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荒野の空に響く金槌の音

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荒野の空に響く金槌の音

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■ 荒野の空に響く金槌の音【3】 ■



 建物の修繕作業が行われると聞いてやってきたイナ・インバース(いな・いんばーす)は、院内をゆっくりと歩く。
「危ないですね。こういうのは怪我の元ですよ。 ……怪我の元、怪我人が増える? 治療できる?」
 踏抜きそうな程弱い軋む床、剥き出しの釘、穴の開いた壁と、潜んでいる危険度は中々高く、イナはきょろきょろとそれが無いか探してしまう。
「あの、仕事をしている人の邪魔だけは、しないで下さい」
 落ち着きを無くしかけているイナにティナ・バランフォード(てぃな・ばらんふぉーど)は自分の胸に両手を添えて懇願する。そんなティナの横でミナ・インバース(みな・いんばーす)が窓の外を見て半眼になった。
「荒野ってホントなぁ〜んも無いのな。 ……ん?」
 ぼやいたミナの前にフェオルが立ちはだかる。
 それが幼女とわかるとミナは一歩下がった。ティナに振り返る。
「子供の相手は、あれだ、わりぃ、ティナたのむわ」
「あ、はい。えぇと、こんにちは、です」
「こんにちはー。おねえちゃんたちも、おうちなおしに、きてくれたの?」
「はい、そうです」
 頷くティナにフェオルは、にぱっと笑った。
「じゃぁ、よろしくおねがいしますー?」
 疑問形でお願いされて、イナはフェオルの前に両膝を床に落として目線を同じくした。
「子供は転びやすいです。怪我、します?」
「うう?」
「あ、ううん。クッキー持ってきたんです、た、食べますか?」
 首を傾げられ、怪我人を探してしまう自分を誤魔化すように、イナは慌てて、すぃっと幼女の前にクッキー(賞味期限が……だけど、な)箱を差し出す。
「はい。ありがとー」
 出されたら貰う。貰って当然と至極自然にフェオルは受け取った。
「フェオル、何をしてますか?」
 その現場を忙しく動きまわるキリハが、協力してくれる契約者と何をやっているのかと、見咎める。



…※…※…※…




「じゃぁ、あれよね。働いて疲れている皆に差し入れは必須よね」
「差し入れって――」
 セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)の提案にセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)が咄嗟に返した。聞き間違えではなかった確かに「差し入れ」と聞こえた。セレアナはセレンフィリティの料理がどの様なものか知っている。人様に振る舞うには問題が多すぎて、差し入れなんて問題以前の大問題だ。
「セレンが、作るの?」
「当たり前じゃない」
 わかっていたが、予想通りの答えを貰って、思わずセレアナは天を仰ぐ。
 ス、ッス。とセレンフィリティの右手と左手を取り、胸の前に持って行くと両手で握り締める。
「どうしても作るの?」
「なんでそんな言い方するの?」
 念を入れるような声音にセレンフィリティはムッとする。
「嫌だからよ」
 返すセレアナも悲しそうな表情を作る。
「セレアナ」
「他の人がセレンの料理を食べるのが嫌と思う私が嫌なの……ごめんなさい」
 消え入る声で謝るセレアナ。
 包み込むように握りしめている手は温かい。温かいのに、見つめてくる表情は悲しく、そして寂しそうだった。
「んー、わかったわ。これだけの大所帯で腕が唸るーって思ったけど、やめるわ」
 セレンフィリティはこんな温かい肌のぬくもりを持つ恋人のこんな顔はさせたくなかった。
 自分の要求を少しだけ我慢すればいいだけの話である。
 差し入れ作りを撤回したセレンフィリティにセレアナは、ほっと息を吐いた。その、緩く解けるような繊細な微笑みともとれる安堵の表情に、笑ったと見えたセレンフィリティもまた笑い返した。
「しっかし……ボロいわね」
 二人手を握り合ったまま右上を仰ぎ見た。
 孤児院『系譜』を振り仰ぎ、修繕は破名がしていたと聞いていたが、随分とまぁテキトーな作業ぶりで。とセンスのひとつも感じさせてくれない継ぎ接ぎ感に、手を取り合うことをやめたセレンフィリティはそのまま仁王立ちで腰に手を当てた。
「これだけ酷いと張り合いがあるわねー」
「どこから直すのか迷うわ」
「んん! ピンと来たわ!」
「セレン?」
「とりあえず中に入って問題点を探すわ」
 問題の多い家。それを住みやすくする。セレンフィリティの脳内に、古く問題がある建物を新しく住みやすいものへとリフォームするという内容の番組の主題メインテーマが流れだした。


…※…※…※…




 階段を登って二階がいいのか、このまま登らず一階のままでいいのか、ネーブル・スノーレイン(ねーぶる・すのーれいん)は、抱えるのがやっとの段ボール箱を両腕で支えながらおろおろしていた。
「どうしました、スノーレイン?」
 必要な書類を取りに学習室から応接室に行こうと廊下に出たキリハが、そんな彼女に気づいた。
「えっと、えっとね……! うさぎさんを今日……一杯持ってきて……ね?」
「はい」
「それで、その……飾り付けとか……したいんだけど……どこが、いいかなって」
「その箱だけですか?」
「ううん……まだ、あるの。……多かった?」
 右手で顎を掴んで考えるキリハにネーブルは同じ箱があとこれだけあると説明を加えた。
「結構多いですね」
 更に考え込むキリハにネーブルは恥ずかしそうに頷く。
「すっごく可愛いから……是非と……思って……」
「わかりました」
 ネーブルは弾かれるように、無意識に俯けていた顔を上げる。
「沢山あるんですよね?」
「う、うん」
「では、食堂にしましょう」
「食堂?」
「あそこが一番広い部屋なんです」
 たくさんあっても困らない部屋としてキリハは考えてくれたらしい。部屋が決まってネーブルは大きく頷いた。



…※…※…※…




「掃除はきちんとされてるんだ」
「外が酷いのかもね」
 室内見学と建物内部を歩く千返 かつみ(ちがえ・かつみ)は、エドゥアルト・ヒルデブラント(えどぅあると・ひるでぶらんと)の言葉に、そうかもしれないと頷いた。外見の酷さと中身の清潔さの落差が激しい。
 ただ、問題の多さは比較するまでもなく、建物内も同じくらいありそうだ。
「何を手伝うつもり?」
「そーだなー、皆本格的っていうか重機まであるし」
 自分達が持ち込んだのはなんだったかと思考を巡らせて、そうだとかつみは食堂の扉を開けた。
「お、おぉ」
 開け放って、軽く目を見開いた。
「どうしたの? って、ああ」
 後ろから爪先立つように食堂内を見たエドゥアルトもやんわりと笑う。
 食堂の窓際にはたくさんの人形やぬいぐるみが並んでいた。どれもこれも見覚えがある。去年のクリスマス前に人形工房で作ったものだ。少し使い倒したようなおもちゃ類も同じく並べられている。
「遊び部屋も兼ねてるのかな。たくさん飾ってある。ねぇ、ところで何をやるか決まったみたいだけど、私達は何をやるのかな?」
「おっと、そうだった。椅子をさ、直そうと思って……って何やってんだ、ナオ」
 ひとり遅れてやってきた千返 ナオ(ちがえ・なお)に、彼が手に持つ箱に気がついて、かつみは声をかけた。
「あ、はい。オルゴールを借りてきました」
「オルゴール?」
 一昔も二昔も前に流行った古いデザインに飾られた小さな箱。剥げては塗り直したのが良く分かる塗装の斑。大切に扱われていたんだなと容易に想像できる代物だ。
「さっき、部屋で守護天使の人が寝ているのを見て思ったんです。家を直すのって寝てても煩いと思うから、同じ煩いのなら、こっちの方がきっといいかなと」
 キリハに聞いたら「あとで私から事情を話しますからマザーのオルゴールを借りましょう」という事になった。マザーの部屋から一度かつみ達の元に戻ってきたのはこのことを報告する為である。
「じゃぁ、ちょっと上に行ってきます」
 枕元に螺子を巻いたオルゴールを置くためにナオは再び階段を登った。