薔薇の学舎へ

波羅蜜多実業高等学校

校長室

葦原明倫館へ

【ニルヴァーナへの道】ツミスクイ 脱ノ章

リアクション公開中!

【ニルヴァーナへの道】ツミスクイ 脱ノ章

リアクション


chapter.9 温度のない深編笠 


「そんなことが……」
 晴明らと合流した生徒たちは、お華との一部始終を話した。晴明の顔は、より一層険しいものとなっている。
 千住も、お華も敵だった。しかもお華に至っては、ほぼ確実に寺院の手の者であることも分かった。晴明の心は激しく波打っていた。これまで培ってきた関係が、こんなにも容易くなくなるものなのかと。
 否、まだなくなったと決まったわけではない。
 生徒たちが晴明に教えてくれたように、晴明は信じることを捨てていなかった。それに、彼はまだまともに話をしていない。千住やお華にも、理由があるはずだ。
 そう固く思い、晴明は生徒たちと先へと進んでいた。



 地下二階。
 一行は、雄軒と共に消えた千住やつかさと同時期に逃げたお華、まだ見ぬ神海や宗吾、そしてハルパーの行方を求めここまで進んでいた。
 千住やお華が地下の方へ潜ったとは考えにくい以上、ここか、それより上にいると予想はつけられる。しかし何分下手に広いこの地下城を各階ごと隅々まで捜し回っていては大幅に時間を食う。やむを得ず彼らは、地上への道を進みながら通行範囲を捜索するという方法を取っていた。
 十数分、いや、もう少しであろうか。晴明たちが歩き続けていると、向こうから人が来るのが見えた。独特のシルエットが、その正体をすぐ彼らに分からせた。
「神海!」
 その名を呼び、晴明が駆け寄る。そこにいたのは、深編笠を被った虚無僧――神海であった。
「無事であったか、晴明」
 晴明は神海の言葉に頷いた後、彼にこれまでの経緯を尋ねた。
「今まで、どこに?」
「お主らと同じだ。人を探しつつ、上を目指していた」
「そうか……」
 彼のその様子から、晴明は千住も、お華も見かけていないのだろうと察した。ならば、まだ彼らのことは言わないほうが良い。彼らから理由をきちんと聞いていないのだから。
「じゃあ、他のヤツらを探しつつ、地上を目指すか」
 晴明が言うと、神海はそれに同意し、一行に加わった。

 道中、その神海に話しかけていたのは天禰 薫(あまね・かおる)である。
「神海さん、無事で良かったのだ〜。他のお友達はどこに行ったんだろうねぇ? 無事だといいねぇ」
「……確かに気にはなるが、優先すべきは他にある」
 あくまで冷静に振舞う神海の言葉を聞き、彼女の頭に浮かんだのは、ハルパーであった。
「そうそう、大切なものがあるんだよねぇ。しかもそれを、誰かが持ち逃げしようとしているらしいから、大変だよねぇ」
 言って、薫は「裏切り者が出たとか言う噂も出てるし、物騒だねぇ」と付け加える。しかし言葉とは裏腹に、彼女の様子は朗らかだった。それが彼女の性なのかもしれない。
 その明るい表情のまま、薫は続けた。
「ねえ、裏切られるのって辛いよねぇ。我ね、誰かに裏切られちゃった事あるから、あ、またか〜って思ったのだ!」
「……そうか」
 薫の言葉に対して返答に困ったのか、一拍置いて神海が答えた、その表情は見えない。薫は彼に尋ねた。
「ねえ神海さん、どうしよう。こうしている間にも、悪い人が、逃げて行っちゃうのかな?」
「かも、しれぬな。なればこそ、拙僧らは地上へ向かわねばならないのだろう」
 矢継ぎ早に話を振る薫に、神海が淡々と答える。と、薫の声色が急に変わった。
「――でもね」
 それは、今までとは違う、厳格さを孕んでいた。
「大迷惑だよね。みんなが頑張ってここまで来たのに、悪い人が大切なものを奪っていくなんて」
「……」
 その言葉を黙って神海は聞く。薫はさらに言葉に険しさを含めて言った。
「そんなにほしいなら、狡い手を使わないで、正々堂々と取りに来やがれって思っちゃうよねぇ?」
「そう……だな」
 短く相槌を打った神海を見ると、薫は一気に刺を消し去り、にこりと微笑んだ。
 そしてもうひとつ、神海に尋ねた。
「我はみんなを信じているけれど……神海さんはどうなのだ?」
「無論だ」
 返ってきた言葉はそれだけだった。それが本当だという確証もない。しかし、薫はその言葉を含め、神海を信じていた。そんな薫の様子を、パートナーの熊楠 孝高(くまぐす・よしたか)はそばで見ていた。
 しかしそれは微笑ましく見守るというよりも、どこか心配そうな視線であった。
「天禰は、神海を信じて話をしているのだろうか……」
 聞こえることのない声の小ささで、孝高は呟いた。はっきりと口にこそ出さないが、彼は薫とは反対に、神海をそこまで信用できないでいた。
 薫は、優しすぎる。
 孝高はそう思わずにはいられなかった。しかし一方で、それが彼女の良いところであることも知っていた。だからこそ孝高は薫を好み、信頼しているのだ。
「……」
 孝高はちらりと神海の方に視線をずらした。深く被った編笠の奥にある表情は読み取れない。彼は、無言のまま腰に差している矛先が三叉に別れた刀――イヨマンテの柄にそっと手をかけた。
 もちろん、今それを振るうつもりは彼にないだろう。あくまで「いつでもそれを抜ける」という準備のためだ。孝高は用心しながら、神海の言葉のひとつひとつに耳を傾けていた。
「大丈夫だ、謝ることはない」
 すると、神海がそう言ったのが聞こえた。話の相手は、如月 佑也(きさらぎ・ゆうや)だった。
「いや、本当に失礼なこと言ってしまって済まなかった。ほら、由乃羽も謝って」
「……悪かったわよ」
 佑也に促されたパートナーの神威 由乃羽(かむい・ゆのは)が前に出てきて、神海に頭を下げる。どうやら行きの道で露骨に嫌悪感を示したことに対する謝罪のようだ。
 神海が怒っていないことに安堵の溜め息を吐いた佑也は、本題へと話を移した。
「そういえば神海さんは、崩落の時ハルパーのすぐ近くにいたと思うんだけど……その時の様子、詳しく聞かせてほしいんだ」
「様子?」
「ああ。崩落に紛れて怪しい人間の気配を感じたとか、ちょっとしたことでも良いんだ。何か手がかりになるようなこと、知らないかな?」
 佑也のそれは、神海を疑ってのものではなく、純粋に裏切り者の情報を知りたい故の問いかけだった。
「暗闇に紛れて襲ってきた者はいた。拙僧が分かるのはそれだけだ」
 佑也はその神海の話に食いつく。
「襲ってきた……? それって、ハルパーを狙って……?」
「であろうな。拙僧もその者のことは詳しく知らぬ」
 佑也はそれから情報をいくつか神海から聞き出すが、どうも神海の言う「襲撃者」はつかさのことのようだった。外見などの情報を統合すると、それはほぼ間違いない。しかし三階でつかさがハルパーを狙って急襲してきたことで、彼女がハルパーを奪取したという線も消えている。
 佑也が低く唸ると、残るパートナー、アルマ・アレフ(あるま・あれふ)ラグナ・オーランド(らぐな・おーらんど)が話に入ってきた。
「ていうか、ハルパーを狙ってるのは寺院なんでしょ?」
「いや、まあそうなんだけど、探索隊の中にその寺院の内通者がいるんじゃないかっていう……」
 アルマの言葉に佑也が返す。と、ラグナがその単語に反応した。
「内通者の可能性……」
「どうした? ラグナ」
 少し黙った後、ラグナは神海に話を振る。
「千住さん、ここ最近、何かおかしなことはありませんでしたか? たとえば、晴明さんら五人組の中で誘いに対する付き合いが悪かったとか……」
「いや、特に変化はないように思えたが」
 神海の返答に、ナグナもまた沈黙を生んだ。
「どうしたんだ?」
「いえ、少し気になっただけですわ」
 佑也にそう答えると、ラグナはこう言った。
「佑也ちゃんがさっき話した通り、今私たちは、探索隊の中に内通者がいるかもしれないと思っていますわ」
 それには晴明や神海ら五人組も含まれていることを告げる。彼女が神海に先程の質問をしたのは、それについて知るためだという。
「まあ、キレイに対して病的なまでにこだわっている晴明さんが裏切りなんて汚いことをするとは思えませんけれど」
 そして彼女は、神海のことも別に疑ってはいなかった。特に怪しい様子がこれまでなかったと判断していたからだ。
「あ、神海さんのことも疑ってませんわよ?」
 ラグナの言葉に神海は無言で頷くだけだった。千住やお華と違い、口数の少ない彼は反応が読みづらい。
「結局は、その内通者とか寺院の追っ手に気をつけておくしかないか……」
 大きな手がかりを得ることが出来なかった佑也が言うと、今度はアルマが口を開いた。
「追っ手といえば……連中、どこから来たのかしらね」
 彼女の言うそれは、地下三階で戦った寺院の忍のことであろう。
「確かに……」
「初めから紛れてた感じじゃないし、内通者ってのが手引きしたにしても人数が多すぎた気がするのよね。どこかに抜け道でもあるのかしら?」
 そう言って、アルマは神海の方をちらっと見た。
「知らない? そういうの」
「少なくとも、これまでそういったものは見つけることが出来なかった」
「……そう。じゃあ、そういう場所を見つける術とかもないの?」
「術?」
 思わず聞き返した神海に、アルマは言った。
「ほら、尺八吹いて音の反響で怪しい場所見つけるとか!」
「……拙僧のこれは探知機ではない」
 冗談か素か分からないその発言に、神海は呆れた様子で答える。
 一見、何の変哲もないただの会話の場面。
 しかしそれを、鋭い視線で見ている者がいた。それは、ファトラ・シャクティモーネ(ふぁとら・しゃくてぃもーね)である。ファトラは小さく呟いた。
「アレは、本当に神海……?」
 その言葉は何を意味するのだろうか。誰にも聞こえなかった彼女の呟きはすぐ闇に消えた。
 しかし反対に、ファトラが抱える疑念は、肥大して心に住み着いたままであった。