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緊迫雪中電車――氷ゾンビ譚――

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緊迫雪中電車――氷ゾンビ譚――

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 そんな彼が通り過ぎた席の一角では、前方の席では、その頃明るい声が上がっていた。
「ぬ……ね、猫……」
 そこでは朝倉 千歳(あさくら・ちとせ)が、ミディア・ミル(みでぃあ・みる)に対して頬を緩めている姿があった。
ネット上で『ちーにゃんこ』の異名を持つ程、端整な顔立ちをほほえましく緩めている彼女は、黒い瞳を一心に、ミディアへと向けている。
 一方の視線を向けられているミディアはといえば、愛らしい茶色の瞳を揺らしていた。
――なんだろ? 視線を感じる……
 そんな内心で彼女は隣席へと顔を向けた。猫の獣人であるミディアは、人型にはならず猫の姿のまま、日々を送っているのである。
――あっ、あの人か悪い人じゃなさそう。あれは、ぬこ好きな目だ。
 ぬこ即ち猫好きだと判断したミディアはこえを上げる。
「にゃあー」
――ふふふ。遊んでくれるのかにゃ?
 背中に、羽に見える毛のかたまりをつけたミディアは、そうした気持ちで、通路を挟んで隣にいる千歳へとすりよった。ゴロゴロ、安心した猫のように人懐っこい音を響かせ、ネコ獣人は、百合園女学院規定の洗練された千歳の足下へと近づく。
「あっ、ミディ! 知らない人に遊んでもらっちゃダメだよ?」
 慌ててパートナーの月美 あゆみ(つきみ・あゆみ)が、ミディアをとどめる。
「――って、その腕章はジャスティシアさん」
 千歳がつけている腕章に、あゆみが目をとめた。実際に判官である千歳は、その声で我に返る。彼女が麗しい黒い瞳を向けると、ピンク色の髪を揺らしながらあゆみが微笑んだ。
「えっとね」
 あゆみは千歳の眼差しに対し、ヴァンガードエンブレムから自作した『銀河パトロール隊☆エンブレム』をかかげてみせる。仕上げも美しく、実に本物然としているそれに、千歳が瞠目する前で、あゆみが続けた。
「あゆみは銀パトのピンクレンズマンなの。それでね、この車内で大変なことが起こるって情報があって乗車してるの。協力してくれるよね、正義の味方――ジャスティシアさんなら」
 ウィンクされた千歳は、自身のジャスティシア即ち判官の腕章へと視線を落としながら、僅かに眉を顰める。するとあゆみの隣で、ヒルデガルト・フォンビンゲン(ひるでがるど・ふぉんびんげん)が呟いた。
「何かよくないことが起きるようです。そう――氷のように再び凍っては崩れる災いが前より、そして後方からは……」
「良くない事?」
 千歳が首を捻った時、彼女達の話を見守っていたイルマ・レスト(いるま・れすと)が、セミロングの薄茶色の髪を揺らした。
「起きる、とは、これから起きると言うことですか?」
 冷静なイルマの声に、あゆみが大きく頷く。
「ヒルデは幻視ができるの」
「ええ、これは予言です。私はこれを決して外部の肉の眼で見たのではございません……」
ヒルデガルトが穏和さが滲む青い瞳で返す。
 二人の声と、動きを止めたミディアを一瞥しながら、イルマがゆっくりと顎を縦に動かした。
――このままでは、千歳の猫好きな一面を周囲にさらしてしまいます。千歳が猫に毒される前に引き離すのに、ちょうどいい口実です。
 一人そんなことを考えながらイルマは、青い瞳を千歳へ向ける。
「予言……そんな風に、いきなり『良くないことが起きるから、協力して欲しい』と言われてもな。その理由だけで判官としては動きにくい」
「千歳、見過ごせば判官としての経歴に傷が付きます。ひいては百合園の名を落とす事は目に見えていますわ。ここはぜひ、見回りに行きましょう」
 普段冷静なパートナーのイルマの声に、千歳が困惑するように黒い瞳を揺らす。
 そんな二人の隣では、朝倉 リッチェンス(あさくら・りっちぇんす)が、腰をさすっていた。
「イルイル、腰が痛いのです」
「誰がイルイルですか。イルイルと呼ばないで下さい」
「折角今日はダーリンと外出中で、車窓の窓からなのです」
 リッチェンスは、千歳へと手を伸ばし、ダーリンと再度声をかけながら嘆息する。
 声をかけられた千歳はといえば、迷うようにあゆみ達とイルマを交互に見ていた。
 一応思惑は成功したのだろうと考えて、イルマが肩をおろす。
「車窓とはすでに窓のことですわ」
 そして半ば苛立ちながらイルマが目を細める斜め前、千歳の正面の席で、リッチェンスがわざとらしい程嘆くような顔をしてみせた。
「イルイルは余計ですけど、あうとおぶがんちゅーなので、問題ないのです……よ?」
 リッチェンスが長い薄茶色の髪を揺らしながら、可愛らしい青い瞳を揺らした。
「というわけでダーリン。腰が痛いのです」
「座り続けると腰に来るのは確かだな」
 返答しながらも、千歳は思案を続けていたのだった。
「まぁ……腰痛が落ち着いてきたら、念のために前方車両に目を配りつつ、何かあったら車掌に話せる場所へ移るか……しかし、ぬ、猫……」
「リツの腰痛はいつものことではありませんか。早く行くべきではないですか? 判官として」
 イルマの声に、千歳が改めてリッチェンスを一瞥した。
 リッチェンスは、SLの長旅に限らず、元々重度の腰痛持ちで、度々固まるのである。
 彼女達がそんなやりとりをしている頃、SLは雪原へと体を進め、辺りは雪景色に代わりつつあった。トンネルが走る山の陰となり、この一体には未だ残雪があるのである。


 その一つ前の車両では、緋王 輝夜(ひおう・かぐや)が静かに目を伏せていた。その双眸に映る思い出していた相手は、パートナーであるエッツェル・アザトース(えっつぇる・あざとーす)だ。エッツェルは、赤い髪をしていて叡智を宿すような黒色の目をしていた。知的で真面目そうに見える外見に反して、一件軽薄そうな性格で、そうして冷徹な一面も持ち合わせていて……。
――考え出せばきりがない。
 輝夜が美しい赤い瞳を見開いた。綺麗なポニーテールの黒髪が揺れている。彼女は、真だという噂が流れている想い人を探している最中だったから、慌ててパートナーの事を思考から振り払う。
「早く見つけられると良いんだけれど……」
誰が見ても美少女だと感じるその白磁の表情を、輝夜は僅かに陰らせた。


 その車両よりも、大分後部よりの車両、七両目にて。
 空京へと買い物に出るために乗車していたアキラ・セイルーン(あきら・せいるーん)は、きまぐれそうな黒い瞳を、お菓子の袋へと向けていた。
 混雑している中央部をさけて、後部車両に席を得た彼と、パートナーのアリス・ドロワーズ(ありす・どろわーず)は、次第に白く変わっていく風景と、その傍にあるテーブル上のお菓子の袋へ視線を向けている。
 どこか眠そうで、一見地味に思えるものの、実のところ情に厚いアキラは、ぼさぼさの黒い髪を揺らしながら、大量に持ち込んだ菓子類や飲料を貪るように口へと運んでいた。それらを一通り食べ終えた彼は、パートナーへと視線を向け直す。
「アリス……俺ぁ寝るぜ……」
 満腹になった彼は、考えていた。
――カタンコトンと心地よく揺れトンネルの暗闇に包まれれば眠くもなるだろう。
「ハイハイ。着いたら起こしてあげるワネ」
 丁度SLは、トンネルへと入ろうとしていた。
「もうダメだ……俺はこのまま冬眠する……」
 ぐぅ。あるいは、すぅすぅと、寝息がきこえてくる。トンネルの闇に乗じて、アキラの瞼が落ちてきたのだった。わいた眠気に逆らわず、アキラは睡眠を選ぶ。
――その少しだけ後の事である。
 二人の横を、一匹の兎が通りすぎていく。
「マァ、うさぎダワ」
 思わず呟いたアリスの隣で、アキラは何も応えずに眠っているかに見えた。
「アキラ、兎が……アキラ?」
 不思議の国のアリスの主人公である『アリス』がモデルである彼女は、人形に魂を込める事が出来る人形師リンス・レイスの手によって作られた、魂を持ち動いて喋る人形である。金色の愛らしい長い髪を揺らしながら、小さな人形である彼女は、アキラのことを何度も呼んでみた。そうして叩いても見た。
「か、固い……おかしいワ」
 首を傾げた彼女の隣には、既に兎の姿は無かった。
 けれど兎が通りすぎていったと思しき後方からは、続々と悲鳴が上がってくる。
 同時に、徐々に前方の車両からも、叫声がきこえ始めたのだった。
「白い兎を追って不思議な空間に迷い込むだナンテ、まさしくワタシの為にあるような異変よネェ」
 周囲の喧噪から、兎が原因だと推測した彼女は、静かに床へと立ったのである。


 その時彼女達よりも前方に位置するキサラ・エノール達の車両でも騒ぎは起こっていた。
「おかしいね、トンネルからでない」
 キサラが呟く。窓際の正面に共に座っているルカルカ・ルー(るかるか・るー)もまた、首を傾げていた。
「今日中にこの資料を届けなくちゃならないのにね」
「……」
 だが、日向からの返答はない。
「だけど、電車が止まってるって感じじゃないし……どうしてトンネルを抜けないんだろう。それに何か後ろの方が騒がしいし」
 溜息をついたキサラが視線を日向・シルヴァへむけようとした時、彼女達の席を越えて、一匹のパラミタ兎が走っていく姿が目に入った。
「――あれ今、ウサギが……って、日向?」
 横でうっすらと灰色がかった色合いへと変わり硬直している日向の姿に、キサラが瞠目する。
「日向!? 日向、どうして石に……っ」
 見れば、キサラのパートナーである日向は、石像と化していたのである。
「え……っと、絶対に、元に戻してあげるからね!」
 彼女のそんな声が響く中、最後尾の車両から現れた様子の兎は、最前列の車両を目指して走っていくようだった。
「そして一緒に、資料を空京大学に届けようね!」
 続いたキサラの声は、むなしく、周囲からあがる叫声にかき消されていくのだった。