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第3章 捕虜交換

 ラズィーヤから資料を受け取った後。
 神楽崎 優子(かぐらざき・ゆうこ)は、アレナ・ミセファヌス(あれな・みせふぁぬす)と共に、クリス・シフェウナや御堂晴海、エリュシオン人を護衛しながら、ヴァイシャリーを発とうとしていた。
 既に護衛対象とアレナは船に乗り、最後に優子も乗り込もうとしたその時。
「生徒の仕事ではございませんわよね。これは軍人としての仕事……」
 同行していた百合園生のキュべリエ・ハイドン(きゅべりえ・はいどん)が、優子にそう言った。
 振り向いた彼女に、微笑みかけながらこう問いかける。
「ラズィーヤ様は、あなたを遠ざけたいのではないかしら?」
「何故そう思う?」
 訝しげな目で、優子はキュベリエに尋ねる。
「平和になりましたから」
 キュベリエはそうとだけ言う。
 戦時において優子は百合園で一定の役割があったが、平時においては厄介者になる可能性もあり、表向きは教導団に留学という名目で遠ざけたいのではないか?
 そう匂わせたつもりだった。
「それはないと思う。ただ、今以上の何かを求められているような気はするけどね」
「例えば、留学とかですわね。教導団で人脈を作ればいずれロイヤルガード隊長として復帰する場合においても生かせますし、国軍の多くが教導団で占められてる現状にはなんとなく不安ですから。優子さんが国軍にいてくださったら、皆も安心できそうですわ」
「そうか……。うん、考えてみるよ」
 優子はそう答えてタラップを上っていく。
 キュベリエはここで見送ることにした。
 互いに、親交はないため、それ以上の内心は語らなかった。
「彼女が教導団に行きましたら、若葉分校は廃校になる可能性がありますわね」
 キュベリエの後ろには、パートナーの金死蝶 死海(きんしちょう・しかい)の姿がある。
 彼女は今まで何も言わずに、黙ってついてきていた。
 そうすれば、若葉分校の大胆な改革に着手できる……死海にはそんな考えがあった。
「百合園の内政にはあまり口を挟まない方のようですけれど、その存在感、そして彼女の一言は、選挙に大きく影響を及ぼすと思われますわ」
「今は、留学していただいた方が良いのですよね」
 優子の姿が見えなくなると、キュベリエは船に背を向けて、死海と一緒に歩き出す。
 キュベリエは百合園の生徒会長に立候補していた。
 帝国寄りの改新派である彼女には、百合園生への影響力が強い優子の存在は、障害のように思えていた。
 悪意があるわけではない。
 理想の百合園を作るには『今は』いないでくれた方が助かるだけで――。

「教導団への留学を考えてるのかしらー?」
 船室に入る優子に、話を聞いていたオリヴィア・レベンクロン(おりう゛ぃあ・れべんくろん)が問いかける。
 オリヴィアは見送りについてきた桐生 円(きりゅう・まどか)に同行し、注意を払っている。
「そんな話が出ているだけで、今はまだ決めてない」
「むしろ優子さんを追い出したいのは、あの方のような気がしたわよぉ〜」
「なるほど、それも考えられるな」
 苦笑しつつ、優子は船長に出発してくれるよう、お願いをする。
 それから、クリス・シフェウナに話があるという円と一緒に、彼女のいる部屋へと向かった。
「優子さんは、晴海さんとちょっと話をしてほしいな」
 円は優子にそうお願いをする。
 以前、クリスから聞いた晴海の話を、円は優子に話してあった。
 その話を聞いたこともあって、優子は晴海の減刑を求め、晴海の刑は軽くなった。
 シャンバラに残っても、彼女は来年には更生施設を出ることができるはずだ。
「ロイヤルガードとしてではなく、一個人として、百合園の先輩として、最後になるかもしれませんし……彼女の為に、世間話をしてくれませんか?」
「世間話か。……自分のことについては、もういいんだが。百合園の友人が危険な目に合うことを承知で組織に与し、命令に従ってきたことに関しては、許すことはできない」
「そういうことナシで、話してみてほしいんです」
「何を話せばいいのか、うーん……まあ、頑張ってみるよ」
 優子はまた苦笑して、自分はクリスとは違う部屋にいる晴海の元に向かっていった。
「私も同行させてください。気がかりなことがありますので」
 護衛に加わっている教導団のザウザリアス・ラジャマハール(ざうざりあす・らじゃまはーる)が、優子の後を追って行った。

「やぁ、久しぶりクリスくん」
 その部屋にいたのは、クリスだけではなかった。
 共に部屋に入ったオリヴィアと、監視の兵士をドアの前に残し、円はクリスに近づいていく。
「……久しぶり」
 クリスはばつが悪そうな表情をしていた。
「エリュシオンに君が行く前に、お礼をと思って護衛にね」
「お礼……?」
 円は首を縦に振って、微かな笑みを見せた。
「なにも解らなくて、迷ってたボクに……ソフィアが自分を殺してほしかったのかもという考えを教えてくれた事は、すごく新鮮だったし、視野が広がった気もする」
 円の笑みには少し悲しみの感情も混じっていた。
「今でもどうしようもないけど、考え方を変えるきっかけをくれたのが、ソフィアと君だと思ってるんだ。だからそれは感謝してる。――ありがとう」
 心を込めて言い、円はクリスに頭を下げた。
「私はあなた達に感謝されるようなこと、何一つしていない」
 そう突っぱねる彼女に、円はソフィアの遺体を無事に回収できたことを話した。
「そう、よかったわね」
 返事はそっけなかったけれど、喜んでくれているようだ。
「もうすぐ、親しい人に会えるのかな? エリュシオンに行ったら、シャンバラにいた時より、面会に来る人が増えるだろうね。……ボクとしては、それでよかったと思っている」
 円は、クリスのエリュシオン帰還に対する、自分の考えを語っていく。
「裏切り者として、百合園に居るのと、エリュシオンで新しい生活するのは、どっちが楽かと思うと、エリュシオン側かと思う。ちゃんと、お兄さんは護ってくれそう?」
 その言葉に、クリスは眉をぴくりと揺らす。
「護ってくれるなら、すべて安心なんだけど。……晴海くんも、クリスくんが護ってあげなきゃね」
「そうね……晴海が、エリュシオンで楽しく暮らせるように、頑張りたい。頑張りたい、けどね。私はすぐには自由になれないと思うからなー」
「それでも、出来ることはあるよ。精神的な支えにもなれる。クリスくんが前向きでいるなら、ね」
 それから、と円は言葉を続ける。
「キャンディスくんから、クリスくんが書いた短冊見せてもらったんだけど、読めなくて欲しいもの用意出来なかったよ! ……多分、ボク達にはあげられないものなんだろうね」
「……うん。実は」
「実は?」
「素敵な恋人が欲しいって書いた」
「え!?」
「内緒よ。被害者に知られたら、袋叩きじゃすまないと思うし。でもあなたは……少しの間、仲間だった人だから、ね」
 そう言って、クリスは笑みを見せた。
「はは……。でもそれ、なんか冗談に思えるよ?」
「そう、かもしれないし。そうじゃないかもしれない。大体、そんなようなことを、書いたってこと」
 円とクリスは軽く笑い合って。
 それから今度は、クリスの方から円に。
「ありがとう」
 と、心からのお礼を言った。
「これも、他の百合園生や、あの時私や晴海を力づくで止めてくれた人達にも言えないことだから。でも、感謝の気持ち、持ってるのよ。だから、ありがとうございます」
 クリスは円に頭を下げた。
「うん、何かの機会に、クリスくんに今もらったお礼の分だけ、多めに皆にお礼を言うことにするよ」
「うん」
 そしてまた笑い合って。
 護衛として円はクリスの傍にいるつもりだったけれど、こうして話をするのは最後になるだろうから。
「じゃあね」
「さよならね」
 そう言って、2人は別れた。

 通路に出ると、優子も晴海との会話を終えて出てきたところだった。
 円はクリスとの会話を掻い摘んで優子に話した。
「嘘は行ってなかったみたいですよ〜」
 付き添っていたオリヴィアは、嘘感知で注意を払っていたが、違和感は感じなかった。
「こちらも、不審な点はなかったわ」
 そう言ったのは、ザウザリアスだ。
 彼女は優子に同行し、晴海が本人かどうかも含め確認をしていた。
 優子との会話から、本人と考えて間違いなさそうだ。
 ラズィーヤが何か策略を張り巡らせていそうだとザウザリアスは考えていたが、今のところ、特に変わった点は見当たらなかった。
 サウザリアスはラズィーヤが御堂晴海を使ったスパイ行為を企てている可能性や、事故に見せかけた殺害行為も起こり得ると、教導団員らしく油断なく注意をしていた。
「普通に会話をしたよ。事件が起こる前と同じようなことをね」
 優子は円達にそう話した。
「ヴァイシャリーに残りたいとか、地球に帰りたいって言ってた?」
 円の問いに、優子は首を軽く左右に振る。
「彼女はパラミタで生きるつもりのようだ。特に引き止めはしなかった」
「そう、そうだね。それがいいと思います」
 クリスはすぐに釈放されることはなさそうだが、それでも、晴海が望むのなら彼女の近くにいた方がいいはずだから……。
「その捕虜交換だけど、帝国側から返還される捕虜はどなたでしょうか」
 ザウザリアスが優子に尋ねる。
「これまでの戦いで、捕虜として掴まっていた軍人や、エリュシオンで捕縛された一般人のようだ」
「それはこちらが引き渡す捕虜と同等の価値のある捕虜、でしょうか?」
「交換といっても、形式的なものだよ。戦争中の交換じゃないからね。和平を結んだ国だから、互いに互いの国民を国へ返すということだ」
 クリスと晴海は一般の契約者だ。そこまで優れた能力を持っているわけではない。
 クリスが預かっていた魔道書も、ユリアナ・シャバノフの導きにより、既に龍騎士団の手に渡っている。
 特にこの取引に裏はないようだった。
(白輝精当たりの話題が出そうだとも思ったのだけれど、思い違いかしら)
 それでもサウザリアスは引き続き、注意を払っていく。
「……湖、綺麗だね」
 甲板に出て、目を細めながら円は言った。
 優子は「ああ」と首を縦に振る。

 ヴァイシャリー湖は波もなく、とても静かだった。
 クリス達が渡るパラミタ内海も、今日は静かだろうか――。

○     ○     ○


 船着き場で船を下り、車や馬車に乗り換えて交換が行われる港へと向かう。
「護衛、させていただきますね」
 乗せられた馬車に乗り込んできた少女を見て、クリスは困ったような表情で目を逸らした。
「怒りませんし、責めたりもしません。少し、お話を聞かせてください」
 言って、少女――ソア・ウェンボリス(そあ・うぇんぼりす)はクリスの向かいに腰かけた。
「ご主人は甘すぎだな」
 その隣に、雪国 ベア(ゆきぐに・べあ)が腰かける。
 クリスは、百合園生と協力者が離宮対策会議を行っていた場に、薬品を振りまき、火を放った過去がある。
 その際、現場にいたソアもクリスの行いのせいで、重傷を負った。
 だけれどソアはそのことを責めるつもりはなかった。恨むよりも、どのような想いでそんな行動をしたのか、知りたいと思っていた。
 ベアの方は、大切な主人に酷い怪我を負わせた彼女に対し、甘い姿勢を見せるつもりはなかった。許せないというより、彼女が多くの人を傷つけた自覚を薄れさせるのは良くはないと思うから。
「クリスさんは、エリュシオン人だったのですね。百合園に入る前から、エリュシオンの……犯罪組織の一員だったのでしょうか?」
 どうして組織に入ったのか。そこでどのような活動をしていたのか。
 責めるようではなく、穏やかにソアは聞いていく。
「何を言っても言い訳にしか聞こえないとは思うけど……」
 吐息をついた後で、そう前置きをしてクリスは話し始める。
 物心ついたときには、エリュシオンの孤児院で暮らしていた。
 その孤児院自体が組織が運営していた施設だったから、気付いた時には組織の一員であったということ。
 育ての親も家族と思っている仲間達も全て、組織の一員だった。
 家族に連れられて、空京に訪れた際に、晴海と出会い契約をして。クリスは契約者となった。
 特別な存在となったことで、クリスに本部から任務が言い渡される。
 ……それが百合園への潜入だった。
「クリスさんは、家族の為に戦っていたのでしょうか」
 ソアの言葉に、クリスは答えなかった。
「エリュシオンからは、お前も戦争の被害者だとも主張してきている。おまえ自身も自分も戦争の被害者だと思っているのか? シャンバラで罪を償う気はないのか?」
「被害者だとは思ってない」
 ベアの厳しい質問に対して、クリスは口を開いた。
「だけど、被害者が満足のいく償いなんて出来ないと思ってる。悪い事をした自覚っていうのも……薄いと思うし。私にとって当時それは正しかった。ただ、晴海に悲しい想いをさせたことや、親切にしてくれた人達へ申し訳ない気持ちもある。
 だけどやっぱり、今の記憶を持ったまま、2年前に戻ったのなら……。同じことを繰り返すんだと思う。家族が捕まらない方法を、組織が成功できる方法を私は多分考える」
 そんな私を誰も許したいとは思わないだろうし、シャンバラで自分が『更生』できるとは思っていないとクリスは語る。
「自分がしたことが、まだよく解ってないようだな」
 ベアは呆れ声で行った。
「ヴァイシャリー側が正義だったとしても、私から多くのものを奪ったことに変わりはないの。……殴ってもいいわ。いつか私は殴り返しに来る。復讐をする小さな理由になる」
 クリスの言葉に、ベアは腕を組んでそっぽを向く。殴っても何にもならないことが良く解る。
 話を静かに聞いていたソアが、悲しげにこう言った。
「『自分達の大切なものを守る為に、それ以外を傷つけるしかない』というのは、やっぱり悲しいです」
「このクマはともかく。……あなたのような子に話すようなことじゃなかったのだけれど。騙して、反省した演技でさよならするより――正気に言いたいと思った」
 あなたが、真剣に私と分かり合いたいと思ってくれているようだから、と。
 クリスは最後にそう言って。
 少し寝るわ。と言い放ち、勝手に目を閉じた。
 組織が、犯罪組織じゃなければ――彼女は、家族と共にまっすぐ育ち、違った形で自分達と知り合い、笑い合っていた娘かもしれないなとソアは思う。
「そんな状況に追い込まれてしまう前に、少しでも違う道が拓ける可能性を作っていきたいです。これからは、クリスさんも」
 別の場所、別の立場からだけど。
 同じように考えていければいいなとソアは思いながら、自分も少し休む為にそっと目を閉じた。
「着いたら教えるからな、ゆっくり休めよ、ご主人……」
 ソアが目を閉じた後に――クリスが軽く目を開けて、ソアをちらりと見たことにベアは気付いていた。