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リアクション
第5章 『星耳』の由来?
「お疲れのようだね、男爵」
古書商人の一人が、歩いている男爵に声をかける。
彼のスペースは、沢山の大判の書籍とともに、何か干した薬草の束も店の奥にあるらしく、独特の匂いが辺りに満ちている。薬草術に関する書物を主として取り扱う店であるため、実物も多少商っているのだ。
「ほれ、薬酒だ。今回の開催を祝して飲んでくれよ、男爵」
「ありがとう。頂くよ」
ごく小さなカップにぽっちり注いでくれたそれは、男爵にはちょうどいい量だ。礼を言って一口で飲み干す。
「これいいねぇ。体がポッとあったまるよ」
――2人の魔道書と話をして別れたのは、ほんの10分ほど前。それからマーケットの様子を見ながら、ここまで歩いてきた。
書物好きの自分としては、あの魔道書に幸あらんことをと祈るしかない――
「へぇ、この辺にはレシピ本もあるねぇ」
この出店に、佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)と佐々木 八雲(ささき・やくも)がやって来た。
「スパイスの匂いもすごくしているし。量り売りでもしてるのかな?」
最近創作料理のネタに詰まってしまった弥十郎は、古い料理の本など、見たことのないレシピを得られそうな本が無いかと探しにきたのだった。
「山野の薬草百珍、かぁ……
普通のレシピもそうだけど、魔術の要素の入ったレシピっていうのもおもしろいねぇ」
手に取ったレシピ本をしげしげ眺めながら、弥十郎は八雲に話しかけた。
「魔術はともかく、呪術だったらいきなり食べにくくなるな。呪われそうで」
「そういうのも探せばありそうだねぇ」
そんな2人の隣を通り、立ち去りしな、男爵は何の気なしに1冊の本を手に取る。
「……これ、後で代金を持ってくるから取り置きしておいてくれるかな」
「あいよ男爵、お安い御用で」
店主にその本を渡す男爵に、弥十郎は視線を走らせた。それに気付いた男爵が、いつもの如く主催者としての表情で挨拶を――しようとするより早く、
「貴方もレシピ本を探しにきたんですかぁ? この店、本当に変わった料理の本が充実してますよねぇ。保存状態もいいし」
先に弥十郎に話しかけられてしまった。
「……レシピ本をお探しですか?」
「えぇ。まぁ、古書市で料理関連の本って正直、品揃え期待できるのかなぁって少し思ってたんですけどねぇ。
しかしさすがですねぇ、このマーケットは。ちょっとマニアックな感じもしますけど」
「そうですか」
「たとえばこの本ですけど、これとラインナップの似たようなものを私持ってるんですよ。ただ、使っている材料が劇的に違うんですよねぇ。……」
そのまま、男爵を聴き手に、レシピ本について熱く語り始めてしまった。
(あーあーあ、通りすがりの人に迷惑だろう)
さすがに相手に申し訳なくなって、八雲が止めようとしたが、男爵が別段嫌がる様子もなくふんふんと耳を傾けているのと、何となく男爵の風貌に興味を引かれたのとでその声も発する前に止まってしまった。
弥十郎は話に夢中で注意を払っていないようだが、どことなく、人とは異なる容姿のような気がする。
どこかで見たのだろうか。左目を隠しているのでよく分からないが。
はっきりとは分からないが何となく気になって、男爵を観察し続けた。
清泉 北都(いずみ・ほくと)はその頃、話に聞く星耳男爵という人物に会ってみたいと考え、【超感覚】を使って犬の耳で館の中の微細な音や声を拾いながら歩いていた。
「すごく不思議な人物だと思うんだよね」
この館には普段は誰も来ないという。
森に呪いをかけてまで侵入者から守られている館で、何故男爵はマーケットなるものを開いているのか。
(男爵の力に目を付けた者が彼を襲おうとするかもしれないのに)
そこに集まるものに用があるのだろうか。謎の多い海千山千の商人たち、闇や裏で危険な事をしている者達が集まる場所でもありうる気がする。そこで誰かを待っているのか、探しているのか。
「……この館の中、本当に誰もいないみたい。使用人がいたら聞こえそうな物音とか、何も聞こえないよ」
北都は首を傾げた。こんな広い館の中で、本当に使用人も従者もなしにひとりで住んでいるのだろうか。
「男爵もいなさそうですし、市のある中庭の方に行ってみましょうか」
リオン・ヴォルカン(りおん・う゛ぉるかん)はそう言って、回廊のある中庭に出る扉の方を指差した。
「私は、『星耳』という名に興味がありますね」
リオンは歩きながら、時々ちらりと北都の犬耳に目をやりつつそう言った。
「僕も、会えたらそれを聞いてみたいと思ってるよ」
北都も頷く。
「……じゃあ、別にレシピ本を買いに来たわけではない、んですか」
熱弁もだいぶ佳境を過ぎてからやっと、見かねた店主のストップが入り、男爵がレシピ本を求めているわけではないことが分かって、弥十郎はややがっかりした声を出した。横で八雲は申し訳なさそうな、そら言わんこっちゃないとでもいうような、複雑な表情をしていた。
「すみません、最初に言わなくて」
「料理に興味があるわけじゃないんですか」
「あぁ、料理ですか……すみません、食事によるエネルギー補給を覚えたのはやっとここ二百年ほどでだったものですから……明るくはないです」
その奇妙な言葉に違和感を覚えた2人が、突っ込んで訊くより早く、店主が腹を抱えて笑い出した。
「そんなに笑うことないでしょう」
男爵が供養しつつふてたような言い方をする。
「いや、事実だろうけど改めて聞いたらおっかしかったんでなぁ、すまんすまん」
「楽しそうなところすみません、僕らもお邪魔していいですか?」
声がして、見ると北都とリオンが近付いてきた。
振り返った男爵を見て、リオンが驚いたように目を見開いた。
「……耳は星形じゃないのですね……!」
「えっ?」
出し抜けに言われて男爵は面食らった顔をしたが、とりなすようにすぐに北都が言った。
「僕たち、星耳男爵の話を聞いて、お会いしたいと思ってたんです。星耳、って不思議な言葉だなぁと思って」
男爵の耳は見たところ、特に普通の耳と変わりはない。星のように輝いているということもない。
「あぁ、そのあだ名、ね」
男爵は納得したように頷いた。
「実は、私にもよく分からないんですよ。
この名は、勝手に付けられたものでね」
「勝手に…って、誰にですか?」
「――昔から、何かと私を世話してくれる、4人の人物に、です」
聞いている方の4人は「???」である。
「じゃあ、男爵自身には理由は分からないんですね?」
リオンの問いに、男爵は「えぇ」と頷いた。するとリオンは、
「よろしければ、その耳を触らせて頂けませんか?」
「え?」
「リオン?」
「いえ、もしかしたら触り心地が星っぽいのかもしれませんから。
……私はこう見えて耳にはうるさいんですよ」
北都の犬耳をもふもふしつつ真面目に願い出るリオンに、
「……星を触ったことがあるんですか?」
そう呟いて男爵は少し戸惑いつつ、
「まぁ、触るだけでしたら、どうぞ……」
と、恐る恐る耳を差し出した。
――もにもに。
「普通だと……思うんですけど、どうです?」
「……ちょっと熱っぽくないですか?」
「あぁ、さっき薬草のお酒を一杯頂いたので……」
何となくシュールな光景を、店主と弥十郎、八雲はただ不思議そうに見守るしかなかった。
人がそう呼んだので『星耳』、だが当の本人には由来が分からない。それを知りたかった北都とリオンとしては、ちょっと釈然としない結果である。
「けど、お酒の熱だけですか? 何となく、その……疲れていませんか?」
何となく息が早いし、目の辺りに力がないように見えて、リオンが心配そうに尋ねた。
「申し訳ありませんが、少し……情けないことに、体が少し弱くて」
男爵は申し訳なさそうに呟くと、ふと、虚空に目を走らせた。それから店主に時間を聞いた。
「そんな時間か……ちょっと、失礼します。食堂に移動します」
そうして、男爵は北都とリオン、弥十郎と八雲を見た。
「まだお話がおありでしたら、あちらで伺いますが、どうします?」
問われて、北都達はもう少し、このいろいろとその生活部分に謎のある男爵と話をしてみようと思い、同行することにした。弥十郎はまだレシピ本捜しに未練があるようだったが、男爵の正体が何気に気になる八雲は弟をせっつき、自分たちも一緒に行くことにした。
「それではまた。後で代金持って本を取りに来るよ」
そう言って、男爵は4人を連れて店を後にした。
「そういえば、さっき取り置きした本は、何だったんですか?」
弥十郎がふと尋ねた。レシピや料理関連の古書のラインナップの中で、料理にはさほど興味のないらしい彼が求めたものは何だろうと、純粋に疑問がわいた。
「あぁ、さっきのあれですか」
男爵の説明では、それは、薬術道の一つを確立し、一流魔道士であると同時に一流のシェフとして一生を終えたという大昔の人物伝なのだそうだ。
「人物伝が好きなんですか?」
「人物伝……そうですね。あと歴史書や史伝も。かつて存在した人や物の記録には、心躍るものがありましてね……」
食堂まで歩いていく間、男爵はそのような、好きな本の話を4人に問われるまま、ぽつぽつと話した。
さすが本好きらしく、語る表情が楽しそうでいいなぁと、耳を傾けながら弥十郎は微笑ましく思った。
禁書処刑人が出た。
さざ波のようにマーケットに流れていたその噂が、一気に風のように駆け抜けた。
「やたらガタイのいい男が……」
「うちの店の前で、『万象の諱』はどこだ、と……!」
館に到着したネーブルと画太郎は、出てきた客の噂話でそれを聞いた。
「があちゃん……処刑人さん、来てるみたい……だね……」
「かぱぱっかぱっ!(気を付けて行きましょう!)」
客も古書店主も通らないような、建物の影や植木の茂みにも目を走らせ、2人は中庭を目指した。
そして、中庭にも通じる柱廊を走っている途中だった。
「! あれ……!」
立木がざわっと木の葉を揺らし、丈の高い人影がゆらりと現れた。
「かぱっぱぁっ!?(処刑人かっ!?)」
鍛えられたがっちりした肉体、そして、自我のない狂気じみた眼――
それは、揺らめきながら二、三歩、2人の方へと歩き出た。
そして、2人が構えるより早く……どうっ、と、石畳の塵を舞い上がらせて前のめりに崩れるように倒れた。
「…え……っ」
倒れたまま、その巨漢はぴくりとも動かない。罠の可能性も考えて、2人もしばらくの間、倒れた体を見据えたまま動けなかった。
だが、その背に、何かで焼き斬られたような一文字の焦げ跡があるのも見えた。――焦げ跡にしては、変に緑色っぽいのが奇妙だったが。
やがて、画太郎がそうっと、警戒しながら歩み寄り、男の状態を確認した。
「……かぱー」
そして、常備している紙と筆でネーブルに知らせた。
『息をしていません
恐らく、ここに来る前にすでに、何者かに攻撃を受けたんでしょう』
「……誰か、に……」
その誰かが、他の契約者か誰か、せめて魔道書達の味方であってくれればいいがとネーブルは思った。
「かぱぱっっ!?」
突然、画太郎の目の前で処刑人の体が、砂のように崩れた。
そして、さらさらと空中に零れていき――完全に消えた。
「……大丈夫? 白颯」
鷹勢とルカルカ、そして白颯は、まだマーケットの中を歩いている。
おかしいのは、人型になると鷹勢よりずっと背も高く体の大きな白颯が、ぴったりと鷹勢の後ろについて歩いていることである。
「人のいる場所では僕の後に従うように、教えられているからねぇ」
鷹勢は苦笑する。四足の獣が人の世界でいらぬ反感を買わずに生きられるように教え込んだ大事な躾だが、今の状況は見様によっては、白颯が自分よりずっと小さい鷹勢の後ろに隠れようとしているように見えて、ついルカルカは、その変な微笑ましさに(鷹勢に見えぬよう隠れて)小さく笑ってしまうのだった。
「でも、それだけ白颯が賢くて鷹勢を信頼してるってことなのね」
ルカルカがまじまじと言うと、鷹勢と白颯は彼女をきょとんと見、それからお互いに向かい合った。
「信頼……うん」
先に頷いたのは白颯だった。
白颯は人語を喋れるが、しかし決して口数は多くない。それは喋るスキルのレベルの問題ではなく、元来そういう無口な性質であるように思われた。
「……何か、照れ臭いな」
鷹勢はボソッと呟き、照れ隠しなのかさっさと歩き出そうとした。
「!! 鷹勢!!」
突然、吠えるような勢いで白颯が叫んだので鷹勢とルカルカは吃驚した。
「な、なに!?」
「あの、あそこ!!」
白颯は、人ごみの一角を真っ直ぐ指差した。
指された人物が、その指先の気配に気づいたかのように、人ごみの中、ゆっくりとこちらを見る。
「あ……」
魔道書パレット、そしてリピカだった。
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