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リアクション
4
……自分はどこか鈍いのだろうか?
永遠の愛を誓うと言って聞かない何人目かの男性(何故、男性?)に何度目かの丁重なお断りをして、彩里 秘色(あやさと・ひそく)は物憂げにため息をつく。
そんな疑問が頭をよぎるほど、秘色にとってこの異変は理解不能だった。
理性らしい理性の残っていない者、まともに見えて会話が噛み合ない者、いきなり告白してくる者……皆、口々に愛を語る。
……愛。
観光客はもとより、街の住人と思しき人々も例外ではなかった。異変の情報を集めようと先刻から歩き回っていたが、誰もが愛に忙しく、なかなか会話が成り立たない。
どの程度信じていいのかはわからないが、とりあえず手に入れた情報はふたつ。
「地下の古代のシステム」と「謎の機晶姫」……どちらも、パートナーの木賊 練(とくさ・ねり)が大喜びで飛びつきそうな話だ。
秘色はもう一度小さくため息をついて、踵を返した。
あまり練と離れない方がいい。どうやら空間が歪んでいるようだから、はぐれたら危険だ。
幸い、彼女の姿は先刻と同じところにあった。
「もう大丈夫、これできっといいことあるよ!」
道端にしゃがみ込み、恋しい人に去られて絶望に沈んでいた消火栓に語りかけている。どうやら修理は終わったらしい。
「失恋は女を綺麗にするんだよ。貴方、こんなに素敵なフォルムしてるんだし、めげないで新しい愛をみつけなきゃ!」
……消火栓殿は女性なのでしょうか?
些細な疑問を感じながら、おもむろに手を伸ばして練の襟首を引っ掴む。
「……さ、木賊殿。お済みになったのなら、先に進みましょう」
声をかけて、半分力ずくでひっぺがして。
「気になる話を聞いてきました」
「何?」
恋の語らいを邪魔されたような不満の表情に、秘色は胸の奥に奇妙な痛みを感じる。
が、深くは考えないことにして、練を立ち上がらせて続けた。
「この街の地下には、古代の大掛かりな管理システムがあるようです」
練の瞳がキラリと輝く。すっかり古代風になって機械類が見当たらないことを嘆いていた練にとって、こんな朗報はないだろう。
「もちろん、今は壊れていますが……」
「壊れた、システム!」
練は更に頬を紅潮させ、モンキーレンチを握り直した。
「そ、それはぜひお付き合い(メンテナンス)したいっ」
ガッツポーズで身を乗り出す練に笑顔を向けて、秘色は頷いた。
「では、神殿を目指しましょう。以前はあそこがシステムの中心であったそうですから」
「オッケー! ああ、腕が鳴る……胸がときめく!」
……やはり、私はどこか鈍いのでしょうか。
木賊殿もまた「愛」に浮かされている。では、何も感じていない私は、一体。
力強く歩き出す練の後を追いながら、秘色は表情を曇らせる。
もうひとつわからないことがあった。
……私はどうして、機晶姫のことを木賊殿に言わないのでしょう?
知れば、きっと喜ぶのに。
とても。
……可愛い機晶姫さんでもいたら、絶対交際(メンテナンス)を申し込むのに!
つい先刻、練が目をキラキラさせて叫んだ言葉が蘇る。
また、胸の奥が微かに疼いた。
月崎 羽純(つきざき・はすみ)はその頃、「謎の機晶姫」と対峙していた。
彼はそのとき、実は少しばかり焦っていたのだ。
最初におかしいと気づいたのは、もちろん周囲の様子だ。
次に、周囲の人々の様子。
その次が遠野 歌菜(とおの・かな)の様子だったのか、自分の精神状態だったのかが、はっきりしない。
ただ、街の様子を調査する為に並んで歩いていた歌菜が、ふいに指を絡めてきたとき、二人ともどこかがおかしかったのは間違いない。
羽純と歌菜は、れっきとした恋愛を経て結婚したれっきとした夫婦だ。今更手をつないだくらいでドギマギする間柄ではない……筈なのだが、こればかりは個人差というものがある。人前でいきなりスキンシップを求める歌菜ではない。
そして、本来なら訝しく思う筈の歌菜の手を握り返し、あまつさえ無意識に引き寄せて、その手の甲にそっと唇を押しあて……我に返った。
ハッとして歌菜を見ると、真っ赤な顔をして羽純を見つめていた。
それからは、ちょっとした天国と地獄の合わせ技だった。
探索しようにも、やたらと歌菜がひっついて来る。手を握るなんていうのはまさに序の口で、そのうち、本当にぴったりひっついたまま離れなくなった。
……さっさと迷宮から脱出して、歌菜を元に戻すぞ。
歌菜の体の感触、それに、顔にはりついて離れない歌菜の視線。
……理性が保たん。
そんな状態で、彼女と遭遇したのだ。
……うわーん、恥ずかしいぃぃぃ!
羽純の腕にしがみつくように腕を絡めて、歌菜は心の中で叫んだ。
……離れなきゃ……けど、離れたくないよぉ。
視線も羽純の横顔に吸い付いたように離れない。
……だって……だって、羽純くん、綺麗なんだもん。
いつも綺麗だけど、もっと綺麗に見える。もったいなくて、一瞬だって目を離したくない。
恥ずかしくて、楽しくて、幸せで、恥ずかしくて、嬉しくて……もう頭の中がメチャクチャだ。
そんな風だったから、羽純が誰かと対峙していることにもしばらく気がつかなかった。
気がついてすぐは、羽純が女の子と話していることに苛立ちをおぼえた。
ようやく、意識の中のささやかな理性を総動員して、それがこの状況を作り出している何者かなのかもしれない、と理解する。
そして、羽純の「サイコメトリ」が発動した。
神殿の階段を上り、白いスーツを纏った銀の髪の機晶姫が、静かに祭壇の前に立つ。
恋人たちが……或いは恋を求める人たちが訪れ、彼女の紡ぐ愛と夢に胸をときめかせ、華やぐ心の波動に満ちていた場所。
どういう訳か、彼女にはそれが遠い昔の事のように思えた。
彼女はゆっくりと室内を見渡し……その人影に気づく。
巡礼者でしょうか、青年が一人、祭壇の傍らの暗がりにひっそりと佇んでいる。
機晶姫は、涼やかな声で歌うように訊いた。
「……私はオランピア。この神殿で愛と夢を司る者。貴方の願いは?」
その青年は振り返り、どこか懐かしい微笑みを彼女に向ける。
「私には、願いなど、何も。
……ただ……こんなふうに、皆がいつまでも愛に満ちて生きていられたら、と」
はっと我に返って、歌菜はもう一度羽純にしがみついた。
その手の上に、羽純の手がそっと重ねられた。
「……大丈夫だ」
優しい声がして、手のひらにぎゅっと力が入る。
……羽純くん、どうして、こんなに優しいんだろう。
そう思って、歌菜はやっと自分が泣いていることに気づいた。
縋り付くように、羽純の肩に顔を埋めたが、羽純は拒絶しなかった。
胸の中に、オランピアという少女の思いが残ったまま、なかなか消えない。
それは、繰り返しつぶやいていた。
彼に会いたい。
ワタシも、愛を知りたい……と。
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