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第一章 ヒラニプラ山間

「あんたみたいな悪い子はバグベアに食べられてしまうよ!」


「こちら見張り台。四方異常ありません」
 ヒラニプラ山間。シャンバラ教導団、湯治場建設予定地の端。
 木材で組まれた高台の上でゴットリープ・フリンガー(ごっとりーぷ・ふりんがー)は、見張り班及び教導団の指令グループ共有電波に乗せて定時の報告を行っていた。間をおかず、同携帯から建設現場上空を旋回中の天津 幻舟(あまつ・げんしゅう)と、現場で指示を出しつつ待機中の警備班班長マーゼン・クロッシュナー(まーぜん・くろっしゅなー)の声が返ってくる。
『こちら現場上空、同じく異常なし。少し範囲を広げて引き続き警戒を続けますじゃ』
『こちら指令。報告了解した。そのまま見張りを継続したまえ』
「了解しました。……思ったより森が深い。幻舟は死角のないよう注意願います」
『了解ですじゃ』
 通信が途切れるとフリンガーは浅く息をついた。同じ高台の上では綾小路 麗夢(あやのこうじ・れむ)が文献を手に顔をしかめている。
 早朝に出発して半日。温泉が湧きだしたというこの場所までの行程は、恐ろしいほど順調だった。
「順調なのはいいのですが……。こうもうまくいくと不気味になりますね」
 チチチと小鳥のさえずる声や、涼しげな水の音。木漏れ日の落ちる開けた山間の土地はひどくのどかで、別荘でも立てるにはうってつけの場所だった。
 のんびりと作業準備を進めている一行に不安を覚えつつ、再び洩れそうになるため息を飲み下す。にわかには想像しがたいが、一歩踏み出せばバグベアなどが巣食う危険地帯……のはずだ。閑静な場所だからと言って油断してはいけない。
 チラリと目をやると、麗夢はちょうど本を閉じたところだった。
「何を読んでいたのですか?」
「今のは地球の文献。バグベアについて何かわからないかと思ったんだけど、詳しくは載ってなかったわ」
 わかったのは、どこで調べても『恐ろしいもの・悪いもの』として取り上げられているということだけ。いわゆる絶対悪の存在。
「何事もないといいけど」
「何事もないよう警戒するのが我々の任務。見張りを続けましょう」
 二人は気合を入れなおすと、怪しい影などがないかいっそう目をこらした。

 同時刻、山間。
 通信を確認すると、パトロールにあたっていたケーニッヒ・ファウスト(けーにっひ・ふぁうすと)天津 麻衣(あまつ・まい)は足を止め、あらかじめ用意しておいた周辺地図を確認した。もう一人のパートナー神矢 美悠(かみや・みゆう)は、夜間の活動に備えて作業場の影で仮眠をとっている。
「現在地はこの辺りか……」
「村が近いわね。寄っていくでしょ?」
「うむ」
 ファウストは携帯を手に取ると、簡潔に報告を返した。
「こちらファウスト。現在地点X、このまま地域住民への聞き込みを開始する」
『了解した。その間も周辺への警戒は怠らないように』
「了解である」
 顔をあげると、山道を下った先に開けた場所があるのがチラチラとのぞけた。二人は荷物を背負いなおすと、地元の村を目指して歩を急がせた。



「ふんふん。この辺はぬるめで向こう側が適温っ……と」
 もうもうと立ち込める湯気の中、逐一メモを取りつつ天津 亜衣(あまつ・あい)は額をぬぐった。すっかり肌寒い気候ながら、温泉の傍は湿度が高く温かい。試験管を片手に島津 ヴァルナ(しまづ・う゛ぁるな)もふんわりと微笑む。
「水質的にも問題ありませんわ。雑木が深くて刈る必要はありそうですけど、危険な植物も生えていないし……本当天然の湯治場ですわねぇ」
 山間に広がった平地。苔むした岩肌の合間を幅広の川がゆったりと流れており、手を浸せば温かく、そこここから湯気が立ちのぼっている。山の高低差で所々にできた湯だまりは数人用の温泉に。水源に近づくほど温度が高く、離れている場所はぬるいためプールとしても活用できそうだ。
 一通り計量を終えた亜衣はぐーっと伸びをすると、冷えた素足を湯に浸した。
「うー、気持ちいい」
「あ、いいですね。ではわたくしも……」

「――ちょ、ちょっと待ってくれ!!もう一度集計を取るから順番に頼む!」

 かじかんだ指先をヴァルナが伸ばした時、会議用に臨時で立てたテントから慌てた声と紙をめくる音が聞こえた。その後に続いて数人の意見しあう声。
 亜衣とヴァルナは顔を見合わせ、今回の湯治場建設任務を一任された新入生――レオン・ダンドリオンの苦心を思って苦笑しあった。
「えーと、それじゃあ一人ずつ提案を聞」
「混浴!混浴は絶対必要だって」
「風呂上がりの牛乳の品ぞろえを……」
「防護対策はこんな感じでいったらどうかな」
「あの、ごめん、できるだけ一人ずつ……」
 さっきからこの調子だ。同情的な亜衣に対して、ヴァルナは涼しげに言ってのけた。
「レオン君も大変だね〜」
「いざとなればジーベック様も近くにいますし大丈夫ですわよ」
「およ?……随分リーダーのこと信頼してんじゃ〜ん?コノ、コノォ」
「そ、そういう意味では!!ちょっ、亜衣様、からかわないでください……」
 自分への信頼をからかわれてパートナーが赤面しているとは露知らず、当のクレーメック・ジーベック(くれーめっく・じーべっく)は建設及び現場警備のまとめ役を任されてテント前にてキリリと背筋を伸ばし、あたりに注意を払っていた。
 現場への襲撃に備えて警戒を払うジーベックら教導団の指導員たちとは別に、今日はこの土地に集落をつくるというバグベアを排除するために有志を募って討伐隊を組んでいる。うまくいけば襲撃による被害を受けることなくバグベアを一掃し、湯治場の完成をのぞめることになるが……。そううまくいくとは限らない。
「(今のところ異常はないが、各班と随時連絡を取り合って最善をつくさなければ……!)」
 考えつつ視線を上げると、会議中に可能な限り建設下準備を整えるべくハインリヒ・ヴェーゼル(はいんりひ・う゛ぇーぜる)が順次作業場を行き来して指示出しや確認を行っていた。
「その材料はこちらにお願いいたします。……ああ、道の舗装用はそちらではなくこちらのものをご使用ください」
 ヴェーゼルはジーベックの視線に気が付くと、へらりと笑って敬礼してみせた。態度は軟派だが、仕事だけはきちんとやる男だ。ジーベックは敬礼を返しながら、「準備は大丈夫そうだな」とひとり呟いた。