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これが私の新春ライフ!

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●対峙

 ローはオミクロンを見張りに来たと言った。
 そのオミクロンは現在、バロウズ・セインゲールマン(ばろうず・せいんげーるまん)一行と対峙している。
 きっかけは単純だ。並んで拝殿に手を合わせた隣の少女に、バロウズは既視感を抱いたのだった。
(「……? あれは、確かクランジの……『Ξ(クシー)』? いえ、服装も違うし、雰囲気も違う。けれど、似ているだけの他人にしてはあまりにも似すぎている……」)
 さりげなくバロウズはオミクロンの後を付け、閑散とした裏庭で声をかけた。
「……あなた、『クランジ』ですね?」
 囁くように告げた。普通の人間であれば、この単語には反応しないはずだ。
「お前もまた、『クランジ』であろうに」
 オミクロンは振り向いた。高周波音声、一定レベルの機晶姫でなければ通じない声だった。バロウズが反応するのを見るや彼女は腕を伸ばし、バロウズの喉に手をかけて彼を片手で持ちあげた。加えて、恐ろしい力で絞め上げていた。
「勘違いするな」オミクロンは、通常音声で告げた。「お前は私を尾行(つ)けたつもりだろうが、接触したのは私のほうだ。かかったな」
「なるほど……人気(ひとけ)のないところまで誘導したのもそのためですか……」
「私はクシーほど甘くないつもりだ。お前、本当にクランジ『Ω(オメガ)』なのか? 知っていることを話せ」
 ギリ、とオミクロンの握力が高まった。本気を出せば彼女は、バロウズの首を握りつぶすこともできるだろう。
「知らないんです……」
「とぼけるのも大概にしてもらおう」オミクロンは言った。「それと、お前の『お友達』がなにか仕掛けても無駄だ。救う前にお前が、死ぬ」
 オミクロンが平然と言い放ったので、建物の陰に隠れていたアリア・オーダーブレイカー(ありあ・おーだーぶれいかー)、それにリアンズ・セインゲールマン(りあんず・せいんげーるまん)は姿を現した。
「バロウズを放せ。首を絞めながら質問して、それが話し合いとして成り立つと思うか?」
 リアンズは冷静である。相手の求めるものが情報である以上、有効な交渉術だ。ところがアリアは何をどう誤解したのか、
「バロウズ! 最近様子がおかしいから『まさか』とは思っていたけど……その女とはどういう関係なのよ! ひょっとしてこれ、痴話ゲンカじゃないでしょうねっ!?」
 そんなことを言ってカンカンに怒っているのだった。
「なんだあれは……? 一人、馬鹿が混じっているな」
 と言ったオミクロンの横面を、バロウズは浮いた足で蹴りつけていた。強烈な一撃ではないが相手を驚かせるには充分、絞めていたオミクロンの手が外れる。ぱっと後転してバロウズは彼女と距離を取った。
 ネクタイスーツ姿のバロウズは立ち上がった。このとき、アリア、リアンズ、共に動こうとしたのだが彼は眼で二人を制していた。
「蹴ったことは謝ります。なんなら、後で蹴り返してくれたっていい……。ただ、アリアは僕のパートナーです。彼女を侮辱する言葉は撤回して下さい」
「……」
 頬を打たれたオミクロンは一瞬、刃物のような視線になったが、次の瞬間には落ちたとんがり帽子を拾い、手で土を払って頭に乗せた。すでにその表情は平静を取り戻していた。
「撤回しよう、バロウズ・セインゲールマン。確かに……体の構造といい、攻撃する時の速度や角度といい、お前は我々と似た要素があるようだ。我々クランジはそのすべてが女性型だ。ただ一機、永久欠番の『オメガ』を除いてな。クシーがお前を兄弟(ブラザー)とみなしたのも故無きことではなさそうだ」
「ただ、僕にはそんな記憶はありません。記憶自体があまりにもあやふやで……ですが……ですが僕は喜んでいます。なぜって、同類……いや、家族と言えるような存在がいたことが判明したんですから、これほど嬉しい事はそうありません」
 すると、とアリアはリアンズに告げた。
「ってことは、あの人はバロウズのガールフレンドじゃなくてお姉さんってこと!?」
「……まあ、そんな単純な話じゃなさそうだがまだその解釈のほうがマシだな。しかしだなアリア、今日はしばらく黙っておいたほうがいいであろうな、色々と」
「我々の同類で嬉しい……だと、一般人の生活をしている者がか。やはりお前たちは私の理解を超えている……」
 オミクロンは頭がふらつくのを覚えた。熱を帯びすぎたときのようにグラグラと揺れている。ローザマリアに捕獲されてからずっと調子がおかしいのだ。七枷陣によるハリセンとかいう武器をかわすことができなかったし、今また、バロウズの攻撃を予期すらできなかった。そして、
「新手……!」
 と振り返ったときには、すでに彼女は自分が包囲されているのを知った。
「オミクロン……さん、まさかここで出会えるなんて」
 現れたのは榊 朝斗(さかき・あさと)、それに、ルシェン・グライシス(るしぇん・ぐらいしす)アイビス・エメラルド(あいびす・えめらるど)だった。
 朝斗はしかし、これが夢や幻の類とは思わなかった。空京大学での遭遇以来ずっと、再び会えるという気がしていたのである。それは単なる願望だったのかもしれないが、漠然としたものではなかった。数ヶ月せぬうちに再会があるという確信めいたものがあった。
「君には訊きたいことがあるんだ」
 と、前に出ようとした朝斗を押しのけ、ルシェンは銃を抜いて激鉄を起こした。
「どいて下さいっ、朝斗! あの機晶姫……いけしゃあしゃあと再び朝斗の前に姿を現すなんて……!」
 ルシェンは血が煮えたぎるような怒りを覚えていた。許されざるは、オミクロンが朝斗に大して行った『あの行為』だ。頬へのキス……ルシェンはまだ彼にしたこともないというのに……!
「バロウズさんも下がっていてください。ここでその不埒女を成敗します!」
 本来、穏やかで他人に優しい性質のルシェンなのだが、こと朝斗に関してだけは別だ。彼に何かする者、彼を奪おうとする者は絶対に許さない。
「援護射撃願います……!」
 ルシェンがアイビスに呼びかけたとき、普段なら即反応するはずのアイビスが、わずかにためらいのような動作を見せた。といってもアイビスは、オミクロンを攻撃することを躊躇したのではなかった。

 その人は手を差し伸べ、アイビスを呼んだ。
 でもアイビスにはできなかった。できない理由があるのだ。
 アイビスは首を振った。
 するとその人は、アイビスの手首を掴んでくれた。そして連れていってくれた。
 その光景には、神社の鳥居が映り込んでいた……。


 これら光景が凄まじい速度でアイビスの脳内を走ったのだ。唐突に記憶がフラッシュバックしたのだった。オミクロンという強敵を見たことで、アイビスの記憶のロックが一部弾け飛んだのだろうか。
(「……ん、何でしょうこのビジョンは? 以前にどこかで……?」)
 アイビスはすぐに立ち直り正面を向いて、事態が一変したことを知った。
 ルシェンの銃口を朝斗が押さえていた。
「やめるんだ、そんなことは」
「朝斗……」
「僕は基本的に、彼女を敵だとは思ってない」
 通常のルシェンであればこれですぐ目を覚ましたことだろう。ところが今日のルシェンは、嫉妬に身を焦がすルシェンなのである。眼に涙すら浮かべてなおも言った。
「だったら、その彼女は朝斗にとって何なんですか! 密かに憧れている年上のお姉さんだとでも言うのですか!?」
 突然何を言うんだと思ったものの、朝斗は負けじと力強く答えた。
「その……憧れのお姉さんというのだったら、僕にとってそれは、ルシェンだよ
「えっ」
 途端、ぼっ、とルシェンは顔を真っ赤にしてしまった。言った朝斗にとっては特に違和感もない。ごく自然に昔から、そう考えていただけのことだ。
 そして、オミクロンにとっても驚いたことがあった。バロウズが両手両脚を広げ、銃口からオミクロンを庇うようにしてその眼前に立ったのである。
「この人は僕にとって家族と呼べる存在なんです……撃つのは、どうかやめて下さい」
 きっぱりとしたその口調は、嘘や思いつきで出たものではなかった。
「気分が……」
 オミクロンは再度、立ちくらみのような感覚に陥っていた。この者たちはどうしてこんなにお人好しなのだ。この者たちといると、自分を自分たらしめていたアイデンティティーが崩壊していくような気になる。次、妹の命とこの者たちの命を両天秤にかけられるような指令が下ったとして、きっとそれを遂行するはずとはいえ、最後まで冷静に成す自信はもう、オミクロンにはなかった。
(「私は……もう、兵器としては終わってしまったのか……!」)
 潜入のつもりで神社に来たオミクロンであったが、本心ではこの感覚を味わいたくて来たのかもしれない。なぜなら優しくされるのは……認めたくはないものの、気持ちが良かったからだ。
「帰せ、帰してくれ……私は帰る……」
 バロウズ押しのけて、オミクロンは鎮守の森の向こうに逃げようとした。
「待って、オミクロンさん」
 彼女の背に追いすがり、朝斗は問うた。
「教えてほしいんだ。アイビスの記憶がロックしているのをなぜ知っているのか……」
「私の同族は似た境遇の者ばかりだ……見れば判る」
「空大で調べていたことと、タイプII以外のクランジについても……」
「それ以上は駄目だ。私はお前らの敵だぞ」
 ここで一端足を止め、クランジΟはルシェンを見た。一跳躍で近づいて、
「そうだ。お前……」
「な、なんですか……?」
 ルシェンはたじろいだ。さっきは嫉妬のせいか威勢の良い行いに出たものの、こんな恐ろしい敵とまともに一対一で戦うのは避けたい。しかし、
「これでおあいこだ」
 オミクロンの実際にとった行動は別だった。オミクロンは、ルシェンの頬に口づけたのだった。
「え……?」
 いやそれはおあいこじゃないでしょ! とルシェンが声を上げる前に、オミクロンは駆け出し、姿を消してしまっていた。