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リアクション
・午後、海京東地区のロシアンカフェにて
こんなはずじゃなかった。
榊 朝斗(さかき・あさと)は鏡に映った自分の姿を見て、悔恨の情に駆られた。
(……普通にアルバイトだと思ってたけど、まさか……このカフェのマスターとつるんでたなんて)
ルシェン・グライシス(るしぇん・ぐらいしす)から話を聞いてアルバイトにやってきたのはいいが、用意されていたのはメイド服とネコ耳のセットだった。
「ネコ耳メイドあさにゃん」と言えば、不本意ながらシャンバラの一部界隈では高い人気を誇っている……という噂を耳にしたことがある。マジカルver.もあるのだが、どちらにしても好き好んでやっているわけではない。
「なんで海京でメイドにならなきゃいけないのさ!? 普通はウェイターとかでしょ! しかもいつの間にそんなの用意してたのさ!!?」
「いやー、君が来たら是非にと頼まれたものでねぇ。いいじゃないか、よく似合ってるよ。どこからどう見ても、女の子だ」
「ルシェンか……! ほんと勘弁してくださいよ、マスター……」
そうは言っても、マスターは豪快に笑うばかりで、取り合ってくれない。
(あぁ……こんなの知り合いとかに見られたらお終いだ。お願いだから、知ってる人誰も来ないでくれ)
唯一の救いは、カフェの人達の計らいもあって、メイクがばっちりなことだ。ぱっと見ただけでは朝斗だと気付く人は少ないだろう。
堂々と接客をしていれば、切り抜けられるはずだ。
「とはいうものの、やっぱりこの姿は……いらっしゃいませー。ご案内致します♪」
客が来店したとなれば、落ち込んではいられない。ちゃんと職務を全うしようと、身体を動かした。
(ふっふっふっ……密かに練っていたこの計画が実行出来て何よりです!)
朝斗の様子を、ルシェンは客席から眺めていた。
(あの姿になることは嫌がってますけど、きっちりと仕事をする所は、真面目というか律儀というか、まあしっかりしてますね。
さて、マスターからの許可も頂いたことですし、このままのんびりと朝斗のメイド姿を記録しますか)
手荷物からデジタルビデオカメラを取り出し、録画を開始する。
(朝斗の知り合いの何人かにはお知らせしておきましたし、もし来店したらどう反応するか……ふふ、楽しみね!)
興奮を抑えつつ、朝斗の働きっぷりをじっと見つめる。
「おはようございます!」
ちょうど入口には、白金のイコン【ナイチンゲール】のパイロットだったヴェロニカ・シュルツ(べろにか・しゅるつ)の姿があった。
「お、ヴェロニカちゃん。今日はシフト入ってなかったはずだ」
「今月後半のがまだだったので、出しに来ました。
……あれ、何で今日はみんなメイド服なんですか?」
「言ってなかったっけか? 今日は『メイドデー』だ。ちょうど一日体験でアルバイトをするって子がメイド服が似合うもんでな。せっかくだから、イベントにしてみたんだ」
マスターの視線が朝斗へと向いた。
「見ての通り、かなりの逸材だ。このままここで働いてもらえれば、うちとしても助かるくらいだよ」
「ほんと、可愛いし、元気もいいし、同じ女としても羨ましいですよ」
「ははは、ヴェロニカちゃんの等身大の女の子っぽいところも結構評判いいよ?」
「いえ、そんな……」
ヴェロニカが恥ずかしそうに顔を俯かせた。
そこへ、ドリンクをマスターから受け取るため、朝斗が向かう。
「もしよかったら、これからも続けてくれると嬉しいな。なんだかいつもより店の中が賑やかだし、きっとこの店の看板娘になれると思う。ね、マスター」
「はは、違いない。君さえよければいつでも来てくれ」
「あ、ありがとう……ございます」
ルシェンは震えだした。
(いいわ、さすがよあさにゃん! もうこのカフェを掌握してしまうなんて。やっぱり私が見込んだ通りです!)
傍から見れば、客席に座ってメイドを撮影して興奮しているただの変態淑女と化しているわけだが、そんな周囲の目はお構いなしに「あさにゃん観察」を続行する。
「いらっしゃいませー、二名様ですか?」
続いて来店したのは、辻永 翔(つじなが・しょう)、山葉 聡(やまは・さとし)だ。一応、朝斗もパイロット科を本科としているため、二人の顔は知っている。が、特に動じることなく二人を席へと案内した。
「俺はコーラで。翔は?」
「ジンジャエール、お願いします」
「はい、かしこまりました♪」
注文を聞き、カウンターへと足を運ぶ。聡達の会話が、そこまで聞こえてきた。
「……というわけで、翔。作戦会議だ」
「それはいいが、お前単位はもう大丈夫なのか? 確か三科目追試、二科目補習、あとはイコンの実技訓練の追加メニューがあるって聞いてたが」
「追試は今日で全部終わったぜ。ってか翔、お前よく全部一発でパス出来たな」
「別に、必要最低限のことをちゃんとやっておけばいいだけのことだ。それを言うなら、サクラはこれまで全科目で成績上位を維持してるじゃないか」
「そうだけどよ……まあ、確かにこの前やっと正規パイロットに上がれたのもサクラのフォローがあったからで……ってそんなことは今はいい。それよりも重要なことが俺にはある」
「そのために、俺を呼んだんだろ?」
「そう。だけど、今回はただのナンパじゃない。もうすぐ空京万博の運営期間になる。お客さんもそうだが、注目すべきはコンパニオンだ」
「なるほど、可愛いコンパニオンの女の子をナンパした上で、万博も楽しんでしまおう、ということか。だが、ハードルは高いぞ」
「分かってるさ。だから前段階として、『人の目があっても臆することなく堂々とナンパ出来る』ようになる必要がある。そう、例えば――」
「お待たせしました、コーラとジンジャエールになります」
コーラとジンジャエールを二人の前に置くと、聡が朝斗と目を合わせた。
(さっきの会話の流れだと、嫌な予感しかしかない……)
そして、案の定、
「メイドさん、もしかして最近入った? いつも来るんだけど、今日初めて見たから、もしかしてと思ってさ」
と声を掛けてきた。
「終わった後、時間ある? もし良ければ俺が――」
「あら、聡さん。何をしてるんですか?」
殺気。
ちょうど店の入口には、サクラ・アーヴィング(さくら・あーう゛ぃんぐ)とアリサ・ダリン(ありさ・だりん)が立っていた。
「サクラ、これはだな……」
「話は外で聞きます。店の中だと、他のお客様のご迷惑になってしまいますから」
聡の分の支払いを済ませ、サクラが彼の襟首を掴んで出て行った。
「翔、お前からも何とか言ってくれ」
「悪いが、フォローする余地がない。ご愁傷様」
聡と入れ替わる形で、アリサが席に着いた。
「……オレンジジュースを。あと、このプリャーニクを一つ」
「は、はいかしこまりました!」
オーダーを受け、再びカウンターへと戻る。
「羽目を外すのはいいが、ほどほどにしておけ。まだ学院は立て直しの真っ最中なんだからな」
「ああ、分かってる。来月にはアカデミーからの留学生も来るって話だ。あまりみっともないところは見せられないよな」
会話している二人のもとへ、朝斗は注文の品を運んだ。
「オレンジジュースとプリャーニクになります」
そこに、入店のベルが鳴り響いた。
(げ、今度は先生!? というか、何で今日に限ってこんなに人が来るんだよ!)
今度はアルテッツァ・ゾディアックと、ヴェルディー作曲 レクイエムだ。
「い、いらっしゃいませー! 二名様ですね、ご案内致します」
朝斗の姿を見て、アルテッツァがしばし立ち止まる。
「ど、どうなさいましたか?」
「ああ、いえ。教え子が今日ここでアルバイトをしているという話だったのですが……まだいないようですね。君がその子に似ているから、ちょっと驚きましたが、まあさすがに彼がメイド服を着てネコ耳をつけて、何食わぬ顔で接客をしているというのは有り得そうにないですからね。仮にそういう趣味があったとしても、個人の自由だとは思いますが……ね」
これには苦笑せざるを得ない。
「ご注文がお決まりになりましたら、お呼び下さい」
席に案内し、一度スタッフルームまで引っ込む。ちょうど休憩時間になったのがありがたい。
「たまにはこういう店でゆっくりっていうのもいいよね」
高峯 秋とエルノ・リンドホルムもまた、この店で午後のひと時を満喫していた。
「エルが行きたい場所も分かったし、計画も立てないと……どうしたの、エル?」
「さっきのメイドさん、もしかしたらボクと同じで本当は男なんじゃないかって直感的に……ううん、多分気のせいかな」
「エルが言うと、なんだかそうかもしれないって思ってくるよ。だけど、そんなにたくさんいるとは思えないけどなぁ」
「そうだよね。百合園女学院って実は結構いるって噂だけど、やっぱり都市伝説みたいなものだよね」
冗談めかした会話をしながら、計画を練っていった。
(これでよし……と)
休憩を終え、朝斗は店内に戻った。
その直後である。
「たのもー!」
大声を上げて、一人の少女が入店してきた。その後ろには、見知った顔がある。柊 真司とヴェルリア・アルカトルだ。それと、見知らぬ幼女の姿もあった。
「マスター、バケツパフェとバケツプリン、お願い! あとメニューに載ってるデザート、全部!!」
なんというか、無茶な注文をする客だ。
どういういきさつかは察することが出来ないが、この女の子のペースに巻き込まれてしまったらしく、真司の顔には疲れの色が見える。
「あの、すいません……当店ではそのようなメニューは……」
バケツ系スイーツに断りを入れようとすると、マスターの声が飛んできた。
「生憎、今日は見ての通りお客さんが多くてね。一時間くらい待てるっていうなら、用意するよ」
「だってさー、クリスちゃん、待てる?」
「むー、仕方ないのです」
「ってわけで、よろしくマスター!」
マスターもこの少女の扱いに慣れているらしいため、一応常連客ではあるのだろう。
「だけど、あんまり騒がないでくれよ。あと、あの物騒な槍店ん中で振り回したら、出禁にするからそのつもりで」
マスターからの目配せを受け、彼女達を案内しようとする。
「かーわーいー! マスター、この子新入り? 待ってる間ヒマだから借りちゃダメ?」
「――っ!!」
思いっきり青リボンの少女に抱きしめられる。
「うち、そういう店じゃないから。それと、その子は今日限定の一日体験だから」
「ちぇー、ヴェロニカちゃん以来の逸材だと思ったんだけどなあ……」
諦めたようで、朝斗を解放してくれた。
(い、一体なんなんだこの人……)
見た目だけなら紛れもない美少女なのだが、もう色々と残念だ。とりあえず、気を取り直して、席まで誘導する。
「……朝斗、何してるんだ?」
「あ……」
残念系ミニスカ青リボン少女に気をとられていたばかりに、すっかり忘れていた。
「……まあ、お互い大変だな」
「……うん」
特に言葉を交わすことないが、なんとなく察しがついた。向こうもそうなのだろう。
(ふふ、いいものが撮れました)
ここまでの全てを、ルシェンはビデオカメラに収めていた。
なお、いつの間にか彼女の周囲の席はがら空きとなっていた。その理由はもはや説明するまでもないだろう。
「ルシェン、何をしてるのさ?」
「ふふ、あさにゃんの働きっぷりは全て記録させてもらったわ……って朝斗!」
我に返り、朝斗を見遣る。
「ええっ!!」
「大丈夫よ、公開はしないから……今はまだ」
「今はって……未来永劫絶対にしないでよ!」
たとえここで朝斗にカメラを壊されたとしても、既に映像データは自分のPCに転送済みだ。ぬかりはない。
これが、後に海京の都市伝説の一つ「ロシアンカフェの美少女ネコ耳メイド」として語られることになるとは、誰も知る由がなかった。
真実の記録は、ルシェンだけが握っている。