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 四章 その手が掴むもの

「何処へ行く」
 駈け出そうとするリィをアクリトが止める。それを振り払って進もうとするが、リィの力では腕は動かない。
「離してください! エイラが!」
「お前の足では間に合わんと言っている。何処にも行けず、全てが終わった後にたどり着くつもりか」
「っ……なら、どうしたらいいというのですか!」
「出番かの」
 くぁ、とあくびを噛み殺しながらアーデルハイトが現れる。アクリトが肩をすくめてリィを留めていた手を放した。アーデルハイトは手にしていた箒をぐるりと回して腰かけると、それはぶわりと力を得て浮き上がった。
「乗るのじゃ。場所は探せ。私も探すが、私はエイラではなく、エイラの相手をしている輩に用があるのでのう」
「はっ、はい!」
 箒に座り、アーデルハイトにしがみつくリィ。アクリトはといえば、先ほどエイラと実験を繰り返していた機器を放電装置に組み込み、何事か準備をしていた。
「小僧、どうする気じゃ」
「生徒の手助けを」
「……武闘派でない小僧が行っても物の役に立たないのじゃ」
「非戦闘員よりは戦える。私とて、昔ほど非情というわけではない」
「はっ。お前の面倒までは見ないのじゃ。きっちりと役割をこなすがよい」
 愉快そうにアーデルハイトが笑う。箒が高度を上げる。アクリトはそれを真顔で頷いて見送った。
「無論」
「アクリト様、ご無事で!」
「行け」
 アクリトの声を待たず、どう、と魔法の箒が加速する。それは瞬く間に樹海を抜け、立ち込める紫色の霧に紛れて見えなくなった。アクリトがぐっと拳を握るとばちり、と青白い閃光が立つ。若干緑色の輝きが見え、すぐに消えた。
「……核がなければさしたる威力は出ないか。しかし、実戦試験が出来るのは今だけだろう。やれやれ」
 アクリトは肩を回し、こちらへ走る足音と、それを追う重い響きに向けて駈け出した。



 樹海には不似合いなエンジン音が響く。銀色のボディに青のライン。唸りを上げるマシンに跨っているのは仮面ツァンダーソークー1、こと風森 巽(かぜもり・たつみ)だった。
「樹海の神秘というヤツか? 全く、世の中には知らないことが多すぎる」
 ごう、とのたうつ樹の根を回避して、マシンはさらに奥へと突っ込んでいく。一度調査班の元に戻った折、巽は沼地にて大型の泥の獣から欠片を得たことを聞いていた。ざわつく森の様子から、何かが相次いで目覚めつつあるのを感じ取っていた。それが恐らく、例の石に起因するであろうことも。
「まぁ、ややこしい事件に巻き込まれてる側からすれば楽しめる状況じゃないんだろうけども、さ」
 アクセルをまた吹かす。俄かに立ち込め始めた霧をライトで照らす。身に着けた指輪がじりじりと反応している所を見ると、濃密な瘴気が何かと結びついて固着したものらしかった。予測が正しいことを半ば確信し、慎重に木々を避けてハンドルを切った時、急に視界が開けた。グリップを確認しながら慎重に断続ブレーキで減速する。ごぼり、という不穏な音が度々響くその沼地は、スーツを着込んでいなければ口元を覆いたくなるほどの瘴気で満たされていた。沼の中央には、そびえ立つ巨大な石があった。菫色の輝きに明滅するそれは、どう控えめに見ても突き立つ岩石ほどの大きさがあった。
「お宝発見、というよりこれは、大当たりを通り過ぎたものを見つけちまったみたいだね」
 どうやって運び出そうか、ということを考えていると、沼に通じるどこからか話し声が聞こえてくる。
「恐ろしい濃さになっているのだ。水源が近いのだよ」
 程なくして巽の視界にリリ・スノーウォーカー(りり・すのーうぉーかー)、そしてララ・サーズデイ(らら・さーずでい)が入ってくる。目標の大きさを見て唖然とするところまでは、巽と同じ対応だった。やがて二人が巽に気付き、巽が手を挙げる。
「や、リリさんにララさん。どうするね、あれ」
「どうするも何も、斬り出すしかないのだよ」
「そうなるね――ッ!?」
 巽が応じて沼に飛び込むかどうか話そうという時、信じられない速度でこちらに突っ込んでくる気配があった。鋼が撃ち合う音が響く。ぎゃり、と金属が上げる悲鳴と火花が巽達の真上で散り、空中でその影は二つに分かれた。じゃあっと湿った地面を抉りながら着地したのは、息を切らせたエイラだった。
「エイラ!」
「巽さん!? リリさんにララさんも!」
「んー、流石に全員は足止めしきれなかったわね」
 沼の中央、そびえ立つ巨大な腐障石の上で、大鎌を携えた女が笑みを絶やさぬまま言う。その声に巽がマシンを降り、ララが槍を構える。
「あれは?」
「……『寄生種』です」
 絞り出すようにエイラが応える。その言葉に、女がにやにやと笑いながら岩の上に立ち、おもむろにローブの胸元を明かした。胸に輝く、紫色の結晶。それは色こそ違えど、エイラと同じものだった。
「そう。呪具と融合して、人間を辞めてまで戦おうとした、結界師の末路。あなたと同じ、ね」
「黙って!」
「つらいの? それとも怖いの? 人間ではなくなって、また暴れることが? ……ああ」
 合点がいったように女が笑う。
「化物を見る目で、皆に見られるのが怖いのね。失うのが怖いのね。安心しなさい。そうでなくても、すぐに貴女は自分で」
「黙れぇええええええ!」
 ずん、と不確かな足場を吹き飛ばしてエイラが跳ぶ。明らかに人間のそれを上回り、契約者のそれにまで至ろうという勢いに、ララ達が目を見開く。だが、怒りに任せた弾丸のような一撃は、容易に大鎌の一撃で弾き飛ばされる。
「ぎゃんっ!?」
「エイラ! 下がるのだよ!」
 毬のように地を跳ね、受け身を取り損なって転がるエイラを庇うようにララが立ち、リリがエイラを助け起こす。
「それはちょっと困るわね。少し、遊んでいて貰わないと……」
 ずくん、と女が立っていた石が鼓動を打つ。いや、その石を核として、沼が鼓動を打ち始める。ずずず、と沈み込むそこに、渦を巻くように沼の泥が集まっていく。
「――さっきから好き勝手、人の仲間をいいように言ってくれていたようだが」
 巽が構えを解き、女をひたと見据える。
「彼女が何であれ、俺達がエイラへの接し方を変えることはない。俺達は、俺達自身が踏み越えるべきものを踏み越えてここにいる。安い挑発はやめてもらおうか」
 ララが一歩進んで頷く。
「君が何者かは知らないが、自分の物差しでしか人を計らない君の言葉は空虚だ。連ねても意味がないものもある」
 リリは無言でエイラを起こし、彼女を背で庇った。その姿を見て、眩しそうに女が目を細める。「そう、そうね」という呟きは、誰の耳に入ったろうか。ごぼり、という沼のうごめきにかき消されてそれは霧の向こうに消えた。
「貴方たちの選択はそうかもしれない。でも、そこの女の子は、まだ直視することからすら逃げているのよ。貴方たちの思いすら裏切って、逃げ出すかもしれない」
「それもいいさ」
 姿を為しつつある泥に向かって巽が構える。はっとしてエイラが巽の方を向いた。
「誰もが一人で戦えるほど強くはない。だからヒーローがいるんだ! 一人で戦えない時、共に在るために。勇気を貰って、勇気を返すために!」
 リリが魔力の集中を始める。女が目を瞑り、そして開いた。泥が姿を為す。ぶわりと表面の泥を弾き飛ばし、翼が広がる。紫に輝く刃の角を持つ、巨大な竜。紫色の炎のような目が開かれ、角の上に立っていた女が跳びあがった。ぶわりと霧を纏い、俄かにその存在が希薄になる。
「なら、見せてみなさい!」
「望むところなのだよ!」
 竜が咆える。飛び立とうとするその刹那にララの呪文が完成する。
「静止せよ! 黙して語らず、坐して祈らず、眠りの冬を招け!」
 ざあ、と水面が凍りつく。飛び立とうとした竜が足を取られ、がくんと体制を崩した。凍った水面を滑るように走り、ララと巽が左右から竜に襲い掛かる。巽が竜の膝を蹴り砕き、三角跳びの要領でさらに竜の顎を狙う。
「ツァンダー閃光キック!」
 ずばん! と竜の顎が跳ね上がる。そこへ、背部のブースターを吹かしてララが槍を突きこもうと構えた。ぞわり、とララの首に寒気が走る。
「死神のお迎え、よ」
 霧から出現した女が背後に回っていた。命を刈り取る大鎌が振りぬかれる寸前、弾丸のような一撃が死角から飛び込んできた。すんでのところで回転した鎌がそれを弾く。氷の上を滑りながら歯を食いしばり、エイラが女を睨みつけた。
「させ、ません!」
「いい目になったじゃない!」
 反撃とばかりに突きかかるララの一撃を再び女は霧に溶けて躱す。女を探すララの眼と、紫色の炎の眼が合う。ララ全力でブースターを吹かし、その場から退避した時、密度が高くなりすぎ、真っ黒になったブレスが吐き出された。
「リリさん! 避けろ!」
 巽が叫ぶ。だが、リリはあえて動かず、詠唱を完成させた。
「黒薔薇の魔導師、リリ・スノーウォーカーの名において命じる。来たれ! ロードニオン・ヒュパスピスタイ(薔薇の盾騎士団)よッ!」
 ぶうん、と出現した魔方陣から盾を構えた鋼鉄の兵士たちが立ち上がる。漆黒のブレスをその身に受け、じゅう、と盾が融けていく。かなりの数を失いながらも、無傷のままリリは立っていた。
「行けっ!」
 湧き出す鋼鉄の兵士たちが足を固定された竜に群がっていく。爪と翼に弾き飛ばされながら、兵士たちは竜の刃の角を目指した。だが、動きを止めてもそこへ至ることはできない。膠着状態へ陥った時、空から高笑いが聞こえてきた。
「こぉんなこともあろうかとっ! 颯爽登場なのじゃ!」
「エイラっ!」
 ララと切り結んでいた女が目を見開く。やってきたリィにではなく、アーデルハイトの姿に。高度を落とし、リィが先に地上に降りる。アーデルハイトは再び高度を取り、ララに追撃を加えようとする女の鼻先を高速で通過した。
 息も荒く膝をつきそうなエイラをリィが助け起こす。
「無茶はしないって言ったじゃない!」
「ごめん、なさい……でも、今は!」
「ふん、言い訳は後にするのじゃ。ララよ、リリと巽を助けてやれい。泥の竜は二人では荷が重い」
「わかった」
 転進するララを女はあえて追わなかった。アーデルハイトが眉を吊り上げて女を見る。
「小娘が尊大になったものじゃ」
「あら、大ババ様はお変わりなく」
「たわけ。お前と会った頃はまだせいぜい小ババ様よ」
「あら、ババは否定しないの?」
「ふん。腹立たしいがな、五千年は永いのじゃ!」
 アーデルハイトが魔力の塊を圧縮し、撃ち出す。鎌でそれを両断し、回転する刃があっさりとアーデルハイトの首を両断した。
「!?」
 ぽん、と音を立ててアーデルハイトが小人のような姿になり、二人に増える。
「のじゃっ」
 ぽん、ぽんとそれは数を増し、女の周囲を埋め尽くす。幻術で視界を奪われたと悟った時、背後でうっそりとした声がした。
「幻術はお前の専売特許ではないわ。落ちよ」
 どおん! と特大の衝撃が背中を襲い、女が凍った湖面に向けて落ちていくだが、寸前で女はその方向を変え、滑るようにリィを目指した。振るわれた紫の大鎌と、展開された緑の盾がぶつかる。閃光。だが、直ぐに盾に亀裂が入り、拮抗する間もなく押し込まれていく。
「……っ」
「貴女はまだなのね」
 その短い交差の中で、女はしげしげとリィを見る。怪訝そうな顔をしたリィの目の前で、ふっと女が笑った。
「大事になさい。仲間も、家族も」
 ばきん、と盾が砕けて爆ぜる。鎌が振りぬかれるよりもずっと早く、背後に回ったエイラの人たちが、背中から核を貫いていた。



 竜の刃の角が抜け落ち、残された巨体が融けて骨だけを残す。泥が広がる氷の上で、鎌の柄を抱えて女が座り込んでいた。貫かれた核は小さく明滅を繰り返し、最期が近いことを示している。ララ達もまた、その場に居合わせていた。
「……いい一突きだったわ。もう、迷いはないのね」
 エイラは実喰を手にしたまま立っている。呪具による致死の一撃を核に入れた。分断の一撃は確実に肉体を捉えた。だが、封じられる気配はない。回答は一つ。既に実体は失われて久しいのだ。エイラのそれが、奪ったものの集合体であのと同じように。
「奴を封じてから、お前は一人で戦っておったのか。あの中で」
「負けちゃった、けどね」
「……馬鹿者めが」
 アーデルハイトが吐き捨てる。女は顔を上げない。既に体の形が崩れつつあった。
「千年かそこらよ。五千年にはとても、とても」
 アーデルハイトはもう言葉を紡がない。耐えるように歯を食いしばり、ちらとリィを見た。それを察したのか、蚊の鳴くような声で女が言う。
「杖の子。これ、あげる。小太刀の子。もう一本も、もう使いこなせるはずよ――あなたたちなら、きっと、やれる」
 ふう、とため息をつく。ほとんど女の形は消えかけていた。
「然らばじゃ」
「またね、よ。アーデル。命は、形を変えるだけ、また――」
 がらん、と鎌が氷の上を転がる。ばきり、と刃が割れ、女の形と共に跡形もなく溶けて消えた。かたかたと震えるそれは、やがてすう、と紫の輝きを失い、淡い緑の輝きを持つ、杖となった。
「戻るのじゃ」
 アーデルハイトは帽子を深く被り、皆に号令をかける。頷きと共に皆が歩き出す。リィはそっと杖を拾い、それを見つめた。
「使うかどうかは、己で選ぶがよい。……乗るのじゃ」
 リィは頷き、アーデルハイトの後ろにまたがった。
 霧が晴れる。