陽子は他のお手伝いメンバーにもお手製のサンドウィッチを配っていた。

「珈琲の準備も万端です。ルーノさん用にカフェオレも用意してあります」
「……本当に、ありがとうございます」
「ニーフェちゃん! 門のところ薔薇の飾りつけ終わったよ」
「葵さん、エレンディラさん!」
「ルーノさんを祝いたい気持ちは、みんないっしょです。だから、そんなにかしこまらないでくださいね」
「ニーフェちゃんも楽しんでね!」

 門の飾り付けを手伝ってくれていた百合園女学院の仲間、エレンディラ・ノイマン(えれんでぃら・のいまん)秋月 葵(あきづき・あおい)は、スカートのすそを直しながら適当な椅子に腰掛け、微笑みかけてきた。高いところはほとんどイングリット・ローゼンベルグ(いんぐりっと・ろーぜんべるぐ)が取り付けていたらしく、白虎の獣人はくったりと疲れていた。

「にゃあぁ……つかれたにゃあぁ……」
「エレン、このコーヒー牛乳おいしいね」
「葵ちゃん、これはカフェオレよ」
 
 向日葵畑を、そんな談笑が聞こえる中で横切る姿があった。背の高い向日葵が揺れるだけで、駆けて来るその人の姿は見えない。だがその駆ける音だけで判断したものがいた。緋桜 ケイは顔を上げて立ち上がると、駆け足のほうへと身体を向けた。

「ニーフェちゃん! 贈り物です!」

 ヴァーナー・ヴォネガット(う゛ぁーなー・う゛ぉねがっと)は大きなラッピングされたその箱を高々と掲げながら駆け込んでくる。その後ろには、白髪に赤い着物が良く似合う悠久ノ カナタ(とわの・かなた)がゆったりとした様子で歩いてきていた。勢いよくかけていたせいか、ヴァーナー・ヴォネガットはバランスを崩してプレゼントから手を離してしまう。

「ヴァーナー!」

 その声よりも早く恋人を抱きしめると、緋桜 ケイは柔らかく微笑んだ。

「怪我はない?」
「はいです!」

 頬を赤らめながらも、ヴァーナー・ヴォネガットはにこやかに微笑んだ。プレゼントは、後ろをついていた悠久ノ カナタがしっかりキャッチしていた。

「だ、大丈夫ですか!?」
「はいです! ニーフェちゃんと、ルーノおねえちゃんへのプレゼントが、今さっき届いたので持ってきたんです!」
「私と、姉さん宛に?」
「イシュベルタおにいちゃんからですよー!」
「あけるが良い。二人宛だと書かれている」

 悠久ノ カナタからそう聞いて、ニーフェ・アレエははやる気持ちを抑えながらもプレゼントを受け取ると、その大きな包みを開けてしまう。あけてからしまった、と思ったようだったが、その中には二つの箱が入っていた。

【ルーノへは、お前から渡せ】 そう書かれていた。

 一つは緑色の包みに銀のリボンが巻かれており、赤い包みに金のリボンが巻かれているのがルーノ・アレエ用であるというのがわかった。
 緑色の包みを開くと、かわいらしい竪琴が入っていた。それをミタ一同は思わずため息を漏らした。

「キレイな竪琴ですっ」
「あとで、私のヴァイオリンと合わせてみんなの前で演奏しましょう」

 フィル・アルジェントの言葉に、ニーフェ・アレエはにっこりと微笑んだ。









 ルーノ・アレエに与えられた寮の一室は、新しい場所となっていた。二人の姉妹が暮らせるように、少し広めの一室だった。一室といっても、寝室は分かれていたが、遺跡にあった彼女たちの部屋よりも乙女チックなつくりとなっていた。
 チェストの上や、本棚、勉強机の上には、所狭しと友人達からの贈り物が並んでいた。その中でも、いくつかのリボンや、花々は大事そうに飾られていた。その中心に、姉妹によく似た人形と、イシュベルタ・アルザス、エレアノールに似せた人形も置かれていた。
 自身の寝室のベッドの上で、ルーノ・アレエは赤い髪を掻き分けて頭を押さえていた。うめき声を漏らせば、痛みが増すとでもいわんばかりに、シーツをかみ締めて声を押し殺していた。
 頭の中で、聞いたことのない……否、遠い昔に聞いた『仲間』たちの声が聞こえる。



 生き物達は、私たちを自分たちと同じ姿に作ったのに、奴らは私たちを生き物ではないといっている

 命の源が石だから、我らは暖かさを感じぬと決め付ける

 奴らは兵器は人ではないと言い切る、人の姿に似せた兵器を作ったくせに

 兵器の存在意義を果たそうぞ

 同胞の嘆きを無視する気か




 否定も肯定も、彼女には出来なかった。
 否定したい思いなら胸にある。だが、【彼女たち】の嘆きは事実だ。
 それを目の当たりにしていた自分が、遠い昔どこかにいたのも事実なのだ。

「…………っ」

 声にならない悲鳴を漏らしていると、ノックの音が暗い部屋に響いた。ゆっくりと身を起こしていると、今度は声が聞こえてきた。

「ルーノさん? 大丈夫ですかぁ?」
メイベル・ポーター(めいべる・ぽーたー)……」

 声の主が誰かわかると、のろのろと扉へと向かって足を進める。扉にしがみつくようにしてドアを開けると、そこには不安そうな白い瞳があった。後ろにいるカノジョノパートナーたちも、不安そうな表情だった。

「まだ痛み、なくならないのか?」

 セシリア・ライト(せしりあ・らいと)が優しくゆっくりとルーノ・アレエの頭をさする。暖かいお茶を手にしていたのは、フィリッパ・アヴェーヌ(ふぃりっぱ・あべーぬ)で、それを差し出して飲ませようとする。

「機晶姫の方に利くかはわかりませんが、少しでも気持ちが落ち着けばと……ハーブティをお持ちしましたわ」

 白い指からお茶を受け取ると、ルーノ・アレエはゆっくりとそれを喉に流し込んでいく。一つ大きく息を吐くと、にっこりと笑った。だが、その表情はいまだに痛みを堪えているようだった。それを汲み取って、メイベル・ポーターは哀しげな表情になる。

「ここ数日、ニーフェさんは忙しかったからお気づきではないようですがぁ、あまり無理をしてはいけないですぅ……」
「おかしいよ、一週間も頭痛が止まらないなんて。ルーノちゃん、やっぱ医者に行こうよ」
「……私の構造は、エレアノールが作ったオリジナルのため、原因がわかりづらいと思います……」
「とはいえ、同じ機晶姫としても黙っていられません。誕生日会は出るとしても、あまり痛みが治まらないようなら、無理やりにでも連れて行きます」

 ステラ・クリフトン(すてら・くりふとん)は、青い瞳をまっすぐにルーノ・アレエに向けてそう言い放つ。少し強い物言いだったが、その表情はとても心配そうだった。

「ありがとうございます。ステラ・クリフトン……皆さんと話していたら、少し楽になった」
「ほんとうですかぁ?」
「心因性の頭痛である可能性がありますわね。今日は貴女を悩ませるものはないと思いますが……辛かったら言ってくださいませね?」

 フィリッパ・アヴェーヌの言葉に、ルーノ・アレエはゆっくりと頷いた。
 部屋を出た彼女を待っていたのは、同じ百合園女学院の生徒である橘 舞(たちばな・まい)ブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)だった。二人の顔を見て、ルーノ・アレエはにっこりと微笑んだ。痛みのことを忘れようとするかのように。

「ルーノさん! 朝ごはんのお迎えにきたのよ]
「今日は記念すべき日だからね。一日ビデオカメラでとることにしたんだけど……OK?」
「はい、お二人にお任せします」

 その言葉を聞いて、橘 舞は少し苦笑気味に微笑むと、ルーノ・アレエの手をとる。

「またお昼に改めてプレゼント渡すし、みんなも言うと思うんだけど……お誕生日、おめでとう! ルーノさん!」

 その言葉に、ルーノ・アレエは涙ぐみながらも微笑んだ。メイベル・ポーターたちは会釈だけして先に会場に向かうことにした。彼女の体調不良をあまり多くの人間に知らせることはできないから、誰か他の協力者を探しに出たのだ。
 さっそくの適任者が、ロザリンド・セリナ(ろざりんど・せりな)だった。彼女はなにやらあわてた様子で幾度も紙袋の中身を確認していた。

「どうしたんですかぁ?」
「わ! め、メイベルさん……すみません。どうかされたんですか?」
「ルーノさんのことなんですが、どうやら体調が悪いそうなんですの」

 フィリッパ・アヴェーヌの言葉に、ロザリンド・セリナは驚いたようで目を丸くした。口が大きく開かれたところで、すかさずセシリア・ライトが口を挟んだ。

「大丈夫。ちょっと頭が痛い程度らしいんだ。だからあんまり気にしないで欲しいんだってことを、気にかけてる人たちに伝えて欲しいんだ」
「そ、そうですか。あまり無理はさせたくありませんが、ニーフェさんもがんばってるから……ということですね」
「それとこれは、ごく一部の……知っている人に教えたほうがいい情報だ」

 ステラ・クリフトンは声を低くしてロザリンド・セリナに語りかけた。

「【人間に何がわかる】、【我らの痛みを知らぬものが】……そう、いっていた」
「だ、誰に、ですか……?」

 フィリッパ・アヴェーヌは小さくため息をついた。

「ルーノさんが、寝言にそう呟いていたんですわ」
「え……?」

 ロザリンド・セリナは、紙袋を持つ手が震えてしまっていた。だが、手をぎゅっと握って、紙袋の中から本を取り出した。

「その本はなんですかぁ?」
「……プレゼントにと、作っていたんです。私が書いたものですが……ルーノさんのことを、今までのことを書き溜めた本です」

 メイベル・ポーターはその本を差し出されると、ぱらぱらとその本を眺める。

 一年前、見知らぬ機晶姫として現れたことに始まり、イシュベルタ・アルザスからの依頼で遺跡を探索することになって、そこでようやく彼女がルーノ・アレエとして百合園女学院の一員になったこと。
 金葡萄杯と呼ばれる武術大会に参加したり、機晶姫誘拐事件で犯人に呼び出されたり、爆弾事件で事情聴取されたり……
 現れた妹、ニーフェのことや、彼女の機晶姫を取り戻す戦いがあったり。

 そして、彼女を作ったエレアノールとの再会。

 長い物語は、分厚い本の半分にも満たなかった。その後は全て白紙だった。

「どうして、これここで終わっているんですかぁ?」
「そこから先は、彼女自身に書いてほしいと思ったんです。これだけの事件が一年でありました。でも、彼女は、私たちを友人と認めてくれています。私たちにとっても大切な友人です。これからも、ずっと」
「……そうですねぇ。信じましょう……きっと、大丈夫ですよねぇ」

 メイベル・ポーターの言葉に、ロザリンド・セリナはにっこりと頷いた。きっと大丈夫。そう胸に手を当てながら言い聞かせた。









 月島 悠(つきしま・ゆう)がアトラスの傷跡付近で自主訓練を行っていたとき、ふらりと現れた少女の姿を見つけた。
 フリルをふんだんに使ったロリータ系の服装は、赤と白で纏められていた。金色の髪を二つに束ねた姿は、典型的なロリータ少女だった。

「こんなところで、何してるんだろ」

 パートナーの麻上 翼(まがみ・つばさ)もその手を休めて、そばにいた藤 千夏(とう・ちか)に声をかけ、機晶姫(といっても、防御陣地方なので人の姿には程遠いのだが)である彼に望遠レンズを使ってみてもらうことにした。
 遠くから見てわかるとおりの少女に思えたが、どうやらところどころが機晶姫らしい形がある。

「迷子の機晶姫かもしれないな」
「何か探しものかな? なんかぶつぶついってるみたい」

 麻上 翼の言葉に、月島 悠は超感覚で聴力を強化し、目を閉じた。


「忘れさせはしない。忘れさせはしない。忘れさせたりなんてしない。お前たちは、私を忘れたりはしない」


 幾度も繰り返されるその言葉が、まるで歌のようにも聞こえた。少し首筋にヒリヒリする嫌ななにかを感じたが、その声色はまるで何かを祈る修道女のようでもあった。 

「怪しくはあるな……機晶姫なら、未沙に連絡を入れておくか」
「そういえば悠くん、今日何かあった気がするんだけど……」
「ああ、未沙が、ルーノの誕生日会があると言っていたな」

 そっけない態度のまま携帯を取り出すと、月島 悠は相手が今対応できないのを知り、メールでとにかく現状を知らせることにした。

「あの方角は、百合園だ。何かあるとしたら、関わっている可能性がある」
「その、誕生日会とやらにはいかなくていいのか?」
「今日は訓練の予定だ」
「あ、そっかぁ〜。ルーノさんに逢ったのって、金葡萄のときだよね。『悠ちゃん』のときに逢ってるから、挨拶しづらいんだ〜」

 麻上 翼のからかい文句に、月島 悠は咳払いをして軽く睨みつける。藤 千夏はため息をついて少女型の機晶姫が歩いている方角に改めてレンズを向ける。そこには、同じ言葉を何度も呟きながら、しっかりとした足取りで進む姿があった。


 メールを受信した頃、朝野 未沙(あさの・みさ)は百合園女学院の校門をくぐって、ルーノ・アレエの部屋へと向かっていた。
 その手に持っているのは、プレゼント用に改造したメモリープロジェクターだ。
 記憶したい映像を、観賞用に録画できる機能をつけるためのものだった。以前彼女の身体をメンテナンスしたときには、そういった記録媒体が彼女の身体になかったため、メモリープロジェクターを弄って、記録用に改造したのだ。
 記録自体は任意で行えるし、見せたい相手がいればメモリープロジェクターとしての本来の用途も使える代物だ。

「一個しか出来なかったのが残念だなぁ」
「ルーノさん、よろこんでくれるといいの!」

 朝野 未羅(あさの・みら)はにっこりと笑って姉を見上げる。赤毛の姉は力強く頷いた。彼女の胸の中には、以前の事件で最後にイシュベルタ・アルザスがいった言葉がよみがえっていた。


「ルーノ・アレエ……エレアリーゼは、製作段階メモリの中に機晶姫たちの記憶を植えつけられている。それも、自分たちが実験し、廃棄した機晶姫たちの記憶だ」


 その言葉を思い出し、手がわずかに震えているのを、妹の魔女朝野 未那(あさの・みな)は見逃さなかった。その手をぎゅっと握り締め、にこやかに姉を見上げる。

「大丈夫ですぅ。姉さんや、未羅ちゃんだけじゃなくてぇ、たくさんの人がルーノ様を大事に思っておられるのですからぁ……」
「うん。そうだよね……未那ちゃんや、未羅ちゃん、みんながいるんだもん」

 自分に言い聞かせるように、朝野 未沙は力強く口にした。ニーフェ・アレエのお手伝いに向かった二人の妹達と別れ、朝野 未沙はルーノ・アレエの部屋へと向かった。
 朝食から戻り、身支度を整えていたルーノ・アレエの部屋をノックしたのは、幾度も窮地を救ってくれた朝野 未沙だった。

「朝野未沙」
「おはよう、それとおめでとう! 一足早いけど、プレゼント渡しにきたんだ」

 にこやかに出迎えたルーノ・アレエの前で、鞄を開く。そこから出てきたのはいつもの工具だった。そして、きれいな箱に収められたそれを差し出す。中には、小さな星型のアクセサリーが入っていた。

「ロケットなんだけど、ちょっと仕掛けがあるんだよ。ちょっといいかな?」

 そう聞かれすぐに理解したルーノ・アレエは服を脱いだ。黒い背中を向けて、その背中を開いてもらう。簡単なメンテナンスなら、朝野 未沙ほど信頼できる技師ならば簡単に背中を預けられる。
 
「この辺の回路を変えて……うん。前向いてもらっていいかな?」

 無言のまま前を向くと、胸元にその星型のアクセサリーが埋め込まれる。といっても、シールのように簡単に張り付いた。

「朝野未沙、これは?」
「メモリープロジェクターを弄ってね、ルーノさん用に作ってみたの。これで、自分の大事な瞬間とか、覚えていたい記憶が映像に残るよ。それを誰かに見せたいときは、メモリープロジェクターか……あとは、未羅ちゃんにこれの受信機が就いてるから、いってくれればいつでも映せるよ。そのうち、ニーフェさんにも作るね」

 にっこりと簡単に説明をする彼女の表情にかげりを見つけた。ルーノ・アレエはそれがこれを作るために徹やでもしたのではないかと察して、その小さな肩を抱きしめる。

「ありがとうございます。朝野未沙……っ」
「うん! 喜んでもらえてうれしいよ〜っ 今日のことも、それで記録してみてね」
「はい!」

 今にも泣きそうなルーノ・アレエの顔を見て、朝野 未沙はほっと胸をなでおろした。

『きっと、ルーノさんなら私たちが心配してるようなことにはならないよ』

 そうもう一度胸の中で言葉にした。月島 悠からのメールを受信して携帯が震えていたのは、丁度そんなときだった。






 金の機晶石を動力としているルーノ・アレエは、丁度一年前、この百合園女学院に不法侵入した機晶姫でもあった。赤い髪、赤い瞳、黒い肌。金色に輝く機晶石は、大人びた彼女の身体を内面から透けさせる勢いで煌いていた。
 そのとき彼女はルーノ・アレエという名前ではなかった。

 彼女は言語機能に障害が起こっており、発言する言葉がさかさまになっていた。だが意思疎通が困難だったわけではなく、そのときかくまってくれた生徒達と親交を深めていった。
 彼女が口にした、ルーノアレエという言葉が、彼女の名前なのだろうと判断し、生徒達は彼女のことをそう呼んだのがきっかけだった。
 そして、金の機晶姫は唯一正常に言葉として発することが出来た【ある歌】を口ずさんでいた。
 
 数日後、彼女は忽然と姿を消し、代わりに彼女を探す不審な人物が現れた。その名は【イシュベルタ・アルザス】。吸血鬼の男性だった。

 ある遺跡ではぐれた機晶姫を探して欲しい、という依頼に集まったものたちは、遺跡の中で行われていたらしい非道な実験の数々、そしてエレアノールという女性の手記から、ルーノアレエ=エレアノールという女性の名前を口ずさんだものだというのがわかった。
 そして、かの金の機晶石は【自分の名前を口にするとシャンバラ全体を焦土と化してしまう兵器となる】ということがわかった。

 イシュベルタ・アルザスが鏖殺寺院の一派であるということも判明すると、彼は自爆して遺跡を破壊した。
 彼のわずかに残った良心から、逃げる時間を得たものたちは、地上へ出て機晶姫から話を聞くと、鏖殺寺院が既に詳細な資料を持ち出した後であるというのがわかる。
 彼女を兵器として作り上げたものたちは、今もこのシャンバラのどこかで非道な実験を行っているかもしれない。
 そんな不安を口にしたところから、彼女の物語は始まった。

 ルーノ・アレエという名前も、遺跡の中でそう呼ばれていたことが心地よかったこと、そして自分の名を名乗れないからという理由から、新しい名前を名乗ることになった。



 ロザリンド・セリナから受け取った、プレゼント本の下書きを眺めながら、彼女の友人でもある冬山 小夜子(ふゆやま・さよこ)崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす)は、一通り眺めてそれを鞄にしまいこんだ。

「とはいえ、私たちも参加していいのでしょうか?」
「いいのよ。あのニーフェっていう子から招待状代わりの向日葵を受け取っちゃったし……」

 崩城 亜璃珠は向日葵の花飾りを胸元に飾って、少し楽しげに呟いた。それをみて、冬山 小夜子は自分のところへ駆け込んできたニーフェ・アレエのことを思い出す。

『私の姉さんの誕生日なんです。もしよかったら来てください!』

 まっすぐな瞳に押し負けて、受け取ってしまった花飾りだったが、ロザリンド・セリナと親友と聞き、友人の友人という立場なら、是非参加して欲しいといわれてしまった。
 冬山 小夜子はほんの少しだけ向日葵を楽しげに眺める崩城 亜璃珠に少し嫉妬するようなまなざしを向ける。

「ん? どうしたの小夜子」
「いえ……とても楽しそうだから」
「ええ。だって私たちの友人がまた増えるんだもの。うれしくない?」

 私たち……そういわれて、冬山 小夜子はぱあっと顔を明るくした。

「え、ええ! とっても、うれしいですわ」

 そう微笑んで声を上げている横を、ミルディア・ディスティン(みるでぃあ・でぃすてぃん)は元気よく駆け抜けていた。後ろをついていく和泉 真奈(いずみ・まな)は何度も走らないように忠告しているのだが、聞いてもらなえないことを承知でため息混じりに自分もその後を追いかける形になっていた。

「こんな大事な日に寝坊しちゃうなんてーっ!」
「だからって走っていい理由にはなりませんわよ〜」

 和泉 真奈は再度ため息をつきながら、その背中にようやく追いつくと肩を引っ張って止めた。彼女が向かう方向そのものが目的地とは違っていたという理由もあった。

「向日葵庭園はあっちですわ。それにわたくしたちは、入り口でお客さんを受け付けるんですのよ?」
「あれ、そうだっけ?」
「もう忘れてるんですから……ニーフェさんから戴いた向日葵の招待状を持った方々を、受付でチェックするんですのよ」
「あれ、当日の飛び込みはだめなの?」
「ダメというか、素性が分からない方を入れるわけにはいかないと、昨日あなたが言ったんですのよ」

 和泉 真奈は更に深々とため息をついた。校舎の外に出て、校門で動物を引き連れて呆然と立っている女性を見つけた。
 狼、虎、イノシシ、その肩にはティーカップパンダが乗っかっていた。

「あれ? アシャンテさん?」
「……」
「迷ったの? 大丈夫。あっちが会場だよ」

 ほぼ無言のアシャンテ・グルームエッジ(あしゃんて・ぐるーむえっじ)はミルディア・ディスティンの言葉に従って獣達を引き連れて歩き出した。
 その姿に、和泉 真奈はパートナーの成長をほんの少しだけ感じ取っていた。そこへ訪れたのは毒島 大佐(ぶすじま・たいさ)プリムローズ・アレックス(ぷりむろーず・あれっくす)だった。

「なんだ、もうすぐ誕生日会は始まるんじゃないのか?」
「毒島さん。ええ。受付もすぐに始めますわ」
「おめでたいね、ルーノさんのお誕生日!」

 プリムローズ・アレックスが満面の笑みを浮かべるのを見て、和泉 真奈も頷いた。
 校外から、庭園に向かっていく影が見えた。音速の美脚と異名を持つ小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)だった。途中、辿楼院 刹那(てんろういん・せつな)と盛大にぶつからなければ、彼女の走る姿は見るものの心を奪い続けていただろう。

 花束を抱きかかえていたベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)は、ぶつかった二人に簡単な治療を行うとすぐさまニ頭を下げる。

「すみません」
「いや、気にしなくていい」
「あ、もしかしてルーノさんの誕生日を祝いに来たの!? 私たちもなんだよー」

 古代中国の貴人のような装いの辿楼院 刹那は、小首を傾げるだけで答えはしなかった。

(ルーノ? 先日招待状を持って走っていた娘の姉か?)

 そう思考をめぐらせていると、小鳥遊 美羽は辿楼院 刹那の手をとってぶんぶん振り回した。なにやら騒がしく話していたが、耳に入れ、思考するより早く言葉が洩れていたので、答える暇どころか、考える隙すら与えなかった。

「警備班やろうよ。あ、これは私が用意したプレゼントね。貴方は?」
「あー……辿楼院 刹那と」
「じゃあせっちゃんだね。私はこの辺りを見て回るから、せっちゃんはこっちをお願いね。あ、デモ崎に受付で挨拶済ませなきゃだから、早くいこ!」
「う、む? しょ、承知した。『かたなし』とやら」
「うん!」

 小鳥遊 美羽は苗字を間違われていることに気がついているのか、いないのか、にっこりと笑って自慢のツインテールを揺らしながら、辿楼院 刹那の手を引っ張る。

(あの時は断ってしまったが、これも何かの縁。わらわも混ぜてもらうことにするか)

 と頭の中で呟きながら、小鳥遊 美羽と辿楼院 刹那は向日葵庭園に向けて駆け出していた。その後を、ベアトリーチェ・アイブリンガーも追いかけていく。


 既に受け付けように立てられていたテーブルに、ようやくミルディア・ディスティンは腰を落ち着けた。

「なんとかまにあったぁ……」
「ミリさん、真奈さん、ありがとうございます」

 ニーフェ・アレエが浅葱 翡翠の入れたコーヒーを二人のために持ってきた。そこへ、丁度いっしょに訪れていたアシャンテ・グルームエッジの連れている獣達がニーフェ・アレエに身体を摺り寄せる。

「……蓮華」
「え、いいんですか? 蓮華さんお借りしますねっ」

 単語だけを発した彼女の言葉を解したのか、ニーフェ・アレエはティーカップパンダの蓮華に、肩に乗ってもらう。パラミタ虎のグレッグ、狼のゾディス、パラミタ猪のボアたちも彼女の隣について、歩いていく。その後をついていこうとする前に、アシャンテ・グルームエッジはミルディア・ディスティンと和泉 真奈に一礼する。

「いいんだよー。楽しんでってね♪」
「あ、いらっしゃいませ」
「もう、入ってもいいのでしょうか?」 

 白いタキシードに身を包んだエメ・シェンノート(えめ・しぇんのーと)は、にっこりと二人に微笑みかける。










 東園寺 雄軒(とうえんじ・ゆうけん)バルト・ロドリクス(ばると・ろどりくす)を伴って、アトラスの傷跡をうろつく機晶姫について調査していたのは、つい先日からだった。
 ただ迷子ならば、保護してやって欲しいという申請だった。

 荒野の町といっても、数あるわけでもなく、そのどの町にも立ち寄っていた機晶姫は、情報に事欠かなかった。
 いくらかの小銭を出して事情を聞けば、食事と眠る場所を提供させてもらっていただけだという。特に、有害な存在ではないというのがわかった。

 唯一つ。
 ボタルガから来たらしいという情報の一点をのぞけば、なんら変哲のない迷い機晶姫だった。


 学校で掲示されていた依頼とはいえ、報酬が弾むというわけでもなく、この件について調査を始めたのにはわけがあった。
 この機晶姫の目撃例が、ニーフェ・アレエという機晶姫が、チラシを配り始めた時期と被っていたのだ。

 その機晶姫が、今目の前にいた。


「不審な機晶姫とは、お前のことか」
「……貴様は、見た顔だな」

 機晶姫の言葉に、東園寺 雄軒は眉をひそめた。彼の記憶が確かなら、このような機晶姫に見覚えはないからだ。バルト・ロドリクスは主の空気を察して武器に手をかけた。

「そう急くな。貴様は、話がわかる奴だと思っていたんだ。どうだ? 私を手伝わないか? 報酬は、望みのままにくれてやる」

 機晶姫の物言いを聞いて、東園寺 雄軒は思い出した。気位の高い吸血鬼の姉のことを。知欲を満たすために自らの手にかける予定だったが、手を出すことが出来ずに帰らざるを得なかったことを。

「……俺の欲を、貴様が満たせるというならば」

 その口元は、わずかに笑みを浮かべているようにも見えた。