リアクション
○ ○ ○ ヒラニプラの東、ヴァイシャリーの南。トワイライトベルトの中に、温泉がわき出ている渓谷がある。 シャンバラが東西に分かれている頃、東シャンバラ政府主催による、契約者の合宿がこの場所で行われていた。 現在は、使われていない場所だけれど。観光や、癒しを求めて、訪れる契約者は未だ少なくはない。 トワイライトベルトは、近づき難い場所。 だけれど、この温泉のある場所は別だった。 明るい光よりも、薄闇の方が人を素直にしてくれるのかも、しれない。 川側――かつて、男性用とされていた温泉に頭までぶくぶくと浸かっているのは皆川 陽(みなかわ・よう)。 合宿終了テストの成績優秀者であり、薔薇の学舎のイエニチェリの少年だ。 (一緒にテストを受けた沢渡さん。あの時、テストに合格して、沢渡さんとお友達になって) 彼女はロイヤルガードになり、立派に国の為に働いている。 でも自分は……どういうわけか、校長の選出によりイエニチェリに選ばれたけど。 まだまだ未熟で、何もできない自分だから。イエニチェリの仕事なんて、あまり勤まらなかった。 大きな事件の時にも、校長の心に従った働きなんてできなかった、し。 と、陽は最近のことを、自分の未熟さを思い起こしていく。 (……ココ、湯浴み着あって良かったよな、ホント……) そんな風に、ぶくぶく浸かっている陽を近づきすぎずに、テディ・アルタヴィスタ(てでぃ・あるたう゛ぃすた)は見ていた。 以前、陽と一緒にここを訪れた時は。2人はもっと仲が良かった。 温泉に一緒に浸かったのなら、テディの方からもっと積極的に、陽に絡んでいたはずだけど。 今は――それは、できない。 もう長い間、気まずい関係が続いていた。 (温泉に行くだなんて。僕がついていくこと当たり前なのに) 相変わらず、自覚ないよねこの人。 そんな目で、テディは陽を見て、軽くため息をつく。 過去は、違ったかもしれない。 だけれど今は本当に。 テディは苦しい恋心を抱えて、陽のことを好いている。 陽はそれに一向に気付かない。 「よし!」 突如、その陽が湯から顔を出す。 「ボク、もう一回イエニチェリを目指すことにする!」 イエニチェリは校長交代に伴い、解散となった。 だから、陽は今、イエニチェリではないのだ。 「今度は本当に、ちゃんと皆の役に立てるような働きの出来る人間になりたい!」 それは、この合宿に訪れていた時の陽とは比べ物にならないくらい、前向きな考えだった。 「ボクなんかには遠い遠い目標かもしんないけど、できっこないかもしんないけど、でもでも、ボクは、目指したい!」 彼の決意を聞きながら。 今度はテディが湯の中に口を沈めて、ぶくぶくしていた。 「沢渡さんみたいに。自分の中の大切なものを守れる覚悟を持った、そういう人になりたい!」 決意を固めた後で。 陽は立ち上がって、テディに目を向ける。 彼は口は湯に沈めてしまっていて、何も言ってはこない。 目だけ自分に向けていた。 「……で、さ」 ちょっと言いにくそうに、陽は言葉を続けていく。 「いろいろあって、お互いに気まずいところもある、けど」 「……」 「ボクひとりで出来ることには限りがあるんだ。だから、良かったら、協力してよ」 陽の言葉に、テディは湯から口を出して「はい」と返事をする。 「なれると思いますよ。だって貴方は僕のマスターだもの」 「テディのマスターだったら、どうしてイエニチェリになれるの? テディが協力してくれるからって意味?」 「そうじゃないですよ。勿論、命令には従いますけれどね」 「命令じゃないよ」 陽はテディの目をまっすぐ見つめる。 テディは気まずさから目を彷徨わせてしまうけれど。 それでも、陽はしっかりテディを見詰めて、言葉を続ける。 「『友達』としてのお願いだよ」 その言葉に――。 テディは更に、無口になる。 主従以上に、彼が自分を想ってくれることは嬉しい。 だけど、友達。 彼にとって、きっと自分はそれ以上でも、それ以下でもない。 ――陽は気付いていない。 自分の魅力にも、才能にも。 (やろうとさえ思えば、本当は何だって出来るんですよ。貴方は一向に気付こうとしないですけど) 「……イエス、マイ・ロード」 テディのその答えに、陽はちょっとだけむっとした表情を見せた。 まだ、友達に戻れないのかな。友達になれないのかな。 ボク、のことを、一人の人間として、ちゃんと見てくれていないのかな。 そんな消極的な想いが渦巻いてしまうけれど。 「約束だよ。一緒に、頑張ろうね」 陽は頑張って、テディに微笑みかけた。 こくんと頷いたテディは何故か自分から目を逸らす。 立ち上がった陽の裸の上半身が、湯から出ていたから。 テディが少し離れた位置にいることにも気づいて、陽はわずかなショックを受けるけれど。 テディの想いには、まるで気付かない――。 ○ ○ ○ 「意外と片付いてるね」 合宿所として使われいた建物に入った、グレイス・マラリィンは、そう感想を漏らした。 合宿が終わって半年以上経っている。また雑草ばかりになっていてもおかしくないのに、室内は合宿時とあまり変わりない。 地下も荒らされた形跡はなかった。 「契約者がたまに利用してるみたいなんだ。この辺りには他に何もないからね。荒しに来る者もいない」 高月 芳樹(たかつき・よしき)は、宿帳として置かれているノートをめくりながらそう言った。 ノートには、訪れた者達のサインが残っている。イラストや、絵日記を残していく者もいた。 「人里から離れてるし、一般の方が来るような場所じゃないから、のんびり自然を楽しめるのよね」 アメリア・ストークス(あめりあ・すとーくす)は、ノートを覗き込んで、皆が描いていった楽しそうなイラストや言葉に淡い笑みを浮かべる。 「わらわ達ものんびりするのじゃ! とはいえ、旅館とは違って、世話してくれるものはおらんのじゃがな」 伯道上人著 『金烏玉兎集』(はくどうしょうにんちょ・きんうぎょくとしゅう)は、部屋を確かめてみることに。 「価値のありそうなものは、回収してしまったけれど、まだ何か残っているかしら……」 マリル・システルース(まりる・しすてるーす)も、当時、自分では調べなかった部屋へと向かっていく。 「あ、罠はまだ残ってるな」 芳樹はグレイスと歩いて、罠のあった部屋に入った。 珍しいものは何も残ってはいないが、侵入者を阻む魔法的な罠はまだ残っているようだった。 「本があるな……」 本棚の中に置いてあった本をグレイスが手に取ってみる。 内容は……合宿の記録だった。 誰かが残していったらしい。 その他の置いてあるものも、ほとんど、合宿時に持ち込んだものだ。 「表面上は何も残っていないが……まだ、この建物には秘密があると思うんだ。歴史的価値もあるしね」 芳樹は特に価値のなさそうな、薄汚れた置き物を見ながら言う。 「今後もこの建物に存在しているかもしれない収蔵物を探し出して、研究していくことって出来ないかな?」 「してもらっても構わないが、僕はもうここには秘密はないと思ってるよ。合宿時に十分な時間をかけて、君達と調べたからね」 「うーん。何か見つかったら、この場所に展示をして記念館にしたいと思うんだけどなー」 「合宿の時にも、この場所を温泉施設として、誰でも使えるようにしたらどうかという話が出ていたけれど、人里から遠いから、管理の依頼が出来ないんだ。価値のあるものを置くなら、それこそ警備体制が必要になってくるし」 だから、とグレイスは続ける。 「複製や写真を置いたらどうかとも思う。訪れた者が誰でも自由に使える、山小屋のような場所にして。イルミンスールに持ち帰った資料から、公開出来るものを選んで、複製したり、写真を撮ったりして、ここに展示するんだ」 「それいいですね。是非やりたい!」 芳樹は目を輝かせる。 「温泉や伝説の果実も採らねばのう」 「伝説の果実を使った、お菓子のレシピなんかもあってもいいかも?」 玉兎とアメリアが顔を出して、そう言った。 「そうして、ずっと残っていくといいですね。また廃れてしまうのは、残念だもの」 マリルも歩み寄り、芳樹に微笑みかける。 芳樹は首を縦に振って、パートナー達に笑顔を見せる。 「自然が溢れてて、近くに温泉が湧いていて、ネットが使える。建物には歴史的な価値があって、備品もそろってるとなれば、川を下って観光に訪れる人も増えると思うんだ」 一般人にももっと、この場所を、歴史を楽しんで欲しいと芳樹は思う。 「じゃ、他の部屋も見てみようか」 芳樹はパートナー達と、隣の部屋へと向かう。 グレイスは意欲的で前途有望な彼と、一緒に建物を探索するパートナー達を穏やかに見守っていた。 |
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