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【ニルヴァーナへの道】決戦! 月の港!

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【ニルヴァーナへの道】決戦! 月の港!

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chapter.10 行方 


 椋の目的は、ブライドオブハルパーの奪取にあった。
 以前葦原の地下城でも同じことを目論んだが、その時は未遂に終わっていた。彼がなぜハルパーを求めるのか、それをこの場で自ら話すことはなかった。故に、その心の中を知る術はないだろう。ただ地下城などでの経緯から、彼が強さを欲しているのは明白であった。とすれば、ハルパーにそれを求めたのかもしれない。
 モードレッドの凶行が椋の指示かどうかも定かではないが、少なくともハルパーを手に入れる障害と成り得る可能性があると踏み、未然に処理しておこうという意思は彼にもあったろう。

 椋は、姿を見せないままだ。
 モードレットの行動に晴明を含めた全員が驚きを隠せない、その意識の隙。そこを突いて、姿を消したままハルパーの所持者に一撃を見舞う算段だった。そして、ハルパーの所持者は晴明である。
 悟られぬようゆっくりと晴明に近づく椋。抜刀の構えを既に取っている彼の計画はここまでほぼ順調であった。が、晴明からハルパーを落下させるべく刀の柄に手をかけた時だった。
 椋の殺気にも似た不穏な気が僅かに漏れ、晴明がそれに感づいた。
「っ!」
 それは、一瞬だった。
 椋の抜刀術と、晴明の式神による防御。あと僅かコンマ数秒、晴明の反応が遅れていたならば、結果は違っていたかもしれない。椋の刀は、晴明まで届かず、彼の前を塞ぐ式神に阻まれていた。
「……ちっ」
 不意打ちが失敗に終わった椋は、間合いを開け、姿を現すと同時に舌打ちをした。同時に、もうひとりのパートナーである在川 聡子(ありかわ・さとこ)も彼の隣にやってきた。
「椋様、ディバイン側の目論見は……」
 ハルパーほどではないだろうが、椋がブラッディ・ディバインの意図を少し気にかけていたことを思い返し、聡子は話そうとする。が、途中で彼女は口を閉じた。
 今この場で、自分たちの立ち位置を瞬時に悟ったからだ。周りの生徒たちほぼすべてが、椋たちに反感を抱いていた。
「……退却しかないか」
 本来ならば、既にハルパーはこの手にあり、聡子の式神に運ばせていたはずなのに。
 椋は敵意を孕んだ視線で晴明らを見ると、頂点の方向とは逆へと足を向けた。逃がしてはいけないと道を塞ごうとする生徒たちだったが、モードレットの持つ槍とクロケルの魔法で威嚇され、動きを止めざるを得なかった。
 意識が椋に向き直った時にはもう、彼の姿はなくなっていた。後に残されたのは、血の海に沈む宗吾だけだった。晴明はそれを、何とも言えない表情で見下ろしていた。



 頂上の近くまで来た晴明たちは、先程の光景を思い返していた。
 特に晴明の脳裏には、宗吾の倒れた姿が鮮明に残っていた。これまで親しみも憎しみも与えた晴明は、あそこで宗吾を助けることはしなかった。もう晴明の知っている宗吾ではなくなっていたから、というのもあったが、せめて最後は誤魔化さないでいようと思ったのだ。
 自らの手で宗吾を捕らえ、自らの手で宗吾に止めを刺そうとした彼は、その姿勢を曲げたくなかった。それは、宗吾と長年共に生きてきた彼なりの、道徳観だった。
 もっとも、あの時点で宗吾が受けた傷は深く、どちらにせよ助かる見込みはほぼなかったのだが。
 晴明は、無理矢理気持ちを切り替え、ハルパーを強く握りしめた。

 頂点へ着いた彼らは、ハルパーを収める台座をすぐに見つけた。
 だが、そこには思わぬ先客がいた。玄秀も、椋も、宗吾もいなくなったはずのこのルートで最後に彼らを待っていたのは、秋葉 つかさ(あきば・つかさ)だった。彼女はゆっくりと台座の影から姿を現しながら、口を開いた。
「さて……ここからが本番です……命の取り合い……始めましょうか」
 その口ぶりと彼女の瞳は危うげで、宗吾ほどではないにせよ半ば正気を失いかけているようにも見えた。
「お前もディバイン側か」
「いいえ、私はどちらの味方もする気はありません。すべてが敵です……」
 晴明の問いにそう答えたつかさは、台座の前まで来るとそこで歩みを止めた。
「この状況で、何ができる」
 晴明の周りには、十数人の生徒。つかさひとりで到底敵う数ではない。が、つかさは歪な笑いを浮かべて言葉を返した。
「分かってますよ、何もできないのは……ですが……悪は滅びなきゃならないのですよ……そう、私という悪は……」
 言うと同時に、つかさは喉を押さえた。直後、彼女の口から耳をつんざくような咆哮が鳴る。
「……っ!」
 一瞬生徒たちが怯んだのを見たつかさは、いくつもの真空を生み出し、彼らを切り刻むべく一斉に放った。自らの死をも厭わぬその気迫は、晴明たちに危機感を抱かせた。
 この女は、本気で自分たちを殺しにかかってきている、と。
 ここに来るまでの戦いで体力が消耗しているだけに、数の利があるからと油断していては命を落としかねない。生徒たちは、残る力を振り絞ってつかさを捕まえにかかった。その戦いは激しい火花を生み、あたかも宇宙に瞬く星の群れのようであった。
「きれいだね」
 そんな晴明たちとつかさの戦いを見て、天禰 薫(あまね・かおる)はぽつりと呟いた。おおよそこの場に似つかわしくないであろうその言葉の真意は、すぐに彼女の口から明かされた。
「……どうして、こんなにもきれいな世界で、争わなくちゃならないんだろうねぇ」
「天禰……」
 パートナーの熊楠 孝高(くまぐす・よしたか)が心配そうな声を上げる。薫は、苦笑していた。その顔に若干の悲しみが滲んでいたのは、きっと気のせいではないだろう。
「たいむちゃんは、帰りたい、ただそれだけなのに。どうして、そっとしてくれないんだろうね、相手側は」
 そう呟いた薫は、一呼吸置いて、今までよりも厳しい声色で言う。
「傍迷惑だよねっ」
 そんな薫の頬には、涙が流れていた。
「天禰!? 大丈夫か!?」
「だ、大丈夫なのだっ。何か、色んな感情が混ぜこぜになって。えへへ……」
 心配する孝高の隣で、薫はごしごしと涙を拭うと、今の今まで流れていた涙が嘘だったみたいに、にっこり微笑んだ。
「行こう、孝高。我たちは晴明さんのお手伝いをして、たいむちゃんを帰してあげよう!」
 そう言って、薫は背負っていた自身の和弓――カムイ・クーを構えた。彼女の様子を見て、孝高は思う。
 ああ、お前はやっぱり、優しすぎるんだな、と。
 葦原の地下城で、薫は人を信じ続けた。しかし、その結果信じようとしていた者に裏切られた。その時の薫の気持ちは、怒りでもあり、悔しさでもあり、悲しさでもあるだろう。それらの感情が混ざって、涙となったのだ。
 だがそれでも前を向き、弓を引いて誰かのため、懸命に戦おうとする薫を思うと、孝高はより一層、愛しさを覚えた。
「お前が幾度も立ち上がり、弓を引くのなら。俺はお前を全力で支える……天禰」
「……ありがとう、孝高」
 薫の返事を聞くと、孝高は芭蕉扇を手に取った。

 つかさを中心に、ぐるりと囲みができていた。それは、戦いの渦だ。
 孝高は、その渦の中へ芭蕉扇を振るい、風を起こした。突風が一瞬彼らとつかさの動きを止める。そこに、薫は矢を向けた。カムイ・クーの弦を引き絞り、番えられた矢は薫が手を離すと同時に直線を描きつかさへと放たれた。
「……!?」
 回避が間に合わず――いや、元々攻撃を避ける気があったのかも疑わしいが、つかさはその矢を足に受け、地面に縫い付けられた。つかさが薫に視線を向けると、薫は真っ直ぐな瞳で言った。
「命はいらないのだ。ただ、邪魔をしないで」
「いらないのですか? いくらでも差し上げますのに。ほら、五体をバラバラにしてくださいな」
 つかさの返す言葉を挑発と受け取ったのか、孝高がつかさに扇を持ったまま近づいた。動きを封じられたつかさだったが、上半身が動けば充分、とばかりに真空波を続けざまに放つ。その刃の群れの中のひとつが孝高の肩を切り、じわりと血が滲む。
「あはははっ、痛いですか? 私も痛いですよ? ほら、気持ち良いでしょう? もっと気持ち良くしてくださいませ」
「言っただろう、天禰は、命を奪わない」
「怖いのですか?」
 空気の刃を放ちながら、そしてかいくぐりながらつかさと孝高が言葉をぶつけ合う。そして孝高はそのまま扇の届く間合いまで踏み込むと、つかさの喉元に突きつけた。
「他人の命を奪わないことを、臆病だと思うのか?」
 つかさが口を開こうとするが、それよりも早く次の言葉を発したのは、孝高だった。
「だが、それは間違いだ。確かに天禰は人を殺すことが出来ないが……誰かを傷つけることよりも、もっと、大切なことがあるんだ」
 それだけを言うと、彼は扇をつかさの後ろへと回し、首筋を軽く叩いた。
「……っ!」
 つかさの視界は、そこで黒く閉ざされた。生徒たちはそこでようやく、安堵の溜息を吐いたのだった。

 ついにすべての妨害を排した晴明たちは、ハルパーを台座の前へとかざした。
 それをゆっくりと、晴明が収める。無事ハルパーをここまで届けた晴明は、他の者たちも無事任務を終えていることを願った。
 ただもうひとつ、おそらく叶わないであろう願いを、晴明は胸の奥にしまっていた。

 ――できるなら、宗吾と最後にきちんと話をしたかった。

 表に出さなかったのは、「どうせ無理だから」と諦観しているからではない。はっきり願ってしまえば、未練として残ってしまいそうだったからだ。
「これで、良かったんだよな」
 晴明は自分に言い聞かせるように呟いた。彼にとってそれがひとつの区切りであり、ひとつ先へ目を向けたことになるのだろう。
 晴明は自分たちが通ってきた道を振り返り、少しの間じっと見つめていた。そこに、サンドラがすす、と近寄ってきた。
「……?」
「晴明さん、ここ、汚れが……」
 言って、サンドラが手を伸ばそうとしたのは晴明の頭だった。どうやら埃を取る振りをして撫でようとしたらしい。が、晴明に避けられ、あえなく彼女の手は空を掴んだ。
「あれっ、晴明さん」
「あれ、じゃないだろ。何しようとしてたんだ」
「何って、一番弟子として師匠を労ろうと……」
「早とちりしすぎだろ! まだ弟子にしたなんて一言も言ってないからな!」
 自然と声が大きくなってしまった晴明だったが、その顔は彼の言葉よりも随分と穏やかに見えた。



 晴明らが無事ハルパーを台座に収め、頂点から離れて少し経った頃。
 意識を取り戻したつかさは、自分が生きていることを認めると、自嘲気味に笑った。
「……死に場所を求めても、それすら出来ないなんて、私はどこにいても、何も出来ないんですね」
 と、言い終えた時初めて、彼女は目の前に誰かが立っていることに気付いた。
「誰ですか?」
 上を見上げるつかさ。そこにいたのは、かろうじて呼吸のみを行っている、血まみれの宗吾だった。槍による一撃が即死に至らず、彼に最後の時間を与えていた。と言っても、もはや目は何も映さず、耳も聞こえない。歩くことすら困難で、刀を杖のようにしながらここまで来たほどだった。
 あと数秒だろうか。それとも数分だろうか。いずれにせよ、そのくらいの短い時間で、宗吾は死ぬ。彼は残った生命を、言葉に代えた。
「……やー、くん」
「何を……」
 つかさはまったく関係のない名前を呼ばれ、眉をひそめた。同時に、彼女は腹部に違和感を覚える。熱い。なにか、べっとりとした熱さがある。つかさはそこに手を当てた。
 すると、彼女の手は一瞬で真っ赤に染められた。宗吾の刀が、つかさを貫いたのだ。つかさは一、二度むせると、口から血を垂らしながらその場に倒れた。その横に、宗吾も前のめりに伏す。横たわったつかさは、不思議と笑顔を浮かべていた。求めたものが手に入った充足感からだろうか。反対に、宗吾は目に涙を溜めている。生まれてからの記憶が溢れ返り、それは言葉を押し上げる力となって彼の喉を震わせた。
「ごめんな、やーくん」
 涙が落ちた時、もう宗吾の瞼はおりていた。