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ぼくらの刑事ドラマ

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chapter.9 刑事事件について(1)・本格派? 


 イベント会場。
 時代劇という風変わりな演目の後、今までの注意を受けてようやく生徒たちも「もっと本格的な刑事ドラマにしないとダメなのでは」と思い始めていた。ようやく出番が来たか。心の中でそう呟いたのは、次の演目に出演する者たちだった。



「第6部 事件が起きたらすぐ行動しよう」

 いよいよ最終演目が幕を開ける。
 それは、ひとつのナレーションから始まった。
「大丈夫だと思ったんです……それが、まさかこんなことになるなんて」
 加工され、やたら高音で響くその声は、いかにも犯罪劇にありそうなボイスで、観客の期待を煽った。そしてステージが晒され、真っ先に飛び込んできたのが舞台上で倒れている南部 ヒラニィ(なんぶ・ひらにぃ)だった。陳列されている棚やレジがあるセットの雰囲気から、そこがスーパーのような設定であることが窺える。
 そのセットの中に、ぞろぞろと4人組が入ってきた。非不未予異無亡病 近遠(ひふみよいむなや・このとお)とそのパートナーたち、ユーリカ・アスゲージ(ゆーりか・あすげーじ)イグナ・スプリント(いぐな・すぷりんと)アルティア・シールアム(あるてぃあ・しーるあむ)である。
「買い物と行ったらやっぱりこのスーパーですわ」
「まず、飲み物売り場に行くのだよ」
 ユーリカとイグナがそんな何てことのない会話をしている。アルティアは、カートを押しながら、「この後のお食事が、楽しみでございます」と純粋な笑顔で口にしていた。そんな一行が、スーパーの飲み物コーナーに着くと、ご覧の通りばたりと倒れたまま動かないヒラニィと出くわした。
「え……こ、これは?」
 静かに、しかし驚きを露にした様子で近遠が言葉を漏らした。
「大変です……警察を」
 携帯電話を取り出し、落ち着いて電話をかける近遠。短い会話の後、すぐに舞台は暗転し、あらかじめ裏側に配置されていた別のセットが回転しながら姿を現した。

 プルルル、プルルルと電話が鳴る。そこは、署内だった。デスクなどがいくつも配置されている中、再びエキストラ役でご登場の近遠とパートナーたち。4人は、イスに座って電話対応をしたり書類を書いている演技をしていた。具体的なセリフは特にない。どうやらこんな感じで近遠らは、この演目の間中、エキストラに徹するようである。まさに脇役の鏡だ。
 その近遠らに混じって、デスクと向かい合っていたのはアキュート・クリッパー(あきゅーと・くりっぱー)だった。彼は何やら渋い顔つきで、カレンダーに目を向け呟いた。
「刑事になってもう3年、か」
 感慨深いものでもあるのかと思いきや、次に聞こえてきたのは「足りねえ」という言葉だった。キャリアがだろうか? 否、それは彼の、精神的なものだった。
「まだだ。まだ足りねえんだ……俺の脳細胞が破裂するほど難解な事件や、命の灯火が吹き消えそうになるような、手強い犯人との殺り合いが今まであったか?」
 アキュート曰く、自分に足りないのはそういった事件だということだ。いつからか無難に仕事をこなすことに、辟易していたのだろう。と、いう演技なのだろう。あくまで。
 そんな細かい演技をしていたアキュートに、声がかかった。電話対応をしていた近遠からだ。
「出勤命令が出ました。事件だそうですよ」
 ガタ、とそれを聞いた瞬間、アキュートは立ち上がっていた。その瞳にくすぶり続けていたものが、ボッと燃える。
「事件か……この事件が俺にとって、どんなモノになるのか。そいつを見極めに行くとするか。行くぞっ、マンボウ!」
「承知!」
 隣にいたパートナー……いや、相棒のウーマ・ンボー(うーま・んぼー)が即座に返事をする。姿形がマンボウのそれでも、もちろん平等にデスクは与えられるし、任務も与えられる。とはいえ、やはりそこはマンボウ。彼が署内で他の警察と一緒に仕事をしているだけで、ちょっと面白いのがもう反則である。
 そのウーマと共に、アキュートはコートを乱暴に掴むと勢い良く羽織って走り出した。
 そのドアを開け、外に出れば事件が待っている。そして、本当の自分も。見たかった、でも見れなかった……いつの間にか、見ないようにしていた自分が。彼の背中は、心なしか大きく見えていた。誰もがその後ろ姿に頼もしさを覚えた次の瞬間。
 アキュートはコートの裾を自分で踏んづけ、躓いてしまった。それだけなら良かったのだが、運悪く彼がよろけた先にはデスクがあった。
「グアッ!!」
 思いっきり角の部分に頭をぶつけ、アキュートは倒れた。ウエルカム、本当の自分。
「アキュートーーーーー!!!」
 突然訪れた相棒の事故に、ウーマは叫んだ。アキュートはうっすらと目を開けると、震える手でウーマの羽を握りしめ、息も絶え絶えにこう告げた。
「マンボウ……俺は、どうやらここまでのようだ……この事件……お前に……まか、せた……ぜ……」
「アキュート! それがしを残していくな! まだ、そなたに言ってないことがあるのだっ。アキュート、アキュートーーー!!」
 署内に響く、ウーマの声。もはや、とんだ茶番である。
 とはいえ、劇は続いている。ウーマは、このテンションを保ち続けていた。
「アキュートよ、そなたの意思、確かに受け取った。おのれ犯人……それがしは、何があっても許さぬぞ」
 かっこいいセリフと共に、ウーマは浮き上がった。まあ、犯人机だけど。ウーマにとっては、アキュートの遺言を叶えてやることがすべてだった。だから、それをまっとうしなければならない。事件の解決、そして、その先に彼が見ようとしていたものを。
「漢は、背負った悲しみの分だけ強くなるものだ」
 もう、そこからウーマが振り返ることはなかった。背負ったのだから。アキュートの意志を。アキュートの思いを。アキュートの魂を。
「待て、それがしは急がねばならぬ」
 閉まりかけたエレベーター――もちろんセットのだが――に向かって進む速度をウーマは速めた。体が、魂が疼いているのだ。前へ前へと。早く、思いを成し遂げたいと。
 次の瞬間、ウーマの目前でエレベーターは閉じ、勢いがついたままのウーマは真っ正面から開閉口にぶつかった。
「ギョッ!!」
 顔面を強打し、ウーマは倒れた。シーユー、魂。
「ギョ……?」
 署内にいた近遠たちはその妙な叫びに一瞬反応したが、まあいいかと職務に戻った。
 こうしてアキュートとウーマは、本懐を遂げることなく殉職してしまったのだった。彼らの勇姿を見た者たちは、きっと口を揃えて言うだろう。
 上がる舞台間違えてるだろ、と。

 再びセットが反転する。
 事件が起きた現場、スーパーでは被害者であるヒラニィの契約者、琳 鳳明(りん・ほうめい)ともうひとりのパートナー、セラフィーナ・メルファ(せらふぃーな・めるふぁ)が並んで立っていた。
「セラさんは全部予想をしてたんだ……でも、でもヒラニィちゃんは……!」
「いえ、予想と言いますか何と言いますか……」
 悲しむ鳳明の横では、セラフィーナが困ったような表情をしている。先程から事情聴取をする役の近遠が色々質問をしているのだが、ずっとこの調子で会話にならないのだ。このままでは犯人探しが難航してしまう。困っていた近遠たちだったが、この迷宮から脱出すべく、その分野の専門家――スペシャリストが現れた。
「よお、行き詰まってるみたいじゃねえか」
 やや乱暴気味なセリフで登場したのは、瀬島 壮太(せじま・そうた)だ。迷宮入りの事件を解くスペシャリストといえば……そう、探偵である。彼、壮太はこの演目に、探偵役として加わっていた……はずだった。
「今回の事件なんですけれど……」
 早速壮太に解決を迫る近遠。そしておそらく犯人に関する情報を少なからず持っていると思われる、鳳明とセラフィーナ。床には、ヒラニィが依然倒れている。このシチュエーションで探偵がやるべきことは何だろうか? 当然、推理以外にありえない。そこは彼ももちろん分かっており、「なるほどな……」と手を顎に当てて考え込むジェスチャーをしてみせた。
 ところが、彼の口から出た言葉は、その場にいる誰もが予想していなかったことだった。
「このイベントの主催者のことを推理してたんだけどよ、ようやく分かってきたぜ」
「……ん?」
 え、何いきなり変なこと言い出したの? みたいな顔を、舞台にいた役者も、観客も、主催者側も全員がした。しかし壮太はそんなことは気にも留めず、その推理とやらを語りだす。
「そもそもこのイベントが開かれることになった原因のひとつが、変な実験の被験者から逮捕者とか補導者が出たりしたからだろ? でもよ、その実験の被験者って、ほとんどが学生だったはずなんだよ」
 自らも被験者であった壮太は、経験からそれを知っていた。そしてそれ自体は、事実である。
「ここでちょっと違和感があんじゃねえかって話だ。今回のイベント、その学生であるオレらに依頼してんだぜ? リアル犯罪を起こそうってヤツがいてもおかしくねえのによ。おかしくねえか? わざわざ逮捕者が出た学校の生徒にイベントの依頼するなんて」
 このあたりから、主催者や企画者が座っている席がどよめき始めた。「なんだ? 俺らのこと批判してんのか?」みたいな空気が発せられている。壮太は、それでもなお、話を止めない。むしろ、一段と声を大きくして彼は言った。
「そう、つまり……それ自体が、主催者の狙いなんだよ! このイベントでうっかりはっちゃけすぎて、リアル犯罪を起こしそうなアブネー奴を野放しにしとくくらいなら、こうやってシミュレーションイベントって名目でおびき寄せて、ここで一気に逮捕しちまおうってとこだろ」
 一体彼は、何と戦っているというのか。猜疑心の苗床とも言うべき、この現代社会の闇が彼をそうさせてしまったのだろうか。壮太は、この氾濫する情報の海に溺れてしまった、かわいそうな子羊なのかもしれない。そういう意味では、彼だって被害者である。いや、この世に生きる者すべてが、被害者と言えるのではないだろうか。そもそも昨今はメディアが真実を歪曲し、なんたらかんたらと小難しい話になってしまったが、要するに壮太は恐れていたのだ。主催者の、その裏の意図とやらに。
「なんて恐ろしいことをしやがる……こんな、大勢の目の前で素顔を晒したまま逮捕するなんて。その後もし社会復帰しても、後ろ指さされる人生確実じゃねえか……」
「あ、あのもうそのあたりで……」
 見かねた鳳明がそっと諌めようとするが、壮太は既に充分すぎるほどヒートアップしてしまっていた。主催者が座る席にいた人らがステージに走ってくるのが見えたが、そんなことで怖じ気づく彼ではない。何と言っても彼は、元ヤン名探偵なのだから。
「いくら空京を卑猥な街にしないためっつっても、そこまでしていいのかよ! もうちょっと他の方法だってあ……むぐ! むぐむぐ!」
 主催側が指示し、控えていた警備員が壮太の口を塞いだ。そのまま彼は、腕を抑えられ、ずるずると舞台袖へ下がっていった。企画者兼防犯課の刑事、ハマーの目は消えていく壮太を鋭く睨みつけていた。
「あいつ楽屋戻ったら覚えとけよほんま……!」