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リアクション
2
「待ってくださいぃー、貴方は俺の運命の人ですーっ」
レキ・フォートアウフ(れき・ふぉーとあうふ)の傍らを、誰かが駆け抜けて行った。
声からして男性だとは思うが、それ以上確かめる気もせずにレキは軽くため息をついた。
「カムイ、今ので何人目?」
「さあ」
カムイ・マギ(かむい・まぎ)もまた、あまり興味がないようだ。今の誰かが巻き起こした風に乱れた長い髪をかきあげ、肩をすくめる。
「何が起ってるのか知りませんが、皆さん情熱的ですね」
そうだねぇ、と苦笑しているレキに目をやり、軽く首を傾げる。
「レキは、影響はないんですか。ボクが運命の相手に見えたりしてませんか?」
「……ごめん、ぜんぜん」
何がごめんなのか、カムイはちょっと不思議に思ったが、口にはしなかった。
まるで本当に古代パラミタに迷い込んだかのような街の様子を見回す。明確な記憶がある訳ではないが、さっきまでの街の風景よりずっと、カムイの感覚に馴染むように感じる。
真っ直ぐに続く道の先に、街の門が見えてくる。
「よし、今度こそ門だわ」
レキがぐっと拳を握りしめて言った。
「三度目の正直……」
この門をくぐるのはこれで三度目だ。
一度目は、一歩踏み出した瞬間、街に一歩踏み入ったところだった。
混乱する気持ちを抑えて振り返り、二度目に挑戦すると……そこはトイレだった。
男子用の。
「見えなかったのが、不幸中の幸いでしたね」
カムイが抑揚のない声で言った。
もちろん、妙なものは何も見なかった。肝心な部分がドアを入ったところから丸見えになるような構造のトイレなど、ありえない。
しかし、そこで用を足していた妙齢の男性が泣きながら走り去ったときは、ものすごく複雑な気分だった。
レキはごくりと唾を飲み込み、覚悟を決めて言った。
「……行くわよ、慎重にね」
二人で並んで、一歩、二歩。
「あれ?」
予想はしていたが、やはり街の外には出られない。
しかし、少なくともそこは男子トイレではなく、これと言っておかしいところもない街角だった。
石畳に、階段。街灯がひとつ。
その下に、女の子が一人ぼんやりと立っている。
その服装と頭部のヘッドコンデンサで、機晶姫とわかった。
「どうしたんだろ、彼女も迷ってるのかな」
「あ……やめた方がいいですよ」
声を掛けようとするレキをカムイがそっと止めた。
さっきも一度不用意に声をかけて、運命の相手との間を引き裂こうとしているとか決めつけられて猛反撃を受けたのだ。
今は他人には構わない方がいいとカムイは思っていた。
しかし、レキは違った。
「でも……やっぱり、放っておけないよ」
そう言って彼女に駆け寄って行くレキを、カムイは慌てて追った。
「どうしたの、迷子?」
外見的にはレキと同じくらいに見える少女に向かって掛ける言葉ではないのだが、思わずそんなふうに言ってしまったのは、彼女がどこか心許な気に見えたからだ。
空を漂っていた七宝細工のような瞳が、ようやくレキの視線を捉える。
そして、細い声で言った。
「”彼”を、探しているの」
言わんこっちゃない、という顔でレキを庇うように一歩踏み出すカムイを、レキはそっと手で制した。
「はぐれたの? あなたの恋人?」
「コイビト……」
少女は感情のこもらない声で繰り返し、ふと目を伏せる。
「コイビトたちに、愛と、夢を……」
この街の案内パンフレットにも載っている、聖ホフマンの言葉だ。
「……ならば、ワタシの愛は、夢は、どこに?」
感情の希薄な、虚ろな声だ。
「……レキ、やっぱり関わらない方がいいです。様子が変ですよ」
「でも……」
今まで街で会ったおかしな人たちは、皆、楽しそうだったのだ。楽しすぎてリミッターが外れている様子ではあったが、こんなふうに悲しそうな人にはまだ出会っていない。
「ねえ、その人に会いたいの? 一緒に探してあげようか?」
「……レキ」
諌めるようにカムイが遮ったとき、少女はまたふわりと目を開いて二人を見た。
「”彼”のために、作ったの。ここでは誰もが愛に満ちて、幸福なの。なのに、”彼”がいない。ワタシにだけ、愛がない……」
二人は思わず顔を見合わせた。
「まさか……」
この子が、この異変の当事者なのだろうか。
「待って、ねえ……あなたは……」
そう言って近寄ろうとしたレキを拒絶するように、彼女は僅かに身を引いて両手で顔を覆った。
そして……
「”彼”がいない! ”彼”がいない! ”彼”がいない!!」
「きゃっ」
悲鳴のような叫びが、レキの鼓膜を打った。思わず両耳を抑えて目をつぶる。
次に目を開いた時、そこには誰もいなかった。
「どういうことでしょう……まさか本当に彼女が、この異変を?」
カムイの言葉に、レキはきゅっと胸の前で拳を握りしめる。
あの、悲痛な叫び声が耳から離れない。
「カムイ……探そう、あの子を」
「でも……どうやって?」
「……もふもふ」
「もふもふ?」
カムイは、思わずレキを見た。
いない。
「もふもふっ」
声の方を振り返る。
「ち、ちょっと、あんた……」
今そこの酒場風の建物から出て来たらしい女性、セフィー・グローリィア(せふぃー・ぐろーりぃあ)が纏った白い毛皮の外套に、レキが顔を埋めてしがみついていた。
「……れ、レキ、何をしてるんですか!」
「あああ、この触り心地。もふもふは世界の宝だぁ」
たった今までとは別人のようにデレデレだ。そして、階段の上という大変問題のある場所で、更に大変な行動に出た。
「ああもう、苦しゅうない近う寄れ〜」
「あっ、こら、引っ張るな……っ、うおっ」
外套”だけ”しか目に入っていないらしいレキの求愛行動によって、外套にくっついていたセフィーの体が思いっきり階段の方へ……。
それは柔術の投げ技を掛けられたも同然だった。
さしもの歴戦の戦士であるセフィーも、予想外の場所で予想外の相手に予想外の理由で掛けられた技に、ひとたまりもなく空に身を躍らせることになった。
「あ、ああっ、レキっ」
慌てて駆け寄ったカムイの手が、辛うじてレキの襟首を掴む。しかし、レキの体も当然のようにセフィーとともに空にある。踏ん張ろうとしたカムイの足元を、何かか攫った。
「え……っ?」
「おわっっ、すまんっ」
「……オルフィナっ!」
耳元と、どこか遠くから、また別の聞き覚えのない声がした。
ぐるりと一回転した目の前の景色が、視界の中で不自然に歪んで……暗転した。
このとき何が起こっていたのかを辛うじて知り得たのは、たまたま遅れて建物から出て来たエリザベータ・ブリュメール(えりざべーた・ぶりゅめーる)だけだった。
それでも、ほとんど団子のようになった四人が階段から落ちて行った後、何があったのかは見ることができなかった。
慌てて階段の上に駆け寄った時には、そこには今の騒ぎの痕跡すら残ってはいなかった。
「セフィー、オルフィナ!?」
ただエリザベータが二人を呼ぶ声が、誰もいない階段に空しく響き渡るだけだった。
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