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リアクション
第4章 雪猫を探しに行こう
……前が見えない。
“千里走りの術”は、歩きでも小型飛空艇と同じ速度、走ればその三倍の速度が出るはずだった。
耳から零れ落ちて凍り付いた青い髪を払いながら、桜月 舞香(さくらづき・まいか)は目を細めた。
その速度故に風をまともに受ける。漆黒の装束にカイロを仕込んでいなければ、皮膚まで凍ってしまっただろう。
ヴァイシャリーから出発した救助隊と共に山のふもとに到着してから、彼女は一人、先行していた。
救助隊に集ったのは教導団の団員が殆どで、二次遭難を避けるためにも、聞き込みやソリと物資の調達を優先し、明日まずは別荘に向けて早朝出発するという。優先事項が雪猫と山小屋、移動手段が自分自身だった舞香は、共に入山しても別れ別れになることだろう。それで先に雪山に入ったのだった。
(百合園生に危害を加える者はなんであっても許さないわ)
気は急いていた。まっすぐな気質の舞香らしい。
(原因は雪猫らしいわね。なら、そいつを何とかしないと別荘も使えなくなっちゃうし困るわね。なにより、現に会長達に危害を加えている以上、見過ごすわけにはいかないわ)
懐に忍ばせたマタタビが凍っていないか、服の上から押さえて確かめる。
普段、人間に見つからないように行動しているんだから、本来臆病な生き物だろう。それが危害を加えてくる、っていうのはなにかそうさせている原因があるんじゃないか――。
そう考えたが、あるにせよないにせよ、倒すにせよ追い払うにせよ、対処するのみ。
「……!」
舞香はふと風の中に猫の声を聞いた気がして、立ち止まって耳を澄ませた。
(猫だわ……)
微かに聞こえてくる猫の声は、風の通り道になっているという平原の方から聞こえてくる。
気配を消すようにして、舞花はそちらに向かって静かに歩いて行った。声はまるで風と一体になったかのような……いや、声が風を起こしているのだろうか?
近づくたびに風が強くなり、舞香の身体が重くなる。寒さは予想以上の疲労となって、一歩一歩道なき道を踏みしめる度に体が重くなるのを感じた。
既に前が見えなかったのは、風と雪と、それから時々ぼんやりとする意識のせいだ。寒さにやられ始めているのか?
それでも声を頼りに進んでいく。
(……いた)
立ち止まる。視線の先、雪に紛れて大きな猫――猫と呼んでいいのだろうかと思いかけ、ライオンも猫科だ、と思い直す。
体長は100センチほどもある白い猫がいた。長い白いふわふわの毛に覆われ、そして身体よりも長い、まるで箒のようなふさふさの尻尾を立ち上げていた。灰色がかった丸い目がこちらを見据えていた。
丸い目は一見して大きなイエネコのようでもあり、ゆらゆらと揺れ動く長い尾は獣のようであり、雪を保護色としているのだろう、空からさす薄い光に銀色がかって見える白い毛は、怪物じみてもいた。
雪猫の威嚇の声と、前足を伸ばした今にも飛びかかろうとする姿勢に危険を感じ、舞香は懐から取り出したマタタビを投げ付けた。
(酔ったらその隙に……狙うのは髭と尻尾)
ダンシングエッジを抜き、横に回り込もうと足を踏み出す。ずぼっ、と膝まで雪に埋もれる。
雪をものともせず、その雪猫は雪上を駆けた。間に合わないと舞香は“忍び蚕”を左手で持とうとしたが、手がかじかんでうまくいかない。
雪猫の手から鋭い爪が生えているのが見えた。口を大きく開け、咆哮と共に吹雪が目の前で吐きつけられそうになり……。
舞香は、上から手を引かれて、それを間一髪で、かわした。
「……えっ!?」
身体が低空を飛ぶ。雪猫から引き離され、新しい雪の上に降り立つと、手を引っ張った主――ティナ・ファインタック(てぃな・ふぁいんたっく)は、“火術”で火を起こした。
「寒かったでしょ、大丈夫?」
「あなたたちは、百合園の……」
「山小屋に避難してたんだけど、雪猫のもふもふを探しに来たの。本当に見れた! 本当にもふもふね!」
ティナは目を輝かせて、雪猫を見ている。ここまで暖房・飛行係をしてきた甲斐があったというものだ。
「相手に敵意があるのよ?」
「え? でも、もふもふしたいもん」
あっさり言い切るティナ。そのティナを目印に、ミリア・アンドレッティ(みりあ・あんどれってぃ)とサリア・アンドレッティ(さりあ・あんどれってぃ)がやってくる。
「先に行かないで、帰りもあるんだから」
ミリアが改めて“雪使い”と“風術”で、こちらに流れてくる殺気――吹雪を逸らしながら言うと、サリアが、
「さすがお姉ちゃんだね! もふもふさんの居場所なら分っちゃうんだもんねっ」
サリアの言葉に、冷静を装っていたミリアの頬が少し赤くなる。
存在も不確かな怪物を探しにわざわざ雪山を歩く……なんて普段のミリアならしなかっただろう。しかしそれが「もふもふ」なら話は別。何としても探さなきゃ、と理性より本能が勝ってここまで来てしまったのだ。
「翠がここにいたらもっと喜んだかもね」
こほんと咳払いする。
彼女たちのパートナー、及川 翠(おいかわ・みどり)は、何も知らずに別荘で殺雪だるま事件の犯人捜しをしているはずだ。
もし知っていたら、彼女たち同様、もふもふを捜しについてきてしまったに違いない。何しろ、別荘にまでわたげうさぎの群れ……わたげ大隊を連れて来たのだから。今だってうさぎにまみれながら調査中のはず。暖かくていいのだけど。
ところで、ミリアだが一行の中で姉的な立場でありながら“もふもふ察知”なる技術を身に着けているほどのもふもふ好きで、もふもふの存在、その方角も距離に応じて見つけ出すというもふもふマスターである。
別荘からあまり離れておらず、遭難しないであろうということで、おやつを持って出かけて……吹雪の中日帰りピクニックとはレベルが高い。
尚、翠のもふもふが図らずも別荘との距離・方角を知るコンパス代わりになった。
ミリアは、待ちきれないように、こちらを見定めて威嚇し続ける雪猫に近づく。
「尻尾が長くて、真っ白で、大きい猫さん……も、もふもふ……!」
「お姉ちゃん、待って!」
今度はサリアが小さな手を唇に当てると、“獣寄せ”の口笛を吹いた。ここで逃げられてはもふもふできない。
サリアの敵意がないことが感じられたのか、雪猫は警戒を解いて口を閉じた。
と、猫は尻尾を立てて、彼らの左手を振り向いた。
つられて見れば、まばらな木々の合間からもう一匹の猫が走って来た。雪猫と対照的に影のような色をした体長40センチほどの黒猫――“影に潜む猫”だ。
それをエース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)が雪をかき分けるように追いかけている。
「エース……僕達は小屋に避難出来たとはいえ遭難しているのですがら、猫大好きな趣味まっしぐらな行動は慎むべきでは……」
並走するパートナーのエオリア・リュケイオン(えおりあ・りゅけいおん)がそう注意しかけたが、ぱっと明るくなるエースの顔と、連れていたパラミタセントバーナードが身構えたので、視線を追う。
「雪猫だよ、話に聞いてた通りだね。こんな『にゃん(猫)』だったんだ」
エースは、いつ荷物に放り込んだのだろうか、ぼんやり光る猫じゃらし・トワイライトじゃらしをさっと取り出すと、にこにこしながら怖気もせずに近寄っていく。
「……って、全く聞いていませんね」
エオリアは呆れて、鞄の中に放り込んでいた兎を見た。これを食料にするつもりだったが、雪猫にあげたりし出すのだろうか。植物は勿論のこと動物も好きなエースだが、とりわけ猫が好きらしく、猫カフェを作ってしまうくらいなのだ。
一応野生動物なのだから、人間が好きとは限らない……むしろ、避けるために吹雪かせているというじゃないか、とパートナーが心配になる。
しかしいつの間にか吹雪は止んでいた。
エースは行き猫の近くまで行くと、じーっと見つめないよう、ゆっくり瞬きして、しゃがむ。目の前で猫じゃらしをふらふらと揺らした。
「綺麗だね、可愛いね」
ふらふら揺れるそれを見て、雪猫はちょっと警戒したようにゆっくりと近づき、ぺしんとそれを叩いた。
「別荘にしばらく滞在したいんだ。許してくれるかな? 君も遊びにおいで?」
雪猫は猫じゃらしをと一度叩くが、興味をなくしたようにふいと横を向いてしまった。
「山の猫だから狩には慣れてるのかな……あれ、もしかして……」
エースは、雪猫の腹が膨れているのに気付く。
「お腹が大きい。もしかして、住処を変えるのって出産のため……?」
まんまるにふくれたお腹と腰回り。きっと出産に安全な住処を探していたのだろう。
「確か雪猫に家を作っていたお嬢さん方がいたね。……ねぇ、良かったらおいでよ」
雪猫はにゃあ、と鳴きかけて、苦しむようにぺたりと雪に座り込む。息が荒い。
どこか悪いのかとエオリアは回復魔法でとりあえず手当てをした。鋭い爪を持つ手で何度か空中をひっかいたが、それ以上抵抗しないところを見ると、体力が殆どないのだろう。
回復魔法を施された雪猫は、エオリアの手からすり抜けるとさっと反転して、また雪原を遠く走り出そうとして、倒れた。震える雪猫を、ミリアとサリア、そしてティナの三人が抱えあげた。
「――エース。もうすぐ日が暮れますよ。猫と一緒に僕たちも帰りましょう」
エオリアに促され、一同は別荘へ帰り始めた。
猫じゃらしのせいで雪に放り出された荷物をエースが拾い上げる。瑞々しい木の芽や葉っぱ、山菜が山ほど入っている他、薪もある。
雪山に信じられないものを見たという視線に、エースははにかむように笑った。
「ああ、これ? “エバーグリーン”で分けて貰ったんだよ」
別荘付近に戻り、雪猫をかまくらの前に寝かせると、彼女はその中に這い寄って、尻尾に包るように丸くなった。
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