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アフター・バレンタイン

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第1章 準備しましょ


「よしっ、完成です!」
 高峰 結和(たかみね・ゆうわ)は額の汗を拭うと、満足そうな顔で呟いた。
 目の前のピクニックバスケットには、出来上がったばかりのチョコレート菓子。
 ただし、どれも前衛的な芸術作品のように歪んでいたり、紫色の有り得ない煙を出したりしている。
「ちょっと見た目は悪いですが、味はそこそこです。皆さん喜んでくれるといいですね」
 ぱたりとバスケットを閉じると時計を見る。
「あ、いけない、もうこんな時間ですか!?」
 慌てて結和はバスケットを抱えると走り出した。
 友達がたくさん待つ、パーティーの会場へ。

 どすんっ。

 曲がり角で、誰かにぶつかった。
「あ、わ、ごめんなさい。大丈夫ですか?」
 結和は慌ててぶつかった相手に駆け寄る。
 自分は尻餅をついたが、相手は立ったまま、何処も怪我はないようだ。
「よかった、大丈夫みたいですね。それじゃあ急いでるので、ごめんなさい!」
 ぴょこんと頭を下げると、結和は急いで走り出した。
 慌てていた結和は気づかなかった。
 ぶつかった相手が、灰色だったことに。
 結和のバスケットが、何か灰色なもので覆われていたことに。
 そして走り去った後で、ぱぴゅん! という音が聞こえてきたことも。

   ※※※

「やはりチョコをどーんと使うといったら『チョコレートファウンテン』! これに限りますねっ!」
「わぁ、素敵! 見栄えもいいし、パーティーも盛り上がるわ」
 自信たっぷりなジーナ・フロイライン(じいな・ふろいらいん)の宣言に、看板娘のサニーがぱちぱちと手を叩く。
 雑貨屋『ウェザー』の中庭。
 心地よい太陽の日差しの下、芝生の上にテーブルが並べられ、真ん中に大きな台が用意されている。
 この日、ウェザーで開催されるチョコパーティーとチョコ活用コンテストの準備が着々と進められていた。

「ここは調理が得意なワタシの出番ったら出番なのですよ! ふっふっふ、見ていやがれなのです!」」
 サニーに絶賛され、ジーナは小柄な体で反り返るように胸を張る。
「あ、ああ。調理器具は準備しておいた」
 そんなジーナに笑顔を向ける林田 樹(はやしだ・いつき)だが、その心中は穏やかではない。
(チョコか……)
 ジーナは甘いものが苦手なのだ。
(まあ、耐えられなくなったら退散しよう)
 そんな樹の後ろ向きな決心を余所に、チョコレートファウンテンの準備は着々と進んでいく。
「コストを計算いたしますと、90分の食べ放題で儲けがでることになりますです!」
「ふむ、バカラクリにしてはいい計算してるんじゃない?」
「あ」
 電卓を片手に計算をしているジーン。
 その彼女の電卓を、後ろからひょいと取り上げたのは緒方 章(おがた・あきら)
 そのまま電卓を手に、計算を始める。
「マシュマロなどの乾き物を多めにしてフルーツ類のコストを抑えればもう少しいけそうだけど」
「ムキ! 何を計算し直してやがりますかバカ餅!」
 章から電卓を取り戻そうとするが、電卓持った手を高く上げられ届かない。。
「こら、よこしやがれですー!」
 ぴょんぴょんと飛び上がって叫ぶが届かない。
 そんな騒ぎを余所に、会場の隅っこで体育座りをしている影ひとつ。
 新谷 衛(しんたに・まもる)だ。
「おい魔鎧、お前さんはここで何をやってるんだ?」
「……ぎぶみーちょこれいつ」
「ん?」
 訳が分からないといった様子の樹だったが、衛から話を聞いてなるほどなるほどと頷く。
「つまり、ジーナに友チョコすら貰えず落ち込んでると……」
「そんなにハッキリ言うなぁあああ……」
 泣きながら床にのの字を書き始める衛。
「あー、ほら、ま、そんなこともあるから。ほら、チョコならあそこのチョコファウンテンに突っ込めば浴びるほど飲めるぞ」
「……女の子が渡してくれるチョコがいーのぉおおお! 自分からゲットは風情がないのようおうおう!」
「あー、色々あるんだなあ」
 エコーまでつけて泣き始めた衛をどうしていいのか分からずおろおろする樹。
「……ってくれ」
「へ?」
「慰める為にいっちーのその胸揉ませ……ぐえっ」
「何やってやがるですか! 油断もスキもない!」
 ジーナのキックが衛に炸裂する。
 そんな日常茶飯事の光景を見守りながら、章は樹に声をかけた。
「チョコレートのパーティーか。面白そうだね、樹」
「あ、うんまぁ……」
 複雑そうな表情で樹は頷く。
 婚約者の不安げな表情を見て、章は何かを思いついたようにふふんとと笑った。

「ナッツにマシュマロ、グミにバナナ、苺に味噌に豆腐に納豆……」
「うわあすごい! どんどん材料が揃ってきたね!」
 チョコレートコンテストのための材料を揃えているのはテテ・マリクル(てて・まりくる)眠 美影(ねむり・みかげ)
 美影のチョコレートが食べたいテテと、テテに喜んでもらいたい美影。
 二人の思惑が一致し、揃って元気に準備を進めている。
 一部、チョコの材料とは思えないものも混じっているのはご愛嬌……なのだろうか。
「じゃあ、美影、あとはコンテストで!」
「うん。テテや皆に楽しんでもらえるようにがんばるよ!」
 テテに笑顔を向けられ、美影の顔もぱあっと輝く。

 美影たちのように料理の準備をしているコンテスト参加者が、もう一人。
 秋月 桃花(あきづき・とうか)の手には、大量のタッパーが抱えられていた。
「せっかくの機会ですから、お肉は前日から下ごしらえをしてきました」
「こ……これで下ごしらえなんだぁ。もう今の時点でおいしそうなんだけど」
 ほわあと口を開ける芦原 郁乃(あはら・いくの)を見て、桃花はくすりと微笑む。
「チョコレートもお料理によって複数用意しました。素材とチョコ、どちらも生かしたいですからね」
「うわあ、チョコ以外にもスパイスや見たこともない素材まで……にしても桃花」
「なんですか?」
「私が勝手にコンテスト登録しちゃったんだけど、ノリノリだよね」
「そ、そんなことありませんよ」
 郁乃の言葉に顔を赤らめる桃花。
「照れなくってもいいのに。私は桃花の料理、とっても楽しみにしてるよ。それに」
 郁乃は恋人の前に立つと、顔を見上げた。
「桃花の料理の腕を皆に自慢するのも、ね」

 チョコレートを料理以外で活用しようとしている参加者もいる。
「ちょっと待って! ええ待って。セレン、あなた一体何しようとしているの?」
「え、何ってこのナイスバディにチョコをペインティングしようかと……」
 セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)の腕を掴んで引き留めているのはパートナーのセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)
 メタリックブルーのビキニでわずかに包んだ妖艶なセレンフィリティのボディ。
 彼女はその上に溶かしたチョコを今にも垂らそうとしていた。
「いいから止めなさい!」
「だって……」
「ほら、『あれ』の仲間だと思われたいの?」
 セレアナが指差した先。
 そこにいたのは、自分型チョコケーキ作りに勤しむ変熊 仮面(へんくま・かめん)だった。

「くくく……最高級のチョコに、最高に美しい俺様の造形……優勝は間違いないので、あらかじめ等身大に作っておくのだ!」
 謎の自信に満ち溢れた変熊は、自分に似せたチョコケーキの股間に顔を寄せ、最後の仕上げをしている所だった。
「素晴らしい、実に素晴らしい。ああ全ての人に知らしめてやりたい。最初は柔らかかったコレが、どんどん固くなっていくところを!」(注:チョコレートです)
 造形が完成したケーキをオーブンに入れる変熊。
「ほうら、大きくなっていくだろう? 中にはとろりとした濃いアレが……」(注:チョコレートです)

「ごめん。私、どうかしてた」
「気づいてくれてよかった……」
 オーブンを前にして静かに笑う変熊を見て、セレンフィリティは急に真顔になってセレアナに告げる。
「そしたら、料理を作ろうかな」
「え」
「メキシコ料理なんてどうだろう。よく使われるチョコレートソース『モレ』を使って……」
「え、あ、うん、それは……」
 楽しげに料理の案を語るセレンフィリティの隣で、何故かセレアナは青ざめていた。

 変熊の影響は、別の所にも出ていた。
「えっと、ワタシは別に仲間ってわけじゃないもん……」
 変熊の隣で萎縮しながら、それでも一人もくもくと人型のチョコを作っているのはノーン・クリスタリア(のーん・くりすたりあ)
 友人の金元ななな型のチョコを作成しようとパーツを揃えている所だ。
 机の上には参考にしている「なななのフィギュア」が置いてある。
「なんだろう……なんだろう。ワタシは、純粋にチョコを作りたかっただけなんだもん。なのにこの言いようのない肩身の狭さは……」
 隣りから聞こえる「ヒャッフーほうら大きくなっただろう」という声や、人型ということでライバル視されているのだろうか時折感じる挑戦的な変熊の視線。
 それらを全て一身に受け、ノーンはうううと両手に顔を埋めるのだった。
「ノーンちゃん?」
 そんなノーンの耳に、聞き覚えのある声。
「あっ、オルベールちゃん! オルベールちゃんも、コンテストなの?」
「ノーンちゃんも? そっか、一緒にがんばろうね!」
「うんっ」
 思わぬところで出会った友人の激励。
 ノーンはよしっと腕まくりをして、再びチョコ細工に取り掛かった。

「うわ、あれは部長!? えー、もしかして部長もコンテストに参加するの?」
 変熊の天然セクハラにもめげずチョコを作成していた美影は、ある人影を見つけて思わず物陰に隠れた。
 美影が見つけたのは佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)とその兄の佐々木 八雲(ささき・やくも)
 佐々木はチョコレートを湯煎で溶かすと何か入れているようだった。
「や、やっぱり何か作ってるー! うう、あたしなんか勝ち目はないかも……いいえ、やらなきゃ。テテのためにやってやるわ!」
 テテに自分の等身大チョコを食べてもらうために……という本心はさすがに声には出さなかった。

 当の佐々木 弥十郎は、紙に書いたレシピらしきものを見ながら真剣な表情で材料を配合していた。
「はちみつにウォッカ、グリセリンに……」
 やがて出来上がったものにキッチンペーパーを漬すと、八雲の顔にぺたり。
「ん。これは粘りが強すぎるな。もっと水分が必要だ」
「そうか、まだまだだねぇ」
 八雲の言葉にのんびりと頷く弥十郎。
 どうやら、料理以外のものを作っているらしい。
「ところで、兄さん」
「ん、何だ?」
「実験台、結構楽しんでる?」
 弟の言葉に、真面目くさった表情がほぐれる。
「あぁ、当たり前だ。こういうのはお前の役目だが、やるからにはちゃんとやる」
「らしいねぇ」
 くすりと、二人から微笑がこぼれた。

 食べ物以外のものを作っている参加者は、他にもいた。
「やー、クラリンおひさ〜♪」
「おーアスカさん、ちーす……って何だよクラリンって」
 準備に走り回っていた、ウェザー三人姉弟のひとりクラウドに声をかけたのは師王 アスカ(しおう・あすか)
 先日色々あって、クラウドは彼女たちに恩があるのだ。
「まぁまぁ。クラリンよかったら手伝ってくれないかなぁ」
「だからクラリンて何だよ……ってゆーか何だ? 俺審査員だからあまり手を貸すわけにはいかないぜ?」
 アスカの前にはたっぷりとした白色の布と、包装紙。
 それが彼女の手によって次々と裁断され、縫い合わされ、ドレスのような形状になってゆく。
「チョコ、恋人、とくれば結婚よねぇ。チョコを活用して甘〜いウェディングドレスを作るのよぉ」
「へえ、面白いな」
「そして、ベルはモデルなのよ」
 アスカのパートナー、オルベール・ルシフェリア(おるべーる・るしふぇりあ)はポーズを決める。
 まだ試着前のシンプルなドレスを身につけているだけなのに、その姿はどこか妖艶だ。
「できたら、花婿役がいると助かるんだけど……」
「ちょうどよかった、クラリンどうかなぁ?」
「いやだから俺審査員だし」
「協力してくれた方にはお礼として、ほっぺに甘ーいキスをサービスするわ☆」
「……よろしくお願いします」
「こら兄さん。審査員はどうすんだ」
 即座に折れた兄を見て、同じく準備をしていた弟のレインが声をかける。
「いーんじゃね? 他にも審査員はいるし」
 クラウドが指差した先には、テテ・マリクルとアゾート・ワルプルギス。
 テテは最初から審査員を希望していたが、アゾートは当初はコンテスト参加希望。
 最終的に良い案が浮かばず、結局審査員に引きずり込まれたのだ。
「いいんじゃない? 4人もいれば十分でしょ?」
「まぁ、姉さんがそう言うなら」
 姉のサニーの言葉に不承不承頷くレイン。
「せっかくだからタキシードを用意しましょうか。たしか納戸に古いのがあったはずよ」
「おっけー。んじゃ、俺頑張ってくるぜー」
 尻尾を振らんばかりにオルベールたちの後について行くクラウド。
「クラウドもお婿に行く時がくるのねぇ」
 何故か間違った方向で嬉しそうにクラウドを見送るサニーだった。

「はふぅ、いいですねえ……大量のチョコ」
 サニーに声をかけたのは、ユーリ・ユリン(ゆーり・ゆりん)同人誌『石化の書』(どうじんし・せきかのしょ)
「全部……いや、半分でもいいので私に譲ってください!」
「いやせっちゃんさすがにそれはダメでしょー」
「いいわよ」
「そうですよね……ってえぇっ、いいんですか?」
「特別サービスで、半額でいかがかしら?」
 一瞬輝いた石化の書の前に、電卓がつきつけられた。
 半額とはいえ、あれだけの量のチョコレート。
 そこに並んだ数字は、お安くはない。
「……すみません」
 電卓を見て、ユーリを見て、頭を下げる石化の書。
「あぁっ、せっちゃん待ってよー。一緒にコンテストに出るんじゃなかったのー?」
 すごすごと帰ろうとする石化の書を、慌てて追いかけるユーリだった。