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浪の下の宝剣~龍宮の章(前編)~

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浪の下の宝剣~龍宮の章(前編)~

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6.約束の映画館と



 大きなスクリーンに映し出される光景に、安徳天皇は釘付けのようだった。
 今日まで、彼女にとって物語といったら本だった。学院に保護されてからはテレビも見たらしいが、いくらテレビの大型化が進もうが、そうやすやすと映画の臨場感を超えたりはしない。
 部屋を真っ暗にする、という単純な事だって意外と行うのは難しいのだ。外から入り込んでくる音を遮断するのだって容易ではない。それに、この映画館が持つ独特の雰囲気は、まず再現できないだろう。
「おおっ、おお!」
 もうすっかり気分は映画の中なのか、安徳天皇は驚きの声をあげたり、ビクっと反応したりして楽しそうだ。これだけ楽しんでくれると、3D映画を見に行こうと約束した夜月 鴉(やづき・からす)は自分の手柄というわけでもないが、少し誇らしい気分になった。
 映画そのものの面白さは、可も無く不可も無く、と言うところだろうか。普通にそこそこ面白い、アクション映画だ。
 そろそろ映画もクライマックスに差し掛かり、鴉はこのあとの予定の事を考えていた。
 このあとは、映画館のすぐ横にあるゲームセンターに立ち寄る事になっている。安徳天皇には、自由に行動しているように思わせているが、実際はこちらで行く先を確保し、誘導しているのだ。時折、不意の行動に慌てさせられることもあるが、概ね順調な流れを保っている。
 既に映画館に入る前に、ゲームセンターをちらっと見せて、興味を持たせてあるから誘導はそんなに難しくないだろう。などと、鴉は予定の事を考えて映画の方をおろそかにしていた。
 もしかしたら、いるかどうかはわからないが、そんな彼の態度に映画の神様が腹を立ててしまったのかもしれない。
 映画の世界に入り込んでいた安徳天皇は、最後の最後に観客を驚かせるシーンをどうやら油断して観賞していたようだ。おかげで、心臓が飛び出るほど驚いたそのシーンに驚いて、手に持っていたジュースの紙コップを放り投げたのだ。
 それが、どこに着地したかについては、わざわざ語る必要もないだろう。


「む、そうか。久しぶりに草薙の剣を見る事ができるかもと思ったが、今は手元に無いとはのぅ」
「今後の参考になるかもしれないし、ちょっと見ておきたかったけど、仕方ないよね」
 かつて草薙の剣を打った天津 麻羅(あまつ・まら)と、鍛冶師を目指して目下修行中の水心子 緋雨(すいしんし・ひさめ)にとって、草薙の剣は宝剣としての価値とは別に意味のある代物だ。
 もっとも、シャンバラの英霊がそうであるように、草薙の剣が麻羅の打ったものでない可能性もある。名前そのものに力が宿るから、世界に一つしかない伝説のアイテムが、複数になるという事もあるし、力を借りる意味で名を与えている場合もありうる。
「剣を参考にして、何をするのだ?」
 安徳天皇が、緋雨の顔を見上げる。
「何って、当然私が剣を作る時の参考にするのよ」
「緋雨は剣を作っておるのか?」
「そうよ。今はまだ修行中だけどね……って、その顔は信じてないでしょ」
「うむぅ……緋雨が剣をのう。衣装を作るというのの間違いではないのか?」
「熱心に着せ替えてたからのぅ。あれだけ必死にしておったら、そう思われてしまうのも仕方ないか」
 安徳天皇の着せ替えに参加する緋雨を麻羅は眺めていたが、確かにあの様子では安徳天皇に誤解されるのも已む無しであると思えた。緋雨にとっては、可愛い子に可愛い服を着せるのは趣味でしかない。
「だって、可愛い子は可愛い服を着るべきじゃない。ね? アンちゃんもそう思うよね?」
 緋雨は、安徳天皇をアンちゃんと呼んでいる。
「うむ。衣装に気を遣うのはよきことであると思うぞ」
「でしょ? だよね、だよね!」
「いや、そうとも言えんぞ。確かに、場に似合わぬ服装などするべきではないとは思うが、しかし限度というものある。明日の予定のために、前日の夜から何着も何着も、次から次へと着替えさせられ、その日のうちに決めたこれにしよう、などと言っておったのに、次の日の朝にはその事をすとんと忘れて、また次から次へと……」
 そこまで言って、麻羅は深いため息をついた。
「たまには、ゆっくりと晩酌がしたいのぅ」
 麻羅は苦労しているようだ。その予定、というのがどの程度から発生するものかによって苦労の度合いも変わるのだろうが、そこを尋ねるのは少し気がはばかれた。
「ところで、おぬしはいける口かえ?」
 本人もその事はあまり考えたくないのか、手で飲む仕草をしながら安徳天皇に尋ねる。
「それはつまり、酒でよいのか?」
「それ以外に何があるというのだ?」
「お酒とか、かわいくないよー。アンちゃんはココアとか好きだよね?」
「酒は匂いが慣れぬのだ、皆は喜んで口にしておったが、それほど良きものなのか? それと、ココアとは飲み物で良いのか?」
「え?」
「え?」
「な、なんじゃその顔は」
「酒の良さもわからないと……、それはよろしくない。よし、今日は無理だろうが、そのうち日を改めて、共に飲もうではないか。なに、心配するでない。今は様々な国の様々な酒がある。きっと、おぬしの気に入るものもあるはずじゃ」
「ココアっていうのはね、チョコレート食べたことある? あれをミルクで溶かしたみたいな、いや本当はちょっと違うんだけど、甘くておいしいの。ホットでもアイスでも大丈夫だし、そうだ。だったら、今日買って飲んでみようか」
「あ、いや、すまぬ。同時に喋られては、もうどちらが何を申しておるのか、さっぱりわからぬのだが……」
 どこかの皇子と違って、安徳天皇の耳はごくごく平凡だ。同時音声を聞き分けられたりする特殊能力は無く、あわあわするしかなかった。
「安徳天皇、困ってる」
 二人に割って入ってきたのは、レーネ・メリベール(れーね・めりべーる)だ。
 レーネに言われて、二人は一先ず落ち着いてくれた。
「レーネか、助かったぞ」
 安徳天皇はほっと息をついた。
「待たせたな」
 そこへ、鴉もやってくる。先ほど、ジュースを頭から被ってしまったので、頭を洗いにトイレに行っていたのだ。
「鴉よ、先ほどは……」
「もういいって。さっき謝ってもらったし、それに服はほとんど濡れなかったし、気にしてないよ」
 安徳天皇が放り投げた紙コップの中は、既に飲み終わっていた。残っていたのは、氷とその氷が溶けた少量の水ぐらいだ。それでも、入っていたオレンジジュースによって少しベトベトしていたので、頭を洗いに行ったのだ。
「それじゃ、待たせちまったわけだし、そろそろ移動するか。次はどこ行きたい?」
 なんて鴉は言ってみせるが、外の知識がほとんど無い安徳天皇が自分からどこに行きたいかと言えないことはわかっている。次の目的地は、すぐ近くのゲームセンターで、準備も整っている。
「次か……ならば、先ほど言っていた、げぇむせんたぁ、とやらに行ってみたいぞ」
 少し悪い気もするが、安全を確保するためである。
「ゲームセンターに行くなら、一緒にプリクラを取ろうか」
「それは一体どんなものなのだ、レーネよ」
「写真を撮って、シールにする機械。ゲームセンターにあるんだ」
「しぃるとは……あれか! 裏がベトベトしていて、貼って使うものだな。それを自分で作ることができるのだな。げぇむせんたぁとやらは、そんな愉快な遊びもあるのか」
 レーネがうまいこと、安徳天皇の興味をゲームセンターに向けてくれた。
 もっとも、作戦の結果というより、単純にレーネが安徳天皇とプリクラを取りたいのだろう。結果オーライである。
「よし、ではげぇむせんたぁとやらに参ろうぞ!」
 一人で突っ走ってしまいそうな安徳天皇の手を、レーネが取って移動の主導権を握る。緋雨がさりげなく先導し、麻羅も周囲を警戒しながら少し遅れて安徳天皇の後ろをついていく。
 護衛である以上、全力で楽しむわけにもいかないのが難しいところだ。

「また嘘をついたのだな!」
「嘘じゃないよ。本物のワニは、口を開けたらビーム撃ってくるんだって。その時のために、このゲームでワニ対策を練るんだよ」
 フィーア・四条(ふぃーあ・しじょう)が言うこのゲームとは、ワニワニバスターズというゲームだ。ハンマーでワニを叩いて高得点を目指すもので、決してビームを放ってきたりはしない。もちろん、本物のワニもビームを放ってきたりはしない。
 お金を入れたあとにフィーアがそんな事を言うものだから、慌てた安徳天皇は本来の実力を出し切ることもできず、ワニはビームの発射台まで迫ってしまった。慌ててその場にしゃがみ込むが、当然ビームなんか出てこない。そうこうしているうちにゲームオーバーになってしまった。
「も、もう騙されぬぞ! そんな動物がおるわけなかろう」
「いるよ」
「おらぬ! 絶対におらぬ!」
「そのぐらいにしておいてやれ」
 呆れ顔で、戸次 道雪(べつき・どうせつ)がフィーアに苦言を呈した。
「ビームを撃つワニは絶滅危惧種じゃ。そうやすやすとはお目にかかれぬ。そうであるならば、安徳天皇が言う通りに居ないのと同じではないか?」
 訂正、道雪は苦言を呈したのではなかった。
「ま、まさか本当にビームを撃ってくるワニがおるのか?」
「うわ、ひどいな。僕のことは信じないのに、道雪の言うことは信じるの?」
「うるさい! お主が今日だけで何度デタラメを口にしたと思っておるのだ!」
「でたらめなんか一つも言ってないけどなー」
 嘯くフィーアに、安徳天皇は冷たい視線を向ける。
「自業自得であろうな」
 シュバルツ・ランプンマンテル(しゅばるつ・らんぷんまんてる)は誰に言うでもなく、そう呟いた。
「気持ちはわからなくもないが、やりすぎであろう。少し自重したらどうだ?」
 安徳天皇は何でも信じるので、からかってみると面白いというのはよくわかるが、あんまりやり過ぎるのもよろしくない。そう思って、シュバルツはフィーアにこっそり言ってみたが、フィーアは何の事かわからないといった様子。
 まだしばらく安徳天皇で遊ぶつもりのようだ。
「やれやれ……」
 嫌われてもしらんぞ、なんて思っていたら、安徳天皇は立花 眞千代(たちばな・まちよ)を捕まえて、ビームを撃つワニについて聞いてみているようだ。
「は? そんなの居るわけないじゃん」
 輪から離れて、護衛の仕事を粛々とこなしていた眞千代はごくごく当然の反応を示した。
「そもそも、誰からそんなふざけた話を………あ」
 眞千代の視線が、フィーアと交錯した。
「あー、うん。まぁ、そんなもんいねぇから安心しろ」
 それだけ言うと、そそくさと眞千代は歩いていってしまった。
「またか、また騙しおったのだな。しかも、道雪、お主も妾を謀ったな! もう許さぬぞ、てってーてきに懲らしめてやるぞ」
「懲らしめるって、どうするつもりさ?」
「勝負じゃ。妾とお主で勝負して、負けた方が言う事を一つ聞く。どうじゃ?」
「どうじゃって言われても、僕にそんな条件で勝負をしかけていいのかな?」
 強気に微笑むフィーアの表情を見て、安徳天皇は承諾の意ありと受け取った。
 安徳天皇には勝算があった。暇つぶし用に、と貸してもらっていたゲームと同じゲームをこのゲームセンターの中で見つけていたのだ。あのゲームならば、自分に一日の長がある。決して敗北などありえはしない。
 勝負を仕掛けた方が、ルールを用意するというのは都合が良すぎる話だが、さすがにフィーアはそこに突っ込みはしなかった。何が着ても、まず負けないという自身があったからだ。
 二人は、どこのゲームセンターでも一つはある音ゲーの前に並んだ。曲に合わせてボタンを押すという単純で、しかし厳密にスコアが出されるために勝負にはうってつけだ。
「謝るのならば、今のうちであるぞ」
「そっちこそ、取り消すんなら今しかないけど?」
 どちらも一歩も引く気配の無いまま、二百円が投入された。

「楽しんでくれているようですね」
 並んでゲームをしている安徳天皇の様子をみて、ハーヴィット・カンタベリー(はーびっと・かんたべりー)は言う。
「楽しんでもらうためのお出かけですからな」
 モルガン・ル・フェ(もるがん・るふぇ)も足を止めて、安徳天皇の方を見る。
「……あれは、楽しんでいるのか?」
 ゲームをしている安徳天皇は必死の形相だ。一方、隣で一緒にプレイしているもう一人は、そんな様子は一切無い。
「熱中してゲームをしているのなら、楽しんでいるってことですよ」
「そうか。まぁ、そういうことなのだろうな……」
 それにしても必死すぎな形相じゃなかろうか。
「それでは、行きましょうか」
 安徳天皇と一緒に行動する以外にも、店であったりこのショッピングモール全体を見張るなどの役割がある。一緒に行動している場合は、護衛と遊びが半々ぐらいだろうが、周辺の警戒はもう完全にお仕事だ。
 そんな彼らに、休憩を提供するための代役をしなければならないのだ。
「勝負の結果がどうなるか見れないのは残念です」
「いや、あれはもう決まったようなものだろう」



「さ、三回勝負じゃ!」
 見事に返り討ちにあった安徳天皇の提案により、勝負は三回勝負に変更になった。
 三回勝負なので、既に一回負けてしまった安徳天皇にあとはない。だが、安徳天皇の切り札は既に先ほど勝負に使った音ゲーだったのだ。まさか、ああも簡単にパーフェクトを取られてしまうとは予想外だった。
 とにかく、残された二回の勝負は絶対に負けるわけにはいかない。だが、適当なゲームを選んでも勝てる気はしないし、なんたって安徳天皇がゲームセンターに入ったのは今日が初めてなのだ。見ただけで、どういう遊びをするものなのかわからないものの方が多い。
「二人、借りるぞ」
「ちょ、ちょっと待ってください」
「どうしたんだ、いきなり。っておい、ひっぱんなって!」
 神代 聖夜(かみしろ・せいや)陰陽の書 刹那(いんようのしょ・せつな)は、唐突に現れた安徳天皇に腕をとられ、そのまま連れていかれてしまった。まともに勝負しても勝てないなら、助っ人に頼ろうという考えなのだろう。
 いきなり拿捕された二人が連れていかれたのは、四人対戦ができるレースゲームだ。
「三対一にして戦うつもりか、ちょっとずるくないか」
「まぁ、ハンデって事でいいんじゃないかな。でも、二人共ゲーム得意だったっけ?」
「さぁ?」
 神崎 優(かんざき・ゆう)水無月 零(みなずき・れい)の居る場所からでは、ゲームの画面までは見えない。無理やり座らされた二人がどれだけ奮闘できているかは、あとで尋ねないとわからない。
「あっちはあっちで楽しんでるだけだし、むしろ問題はこっちだろ」
 優の視線の先では、友美がベンチに座ってぐったりしていた。
 護衛をつけての外出なんてなれない事をしたから疲れたのだろう。
「あー、感じたくも無いのに歳を感じてしまうわ……」
「そ、そんなことないよ。トモミンは若いから、今日は色々と気を遣わないといけないから疲れたんだよ」
「ふふふ、お世辞はいいのよ。本当に若い子に言われたら、悲しくなるじゃない」
 なんか精神にも余計なダメージが入っているように見える。
 安徳天皇の方を見ると、もうレースゲームは終わったようだ。そして、その勝負の結果は彼女の顔を見ればわかる。どうやら、聖夜と刹那は助っ人としての役割をうまく果たせなかったようだ。だが、戻ってこずにそのまま連れていかれていくところを見ると、仲良くはなれたらしい。
「もー、トモミンしっかりしてよー」
「……なんか飲み物買ってくるよ。トモミンは何がいい?」
 グロッキーの友美の相手をするのは大変そうだったので、二人からオーダーをもらって近くの自販機に向かう。
 小銭あったけかな、なんて考えていた優の横を、小柄な女の子が走り抜けていった。

「見つけた! トモちゃんだ、トモちゃんっ!」

 あれ、と思って優は振り返った。友美をトモミンと呼ぶ人は多いが、トモちゃんなんて呼ぶ人は、今日は出会っていない。とすると、誰か知り合いにでも出会ったのだろうか。
 優の視界に入ったのは、先ほど自分のすぐ横を走り抜けていった女の子が、友美に向かってフライングヘッドパッドを放っている瞬間だった。