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死いずる村(前編)

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死いずる村(前編)
死いずる村(前編) 死いずる村(前編)

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■4――二日目――03:00


「手伝いをしてくれて本当に有難うね」
 山場弥美の声に、弁天屋 菊(べんてんや・きく)は、寝る間も惜しんで用意していた料理から、顔を上げた。来訪者が多いこともあり、休む間もなく、彼女は料理を手伝っていた。
 主に手がけているのは、ハナイカダである。
 この村の民宿にもその名が付けられる程、秘祭の前に、この山菜は山場村で多用されるらしい。本来は、五月から六月に採取される山菜であるが、山場村ではそれを保存しておき、菜飯の素材として用いているようだ。
 ハナイカダは、葉の上に花が咲く。
 その更に上に、黒い実がなるという、一般的ではない――通常では考えられないような特徴を持っている。
「ハナイカダを使った菜飯は、有る意味、この山場村の郷土料理とも言えるのよ」
 弥美が言うと、菊が眠気をこらえながら微笑した。
「秩父山菜のハナイカダには葉面に花芽ができて、見た目には葉の上に花が咲き、黒い実を結ぶ――指でしごいて採取するんでしたっけ?」
「ええ、そうよ。よく知っているのね」
 弥美が嬉しそうな顔をすると、菊が誇らしげに頷いた。
 料理が得意な彼女は、素材の扱い方にも、相応の知識があるのである。
「古くはこういう作業に手を貸してくれて、村の外れまで採取に言ったのが、涼司ちゃんの方の名字が、『山葉』となった由来らしいわ」
 弥美のその声に、菊が首を傾げる。
 伝統の食事には、その地方の文化や慶弔事への捉え方が現れるものである。まして神事の場にて振舞われる物であれば、殊更民俗学的なもの――それこそ風習や信仰が現れるものなのだろう。つらつらと話を聴いていた菊は、何かが『博識』に触れた気がした。
「山場と山葉は韻が同じで、本家と分家の関係を示すものと考えるのが普通かもしれないが、一族の苗字は『山の葉っぱ』――つまり山菜の中でも葉の広がる物の事を指すのか……そういう植物といえば、モミジガサにオオバギボウシ、ヨモギ、ミツバ何かがあるな。それらを意味する『山』の『葉』――そして恐らく『ハナイカダ』だな」
 菊の声に、弥美が穏やかに微笑んだ。
「そうね。だからハナイカダを使った特別な料理がこの村にはあるのかも知れないわね。例えば、この菜飯もそう。菊ちゃんは、山場村に伝わる郷土料理を一つ会得したのね」
「有難う、やっぱり料理は良いな。後は祭りが楽しみだ――神楽の旋律でも覚えて帰ることが出来たら最高なんだけど」
「お祭りは楽しみにしていてね。貴方には未だ、色々と人手が居るから――……」
 ……――手を出さないで、おこうかしら。
 弥美はそんな言葉を飲み込んで、肩を竦めた。
「明日も色々とお願いすると思うの。今日はもう、ゆっくり休んで。遅い時間ですからね」
 彼女はそう告げると、厨房を後にした。
 見送ってから、菊は腕を組む。
 ――山場弥美は、神事に関する事だと言って、基本的に夜中しか姿を現さない。日中山場本家の中を歩いている場合もあるが、陽光に晒されないような場所を選んで過ごしている様子である。
「そういえば、味見くらいは兎も角……きっちりと食事をしている姿も見てないな」
 呟いてから、菊はそれとなく、山場本家から外へと出た。
 吊り橋の方向へと暫し歩き、夜風に当たる。
 秋の夜の冷たい風が、菊のオールバックにした赤い髪を揺らしていた。
「この辺りで良いか」
 吊り橋の根元を掘り、菊は、アクリト・シーカー(あくりと・しーかー)から手に入れたアンプルと、これまでに見聞きした死人の特徴などを手紙にしたため、静かに埋めた。幸い未だ自分は人間であるらしかったが、今後どうなるかは分からない。
「あいつが見つけてくれると良いんだけどな」
 パートナーのことを思い出しながら、彼女は一仕事終えたような感覚で、再び山場本家へと向かい歩き始めた。
 そして厨房に通じる勝手口を開けた時の事だった。
「――何処へ行っていたの?」
 そこには、厳しい表情の、山場弥美が立っていた。
「何処って……ちょっと夜風に当たりに……」
「これからは、出かける時は断ってからにして頂戴」
「なっ……」
 何を勝手なことを、と思いながら息を飲んだ菊に、それまでの恐ろしい形相から一変した調子で、弥美はいつもの通りの愛らしい表情を浮かべた。
「女の子の一人歩きは危ないもの」
 普段通りの優しい声音に戻った弥美が、自室に戻る様子で歩いていく。
 呆然とそれを見送っていた菊は、手を洗うと、思案しながら、自分もまた宛がわれた部屋へ戻ろうと決意した。
「!」
 そして、誰かが後をついてきている事に気がついた。
 ――死人にこそされていないが、監視されているらしかった。
「これじゃあ捕まってるのと変わらないな」
 短く呟きながら、嘆息した菊は、今後の対処を考えながら、自分の部屋へと戻ったのだった。


 その頃、民宿・ハナイカダでは、那須 朱美(なす・あけみ)が周囲に気を配っていた。
 ――怖いのは夜襲。
 ――寝てる時に姿を消し、騒ぎだけ起こして眠らせないようにする戦法。
「3日後を見越した消耗戦はツライ……いっそ昼夜逆転の生活でもするかね?」
 そんな風に呟いた朱美は、今も部屋で調べ物を再開し始めた様子の、宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)同人誌 静かな秘め事(どうじんし・しずかなひめごと)――通称静香の事を思いながら、警戒にあたっていた。
 ――殺気看破でみぬけりゃいいなあ。
 彼女がそんな事を考えていた時、祥子と静香がやって来た。
「大丈夫?」
 労うように、祥子がジュースを手渡す。一階にある彼女達の部屋のすぐ側、民宿の裏口を出て少しした場所での事である。丁度、祥子達の部屋の窓が、外から見える位置だった。秋の夜風が、三人の髪を揺らした。
「大丈夫。それより、少しは寝ておいた方が良いんじゃない? こっちは、ちゃんと見てるから」
 朱美の声に、二人が微笑んだ。
 その時の事である。
 突如として、死人が現れたのだった。
「仕方ないわね」
 殺気看破を用い、殺意あるいは害意に対する反応を鋭敏にし、察知するようにしていた祥子は、女王の加護による危機察知も怠っていなかった事が幸いして、死人の第一撃を避ける事が出来た。
 そこに静香が、召喚獣であるサンダーバードをよびだす。同時に、ウェンディゴもまた召還した。その上で、清浄化を用い、対応する。
 暗くて姿こそ見えなかったが、現れたのは、元契約者と思しき死人達だった。
 ――人数は、四人、か。
 隠れている三人の事を、神の目を使って察知しながら、静香が冷静に考える。
 彼女はそのまま、蒼き水晶の杖で、相手の技を封じ込めた。
 それが功を奏したのか、隠れていた内の二人が、距離を取る。
 姿を露わにしている一人に対しては、祥子が正面から対峙した。
 ――……パラミタに来てからずっと練りあげてきた歴戦の武術、八極拳。
 それは祥子の強さの一面でもあり、彼女は大学でも八極拳と発勁の鍛錬を続けていた。
 ――これまでの戦いの経験が――歴戦の立ち回りが、相手の動きを見抜かせてくれる。
「……八方の極遠にまで達する威で、死人の壁をぶち破るのみ!」
 威嚇するように声を上げた彼女は、拳を死人に打ち込んでから、反面冷静に考えていた。
 ――相手は死人だ。頭を潰さないと止まらないだろう。これまでの話しだと、それでも完全とは言えない。ただ、動作だけはどうにか出来るかな。
 祥子と静香が死人の動きを止めた瞬間、朱美が神速と先の先で、死人の手を取った。
 アンプルを構える。
「覚えておきなさい」
 だが、死人はそれをかわすと、四人そろって、闇の中へと走り去った。
 追いかけるべきか思案している様子の朱美に対し、祥子が首を振る。
「無理はしない方が良い。寧ろ私達が、待避しましょう。まだまだ来るかも知れないのだから」
 祥子は、そう言うと、魔鎧である朱美を纏った。
 そして祥子の光学迷彩で、朱美ごと隠れる。
 無理せず戦線離脱を図り隠れる事にした三人は、辺りに気を配りながら、宿の中へと戻っていく。
「何としてでも秘祭を見届ける!」
 ひっそりと呟いたはずの祥子の声が、思いのほか大きく辺りへと響き渡ったのだった。


「戻ってきたみたいだね」
 中央広場を挟んで向かいにある山場医院に人の気配が戻ったことを確認しながら、セリオス・ヒューレー(せりおす・ひゅーれー)が呟いた。
「ああ、そのようだな」
 応えたのは、クローラ・テレスコピウム(くろーら・てれすこぴうむ)である。
 この山場村に一つしかない薬局は、村から少し離れた林に囲まれるようにして、ひっそりと建っていた。法律が変わり、医療施設自体ではなく別の店舗で薬が処方されるようになった為に建設されたらしい場所だったが、村の人々は今でも医院で薬の処方を受けている様子で、あまり使われている形跡はない。
 ――無論、ダムに沈んだ時に離散した、この店舗の主が戻ってきていないだけなのかもしれなかったが、どちらにしろ、空き家といえた。
 日中は、村を散策し、様々な場所を調べていた二人だったが、その中で、何人かの生者を判別したり、同様にして、死人と思しき者を把握したりしていた。
 だが、どちらにしろ、生き残ることが最優先である。
 単独行動が命取りになることをよく知っている二人は、互いから決して目をそらすことなく、これまで離れずに行動していた。


 主に日中は、空から村を見ていたものである。
「少数で戦うスタンドプレイや単独での調査行動は死を意味する――好奇心猫をも殺すと言うだろ」
「クロは僕を頭数に入れていてくれて、嬉しいよ」
「俺は猫じゃないぞ。人をネコみたいに呼ぶな」
 親友なのだから当たり前だ、という声は飲み込んで、クローラが目を細めた。
 そんな最中、国軍から派遣されてきたと思しき、クレア・シュミット(くれあ・しゅみっと)達の姿や、元々親交があったらしい山葉 涼司(やまは・りょうじ)の手助けをするべく山場医院に滞在している様子のルカルカ・ルー(るかるか・るー)達の姿を、彼は目にしていた。だが、両者ともに忙しく村内を歩き回っている様子だったこともあり、同時に上司と心得ている者達だったため、己に出来ることをまず行おうと、クローラ達は村の散策をしっかりと達成していた。
 クローラが前に、セリオスが後ろに乗って、攻撃魔法箒を手に、上空から村全体を観察したのである。
「襲撃の可能性を考慮し、適宜、回避行動を取らなければならないな」
「こうやって眺めているだけなら、長閑なんだけどねぇ」
「気楽に言ってくれるな。兎も角、今はまだ戦えない。襲撃には全力逃亡しないとな」
 そんなやりとりをしながら、二人は村の形や地理を把握し、地図データをHCに保存していった。


 それが昼間の事である。
 現在二人は、この薬局の、休憩室と思しき場所で、二人並んでソファに座っていた。
 クローラは背を壁に預け、窓の外をうかがっている。
 セリオスはといえば、両手の指を組んで、膝の合間に置いていた。
 護国の聖域をかけた状態だ。同時にカオティックリングで闇耐性も高めた中で、クローラが呟いた。
「こういう場合は、博識も活用して分析し、集団で調査できれば一番なんだけどな」
 日中から夕方に至るまでの散策で、クローラは、山場医院にいるらしいルカルカの他、変電所の施設にいるらしいオリヴィア・レベンクロン(おりう゛ぃあ・れべんくろん)達の事、山場村分校に拠点を築いているらしい様子の椎名 真(しいな・まこと)山場本家の別宅にいる山葉 涼司(やまは・りょうじ)達、そして民宿・ハナイカダにいる人々の位置情報なども得ていた。単なる地理だけではなく、位置情報の取得にもまた、彼らはかなり秀でているようである。
 かといって、その内の何処かの集団に死人がいないとは限らない。
「どのようにして調査したものか」
 クローラが呟くと、セリオスが腕を組んだ。
 持参した懐中電灯を、彼は一瞥する。
 その中には、アクリト・シーカー(あくりと・しーかー)から手に入れたアンプルを、電池を抜いて隠してある。他にも数本持参したライトをソファに並べ、確認するようにしながら、セリオスが言う。
「僕はフラワシも見えるし、それに僕たち二人とも結構、夜目も利くけど、ちゃんとライトを持っていた方が良いよ――そうだ、お腹減らない? 携帯食料があるよ」
「セリオスこそ、少し食べたらどうだ?」
 窓から視線を逸らさないままで、クローラは散策の中で手に入れた、村の古びた地図へと手を伸ばした。警戒を続け、気を抜かないまま、サイコメトリをしようとしているらしかった。それを見て取り、他に入手した地図類や、写真などを観察しながら、セリオスが首を傾げる。
「ダムが沈む前に撮影された写真と、今のこの村の様子は、全く変わっていないみたいだね」
 冷静に分析したセリオスに対して、クローラが頷いた。
「そうだな。ただ念のため、もう一度撮影しておいてもらえないか?」
「分かったよ――それが終わったら、そろそろ見張りを交代するよ」
「全然寝て無いじゃないか」
「うん、でも、良いんだ」
 ――クローラだけは助けようって決意してるんだ。
 そう声には出さずに、セリオスは微苦笑する。
 二人の間には、裏打ちされた親友としての絆があるのだろう。
 だが、それと恐怖は別物である。
「帰りたい、な」
 チラリと弱音を覗かせたセリオスの頭を、ポンポンと軽く二度叩くようにして撫で、クローラが笑ってみせる。
「大丈夫だ」
 元気づけながら、クローラは非物質化してあるエアカーの事を思い出していた。
 ――明日になったら、万一の移動と、調査資料の運搬、電源代わりにも使おう。
 そう考えてから、死人について思案する。
「やはり、夜は家から出ない方が良いだろうな。ただの隠れんぼなら2人だけで廃屋の奥に潜んでいればいいだろう。だが仮に、死人が熱感知視覚を持っていたら逆効果だからな。どうやら村からは出られない様子だが、可能であれば、最悪、調査結果を持ち、村を離脱する事も念頭において――慎重に行動したいと思っていたんだが……」
 ――この村からは、出られない。
 それは、二人が日中に確かめた事の一つだった。
 クローラの中の優先順位は、セリオスと自分自身、二人の生存、の順だった。
 次が、村の調査、それ以外は、特筆すべき事柄というわけでは無い。その他はその他だ。
 セリオスの場合は少し違う。
 最優先事項は、クローラの無事、次いで二人の生存、それから皆の生存、そしてその他だ。
「ただ、少し気になる事がある。明日になったら、もう一度、図書館にも行ってみよう」
 クローラは見張りをかわってもらいながら、そう述べた。
 二人はそれぞれ親友のこと等を考えながら、夜を過ごす。
 こうして、薬局の夜も更けていった。


 その頃、ラルク・アントゥルース(らるく・あんとぅるーす)は、アクリト・シーカー(あくりと・しーかー)の護衛をしている人数を確認して、溜息をついていた。既に二人、クレア・シュミット(くれあ・しゅみっと)達や、ジェイコブ・バウアー(じぇいこぶ・ばうあー)達の護衛により阻止されて、アクリトの抹殺に失敗している死人がいる。
「守ってる人数――結構多いな。こんな大人数だし、手を出さない方が良いよな」
 襲う際は、アクリトの場合、『抹殺』が目的である為、閻魔の掌等を用いて、短期決戦に持ち込もうとしていたラルクだったが、その案は取りやめる。
「って事は、もう一つの目標――山葉か」
 死人になった瞬間から、ラルクは、どこからか響いてくるような山場弥美の声に、どうしても抗えない部分があった。
 ――生気を得なければ死んでしまう。
 それは本能的にも体が勝手に受け入れた、まごう事なき現象だった。
 生気を吸うという行為をすると、自動的に、吸った相手も死人になってしまうらしい。
死人は、増やさなければならない。そんな思いが浮かんでくるのを、懸命にラルクは自制していた。
 だが、死人が増えていくのは、どうしようもない出来事らしい。
 人間が生きる為に、家畜を養い、肉を食べ、時に血を啜り、飲食するのと何の違いもない事だ。その時の屠殺――意図的・偶発的な死は、仕方がないことなのかも知れない。
 それでもラルクは、気合いで、一日に一人だけの生気を吸うよう、自戒していた。
 ターゲティングを的確に行い、死人であるというのに生きるというのもおかしな話しだったか、『死人として生きる為に』、最低限必要な生気を得るにとどめているのである。
 彼の理性が、元々勇敢な性格が、それを成功させているのかも知れない。
 だがそれ以外にも二つ程、意識にすり込まれたように、突き動かされる、やらなければならないと感じる指令があった。その一つが、アクリトの抹殺である。もう一つは――。
「山葉に関しては、確保なんで殺さないで、ぶちのめすだけにしておくしかないぜ。確保したら主に引き渡せばいいんかな?」
 どうやら、山葉 涼司(やまは・りょうじ)の死、あるいは死人化は、『主』である山場弥美にとっても、都合が悪いことであるらしい。実際別宅には、使用人という名目で死人が弥美によって派遣されてもいるようだったが、今のところ手を出している様子はない。
 様々なことを思案しながら、ラルクは、山場本家の別宅へと足を運んだ。
 坂の上に、山場本家の別宅はある。
 弥美からあてがわれたその家に、山葉 涼司(やまは・りょうじ)達は寝泊まりしているのだった。危険は当然あったが、現状では、他にめぼしい場所も無かったのだろう。
 ラルクが向かった時、そこには、火村 加夜(ひむら・かや)と涼司の姿があった。
 木の陰から、彼は二人をうかがう。

「少し、眠った方が良いですよ」
 加夜が言うと、涼司が肩を竦めて、室内へと振り返った。
 彼女もその視線を追う。
 縁側に座っている二人は、先程まで形ばかり涼司が横になっていて、現在は空になっている布団と、その脇に敷かれた布団を一瞥した。涼司がつい先刻まで横になっていた隣では、かけ布団を蹴り飛ばした様子でアキラ・セイルーン(あきら・せいるーん)アリス・ドロワーズ(ありす・どろわーず)が眠っている。
「俺の代わりに爆睡してくれてる奴らがいるだろ。明日はあいつ等に任せればいい」
 冗談交じりにそう言った涼司は、それから心配そうな色を少しだけ瞳に浮かべ、加夜を見る。
「加夜こそ寝た方が良いんじゃないか? 後は、俺が――」
「大丈夫です」
 断言した加夜は、微笑してから空を見上げた。まだ、暗い。
 弥美と直接話しをした時から、彼女は決意していたのだった。
 ――私は涼司くんを必ず守ります。
 ――3日間、生き抜く。
 そう誓った彼女は、柔らかく微笑んだ。
「3日ぐらいなら不寝番で、寝なくても大丈夫だと思います――それに本当は、涼司くんには安全な飛行艇を使ってもらいたいんだけど……」
「有難う。でも悪いな、それはできない。俺は仲間を見捨てられないし、一人だけ逃げるなんて嫌だ」
「――そうですか。それは、私が信頼できないから、じゃないですよね?」
「あたりまえだろ」
「有難うございます」
 仮に疑われていたのであれば、加夜は、人間だと証明する為に、アンプルを少し注射してみようと考えていたのである。少量でも効果があられるのではないかと、推測しての事だった。
 逆に、涼司が死人だった場合の事は――彼女は、あまり問題だと思っていなかった。
「俺こそ、証明できるものを何も持って無ぇ……そりゃ、アクリトのアンプルはあるけどな」
 アクリト・シーカー(あくりと・しーかー)の名前を出して、涼司が溜息をついた。
「私は、涼司くんが人間でも死人でも傍にいたいと思ってます」
 だが加夜のその声に、涼司が嬉しそうに笑った。
 もしも――もしも、彼が死人なら抵抗さずに倒されるつもりですけど。きっと、涼司くんの言葉に嘘はない。信じよう。
 内心そんな事を考えてから、加夜もまた微笑む。
「所で、安全そうな場所に心当たりは無いですか?」
「それが、全然無いんだ」
 涼司が困ったようにそう応える。
 正直な話し、村の記憶など、皆と同じくらいしか保持していないに等しいのである。
 守りたいのに守れない。
 そんな苦痛が、涼司の胸の内で、微かに疼いた。そもそも、対抗策すら、まだ明確に見極めきれてはいない。唯一今手にしている手段はといえば、アクリトに手渡されたアンプルと注射器だけである。反面、死人の中には顔見知りも多かった。それが単に武力行使に出るには、辛すぎる一因でもある。
「ここには涼司くんが小さい頃の思い出があって、死人になってる人たちも知り合いが多いんですよね」
「……ああ、そうなんだ」
 まるで見透かされるように加夜に言われ、涼司が表情を陰らせる。
 俯いた彼を心配そうに見据えた加夜は、それから話題を変えるように、口を開く。
「そうだ、涼司くんは秘祭についてどう思ってるんでしょうか?」
「秘祭? そうだな……小さい頃は、本当にただ、縁日みたいな感じで楽しんでたんだ。夏の祭りと、収穫祭の祭り、神道関連の祭りも講も、何も区別なんてしてなかったからな。叔母さん――弥美さんと一緒に村を回ったりもしたんだ。あの、平和で楽しかった祭りなら、加夜と一緒に回りたかった気がするぜ。美味しいものも色々あったし」
「こんな時に、食べ物の話しだなんて」
「わ、悪いか?」
「いえ」
 静かに加夜が笑ってみせる。
「そうだ、食事はおにぎりと、他にも日持ちしそうな食材なら持って来てます。明日の朝から、どうしましょう?」
「そうだな……さっき、刀真にも言われたんだけどな、必ずしも食べ物も安全とは限らないんだよな」
 涼司は、樹月 刀真(きづき・とうま)の事を思い出しながら呟く。

 その時の事だった。
 茂みが揺れ、ラルク・アントゥルース(らるく・あんとぅるーす)が姿を現した。
「起きろ、アキラ」
 涼司が室内に向かって声をかける。
「ん……」
 呻いたアキラよりも先に、アリスが瞼をこすって体を起こした。
 そんな中、ラルクが言う。
「特に恨みはないが、ちょっと来てもらおうか」
 不意打ちを狙おうとしたラルクは、涼司のすぐ側から襲いかかる。
 慌てて涼司は、その場から飛び退き、加夜の腕を引いた。
 加夜は、ダークビジョンを使用し、判断の難しい、相手の生死を確かめるように、超感覚と召喚者の知識を使った。
「死人のようです――相手の攻撃方法が分かれば回避しやすいですよね」
 ――命の危険さえ無ければ、できれば逃げて過ごせたら……。
 そう考えていた加夜は、けれど決意して、魔道銃と歴戦の魔術、歴戦の必殺術で確実にラルクの足止めをする。
「ああ、そうだな――!」
 涼司は、梟雄剣ヴァルザドーンを手に、ラルクの前で構えた。
 それに対処し、ラルクが殴りかかろうとする。
 神速で常軌を逸した速度を発揮した彼は、行動予測で涼司が次に、地に足を着くだろう場所を予想して、体ごと前へ出るように襲いかかった。そして、まずは涼司の体に傷をつける為、神剣の欠片を振るう。
 涼司の頬が少しだけ裂け、そこから血が垂れた。
 しかし、生気を吸い取るには、その傷で充分だった。
「っと、死人にしちゃまずいのか」
 だが、ふとその事を思い出したラルクは、勢いの付いた体の処遇を思案する。
 ――このまま、涼司の生気を奪うか。
 ――一端距離を取るか。
 けれど、このままだと、傷口にラルクの手が触れそうだった。経口以外でも、生気は摂取できるのである。
「大丈夫ですか?」
 そこへ、赤嶺 霜月(あかみね・そうげつ)の声がかかった。
 二人の間に割ってはいるように、霜月が身を乗り出す。
 有る意味それは、双方にとって幸いな出来事で、ラルクはそのまま後ろに跳んで待避した。
「何やってるんだか」
 アイアン・ナイフィード(あいあん・ないふぃーど)が呟く。
 死人の強さを確かめたいだなんて考えていたアイアンの手を、待避した勢いのまま、ラルクが引いた。
「今日の分の生気はもう足りてるんだけどな、姿を見られたわけだし、折角だ」
「なッ」
 神剣の欠片でアイアンの手を傷つけたラルクは、きつくその箇所を掌で握った。
「手からでも、生気が吸い取れるのか――しかも、この俺様から生気をだと?」
 そこまで威勢良く口にしていたアイアンだったが、次第に目がうつろになり、短く吐息すると、地に伏せる。
「なんて事を――!」
 目を覚ましたアキラが援護する。
 だが、彼らの隙を突いて、ラルクはその場から逃走した。アンプルを打とうと構えていた加夜だったが、目標をはずす。注射する前に、死人は姿を消したのだった。
「アイアン?」
 駆け寄った霜月の隣で、アイアンが唇を噛んだ。
「駄目だ、意識が――思考が……おい、ここから離れるぞ」
「何を言って……死人を追うつもりですか?」
「違う。分かるんだ。片方が死人になると、パートナーも死人になる、つまり霜月、てめぇもだ」
 その声に、慌てた様子で霜月は、アイアンを支えた。
「――……仕方がありませんね」
「お前等、一体どうするつもりだ?」
「分かりません。けれど此処にいて、あなた方の生気を奪うわけにはいかない。それに何か――対策があるかも知れない」
 霜月はそう告げると、アイアンを連れて、林の中へと消えていった。
「大丈夫かしラ」
 不安そうにアリスが呟く。
「大丈夫? 涼司くん」
 二人を見送ってから、加夜が言った。
「嗚呼、俺は大丈夫だ」
 涼司の頬に出来た傷を、命のうねりで治しながら、加夜が溜息をついた。
「どうしてこのような事になったのでしょうね」
 悔しそうに歪んだ涼司の肩にそっと手を触れながら、加夜が呟いたのだった。