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【一 衣と住、そして食】

 ヒラニプラ東北部に位置する、機晶鉱山モルベディ。
 その裾野の一角に、機晶石採掘と加工を主な産業とする鉱山町ソレムが、堅牢な城塞を幾つも備えて鎮座している。
 従来であればひとびとが平和な日々を送る静かな町であったが、今このソレムは、銃撃音と爆炎が響き渡る血生臭い市街戦の舞台へと変貌していた。
 住民の大半が、表情を失った能面のような顔つきで最新鋭の銃火器を携行し、シャンバラ教導団の駐屯部隊やまともな意識を保っている数少ない住民に対して、苛烈な攻撃を仕掛けているのである。
 突如破壊活動に従事するようになった武装住民達は、不思議なことに、お互いを攻撃することはなかった。
 敵味方を識別する何らかの判断が働いているのは間違い無かったが、それが一体どのような仕組みで作用しているのかは、まだ現時点では誰にも分からない。
 尤も、襲われた側にしてみればそのようなことはどうでも良く、如何にして己の身を守るかで精一杯であったのだが――。

     * * *

 休暇を利用してソレムを訪れていたエリュシオンの上流貴族アレディード家の令嬢フェンデス・アレディードとその家臣団は、ソレムで突如巻き起こった破壊の嵐から逃れる為、レオン・ダンドリオン(れおん・たんどりおん)中尉率いる警護部隊による護衛のもと、町のほぼ中央に位置する大講堂へと避難していた。
 大講堂はもともとが城塞として設計されて竣工した為、その防御力はソレムの中でも突出しているといって良い。
 如何に住民の大半が一斉に押し寄せようとも、そうそう簡単に陥落することはないだろう。
 しかし、問題は防御力以外の面にあった。
 この大講堂内には管理人用の小さな居室がひと間用意されている以外は、基本的に生活空間は確保されていない。その為、糧食や飲料水の備蓄などごく僅かであり、数十人規模で籠城する人員すべての空腹や喉の渇きを充足させるには、各人が持参した食材や料理に全てを委ねる必要があった。
 一応、教団一般兵を含む正式な警護部隊員達は、簡易レーションを常備している。
 だがその量は決して多いとはいえず、また上流貴族であるフェンデスに、味と質の面に於いては宮廷料理とは程遠い品質の簡易レーションを、緊急とはいえ、そのまま提供するというのは礼に失するとも思われ、レオンとしてもどうして良いものかと頭を悩まさざるを得なかった。
 ところが、そんなレオンに救いの手が差し伸べられようとしていた。
「……なんでここに、ガスコンロがあるんだ?」
 大講堂一階の個室から湯の沸く音が鳴り響いているのに気付いたレオンがひょいと顔を覗かせると、大きな木製テーブル上に据えられたアタッシュケースの一部に薬缶が乗せられ、注ぎ口からしゅうしゅうと湯気が沸き上がっていた。
 レオンが疑問を口にしたのも尤もな話で、そのアタッシュケースの一部、即ち薬缶を据え置いている部分はコンロ状になっており、中火で薬缶を沸かしているのである。
「あ、レオン中尉。丁度お湯が2リットル程、沸いたところです。すぐに保温容器に移しますので、少々お待ちを」
 応じたのは、一条 アリーセ(いちじょう・ありーせ)であった。
 そして一部ガスコンロと化しているアタッシュケースの正体はというと、後でアリーセがレオンに紹介したところによれば、機晶姫のリリ マル(りり・まる)、ということであった。
「先程、フェンデス嬢の侍女の方から、茶器一式と紅茶葉を頂いておりますので、皆様にひと息ついて頂ける準備を進めているところです」
「それは助かるな……けどまさか、ガスコンロっぽい機晶姫とはね……いや、ガスコンロ機能付きのアタッシュケースっていえば良いのかな」
 レオンは尚も面喰った様子で、リリマルの幾何学的な雰囲気を漂わせるボディを凝視していた。
「食器の数は少ないので、回し飲みとなりますがご了承ください、であります」
「……おまけに、普通に喋るのか。なんてシュールな」
 尚も不思議そうにぶつぶついいながら、レオンは個室を後にしていった。
 ちなみに薬缶内の水は、アリーセの氷術で生成した純氷を溶かしたものを使っているとの由。大講堂内の水道は上水道から直接引いているのではない為に、飲用には適していなかったのだ。
 ともあれ、アリーセとリリマルの沸かした湯はすぐに保温容器に移され、空いた薬缶ですぐに次なる湯を沸かす準備が進められる。
 茶器一式で紅茶を注ぐのは、朝倉 千歳(あさくら・ちとせ)イルマ・レスト(いるま・れすと)の役目であった。
 アリーセの湯沸しに目ざとく気づいたイルマが千歳の袖を引き、フェンデス一行に紅茶を配って廻る役目を自ら任じて申し出てきたのである。
 千歳とイルマもレオン同様、ガスコンロの登場にはいささか驚いた様子を見せていたが、そこはそれ、幾つもの修羅場を潜り抜けてきているコントラクターである。
 戸惑いの表情を浮かべていたのもほんの数瞬のみであり、後はもういつも通りのペースで紅茶の準備を進めるようになっていた。
「それにしても……あゆみ様はどうしてすぐに、肉まんをご用意なさらないのでしょうか?」
 幾分、棘を含んだ硬い声音で、イルマが不満を口にした。
 これに対し千歳は、よく分からないといった調子で小さくかぶりを振る。
「さぁな。あゆみさんにはあゆみさんの考えがあるんだろうさ。とりあえず、こっちで出来ることから、先に進めておこう」
「……然様でございますわね」
 眉間に軽く皺を寄せつつ、イルマは千歳の言葉に従う。
 千歳は、僅かに湯が残った保温容器をアリーセに手渡しながら、リリマルの金属質なボディにふと視線を落とした。
「檀を取るのにも、使えそうだな」
「えぇ。ある程度のお湯を確保したら、フェンデス様に暖まって頂こうかと」
 アリーセのこの応えに対し、千歳ではなくイルマが、物凄く微妙な表情を浮かべた。
「……ガスコンロで暖を取る貴族の令嬢、ですか」
 正直なところ、他人にはおおっぴらに見せて欲しくはないシチュエーションであった。

 イルマが千歳に不満を述べていた肉まんの件について、月美 あゆみ(つきみ・あゆみ)にはある一定の考えがあった。
 相変わらずの肉まん好きで、今回の警護部隊へのボランティア参加の際にも、あゆみとひっつきむし おなもみ(ひっつきむし・おなもみ)の両名は、半ばピクニック気分でそこそこの数の肉まんを持参していた。
 しかし流石に、この場に居る全員に行き渡る程の数は持ってきておらず、今、この場で一部の人員に対してだけ肉まんを供するというようなことをすれば、必ず不公平が生じる為、おいそれと肉まんの存在を公に出来ないという事情があゆみを悩ませていた。
 一方、おなもみの方はというと、肉まん以外にもそれなりの量の食材を持参してきていた。
 その為、後でアリーセに頼んでリリマルのガスコンロ機能を拝借しようと考えてはいるのだが、イルマの仏頂面が怖くて、すぐにはあの個室に足を運べないという状況だった。
「うーん……やっぱりこの量だと、全員分に回そうと思ったら、二回か三回が限度かなぁ」
 おなもみが、食材の詰まったクーラーボックス内をそっと覗き込みながら、小さく唸った。
 すると横からあゆみが、珍しく真剣な面持ちで口を挟んでくる。
「おなもみ、分かってるよね?」
「あー、うん、はいはい。大丈夫大丈夫、そんなこと、おくびにも出さないから」
 あゆみがいわんとしている内容――即ち、持参食糧が決して多くはないという事実を、フェンデス側に知られてはならないということを、おなもみは重々承知している。
 例え己が道化役を演じることになっても良いから、とにかくこの場は明るい雰囲気の維持と、希望を持ち続ける精神的なスタミナを維持させることに腐心する両名であった。
 と、そこへ。
「大丈夫ですよ、おふた方。心配せずとも、そう何日もこんなところに籠城することにはなりませんから」
 不意にルース・マキャフリー(るーす・まきゃふりー)大尉がふたりの背後からそっと声をかけてきたものだから、あゆみとおなもみは心臓が止まりそうになる程に仰天した。
 今の会話を聞かれてのルースの発言であることは、もう間違いない。
 それだけに、自分達の意図をどう上手く説明しようかと咄嗟に悩んだあゆみとおなもみであったが、しかし当のルースは然程気にした様子も無く、にこにこと笑って掌を左右に振るのみであった。
「あぁ、お気になさらず。他の方々には喋りませんから。それに今もいいましたように、教導団本隊の方でもソレムの状況は把握しているでしょうから、数時間以内には救助が来る筈です」
 だから、食事などせいぜい一回か二回もあれば十分だ、というのである。
 ルースの説明には、十分な説得力があった。
 レオン率いる警護部隊が同伴している以上、教導団が事態を全く把握していない筈など無い。
 突然、町の住民が武装テロ化した原因は今もって謎だが、少なくとも、この大講堂内に何日も放置されるような心配は考えなくて良い、というのがルースの言葉であった。
「う〜ん……ま、普通に考えれば、そうだよね。ちょっと変に考え過ぎだったかな」
 肉まんを空腹に対する最後の切り札に――と考えていたあゆみの発想も、もっと切羽詰まった極限状態であれば功を奏したかも知れないが、今の段階では変に思い詰める材料にしかならないのである。
 そう考えると、イルマが不平たらたらに文句を口にしていたのも、頷けるというものであった。
「しかし食糧問題はこれで解決したとして……少し、気になることもあるんですよねぇ」
「……と、いうと?」
 あゆみの合いの手を受けて、ルースはぼりぼりと頭を掻いてから、若干声を潜めて続けた。
「何故フェンデス嬢は、このソレムの観光なんて考えたんでしょうね? 年頃の御令嬢なら、もっと華やかな街並みを見て廻りたい、と考えるものだと思うんですが」
 ましてや、歴史的な建造物という観点でいえば、エリュシオンにもそれなりの数の遺跡や古い建物が揃っている筈であろう。
 なのに何故わざわざこのシャンバラに足を運んでまで、古い町並みを見学する必要があったのか。
 そこが、ルースにはよく分からなかった。
「まぁ……後で侍女の方にでも、それとなくお話を伺ってみましょうかね」
 だが今は、フェンデス達の守りを固める方が先決である。事情聴取も勿論だが、今のルースにはやるべきことがまだまだ沢山、残されていた。

 ただ守りを固めるばかりが、籠城側の仕事の全てではない。
 例えばヴァイス・アイトラー(う゛ぁいす・あいとらー)アルバ・ヴィクティム(あるば・う゛ぃくてぃむ)のように、大講堂に逃げ込むまでの間に負傷した者への肉体的・精神的なケアを担当する存在も、必要不可欠であった。
 負傷者は全て銃創や火傷を負っているという状況であり、目下のところは止血と化膿対策が主な医療行為を占めていた。
「流石に教導団……衛生兵の用意している医療用具ってのは、見た目のショボさとは違って、随分と内容が充実してるもんなんだな」
 専門的な医療技術を身につけている衛生兵の仕事ぶりを観察しながら、ヴァイスは大したもんだと秘かに溜息をつく思いだった。
 ヴァイス自身も医学の素養はある方で、衛生兵の手の回らない部分をサポートしてはいるが、専門性という観点から見れば、矢張り若干の遅れを取るのは仕方のないところであろう。
 ただ、アルバのナノマシン状態での体内検査を拒否されたのが、不満といえば不満であった。
 しかし普通に考えれば、教導団の衛生兵とは何の関係も無い上に、どこの馬の骨とも知れぬアルバがいきなり肉体内に侵入するなどということになれば、人間の心理として拒絶するのは当然の感情だろう。
 ヴァイスには精神的なケアをしてやりたいという発想もあり、そういう部分は決して悪くは無かったが、相手の心情を考慮に入れられなかったのは、まだまだ経験が浅いといわざるを得なかった。
「しかし、外部の状況がよく分からないってのも、困った話だな」
 衛生兵の手伝いをしていたのは、ヴァイスばかりではない。
 ボランティアで警護部隊に随行していた柊 恭也(ひいらぎ・きょうや)も大講堂内に駆け込んできており、少しでも役に立てればという思いで、医療行為に手を貸していたのである。
 最初のうちは衛生兵の矢継ぎ早に飛んでくる指示に対応するだけで必死だったが、ある程度状況が落ち着いてくると、ソレムの外側に対して意識を向けるだけの余裕が出てきた。
 その上での、先の発言である。
 手近に居たシャンバラ教導団の一般兵に尋ねてみたところ、無線連絡が一切、取れなくなっているらしい。
 通信機器には異常が無いことから、妨害電波のようなものが散布されている可能性が高いという。
 その為、ソレムの町で一体何が起きているのか、具体的な情報はまだ何ひとつ、大講堂内には伝わってきていないのが現状であった。
「生憎、この大講堂には医薬品その他の類は、置いていないようだ」
 ヴァイスや恭也と同じく、ボランティアで警護部隊に参戦していたコア・ハーティオン(こあ・はーてぃおん)が、申し訳無さそうな所作で、のっそりと金属的な輝きを見せる巨躯を現した。
 肩口にちょこんと座るラブ・リトル(らぶ・りとる)などは、ソレムの観光案内パンフレットをじっと覗き込んでおり、近場に医療関係の施設が無いかを探していたのだが、残念ながらこの大講堂周辺には、それらしいものは何ひとつ見つけることが出来なかった。
「でもさぁ〜、ほんと、一体何なんだろうね? いきなり町の住民が武器持ち出して攻撃なんて、ちょっと普通じゃないよね。きっとアレだわ。あたしが余りにも魅力的過ぎて、町の皆がまともな思考力を失って……」
 ラブ・リトルの台詞はそれ以降、誰の耳に届いていない。
 本人は、全員が己の持論に聞き入っていると確信しているようであったが。
 それはともかく、現時点に於ける医療行為は大方収束してきており、今以上の医療用具や薬品が必要だという話ではない。
 町の住民は大講堂を包囲し、四方八方から銃撃を加えてきてはいるものの、いずれも威嚇射撃ばかりであり、本格的に踏み込んで来ようという気配は、現時点では皆無であった。
 但し、だからといってこの大講堂から一歩でも飛び出せば、その瞬間に蜂の巣にされるのは、もう目に見えている。
 警護部隊としては、現状を維持しつつ、救助が来るのを待つしかなかった。
「せめて、何でも良いから情報が入ってきてくれれば、心理的にももっと楽になるんだが」
「何も分からないまま、ただ待ち続けるというのも、結構苦痛なものだな」
 恭也とコア・ハーティオンのぼやきに近いやり取りを、ヴァイスはぼんやりとした意識の中で聞いていた。
 尤も、この状況では情報が入手出来たからといって、すぐに何かの動きが取れるとも思えなかったが。