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【蒼空のフロンティア秋祭】秋のSSシナリオ

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【蒼空のフロンティア秋祭】秋のSSシナリオ
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リアクション

■□■2


 ジャタの森。


 落ち葉を踏むと乾いた音がカサカサと響いてくる。
 しかしその下の土や草が優しく支えているせいか、不快な音は谺しない。
 尻尾の色が鮮やかな、朱や蒼の蜻蛉が空に線を引く。
 風がススキの穂を揺らし、同時に白砂 司(しらすな・つかさ)の黒い髪を揺らして通り抜けていった。
 ――風流の秋だ。
 冬の気配はまだ遠く、秋真っ盛りといった森の風景に、静かに司が歩みを止める。
 するとその隣に追いついて、サクラコ・カーディ(さくらこ・かーでぃ)が立ち止まった。
 彼女が青い瞳で見上げながら、耳を揺らす。
 司は釣り道具を持ち直しながら、視線を返した。
「場所を探すか」
「向こうの方から、水の音が響いてきますよ。うん、あそこの魚は、本当に美味しいんです!」
 頷いてからサクラコが、目を伏せ両耳をたてた。
 確かに、耳を澄ませば川のせせらぎが聞こえてくる。
「行くか」
 応えて司が歩き出すと、元気な様子で瞳を輝かせながらサクラコが足を速めた。彼女のすぐそばを、『大型騎狼』――長毛種の狼である『ポチ』が歩いている。サクラコ曰くペットのポチ君であるが、ポチ自身は、司に対してはとことん懐いている一方で、サクラコに対しては肉食獣同士の対抗意識でもあるのかやや反応が冷たい部分もある。ポチのよく手入れされた黒い毛の各所には、白い霜が降っていた。理知的で明晰なポチの性格は、外見内面問わず、司とよく似た怜悧な空気を醸し出しているようである。
 しばらく歩くと二人と一匹は、小川へとたどり着いた。
「わぁ、石……ううん、岩かな。すごく大きいですね!」
 苔が薫る巨石が、支流の先、上流の荘厳な気配を見せている。
 ――過ごしやすくなってきたので、休暇も兼ねて表に出よう。今日こそは政治の話など忘れ、無心に釣り糸を……。
 そんな思いで釣りに繰り出した司だったが、秋特有の澄んだ空気の中に出現した素晴らしい景色に、気がつけば短く息を飲んでいた。人々を魅了するジャタの森の中でも有数の美しい光景が、そこにはあった。
「人気が無いですね。川だからかな?」
 先日、海へと出かけた事があるせいか、サクラコがそう告げた。
 その声に、司が首を振る。大勢での行楽も楽しいが、無心で穏やかな一時を過ごすには、静かな場所も心地良い。
 ――先日は俺の故郷・東京からもさほど遠くない浦賀で地球の鮪を食べたんだったな。
 思い出した司は、そもそも今回の釣りの端緒がサクラコの一言だったことを思い出す。

「そうだ! 釣りに行きましょうよ! またお魚沢山食べましょう」

 その時、日々の喧噪や、頭を悩ませることが多い各種の政治的軋轢などに、肉体的にも精神的にも、わずかに疲労感を覚えていた司は、得た休日をどのように過ごすか思案していたのだったか。休日とは、すなわち自由に使える時間を得たという意味でもあるから、今後のために、今自分にできる下準備などをしておくべきか、鍛錬に時間を費やすべきかなど、根本的に真面目な司は、色々と考え込んでいたものである。
「何をすべきか――やる事は、出来る事はいくらでもあるからな」
「だけど、折角のお休みなんでしょう?」
「だからこそ――」
「だったら、気分転換が一番ですよ。そう、息抜きです」
 相棒であるサクラコは、どこか疲れている様子の司に対して断言した。屈強な司の表情にわずかに浮かんでいたその疲労に気がつくことが出来たのは、つきあいの深いサクラコだからだったのかもしれない。
「そうだ! 釣りに行きましょうよ! またお魚沢山食べましょう」
「釣り……?」
「はい! ジャタの森のとっておきの釣りスポットを紹介しますよ」
 彼女のそんな一声で、司は休日の予定を決定したのだった。

「前回は海の魚だったが、今回は川魚だな」
 確かに自己管理をする上で、気分転換も重要な事だ。
 オンとオフの切り替えは大切だ。
 そう考えながら、澄んだ水面を一瞥した。
「海か川か、それが理由と言うよりも、本当に『とっておき』だからこそ、知る者が少ないんだろう」
 荷物を下ろし、釣りをする場所を確認しながら司が呟く。
 するとサクラコが少しばかり照れたような表情で、誇らしげに頷いた。
 疑似餌や釣り竿を用意しながら、司がサクラコをみる。
「どういう魚が釣れるんだ?」
 元々渓流釣りは地球においても難易度が高い。だが逆にそれすらも釣りの魅力である。とはいえ、初夏から夏にかけてが本場であるとの知識があった司は、糸を垂らすだけでも構わないが――という、太公望じみた考えをいただきながら、聞いてみた。
 釣り人を太公望と呼ぶのは、かの中国奇書の一つである封神演義の道士が考え事をする際、先がまっすぐで釣れない針を、川へと垂らしていた事に関連する。
「ジャタの森のこの場所には、今の季節でも、パラミタ銀鮭や、ヤマメやイワナがいるんですよ」
「パラミタ銀鮭?」
「地球のニジマスと銀鮭のいいとこ取りのお魚ですっ。サーモンです!」
「なるほど、パラミタのトラストサーモンや川魚が捕れるわけだ」
「焼き魚も美味しいんですけどね。それにこの辺りは、本当に水が澄んでるから寄生するような害虫もいなくて、お刺身でも美味しいんですよ」
 司はサクラコの話を聞きながら準備をして、川へと釣り糸を垂らした。
 着水する水音の後、穏やかな空気が訪れる。
 ――何が釣れるのだろうか。
 そして釣った獲物をどうするか。嘆息しながら、司は肩をすくめた。
 彼のそんな姿を見守りつつ、サクラコとポチが遊び始める。
 ほほえましい光景に、わずかに微笑しながら、忘れようと思っていたはずの世情について司は考え始めた。意図するものが思い通りに釣れるわけではない釣りと思索が、どこか似ていたからなのかもしれない。
 ――政治的にも治安的にもまだまだ予断を許さないパラミタ。
 つい考え込んでしまいそうになるのを、首を振って彼は制した。
 ――そんな中でも特に多彩な事件が頻発するジャタの森ではあるが、今日は薬師も用心棒も休暇としよう。
 彼はひんやりとした感触の釣り竿に手を添えて、細く息を吐いた。
 ――騒がしいサクラコからも目を離し、無心に釣り糸を垂らせば、いい気分転換にもなろう。
「ちょっとポチくん!」
 ――サクラコからも目を離し……。
「掴み取りするんだから、水をバシャバシャって騒がせたら駄目だって!」
 ――サクラコからは目を離し……。
「パラミタ銀鮭が逃げちゃいますっ。川からあがってください!」
 ――サクラコからは目を離し……離すんだ。
「水かけちゃいますよ?」
 ――……離せない。
「ええい、うるさいぞっ!」
 思わず竿を片手に、司はサクラコとポチへ、再度顔を向けて声を上げた。
 するとそろってサクラコ達は動きを止める。
 眉を顰めた司が、目を細くする。
「落ち着いて釣りをさせろ!」
 司がそう断言すると、サクラコ達がそろって川からあがりながら、首を縦に振る。
 丁度その時、司の釣り糸に反応があった。
「ん――……っ、お」
 頃合いを見計らい、釣り上げれば、そこには本日一匹目となるイワナの姿があった。
 バケツへとそれを入れながら、司が一人頷く。

 それを契機に、司は上手に魚を釣り始めた。

 見守りながら、サクラコとポチは走り回っている。
 ――暇なので、普段乗せてくれないポチに乗ってみよう。今日こそどっちが上の立場だか知らしめてやりますっ。
 サクラコは、そんな思いで追いかけ回しているのだった。
 ――あんまり騒ぐと司君がまた怒るので、控えめにっ。

 そうしてサクラコとポチが駆け回ってから暫くした頃、バケツいっぱいに川魚を釣った司が、心なしか笑顔を浮かべながら振り返った。
 それまで比較的静かにしていたサクラコに対し、司が考える。
 ――静かにしていれば多芸で有能なのに、天は二物を与えない、ということか。ま、可愛らしい姉貴ではあるがな……。
「終わったんですか?」
「ああ――料理をするには充分な量の魚がそろった。後は……そうだな、名高いジャタ松茸も欲しいところだが、見つけるのは難しいか」
「松茸っ! 食べたいですっ、探しに行きましょう!」
「だがそう簡単に見つかるとは――」
「だからこそです! この休日の思い出に! そして私と司君とポチの、ポチ君の食欲のために!」
 サクラコのその声に、ポチが一鳴きして、鼻を揺らした。
 ――確かにポチの手腕ならば、見つけることも出来るかもしれない。
「分かった、少しだけだからな。見つからなければ、魚と手持ちのジャタカボスやジャタ大根で、作ることにしよう」
 そう決意した司とサクラコ達は、一端釣り用具と魚をその場へと残し、森の奥へと踏み込んでいったのだった。


 その頃、穴場の渓流を下った先、上流も下流もかろうじて見渡すことの出来る三角州のそばの川がうねった場所では。
 佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)佐々木 八雲(ささき・やくも)の手を借りてキャンプ用のテントを設置し終えたところだった。
 まだ午前中、日は高い。
「これで食事も出来るねぇ」
 オールバックの銀髪を揺らしながら弥十郎が、空へ向かって両腕を伸ばした。
 彼は、趣味の薬学研鑚で植物の観察を行うため、ジャタの森へとやってきたのである。
 同時に弥十郎は、その八重歯が愛らしい儚げな容姿が与える様々な印象を払拭してしまうほど、料理の腕も確かだった。何せ、移動屋台『料理☆Sasaki』を不定期営業しているほどの腕前である。
 ――食べるための殺生は容認だが、いたずらな殺生は許さない。
 それが、彼の信条だ。
「午前中は、植物採取と調査をするんだろう?」
 弥十郎の兄である八雲が、テントの四端を地に押さえる釘を確認しながら口にする。
「そうだねぇ。この辺りだと、僕も一度しか見た事のないジャタ松茸などの貴重なキノコや、ジャタの森特有の群生物など、沢山あると思うから。あ――食事用の魚も任せて」
 その声に八雲が、緑色の瞳を向ける。
「釣りは僕が行く」
 八雲その声に、頷きながら弥十郎が肩をすくめた。八雲のそばには、式神の『金の卵』――珠ちゃんが浮かんでいる。
「ついて行くんだねぇ」
 珠ちゃんに対して弥十郎が微笑した。
 ――卵なので割れそうだが、そこは頑張ってついていくようである。なかなかに健気だ。
「まかせたよ」
 そう告げて、弥十郎は一足早く森の奥へと向かい始めた。


「ふむ、誰か来よったな。別方向から、二組じゃのう」
 狐の獣人である伏見 九藍(ふしみ・くらん)が耳を立てる。尻尾が、いつの間にか二本に増えているが、木の上を見上げていたクロス・クロノス(くろす・くろのす)はそれに気がつかなかった。
「あ、あそこにブラックベリーが……え?」
 桑の実へと手を伸ばしていたクロスが、静かに銀色の瞳を向ける。
 二人は、今ジャタの森を存分に楽しんでいた。
 山の幸探しと紅葉狩りのため、両方を同時に楽しめるジャタの森へと二人は訪れたのである。振り返ったクロスは、その時、意図せず枝を踏んで足を取られた。
「わっ」
「危ないのう、足下にも気をつけた方が良い」
「――ありがとうございます」
 体勢を崩しかけたクロスを、九藍が横から手を伸ばし静かに支えた。
 そこには互いに心を許し始めた二人の、仲の良さを感じさせる空気がにじみ出ている。
「ところで、来るって、何がですか?」
「さぁて、観光じゃろうか物見遊山か。森を楽しむ者達じゃろうな。ああ、もう一組」
「さっきのお花屋さんで聴いた人達でしょうか。みんな秋を満喫しに来てるんですね」
「……そうじゃな。元から生息している熊以外は」
「熊?」
「遭遇しなければ良い。暫し来ていぬ間に、住処が変わっていなければクロスは大丈夫だ」
 その声に、綺麗な黒い髪を揺らしながらクロスが顔を上げた。
 手に提げているバスケットの中には、仕切りがいくつかあり、その一角には今し方手に取ったブラックベリーが入れられている。
 隣を普段よりもクロスにあわせて歩幅を小さくゆったりと歩く九藍はといえば、パラミタ椎茸や、ジャタナメコなどが入った籠を下げている。ほかにも地に落ちた栗などを彼は持っていた。
 二人は――一緒に歩きつつ、クロスは紅葉を見ながら木に実がないか探し、九藍は木の実が落ちてたりしないか探しているのである。キノコだけは、今のところ二人がそれぞれ見つけている。このジャタの森で二人は一緒に、栗・胡桃等の木の実や、シイタケ等のキノコ類に似た食べられるパラミタの秋の味覚を探していた。そして何より紅葉狩りをするために、この場へと足を運んだのである。
 枯れる直前の、一時しか見られない鮮やかな赤や黄色の葉が目を引く。
 その中に並ぶ緑も、控えめに咲く花も綺麗だ。
「そうだ、九藍って獣人だからジャタの森出身なんですよね? どこになにがあると分かりますか?」
 再び歩みを再開しながらクロスが問うと、九藍が金色の瞳に僅かばかりの苦笑をのせた。
「先ほども花屋でも言ったがのう……どこになにがあるやら――しかし、クロスは儂の過去を深くは聞こうとせんのう」
「うん? 無理に聞きませんよ? 九藍が話したくなったら話してくれればいいですから」
「後ろめたい過去を持つ悪い奴かもしれんぞ?」
 冗談めかした彼の声に、クロスが真摯な瞳を向ける。
「本当に悪い人なら、目が覚めて回復した時点で私達に何かしてくるか、私がそばに置いていたお金持って消えるているでしょう?」
「それは……まあ、そうだが。もう少し警戒心を持つべきではないか?」
 その声は苦笑の他に、どこか心配混じりの焦燥感がのぞいているようだった。
 なんとなく嬉しい気持ちになりながら、クロスが両頬を持ち上げる。
「九藍がいてくれるんだから、大丈夫です」
 そう告げた彼女は、けれど重くもたれかかるというわけでもなく、一緒にいて心地良い空気を放っていた。そこにあるのは信頼で、決して九藍を縛るような重圧ではない。
 ――だからこそ、心配になるのかもしれない。
 共にいて気が楽だからこそ、ついつい、一つ一つのことに目が向いてしまい声をかけてしまうのだった。だがもっといつでも、肝心なところで頼ってくれて構わないのにと、九藍はきまぐれな性格の中、ふと考える。クロスの明るさと繊細さは、あるいは闇を持ち一人の時間を好む九藍からみても、不安定な砂城のように感じられるのかもしれなかった。普段が明るい分、だからこそ。
「あ、キノコですよ!」
 クロスのその声に、彼は我に返る。
「あっ、あったー。九藍、これって食べられます?」
 朗らかな彼女の声に、それまでの思考が霧散していくのを獣人の彼は自覚した。
 視線を向ければ、クロスの伸ばす美しい手の正面に、二つのキノコがある。
 ――ただ現状だと、毒キノコと食用キノコを判別するために連れてこられた節があるようじゃな。だが、久々にジャタの森の秋の味覚を味わえるので気にせずキノコの選別を行うとするか。
 内心そうひとりごちてから、九藍は肩をすくめた。
「右は微量に毒が含まれるものじゃのう。左手のは地球で言うシメジのようなものじゃから食せる」
「パラミタしめじ?」
「いや――ジャタしめじ、だったか」
「キノコって難しい…。うーん、キノコの選別お任せしていいですか? 私はその辺で木の実を拾ってるので」
「ああ」
 九藍が頷いたため、それ以降キノコの採取は、彼の役目となった。
「お、パラミタマイタケじゃ」


「秋ですし、美味しいものがいっぱいですからねぇ、食欲の秋ですよねぇ」
 茶色いポニーテールを揺らしながら、レティシア・ブルーウォーター(れてぃしあ・ぶるーうぉーたー)がそう口にした。ジャタの森へと足を踏み入れた彼女は、一歩先を進むミスティ・シューティス(みすてぃ・しゅーてぃす)をみる。
「私はまだ芋煮会の鍋というものを食べた事が無いのですが――美味しくて楽しいそうですね。是非参加しないといけないですわね」
 ミスティは話に聞いた『芋煮会』のことを思い浮かべながら、振り返った。
 芋煮会とは地球は日本、東北の風習で、他の地方の豚汁に似たものを鍋で作る行事である。東北地方の小中学校では、年間行事として取り入れているところも多い。具は地域によって異なり、里芋を入れたり、キノコを入れたりと、様々だ。
「親しんだ味、懐かしい味――そういうものは、みんなを元気づけるものですからねぇ」
 レティシアが朗らかに言う。
 だがその声の深い場所には、政変や混乱の絶えないパラミタへの思いや、地球を思う心が感じられた。
「私はレティと一緒に芋煮会を開くのに協力しますね」
 ミスティは短い緑色の髪を揺らしながら、そう告げて静かに瞬いた。
「手伝えることなら色々有りますし、頑張りましょう」
 すると、聞いていたレティシアが、綺麗なまつげの陰を顔に落としながら、唇の端を持ち上げる。
「ありがとうねぇ。きっと――温かい鍋に舌鼓を打てば自然とみんな笑顔になりますよねぇ」
「そうですわね」
「折角の休日だから、あちきは、みんなの笑顔がみたいですねぇ」
 二人のそうしたやりとりが、秋の高い空へと熔けていく。
 それぞれがお洒落には着こなす山歩き用の靴の紐からは、静かに鈴の音が響き、辺りに木霊していた。


「魚の心配はないと思うんだけどねぇ――……」
 ジャタの森の一角で佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)が呟いた。
 彼は、ついつい作業分担をしたというのに、パートナーの進捗度が気になって川へと視線を向けていた。渓流よりも先、滝に似た、川の本当の始まりの場所に近い所での事である。
「一応銀鮭も――」
 ジャタ水芭蕉の観察を終えつつある彼は、【薬学】と【サバイバル】を駆使して慎重に摂取しながら呟いた。
 その時の事である。
「あれ――……ん!」
 弥十郎が視線を向けた小川に、熊が現れたのだった。

「熊……っ、気配がする」

 キノコを摘んでいた伏見 九藍(ふしみ・くらん)が低い声を上げると、クロス・クロノス(くろす・くろのす)が瞠目した。
「そばにいるんですか?」
「ああ、近い。誰かが襲われているようじゃのう」
 クロスを逃す手段を考えながら九藍が腕を組む。
 その時、二人の背後の茂みが動いた。
「待て、サクラコ! 熊の気配がするって言うのに、飛び出すな――!」
 そこへ白砂 司(しらすな・つかさ)の声が響いた。
 それよりも一歩早くサクラコ・カーディ(さくらこ・かーでぃ)が姿を現す。
「あ――あれ?」
 二人の正面、クロスと九藍の間では、ポチが右往左往している。
「――熊と人を間違えたのか?」
 こと緊迫した場面でミスをするとは思えないパートナーに対し、司が視線を向ける。静かにめがねのフレームが揺れた。
「いいえ、熊の気配は消えていませんっ」
 サクラコのその声を聞きながら、警戒した姿勢をときつつ、九藍がクロスへと視線を向けた。
「もっと奥に出たのじゃろう」
「奥?」
 その声を聞いていたサクラコが問うと、九藍が向き直り頷いた。
「ああ。気配は確かに感じる」
「サクラコだけでなく――獣人二人がそういうのならば、間違いがないんだろうな」
 司が頷いた時、奥へと向かってポチが走り出した。
「あ、行っちゃいますよ!」
 クロスがそう述べ、走り出そうとする。その華奢な手首を九藍が握り、ひきとめた。
「待て、どこへ行くのじゃ」
「どこって、助けに行かないと」
「無謀じゃ、熊相手に……」
「だけど、誰かが襲われているんでしょう? それに、いまの仔だって――」
「誰かが襲われている?」
 クロスの声に、司が眼鏡の奥で目に鋭い光を宿す。
「ポチ君のことも助けないと!」
 サクラコが叫んだ。
「助けに行く」
 きっぱりと司が断言すると、サクラコとクロスがほぼ同時に頷いた。
 彼ら三人のその表情に、袖をまくってから九藍が腕を組む。
「闇雲に走ってもどうしようもあるまい」
「だが――」
 冷静な声で言う九藍に対し、司が言葉を飲み込む。普段は冷静な司自身がストッパーをすることも多い。けれど、誰かが動かなければならないこの『今』にあって、司は理性と感情の狭間で逡巡した。
 ――人が熊に向かうことは、確かに危険が伴う。
 そうではあっても、人命の一つの喪失を見過ごすべきなのか。
 当然他者を巻き込みたいわけではなかったし、サクラコの事とて危険に巻き込みたいわけではない。
「私が、道案内をしますっ」
 気配を探りながらサクラコが声を上げる。
「行きましょう」
 クロスが、九藍の腕の袖を引く。そうした二人の様子に、司は信じることにして大きく頷いた。
「行くべきだ」
 そうした三人に対し、九藍が深々と息をついた。
「助力することに異論はない。だが、むざむざと死ぬこともあるまい。――抜け道を知っている。あの熊の住処には心当たりがあるのじゃ」
 彼のその言葉に、司達は目を見開いたのだった。


「流石にこの量は残すねぇ」
 熊に対して呟いた佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)は【適者生存】で追い払おうとしていた。
 適者生存は、自分のほうが食物連鎖における上位存在であると悟らせ、敵の物理攻撃を低下させる術である。パラミタ銀鮭を投げながら、弥十郎は一歩、二歩と後退する。
「くっ」
 爪を振り上げ襲いかかってきたジャタツキノワグマに対し、距離をとりながら彼がうめく。
 丁度その瞬間、右側からも、小熊が現れた。
「っ」
 ――危ない。
 避けようにも、避ければ前方の熊の攻撃が当たる。
 弥十郎が生唾を飲み込んだその時の事だった。
「!」
 大型騎狼が親熊の腕へとかじりつく。そこに出来た間に、弥十郎が後ろへ飛び退くと、今度は小熊が構えた。だが、再度彼が、【適者生存】を駆使すると、小熊は動きを止める。
 どうやら親熊は、まだ若く成長しきっていない自身の仔のために荒ぶっているらしい。
 成長速度で言えばとうに大人といえるのかもしれなかったが、仔は子なのだろう。
「ありがとうねぇ」
 傍らの草の上へと立った大型騎狼――ポチを静かに撫でながら、弥十郎が言う。
 そこへ親熊の叫び声が響き渡り、狂気をにじませた瞳で、爪が襲いかかってきた。
「っ」
 ポチの首に手を伸ばし、かばいながら弥十郎が目をきつく伏せる。

「大丈夫ですか!?」

 そこへサクラコ・カーディ(さくらこ・かーでぃ)が声をかけた。
 目を開いた弥十郎の腕をクロス・クロノス(くろす・くろのす)が支え、立ち上がる手伝いをする。
 彼らの正面では、熊の腕を白砂 司(しらすな・つかさ)が、幻槍モノケロスでおさえていた。
 一方の小熊の動きは伏見 九藍(ふしみ・くらん)が、制している。
「なんとか無事に返せればいいんですけど――うーん」
 戦う用意をしながら、サクラコが目を細める。そしてポチがそのそばへと歩み寄った。彼女はポチの頭をなでる。そんな光景に微笑しながら、クロスが首をかしげた。
「同感です。なんとかこの親子を返せないかなぁ」
「――人を襲った熊を返すのは……」
 九藍が言うと、司が唇をかんだ。
「そうだな……ただ、まだ、人の肉の味を知っている訳じゃない」
 冷静なその声に、九藍が嘆息する。
「互いの血を流すことなく、この場を収集できるものじゃろうか」
「やってみる価値はあります」
 クロスが言うと、サクラコが大きく頷いて、熊に対して身構えた。
 反して、司と九藍は熊から距離をとる。

 その瞬間、あたりに澄んだ鈴の音が響き渡った。

 新たな来訪者かと考え、一同が息を飲む。
 だが反して熊二匹は、硬直した後、森の奥へと走り出した。

「――あれ?」

 その直後現れたレティシア・ブルーウォーター(れてぃしあ・ぶるーうぉーたー)は、皆の様子に首をかしげる。
「どうかしたのですか?」
 レティシアとおそろいの鈴を靴につけたミスティ・シューティス(みすてぃ・しゅーてぃす)が訪ねた。

 元来熊は臆病者なのである。繊細で、人間を襲うような性格はしていないのだ。
 山奥で、鈴の音を聞けば逃げる習性を持っている。
 おそらくこのジャタの森で育った頭の良い熊だったから、地球の熊よりも我に返るのが早かったのだろう。だからこそレティシアとミスティの靴についた鈴の音で、森へと帰る意識を取り戻したのかもしれなかった。

 ともあれ、姿を消した熊に対して、皆は、それぞれ安堵の息をつく。
「助かった」
 呆然としている皆の中で、いち早く司がそう告げた。
「それは良かったねぇ――って、なにが?」
 レティシアが首をひねると、司が苦笑する。
「鈴の音で、熊が帰って行ったんだ」
「すごいですっ」
 サクラコが頷くと、ミスティがあごに手を添える。
「お役に立てたのならばいいですが――そうですね、私たちは今、芋煮会をする場所を探しているので、良かったら皆様最適の場所をご紹介いただけませんか?」
 彼女のその声に、クロスと九藍が顔を見合わせる。
 その横で、弥十郎が声を上げた。
「小川の河原なんてどうかねぇ?」
「いいですねぇ。会場は広場や河原等の広い場所が確保できれば良いと思っていたからねぇ」
 レティシアが頷くと、弥十郎が皆を見渡した。
「河原にキャンプを張っているから、良かったら」
「そこでみんなで芋煮会って事で」
 レティシアが続けると、それぞれが顔を見合わせて頷いたのだった。
 その時、サクラコが一歩後ろへと下がり、ポチへと声をかけた。
「ポチ君もいこう――それに、みなさんも!」
「いいですね」
 同時にクロスも、膝に両手を当ててかがむ。
 ほぼ同時に、クロスは、サクラコの靴のすぐそばにあるキノコへに気がついた。
「あれ? キノコ――あれは、食べられますか?」
 クロスが九藍に訪ねると彼は、短く息を飲んだ。
「ほぅ、松茸か」
「松茸!?」
 その声に、レティシアが声を上げる。ミスティと司もまた視線を向ける正面で、振り返りかがんだサクラコが手を伸ばす。そうした光景とキノコを眺めながら、弥十郎もまた大きく頷いた。
「確かにそれは、ジャタ松茸だねぇ」
 一度実物を見たことがある上、造詣の深い彼の声に、皆が唸ったのだった。


 その頃、河原付近に残っていた佐々木 八雲(ささき・やくも)は、式神の珠ちゃんを一別しながらため息をついていた。
「釣れなかったな……」
 川魚を釣っていた彼は、結局獲物が得られなかったことに、肩を落とす。
 すると丁度正面に、パラミタアケビの姿が見えた。14個程なっていたそれをもぎながら、キャンプへ戻りつつ、八雲は唇をかむ。
「きっと今度こそ」