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ここはパラ実プリズン~大脱走!!~

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ここはパラ実プリズン~大脱走!!~

リアクション

   9

 日が暮れる頃には、火事は収まりを見せていた。
 避難時の混乱で、転んだり割れたガラスで怪我をした人間が多数いた。また、どさくさ紛れに逃亡を図った受刑者も少なからずおり、看守や職員によって取り押さえられたが、その際に傷を負った者もあった。
 塀の外に作られた臨時の救護所で、ハンス・ティーレマンは、医務室のロビンソン医師と共にそういった怪我人の手当てをしていた。
 患者の一人、スクリミール・ミュルミドーンは、植物を守るため建物外の火を消して回り、熱風を吸い込んでしまった。
「護送車を……」
「分かってる。所長に言って、ちゃんと調べてもらう」
 パートナーのブルタ・バルチャがスクリミールの手を握って答えた。彼女は護送車に何か仕掛けられていないか、この上更に何か起きるのではないかと案じていた。スクリミールは安心したように頷き、ハンスが様子を見に来たのでブルタはその場を離れた。
 ちなみにその後ろでは柳玄 氷藍がまだ気絶したままだ。
「逃亡した受刑者は十名。ウィリアム・ニコルソン、高崎悠司、南鮪、アリア・セレスティ、それから……」
 怪我人の様子を見回りながら、ジュリアは纏に報告をした。
「十名、か」
「それから、外の作業に出た鷹村真一郎、松本可奈両名、受刑者八名と共に戻ってきていません」
 ガシャンと音がして振り返ると、ルカルカ・ルーが真っ青になって立っていた。足元に空になった鍋が転がっている。
「あ……すみません」
 慌てておたまや蓋を拾うが、手が震えている。
 エクス・シュペルティアが苦労して調理したリエーブル・ア・ラ・ロワイヤルは、昼食では臭いと不評であったが、腹を空かせた受刑者たちにとって、今や名前の如く王族のご馳走のようであった。ルカルカは、エクスや紫月 睡蓮の手伝いに走り回っていた。
「大丈夫か、ルカ」
 夏侯 淵が代わりに鍋を持ってやる。彼もまた、一人逃がしたことで落ち込んでいたが、今は素振りすら見せずにパートナーを気遣う。
「うん……大丈夫、真一郎さんのことだもん。きっと大丈夫――大丈夫だから」
「ああ。あの二人がやられたりするものか」
 纏とジュリアは、黙って荒野へと目をやった。
 既に闇が広がっている。街灯のない荒野では、月と星の明かりだけが頼りだ。よもや迷子になることはあるまいが、次第に冷たい風が吹き始めてきた。荒野の野宿は命取りだ。スキルを使えない受刑者を抱えていては尚更だろう。
「念のため、手の空いている者を集めて、捜索隊を。ルーは外せ。私情が挟む」
 纏はこっそりジュリアに指示を与えた。ルカルカは女子受刑者と笑い合いながら、皿洗いをしていた。纏は目を逸らした。
『所長』
 一時間ほどして、モニタールームの世 羅儀が、二人のインカムへと呼びかけた。
『緊箍が十一名分、こちらへ近づいてきます』
「何だって?」
 ジュリアがさっと赤外線スコープを覗き込んだ。何もない。ただ強風によって舞い上がった砂のせいで、視界が茶色かった。――いや、その中に黒い塊が見える。
 やがてその塊が、砂塵の中から抜け出してきた。
「――鷹村です!」
 ジュリアの声に、ルカルカが顔を上げた。肉眼で見えようはずもないが、しかし彼女には分かった。
「真一郎さん!!」
「お、おい、ルカ!!」
 全ての洗い物を放り、ルカルカは走り出した。淵が慌てて追う。
 気持ちほどになかなか進めないのがもどかしい。何度か躓いたが、ルカルカはそれでも走り続けた。
 ルカルカの耳には、真一郎が近づいてくる足音だけが聞こえる。
「真一郎さん!」
 遂にルカルカは地面を蹴って、真一郎に飛びついた。
「ルカ!?」
 砂で目を傷めないよう細めていた真一郎には、その人影がルカルカだと分からなかったらしい。声の主が婚約者だと気づき、目を真ん丸に見開いた。
 抱きつかれ、危うく尻餅をつきそうになるのを辛うじて堪える。
「よかった……真一郎さん、よかった……」
 淵とジュリアが後から追いついてくる。
「――鷹村、それは誰だ?」
 ジュリアが真一郎に背負われた人物に気が付いた。――アリア・セレスティだった。
「色々あって」
「松本殿はどうした?」
 淵は真一郎の後ろに目をやった。パートナーの松本 可奈の姿が見えない。更に、廃墟の片付け作業に出かけた受刑者は八人であるはずなのに、アリアを含め、増えているのはどういうことだろうか。
「色々あって。詳しくは所長に報告します」


 真一郎と可奈は、八名の受刑者を連れて廃墟の片付けに出かけた。昼過ぎのことだ。いつもより人数が少なく、且つ男性のみだったので、見張り役として付き添ったのは二人だけだった。
 作業自体は何の問題もなく進んだ。しかし、しばらくして火事の連絡が無線を通して入った。
 二人は大変驚いたが、受刑者に知られて動揺させるわけにはいかない。ダリル・ガイザックと密に連絡を取りながら、作業を続けることにした。――本当はすぐにでも飛んで帰りたかったんだ、と後に真一郎はルカルカに語った。
 火事が収まるまでは帰れない。騒ぎの中戻っても、混乱を増すだけだからだ。だが、どんなに時間を延ばしても日が暮れかけるまでが精一杯だ。二人はやむなく、帰り支度を始めた。
 その時、ロイ・グラードが遠くに小さな光を見つけた。点いたり消えたりしている。
 短く三回。少し長めに三回。また短く三回。やや間を置いて短く三回……と繰り返している。
「……SOSじゃない?」
 ぽつんと言った可奈本人も、口にしてその意味を初めて理解した。真一郎と顔を見合わせ、受刑者たちを共に走らせた。
 オレンジの受刑者服を着た三人の女性がそこにいた。火事のどさくさに紛れて逃げたはいいが、町への方角が分からず、荒野を彷徨っていたらしい。暗くなるわ寒くなるわで、誰が言い出したなどと責任のなすり合いをし、それから肩を寄せ合い、ふと、ルカルカから貰ったケミカルライトを思い出した。
 一人は既に遊びで使っていたが、まだ二本ある。可能性は低いが、この明かりを見て誰かが来てくれるかもしれない。あわよくばその人物を脅して町まで行き、緊箍も外してもらおうと三人は考えた。
 結果、助けに来たのは真一郎らだったので計画中止になったが、凍死するよりはましと考え、一緒に帰ることにした。
 更にその途中、焚き火らしい明かりを見つけた。これも脱走かもしれないと考えた可奈は、真一郎に受刑者たちを任せ、焚き火の傍まで近寄り、アリアと三人の男たちを発見した。
 ほとんど条件反射で、100tハンマーを振り回していた。男たちは星の彼方にまで飛んで――いくことはなかったが、頭の周りにいくつもの星を見る羽目になった。
「【轟雷閃】を使わなかっただけ、感謝してほしいもんだわ!!」
と可奈は言うが、どちらがマシかは、真一郎には判断がつかなかった。
 もっとも、真一郎とて男たちに同情するつもりはない。出来れば八つ裂きにしてやりたい。
 ぼこぼこにされた三人の男たちを連れて行くことは難しかった。そこで可奈が見張りとして残り、真一郎がアリアを背負って残りの受刑者を連れて戻ることになった。
 真一郎たちの恐ろしさを身に染みて理解した受刑者たちは、素直についてきたのだった。――一人を除き。


「ロイ・グラードか」
 受刑者の点呼を取っていたジュリアがその名を口にした。
 真一郎は苦々しげに頷いた。
「迂闊でした……。俺もカッカしていたので、自分を落ち着かせるのに精一杯で」
「そんな馬鹿な!」
 淵は信じられなかった。ロイ・グラードは、この新棟をなぜかパラ実の寮と信じ込んでいたが、それだけに脱獄など全く考えていない男だった。どさくさ紛れに、騙し討ちのように逃げるなどありえない。
「そうは言っても、な」
 真一郎は自嘲する。油断したのは自分だから、仕方がない。
「真一郎さんの責任に……?」
 ケミカルライトが役に立ったのは嬉しかった。だが、それがなければ女子受刑者を見つけることはなく、そこに行かなければ、アリアたちを見つけることもなかったかもしれない。そして真一郎は可奈と共に帰り、ロイが逃亡することもなかったかもしれない。
 そう考えると、ルカルカはどうしたらいいか分からなかった。
「鷹村に責任はない。責任者はあたしだ。心配するな」
 纏が笑いながら真一郎の肩を拳で軽く叩いた。
「残念ながら、そうなりますね」
と、クレア・シュミットが言った。
「このまま一人でも戻らなければ、相応の処分が下されるでしょう」
「それなら捕まえればすむでしょ」
 暴れ足りなかったのだろう、セレンフィリティ・シャーレット――ちなみに今は、きっちり制服を着込んでいる――がマシンピストルにマガジンをセットしながら言った。今度こそ何か壊すかなとセレアナ・ミアキスは嘆息する。
「ならば、夜が明けるまで猶予を与えよう。それまでに戻ってこなければ……」
「見つけてみせるわ!!」
 セレンのきっぱりとした宣言に、真一郎たちを捜索するために集まったガートルード・ハーレック、八塚 くらら、プラチナム・アイゼンシルトらがおうと応えた。