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ユグドラシルへ



「見えてきたぞ、ユグドラシルだ。じきに到着するだろう」
 シャンバラとエリュシオン帝国の間に就航した飛空艇の定期便から、エルシュ・ラグランツ(えるしゅ・らぐらんつ)が彼方を指さして言いました。
 その先に雄々しく天へと枝をのばしているのが世界樹ユグドラシルです。
 エルシュ・ラグランツはパートナーであるディオロス・アルカウス(でぃおろす・あるかうす)を誘っての観光旅行ですが、しばらく前まではこんなことは想像もできなかったでしょう。特に、帝国と戦うために生まれたディオロス・アルカウスにとっては。
「じきに到着……、じきに……、って、全然近づかねえ!」
 見た目の大きさだと、イルミンスールならばとっくに着いているはずなのですが、目視の大きさがイルミンスールを越えてもまだ到着する気配がありません。ついにユグドラシルの全景が視界に収まらなくなり、それでも、結構な時間がかかってから、やっと飛空艇はユグドラシルの空港に到着しました。
 巨大な枝の上に、ゴアドー島の空港ほどの施設が楽々と載っています。定期便以外にもいくつもの大型飛空艇を載せていても、世界樹の枝はびくともしていないようです。見れば、グラスグリーンのフリングホルニと、チョコレートブラウンの同型艦が空港にいます。世界が落ち着いた現在では、戦闘空母としてよりも、飛空艇やイコンのなどの大型大量の物資用の輸送艦として運用されているようです。
「やはり、私がユグドラシルに立つなど、かなりの違和感をいだきますね」
 感慨とも、戸惑いともつかぬ顔で、ディオロス・アルカウスが言いました。
「旅行なんだ。物珍しくなきゃ、面白くないだろう?」
 それが普通なんだよと、エルシュ・ラグランツがディオロス・アルカウスに言いました。
 ユグドラシルの警備は第三龍騎士団が担当しているため、空港の入出国管理ゲートの側にも騎士団の者が立っています。エルシュ・ラグランツが簡単な手続きをしていると、急に警備の龍騎士が姿勢を正して礼をしました。
 何ごとかと思って振り返ると、二隻のフリングホルニ級からやってきたらしい一行が、ゲートに近づいてきました。
「御苦労。引き続き、警備にあたってくれ。さあ、シャンフロウ卿はこちらへ」
 第三龍騎士団団長アーグラが、エステル・シャンフロウ(えすてる・しゃんふろう)をVIP用のゲートへと案内していきました。すぐ後ろからは、デュランドール・ロンバスグレン・ドミトリー、他にも数名のアーグラの側近たちが続きます。どうやら、第三龍騎士団へのユグドラシル警備用のフリングホルニ級の受領と共に、ユグドラシルで開催されるイベントへの案内をしてきたようです。
 さすがに、龍騎士団の龍騎士たちを目の当たりに見てディオロス・アルカウスが緊張しますが、エルシュ・ラグランツの方は「すげーもん見ちまったぜ、ほら」と、まるでおのぼりさん気分を満喫しています。
 ああ、自分もそう、お上りさんなのだと、ディオロス・アルカウスが再認識しました。そして、それでいいのです。
 ユグドラシルの中へと入っていく途中で、二人は奇妙な感覚に襲われました。なんだか、通路が変なふうに捻れているような感覚です。
 幹の中へと到着すると、世界は一変しました。
 見渡す遥か先へと町並みが続き、そして、見あげればそこにも町が見えます。地面とおぼしき場所はわずかに湾曲しているように思えますが、ほとんど意識するほどではありません。それよりも、ここが世界樹の中だとすれば、ここは幹の中です。イルミンスールのような、幹の中に階層状のフロアが存在するのではなく、幹の中そのものが広大な縦の空間と化しているのでした。けれども、重力は幹の外側にむかって働いていました。まるで、密閉型の巨大なスペースコロニーのようです。所々、内壁から中央へとのびた、幹の中の枝というべき不可思議な物の先に、明るい魔法の光が点っています。それによって、帝都は昼は明るく、夜は月星の明かりの下のように照らされていました。
「盛況だな。さすが大国」
 エルシュ・ラグランツがひゅうと口笛を吹きました。
「それで、どこに行く?」
 さあ、答えろとばかりに、エルシュ・ラグランツがディオロス・アルカウスに訊ねました。
「そうですね。戦いを忘れた私には、これしかありませんから」
 そう言って、ディオロス・アルカウスがフライパンを動かす仕種をしてみせました。
「とりあえず、帝国料理のレシピ本でも漁りますか」
「ああ、今日の宿の料理も楽しみだしな」
 そう言うと、二人はユグドラシル内のメインストリートを歩き始めました。
「なんだか、騒がしい気が……」
 大きな歓声を耳にして、エルシュ・ラグランツが上を見あげました。
 ユグドラシルの中央部分を、いくつもの小型飛空艇や魔法の箒に乗った者たちが飛び抜けていきます。
『さあ、盛りあがって参りました、第5回新ジェイダス杯。舞台は再び、ここ、ユグドラシル内特設コースとなっております』
 シャレード・ムーン(しゃれーど・むーん)の実況がユグドラシルの幹内に響き渡りました。
 先頭を行くのは神戸紗千(ごうど・さち)の痛飛空艇です。少し後から、専用イコンに乗った小ババ様が、もふもふビットを乱射しています。そのもふもふビットに触れた他の選手が、次々に悶え落ちていきます。その後ろからは、安全距離をとって小型飛空艇に乗ったニルス・マイトナーフレロビ・マイトナーがついてきています。

「さすがに、トップは取れませんね」
「二人乗りですから」
 観覧席でつぶやくエステル・シャンフロウに、背後に控えたデュランドール・ロンバスが言いました。

    ★    ★    ★

「それでは、優勝者に、私から栄誉を授ける」
「こばー!」
 トロフィーを持つジェイダス・観世院(じぇいだす・かんぜいん)の前で、表彰台にちょこんと載った小ババ様が歓声をあげました。どうやら、小ババ様がライバルをみんなもふもふビットで撃退して優勝したようです。
「呑気なものだな」
「ええ、呑気なものです」
 レースの結果を見つめて、エルシュ・ラグランツとディオロス・アルカウスが顔を見合わせて笑いあいました。