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【六 DSRV第二便】

 ノイシュヴァンシュタインとヴェルサイユの前に現れた、海図に載っていない謎の島の正体が、シベルファーの渡り島であろうという情報は、まだ両艦のクルーやコントラクター達には伝わっていない。
 ただ兎に角も、海図とは異なる状況が目の前に現出しているということだけを念頭に置いて、バッキンガムに対する行動を起こさざるを得なかった。
 DSRVの第一便は、辛うじて救出班のコントラクターをバッキンガム艦内に送り込むことに成功した。
 だが接艦の際、バッキンガムは二発の魚雷と海中に射出した映像体での攻撃でDSRVの接近を阻もうとしていた。
 この第一便については、ノイシュヴァンシュタインからのアスロック射出と、ヴェルサイユからの援護でDSRVに対する攻撃を全てかわし切り、DSRV内のコントラクター達をバッキンガム艦内へ潜入させることに成功した。
 そして第二便のメンバー達は、DSRVがのノイシュヴァンシュタインの専用艦内ドックにて、現在の厳しい状況を知りつつも、DSRVへの搭乗を急いでいた。
「とうとう……潜水艦同士の戦闘が実際に……行われた、という訳、ですね」
 酷く顔色の悪い沙 鈴(しゃ・りん)中尉が、今にも嘔吐しそうな顔つきで、それでも何とか耐えながら、口元を押さえつつDSRV内へと乗り込んでゆく。
 そのすぐ後に、シリウス・バイナリスタ(しりうす・ばいなりすた)サビク・オルタナティヴ(さびく・おるたなてぃぶ)、或いは九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず) といった面々が、鈴の真っ青な顔を心配しながら続いた。
 流石に見ていられないと感じたのか、座席に腰を下ろした鈴に、ジェライザ・ローズが声をかけた。
「こう見えても私は医者でね。良かったら、酔い止めの処方をして進ぜようか?」
「あぁいえ……いつものことですので、どうぞお構いなく」
 内心で申し訳ないと平謝りしつつ、鈴はやんわりとジェライザ・ローズの申し出を断った。
 正直なところ、その辺の酔い止め程度で何とかなるような体質ではなく、もうほとんど持病に近かった。
 恐らくここでジェライザ・ローズが何らかの処置を施したところで、これといった改善は見られなかっただろうというのが、鈴の見立てであった。
 そんな鈴の心境など知ってか知らずか、シリウスが困った様子で座席後方からひょっこり顔を覗かせてきて、更なる助言を送った。
「いや、あのさぁ……目の前でゲロゲロされて、あの酸っぱい臭いを艇内に充満させられても、それはそれで困るんだよな。悪いこたぁいわねぇから、酔い止め貰っておけよ」
 シリウスの台詞は鈴の体調を慮っているようにも聞こえるが、要は苦情である。
 これには鈴も返す言葉が無かった為、止む無くジェライザ・ローズの処方を受けることにした。
 ところが意外にも、ジェライザ・ローズが処方した酔い止めは予想外の効果を発揮し、鈴は本人が思った以上に回復してきたのである。
 これには鈴本人が、一番驚いた。
「いや……これは驚きました。まさか、こんな短時間で船酔いが改善されるとは……恐れ入りました」
「ははは……まぁ、これでも一応、医者だからね」
 ところが、それから数分後には再び、鈴が真っ青な顔になってグロッキー状態に陥った。
 ジェライザ・ローズが処方した酔い止め薬は、ほんの一時的な効果しか発揮しなかったようである。
 鈴は筋金入りの船酔い体質なのだろうが、医者としてのジェライザ・ローズが受けた衝撃も、結構なダメージであったらしい。
「あ〜……九条先生、そんなに気落ちしなさんなって」
「んだんだ。駄目な時は誰が何したって駄目なんだよ、きっと。んなことより、バッキンガムに乗り込んだ後の行動について、色々と計画を練らなきゃね」
 シリウスに続いてサビクが放った台詞は慰めというよりも、どうでも良いことに神経を使うなという警鐘に近かったかも知れなかったが、本人には全く、そんなつもりはなかったかも知れない。
「で、シリウスは今回、オーガストヴィーナスを直接叩く方針なんだよね。でも中央管制システムと事実上、がっちゃんこしてるんだけど、それはどうするのさ?」
「そこなんだよ、問題は。動力と頭脳が一緒になってて、そこにオーガストヴィーナスまでくっつけるなんざ正気の沙汰じゃないな。誰だよ、こんなシステム考えやがったのは」
 ぶつくさと文句を垂れているシリウスの隣で、ジェライザ・ローズが気を取り直し、ソリッドステート・スカウターの調整に手を付け始めていた。
「それは、一体何をする為のものなんだ?」
「どういう存在であれ、敵を攻撃する能力があるということは、戦闘力がある、ということだ。だから、こいつで敵の接近を感知出来ないか、と思ってね」
 ジェライザ・ローズの説明に、シリウスとサビクは成る程と感心し切っていた。
 こういう発想が出来るのも、ジェライザ・ローズがかつてオブジェクティブと相まみえた経験を持っているからであろう。

 DSRV第二便の別の座席では、セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)が愛用の二丁拳銃を入念にチェックしている。
 セレンフィリティもオーガストヴィーナスの無力化の為に動こうとしているひとりであったが、予備機晶エンジンと直結している上に、中央管制システムとも事実上一体化している物理構造に、頭を悩ませていた。
「あんな厄介なもんを作ったのは、どこの馬鹿チンかしら? 一発、ぶん殴ってやりたいわ」
「設計段階からの総責任者は、ケーランス総督のウィシャワー中将だそうよ、セレン」
 セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)が囁いた情報に対しては、セレンフィリティは敢えて聞こえないふりをしていた。
 流石にウィシャワー中将程の人物を、本当に殴る訳にはいかないだろう。
 セレンフィリティは話題を変えてセレアナの何ともいえない笑みから逃れようとしたが、その時ふと思い当たることがあって、急に真剣な表情を浮かべた。
「そういえばセレアナ……バッキンガムの艦内って、例のオブジェクティブなんたらが支配してるんだったわよね……それってもしかして、以前遭遇した、現実世界に仮想空間を構築する、あの訳の分からないシステムが動いてるって可能性はないかしら?」
「えぇっと、確か……フィクショナル・リバース、だったわよね。でもそれだと、前回DSRVで脱出することが出来た理由が、分からないんじゃない? フィクショナル・リバースって、結界障壁を破壊しなければ仮想空間から抜け出せなかったと記憶してるから、何の障害も無しにDSRVに乗り込めたのは、ちょっと違う気がするんだけど」
「そりゃまぁ、そういう矛盾点はあるかも知れないけど……大体オブジェクティブなんたらって連中はこっちの常識が通用しないんだから、その辺も結構、曖昧なんじゃない?」
 フィクショナル・リバースの線を捨てきれないセレンフィリティの理論は、いささか強引に過ぎるようにも感じられる。
 だが実際、オブジェクティブと呼ばれた怪物達は本当に常識が通用しなかった。
 そういう意味では、セレンフィリティの言葉は決して強弁とはいえないのだから恐ろしい話である。
「あんた達も、オブジェクティブ相手となると色々、思うところがあるようだな」
 不意に紫月 唯斗(しづき・ゆいと)が、横から口を挟んできた。
 唯斗自身も、対オブジェクティブ戦では数々の辛酸を舐めさせられてきたひとりであったが、最終的には勝利を収め、もう二度と遭遇することはないだろうと思っていた。
 ところが今回、まさかのオブジェクティブ・エクステンションの登場である。
 唯斗でなくとも、因縁めいたものを感じずにはいられなかっただろう。
「それにしてもオーガストヴィーナスの配置が、本当に厄介ですよね。あれを破壊、もしくは無力化したいと考えているひとは大勢居るようですが、機晶エンジンとの接続を解除した上で、中央管制システムとの接続を断たないといけないというのは、至難の業かも知れません」
 それまで黙って座席に腰を下ろしていたザカコ・グーメル(ざかこ・ぐーめる)が、やや疲れたような表情で深い吐息を漏らした。
 オーガストヴィーナスを直接狙うという選択は、方法論さえしっかり確立出来ていれば、最も有効な手段であったろう。
 しかし現実には、バッキンガム内での行動に於いては何よりも難しい行動となってしまっている。
 魚雷発射管やスクリューシャフトなどは比較的成果が出易いだろうが、予備機晶エンジンと直結しているシステム基板を攻撃するというのは、余程の知恵と技量がなければ、まず不可能であろう。
「それを何とかするのがコントラクターたる所以なんでしょうけど……今回ばかりはお手上げかも知れません。少なくとも、自分ひとりではまず、無理ですね」
「そういえば、ギーラス中佐から中央管制システムへのアクセスキーは聞き出せたんですか?」
 唯斗の問いに、ザカコは至極残念そうな様子でかぶりを振った。
「教導団の機密に関する事項だから、他校の者にはおいそれとは開示出来ないとのことでした。バッキンガム専用のアクセスキーであろうとも、他の潜水艦の中央管制システムを危険に晒すことになるから、通常の教導団員ですら、簡単には知り得ることは出来ないといわれました」
 ギーラス中佐がザカコの要請を拒否した経緯は、セレンフィリティとセレアナの両名にもよく理解出来た。
 幾ら協力を要請した側であるとはいえ、機密は機密であり、それはまた別次元の話である。
 尤も、今回のバッキンガム突入組に参加している一部の教導団所属コントラクターには、アクセスキーが開示されているとのことであった。
 矢張り事態が事態であるだけに、全くの完全秘匿という訳にはいかなかったのだろう。
 但し、誰がそのアクセスキーを知っているのかについては、ザカコには明かされていない。
 もし必要となれば、ギーラス中佐から情報を託された教導団員がその場で、そして即座に対応に当たる筈であろうし、また、そうするべきでもあった。
「あー……あたし達じゃないよ。あたし達はなんだかんだいって、まだ教導団内では大した権力なんて持っちゃいないんだから」
「いや、大丈夫だ……彼とても、そこまで期待はしてないと思う」
 慌てて両手を振るセレンフィリティに、唯斗が幾分、呆れた様子で小さくひとりごちた。
 セレンフィリティの耳に届いていたら、艇内はちょっとした阿鼻叫喚地獄になったかも知れないが、幸い彼女の鼓膜には、DSRVが艇内全体に響かせているエンジン音が邪魔になって、結局届いていなかった。