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荒野の空に響く金槌の音

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荒野の空に響く金槌の音

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■ 荒野の空に響く金槌の音【9】 ■



 孤児院の玄関から少し距離を置いた場所に設営された組立式パイプテントからは、いーい香りが漂っていた。もう生唾ごっくんなくらい良い匂いで、お腹が腹ペコだと大きな音を立てる。
 それを作ったのがかわいいミルディア・ディスティン(みるでぃあ・でぃすてぃん)だと知れれば、見栄え良く飾り付けられ盛られた料理が一層と美味しそうに見えた。うん。これは絶対に美味しい。
 あらかじめ作ってきた主食の定番であるおにぎりやサンドイッチ。
 用意してきた冷凍麺に出汁で割ったカレーをかけて、
「カレーうどんに、カレーラーメンってね♪」
 と、種類まで用意できなかった分、量はしっかり準備してきたミルディアはケースから冷凍麺を取り出すと並べた器に入れる。
「建設しようなんて人は、ガタイのいい人が多いからね♪」
 たくさん食べてもらわなきゃ。
 もうすぐ太陽は真上に昇る。お昼の休憩の時間はもうすぐだ。
 ミルディアのペースを見ながらイシュタン・ルンクァークォン(いしゅたん・るんかーこん)は持ってきたレジャーシートを広げ、空気をはらませるように一度大きく上下に捌いた。
「来る人はおしごとで疲れているだろうから、座れた方が……できれば寝転べる方がいいよね?」
 丹念に均した地面の上に広げたレジャーシートを敷く。
「でもやっぱり座ってテーブルに向かって食べたい人もいるよねぇ」
 テントやら料理やらでテーブルや椅子を持ってくる余裕が無かった。
 イシュタンは孤児院から一時的に運びだされ並べられたテーブルや椅子があったことを思い出す。
「ちょっと交渉してみようかな?」



…※…※…※…




 椅子は孤児院の中で一番多い家具だったりする。
 部屋にこそ置かれていないが、学習室、食堂、予備を入れれば三十脚近くある。
 すぐに移動しやすいように玄関付近で並べたが、多さ故に青空教室みたいで妙に和んでしまう。
「減らないもんだな」
 一脚を手にとって千返 かつみ(ちがえ・かつみ)は軽く揺すってどこがガタつくのか見定めようと目を眇め、
「丁寧にやってるからね」
エドゥアルト・ヒルデブラント(えどぅあると・ひるでぶらんと)は新しい束を掴み紐の端を引っ張りだして答える。
 彼は数時間前に、修理を手伝うつもりで金槌を手に持っていたのだが、かつみと千返 ナオ(ちがえ・なお)に「待った」の声をかけられたのだ。
「釘ぐらいだったら打てると思うけど……?」
 とアピールするが、エドゥアルトは以前にぬいぐるみを制作する機会があったときに、何度も指を針で刺した過去がある。
「釘と金槌だよ。そんなに心配しなくたって」
 針ほど小さく無いから大丈夫だと言っても、金槌を持っただけで向けられる視線が痛い。普通に大丈夫か的なものならまだマシも、ハラハラしていますと目で訴えかけられると無碍にもできない。
「大丈夫だよ」
「立場を逆転させたらわかる」
 本人が言うように怪我をしない方法なのかもしれないが、はっきりわかる素人の握り方で、振り下ろしも打ち付けも金槌の重心を上手く捉えることができず今にも滑って指を潰しそうに見えて、心臓に良くない。
 上からじゃなく横から見れば、このハラハラしたくなるエドゥアルトの手つきの危うさが伝わるだろう。
 かつみに同意とナオも隣で力強く頷いていた。
「…………わかったよ」
 という経緯からエドゥアルトは、かつみが分解しホゾ穴にボンドを流し込み木ネジで止められた椅子を、ボンドが乾くまで紐で固定させるという作業に専念することになったのだ。
「ボンドが乾いてから塗装と思ったが、やっぱり時間ができそうだな」
「当初の予定通り空いた時間は扉の方もやろう。学習室のとか完全に駄目だよね」
「そうだな……ん?」
 近づいてきたイシュタンに気づいて、かつみは顔を上げる。
「あの、今使えそうな椅子ってある? お昼の時間だけちょっと借りたいんだけど、大丈夫かな?」
「もう昼か……早いな。いいよ、こっちのがまだ修理してないから座るといえば座れる。よし、俺らも休もうか」
「運ぶの手伝うよ」
「ありがとう、助かるよ!」
 一人二脚ずつ掴んで昼食が並んでいるテントへと歩き出した。
「ただいまー」
「おかえりなさい」
 男二人連れ添って椅子を確保したイシュタンにミルディアは紙コップを袋から取り出した。
「この匂いカレーか」
「はい、好きなの取ってってね」
 ミルディアは箸やフォーク類はこっちと示したが、かつみはまだいいと首を横に振った。
「あとで選ぶよ。まだ使える椅子があるから持ってくる」
「ありがとう。お願いするね。あとで、ちゃんとサービスするから」
「おう」
 飲み物類の準備が出来て、ミルディアは用意が整ったと両手に腰を当てた。
「腹が減っては戦はできんってね♪ みんな、お昼ごはんができたよ♪」
 大きく一声を掛けると、
 重機やら大工道具の騒音にも近い作業音の中、こういう声は良く通るもので、作業をしていた皆の手が止まった。
「水やお茶はセルフサービスでおねがいね♪」
 イシュタンと、
「食べ過ぎると後が辛いぞ〜! 気をつけろー!」
 ミルディアの、
 犇めき合わずきちんと列を成して並ぶ人々に彼女達の声が賑やかにかけられていく。



…※…※…※…




 階段を上がったすぐ左隣りの物置。そこには現在守護天使の男性が眠っている。
 木箱を並べただけの簡単なベッドに敷いた清潔そうなシーツ上に寝そべる男性は穏やかな顔で寝息を立てていた。
「まだもうちょっと煩いかもですが、鳴り終わったらまた来ますからもう少し我慢しててください」
 オルゴールの螺子を巻く度に同じことを呟いて、ナオは蓋を開けた小箱を置き直した。
 気持ちよさそうに寝ている男性に、ナオは彼が封印されなくてよかったと再度思う。
 巻かれた螺子の動力を得て、ゆっくりとシリンダーが回転し、櫛歯が押し上げられ音色を弾き出した。
「さっきから気になってたが、音の出処は此処だったか」
「お疲れ様です。邪魔、ですか?」
「おう。そんなことないぜ。周りが野郎ばっかりだからな、気分転換にちょうどいい」
 屋根の修復を終えた和希は点検がてら軽く見回っていた途中で、オルゴールの音色に気づいて部屋に立ち寄ったのだ。
「ふーん。物置で寝るってのも気の毒なもんだな」
「本当に部屋が無かったって感じですよね」
 木箱の上に寝せられている所とかが何とも言えない。
「わかった。ここも弄ろう。棚を外して壁も弄ればベッドも入るだろ」
「ああ、そうですね。いいですね。その、手伝いましょうか?」
「いいね。嬉しいよ。だが、そっちの仕事を先に終わらせてからだな」
 言われてナオはハッとした。「そうですね」と照れた顔で返す。



…※…※…※…




「うわぁ、早いですね」
 ニカの一言に、配線を繋ぎ終えた機械修理工はちらりと守護天使の少年を見て、特に返す事無く次の工程に移った。専門家は色々と忙しい。
「ニカくん、こういうの好き?」
 機械修理工の後をついてい歩くニカに気づき、エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)は、男の子はこういうの本当に好きだよねと笑う。
「はい。何かが出来上がっていく工程は見ていて飽きないです。綺麗な出来上がりですよね」
「やってみたい?」
「さすがにそこまでは。シェリー姉さんなら言い出しそうですけど。今もまだ井戸の方で手伝ってますしね」
「女の子が? 意外だね」
「んー、そうですか? でも、フェオルもヴェラもこういうの興味あるみたいですし。あ、何でしたっけこの、床?
「床暖房?」
「はいその床暖房の操作パネルって食堂に設置するんですよね?」
「その予定だけど、なにか不都合でも?」
「フェオルが悪戯するんじゃないかなって思っただけです」
 可能性を指摘されて、好奇心旺盛な一番下の子供を思い出したエースは、そうだねと頷いた。
「それはあるかもね。ニカくんからきちんと説明しておいてくれるかな?」
「わかりました」
 床暖房設備の配線を機械修理工と共に図面を見ながらどこの壁を通して配置するか相談しているメシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)は、別口で作業していた施工管理技士の連絡を受けてわかったと頷いた。
 どうやら防音遮熱のパネルを壁に入れるのと窓を二重ガラスにする作業が終わったらしい。
 残すのはやはり床一面を一度引き剥がす作業が必要な床暖房システムか。
 ふと、ニカは思い出す。
「そういえば裏に発電機を置いたんですよね」
 床暖房なんて電気が無ければ動かない。
「そうだよ」
 答えるエースに、守護天使の少年は顔を輝かせた。
「燃料の機晶石って見れますか?」
「興味あるの?」
「はいッ」
「じゃぁ、行こうか」
 では出発と、歩き出したニカは足元に転がっているコードリールに気づかず、そのまま躓き、前のめりに、盛大な音を立てて転倒した。



…※…※…※…




「もう少し下だったら危なかったですね」
 傷の具合を見つつ、イナ・インバース(いな・いんばーす)は目の上を切ったニカに応急手当を施す。
「あちらこちらに工事用の道具とか木材とかがありますからね。足元には気をつけるんですよ」
「はい」
 ニカを挟んだイナの反対側からティナ・バランフォード(てぃな・ばらんふぉーど)はタオルで流れる血を拭って綺麗にしていく。
 優しく諌められ、ニカはちょっと小さくなった。機晶石が見られると聞いて注意が疎かになっていたのは本当である。
「綺麗に切れているので傷は目立たないと思うんですが」
「大丈夫です。僕は男の子なので」
「そうですね。はい、これで終わりです」
「ありがとうございます」
「いえいえどういたしまして」
 頭を下げるニカに、イナも大事に至らずに済んでよかったと笑う。
 怪我人を治療できて満足と、イナは笑った。
 笑いながら、もっと増えないかなと、むしろどうやったら増えるのかと画策を巡らす。
 その様子を、持ってきた機関銃を弄りながらミナ・インバース(みな・いんばーす)は眺めていた。