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雪山、遭難、殺雪だるま事件

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雪山、遭難、殺雪だるま事件

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第5章 3日目、救助隊の行進


 遭難の連絡を受けた百合園女学院が契約者たちを集め、現地の別荘までの地図や食料等を用意して送り出したのは、遭難二日目のことだった。
 その日の夜、山のふもとにある小さな街に辿り着いた一行は宿を取り、翌朝から別荘へ向かう準備を始めた。
 ――山の上から、寒々しい風が緩やかに流れてくる。
 あちこちに霜が降りて、山に近い通りの石畳が凍り付いていた。例年にないこととて、通行人はおっかなびっくり歩いている。
 ふもとから山を見上げれば、なだらかなそこに雪が積もっているのが見えた。ここに来るまでに話には聞いていて、そして景色を見たが、不思議なことにこの山付近以外の気温も、山の上の天候以外もいつも通りだった。
 三日目の朝、一行は互いに予定を確認し合った。
 大枠としては、集まった百合園と契約者有志の救助隊は今日一日準備を整えた後、別荘で一泊して翌早朝経由して山小屋に行くというルートを取る。
 舞香だけは雪猫を探しに、一人で先行するという。
 ところで、集まった契約者の多くが教導団だったのは偶然だったろうか。或いは人を助けるという役目が、休日であれ生徒たちの中にしみついているからかもしれない。
 宿の一階で顔を合わせた彼らは軍人の顔で、地図を覗き込んでいた。
「冬山を甘く見てはいけません。準備を整え、二次遭難だけは避けましょう」
 叶 白竜(よう・ぱいろん)の言葉に、ニキータ・エリザロフ(にきーた・えりざろふ)は残念そうに軽口をたたいた。
「あーあ、非番に叶少佐に雪山登山に誘われたわって、楽しみにしてたのに」
 白竜はニキータの言葉を思い出す。誘った時、彼はワクワクしたように、「雪山って言えば、暖をとる為に裸で抱き合うっていうシチュエーションよねっ! カモン雪山! カモン猛吹雪!!」などと言っていたのだが。
「済みません」
 半分くらいは冗談だと分かっても、白竜はつい謝ってしまう。
 白竜が声を掛けた理由というのが、体格が良い――身長は変わらないが、白竜より筋肉質だった――から大荷物を運ぶのに頼れるからと思ってのことだったからだ。
 それでも救助に付き合ってくれるというのだから、付き合いがいい。
「解決したらきっと露天風呂にも入れますよ。天然の温泉ではないそうですが」
「楽しみにしてるわ」
 それを隣で聞いていた世 羅儀(せい・らぎ)は、お嬢様方を救出してヒーローになれば混浴できるかなぁ、などと邪な考えを抱いていた。
「では、準備ですが。大きく分けて二つですね。一つ、装備を整えること。一つ、事前に地形やルートを確認することでしょうか」
「別荘に不着という事だけど、現在の居場所は判明してるのかしら?」
 その疑問に答えたのは、百合園から訪れた救助隊の、契約者だという女生徒だった。
ラズィーヤ様経由で伺った、ベルさんという方の山小屋ですね。宿の方からも確認しましたが、登山シーズンは利用客がいるため、位置は判りました」
 彼女は地図上に印を付ける。
「登山道からすぐですので迷うことはないそうですが、それは積雪も吹雪もない時の話ですから……」
 白竜は夏の登山ルートと、地質学的な観点から見てここを通ると安全ではないかと言うことならできたが、確実性を欲していた。
 山小屋に食料が殆どないという話は聞いている、一般に食料なしで我慢できるのは三日程。そろそろつらい頃だろう。
「雪崩れと崖の心配がないというのは救いですが……果たしてこの地図の通り進んでいいのか、進むことができるのかが問題ですね。コンパスや機器は凍ったり故障したりするため過信できません。確実なのは地元の住人のガイドに同行してもらうことなのですが……」
「山小屋の主人が街に買い出しに来てるって話ね。きっと登れなくてどこかにいるはずだから、装備品を買ってくるついでに探してみるわ。じゃなくても、目印の話や、ガイドも見つかるかも知れないしね」
 白竜が言わんとしていることを察して、ニキータが宿を出ていく。
 宿の前にはソリが用意されていた。まだ空きは十分ある。
 自分たちの食料など最低限のものは先に百合園を経由して生徒たちによって手配されていたが、体に合った登山道具や重いものはここで買うことにしていた。また別荘にも食料等はあるということで、荷物を軽くするためにも必要以上のものは積み込まない。
 登山用品の店を回ったところ、ニキータは常連であるというベルの夫・カリマーの行方を掴むことができた。
 登山シーズンは山小屋を経営しているが、冬には街に降りる……というよりもともとこの街の生まれ育ちで、実家もこちらにあるらしい。知り合いを尋ね回って家を教えてもらい、夕方にやっと訪ねて事情を話すと、ベルの消息を逆に聞かれた。
「そうですか、とりあえず無事と聞いてほっとしました」
 彼は髭が濃い、いかにも山男、といった大柄な男で、取り残された妻の救助のために、今日明日にも出かけるつもりだったという。
 この街の救助隊もいるにはいるが、雪山には不慣れで、雪猫が出たら山に入ってはいけない……そんな言い伝えもあって、アテにできないのだという。
「契約者の方々がいらっしゃるなら、俺も安心ですよ。今日は準備と体力を温存しましょう」
 こうして翌早朝、彼らは街を出発した。
「荷運びに声を掛けられたらしいし、山小屋まで確実に運ぶのがあたしの任務ね」
 体格がいいからだけでなく、ニキータは輸送科所属でもある。
 自身と仲間の用意した荷物を乗せた二台のソリは、輸送科だからというわけでもないが、フラワシと負担を軽くするための“グラビティコントロール”も共に運んでくれる。これで自分が手を使えないような事態に陥っても、雪のかなたに荷物を滑落させなくて済む訳だ。
「登山者が多い山だけあって、たまに熊や狼が出るくらいなんですがね。大体人間を避けるので……」
 山に入るとき、カリマーはそう言った。熊避けの鈴が大きなザックに揺れている。
 羅儀は、雪山での戦闘は厄介だな、と思った。傾斜も足場も悪い。
「危険は避けるため、なるべくやり過ごしたいと思っています。ところで雪猫は、冬山の危険を示すための伝承ではないのですか?」
 契約者ではない彼の体力を気遣う白竜に、カリマーは口をへの字に曲げて答えた。
「俺も長いことそう思ってたんだけどなぁ……」
 山小屋は別荘を東に外れたところにあった。いや、別荘が西にはずれたと言った方がいいか。プライベートで野趣を楽しむ別荘のため、登山道を途中で外れて作ってあった。
 雪の上からとはいえ、登山道からそれると足場が若干悪くなったように感じる。滅多に使われない道のせいで、整備する人間もいないのだろうか。
 人間が難儀する中、するすると進んでいくソリを見ながら、スコップを担いだ羅儀は嬉しそうに声を掛ける。
「ニキ姉さんがいれば、俺が雪かきするため必要なかったな」
「あらぁ、そんなことないわよ」
 最初は軽口をたたいていた彼らだったが、次第に口数が少なくなっていった。
 心なしか、吹雪が強くなったように感じる。いや、辺りの木々のしなりが強く、仲間の声も聞き取りにくい。
「……近づくたびに強くなるってことは、山小屋は吹雪の真っただ中か……?」
 羅儀はスコップを握り直す。これは、身を隠す穴を掘るためでもあった。
 ただその懸念は現実にはならなかった。
 その日、日が暮れる前には山小屋に辿り着いた彼らを、「お早いお着きでしたのね」と出迎えたのはラズィーヤだった。
 当然ながら自身も吹雪に閉じ込められているのに余裕たっぷりの様子なのは流石というべきか。
 もちろん、山小屋と別荘では設備にかなりの隔たりがある。
 ヴァイシャリー風の大きな別荘は(見えなかったので事実かは定かではない)テニスコート付きといった風情で、強風にもびくともせず、灯りが煌々と点り、文明の香りがあった。
 機晶石を利用しているのだろうか、屋敷全体が暖房で温かく、湯も潤沢に出て、露天風呂は流石に無理だが、屋内の風呂は使えるという。
 おまけに、幸い大勢を迎える準備をしていたので、こちらは食料その他のストックは潤沢にある。怪我人が大勢出るとさすがに大変そうではあったが。
 救助隊は、趣味なのだろうか豪華な暖炉の前で体を温めたり、風呂に入って人心地つく。
 救助者が待っているのは重々承知だが、それに遠慮して体力を維持できなければ、ここまで彼女たちを連れ帰ることはできなかったろう。それを彼らは知っていた。
 ふもとは風も弱かったが、山に登るたびに少しずつ気温が下がり、風が強くなればなるほど耐寒気温が下がる。外で唸る風は、分厚い窓を小刻みに揺らす。



 ――遭難四日目。
 翌朝、まだ暗いうちに起床した一同は、夜が明ける前に準備を整え、朝食をしっかり済ませる。
「手持ちの食料や移動手段と一緒になるべく急いでそっちに着くよう頑張るから、だから静香さんは落ち着いて、皆と一緒に暖かくして待っててね」
 リビングで、ルカルカ・ルー(るかるか・るー)は、静香とつながっている携帯電話になるべく明るく話しかける。
「遭難したらだめだから山小屋からはあんまり離れちゃダメだよ。動き回るとおなかもすくからね、うん。私達が行くまで、皆を頼んだよ」
 切った電話をパートナーのダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)に渡して、ルカルカは早速手袋をはめた。
「さ、行こうダリル! みんなにご飯を食べて貰わなきゃ!」
 四人乗りの高速飛空艇「ホーク」をルカルカが、二人乗りのスノーモービルをダリルが操縦した。後ろの荷物は大きな何かが積まれている。
 元々、別荘に遊びに行くつもりだったので大したものは持ってきていないが……。
 一方徒歩の救助隊は、靴にアイゼン――靴底の爪――を取り付けて次々に別荘を出る。
 ルカルカは一同のために、空の雲を“雲海従術”で操ろうとしたが、魔法的なものなのか雲は流れもしない。仕方なく、ダリルと共に“雪使い”で降る雪を逸らすことにした。

「雪の精霊……怪物……雪猫ねえ」
 雪化粧された山の緩やかな斜面を見上げ、祥子・リーブラ(さちこ・りーぶら)は独りごちた。
「自然のものじゃないならいつになったら収まるかわからないし、当座の食料だけでも届けてあげなくちゃ」
 祥子はラヴェイジャーの経験から、“パスファインダー”による雪山での行動も多少馴れていた。宿の前に置いたソリの一台にかがみこんで、別荘の米や小麦粉を積み込んでいる。
「……何日分になるかしらねえ。あ、お塩もか」
 勿論今日明日中に別荘まで帰って来れるなら、こしたことはない。だが吹雪が機能も一瞬止んだと思ったほかはまた強くなり、読めない。化粧を施した猫は気まぐれなのだろうか。
「祥子、これでいいか?」
 背後に目をやると、ヴェロニカ・バルトリ(べろにか・ばるとり)が缶詰を毛布でくるんで、ひもで縛っていた。
「いいわよ、このままそこに積んで。……毛布も、使えたらいいけど凍り付いちゃうかしらね」
 寝具も足りないというけど、“火術”で乾かせるか、それとも山小屋火事になるかしらなどと考える。
 荷物をソリにしっかり括り付けると、二人は出発します、との声に従って歩き始めた。
「雪猫と遭遇しないといいわね。雪山でそういう存在との戦いって、日本武尊命じゃないけどなんだか危なそうだし」
「ヤマトタケル?」
 聞きなれない言葉にヴェロニカが訊ねる。祥子は日本の昔の「英雄」の一人よ、と返すと、二人は雪山を歩いて行った。
 歩くというのは適切ではないかもしれない。カリマーが、雪山登山用の歩き方を一同に念のためにと教えていたが、普段のようにヒールで颯爽と校舎を歩くというわけにはいかない。
 冬山訓練じゃあるまいし、好き好んでくるところじゃないわね、と自分ながら思う。将来百合園の教師になるという責任感がそうさせたかもしれない。
(黙って歩いているのも気が滅入るし、何か歌でも口ずさもうかしら……)
 とはいえ祥子は割とのんきで、歌いだす。
 突然パートナーが、死を覚悟したような、生を諦観したような歌詞で歌いだしたので、ヴェロニカは寒さでおかしくなったのか、と慌てたが、祥子が昔の軍歌よと説明して納得したようだ。
(……これ死亡フラグかしら? それともフラグ解消かしら?)
「それにしても、救難隊にはサンダーバードがつきものだけど、召喚師いないから仕方ないわね」
「救難隊にサンダーバードがつきものとはどういうことだ? 召喚獣など地球にはおるまい? ウェンディゴの間違いではないのか?
 雷鳥、という鳥は聞いたことはあるが雪山の救助に向くようではなかったしな?」
 と、問いかけるヴェロニカに祥子は苦笑した。
「昔の話よ。……ところで唐辛子はちゃんと塗ってある?」
「……うむ」
「唐辛子はいいわよ。食べると体温が保てるの。塗り付けても暖かいし、余ったら料理に使えるし」
 ヴェロニカは厳かそうにうなずきながら、祥子は本当に何でも知っているな、と感心した。自分が5000年間の間に色々と地球でもあったらしい。パラミタには現在失われた技術が多いが、地球人はその積み重ねを記録しているのだろう。
 また歌いながら、時折“火術”で雪を溶かしながら進む彼女に、
「疲れていないか? 替わろう」
 と、二人は交代しながら進んでいく。

 山に登れば登るほど、風が強くなる。
 まさか山小屋が吹き飛ばされたり、凍り付いたりしていないとは思うが……この気温で丸太の壁がどれほどの防寒の役に立つかといえば、無いと危険だがあってもその危険が先延ばしにされるだけといったところだろうか。
(お嬢様とはいっても、百合合園のメンバーなら、その辺の男子よりはしぶとく生き残りそうだけどね)
 セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)は、恋人でありパートナーのセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)と共にスコップを握って、交代でラッセル作業を行った。
 羅儀と入れて三人、非常時には隠れたり、ビバークをするつもりである。
 新雪が多いため、サクサクと掘りやすいのは幸いだ。
 ハーケンやロープも持ってきていたが、これは非契約者が混ざり、雪がより固くなってきた別荘への道と下山に必要になるだろう。
 とにかく遭難を避けるために。普段は二人とも露出度の高いビキニやレオタードを着用しているが、今日ばかりは防寒のためこの上に何枚も服を重ねていた。
「雪崩は……ないと思う」
 動物的な感覚を研ぎ澄まし、道行きでぽつりと、セレアナは告げる。
 傾斜はなだらかで、安全なルートを辿ってはいると言えど、心配は残る。雪崩は起きないだろうと言っているカリマーだって、例年になければ雪崩に遭った経験もそうあると思えない。冬山登山は教導団でも訓練を受けていたが……どうも、過去の出来事から慎重になってしまう。
 セレンフィリティはセレアナにウインクしながら、先を促す。
「さっさとみんな助け出して、熱いシャワーでも浴びてひと眠りしたいわね!」
「露天風呂があるみたいだから、入れるんじゃない?」
「いいわね」
 そんな会話で、気を紛らわせる。
 セレアナは怪我人がないか逐次パーティを確認するが、怪我人はない。こちらも、山小屋についてから必要になりそうだった。
「もう少しよ、頑張りましょ!」
 セレアナはスコップを振り上げた。雪かきは必要になれば、体力を温存するために羅儀と三交代で、プラス祥子の火術の四交代で行う。
 といっても、春になると雪崩が起きやすくなるように、火で雪が緩む可能性がある。祥子はソリが埋まった時など、局所的な作業を行うことになった。