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死いずる村(後編)

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死いずる村(後編)
死いずる村(後編) 死いずる村(後編)

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■2――一日目――17:00


 山場分校――。

「どうしてこんな事に……」
 死人である村主 蛇々(すぐり・じゃじゃ)の、ぐすぐすと泣く声を聞きながらアール・エンディミオン(あーる・えんでぃみおん)は立ち上がった。
「もうじき、日が沈む」
「アール?」
「生者を探しに行く」
「ま、待って……置いてかないで!」
 蛇々が慌てて立ち上がり、アールの腕に縋ってくる。
「……俺は今、気が経ってるんだ。殺すぞ」
 彼女の腕を乱暴に払って、アールは出口へと歩を進めた。
 バタバタと蛇々が追ってくる。ぐずぐずと鼻を啜って、おそらく、またアールに縋ろうとして……躊躇したらしい。
 速度が緩んで、少し距離を置いたところをトボトボ付いてくる足音。
 ぐずぐずと泣く声は変わらない。
「なんで、こんな……やだよぉ……」
 彼女の悲痛さを持った声を聞きながら、アールはひっそりと奥歯を鳴らした。
(俺が居ながら……守ってやれなかった)
 長い廊下を経て、夜気に触れる。
 それは生者の時に感じていた、それとはまるで違う感触をしていた。
(蛇々、俺はお前を守ってやると約束した。永遠にな)


 叶 白竜(よう・ぱいろん)黒崎 天音(くろさき・あまね)を見つけたのは、偶然だった。
 畦では虫たちの鳴く音が聴こえ始めていた。
 数年前に離農したと思われる農家の納屋。
 手入れがされておらず、枠の歪んだ戸を開けるのには少し苦労した。
 その戸を開いた、納屋の奥に、“それ”は座り込んでいた。
 女物の着物を纏い、ぐったりと力なく佇んでいる。
 見つけたのは、偶然だった。
 生存者探索のために伴っていた機晶犬と納屋の中に入り、俯いた“それ”の前にしゃがみ込み、白竜は、着物から覗いていた青白い手を取った。
 手首に指を添えて、脈を確かめる。
「――既に、死んでいるのか」
 独り、白竜が呟いた。その時――くん、と脈が跳ね、“それ”の頭が動いた。
 彼は反射的に片方の手で銃を抜き掛け、止めた。
「……黒崎、天音?」
 問うというよりは、確認するように彼の名を口にする。
 名を呼ばれてか、その黒い頭は僅かに揺れてから、ゆっくりと起こされた。
 こちらへと持ち上げられた顔は、白痴のように笑んでいた。
「叶少尉……奇遇だね。こんな所で会うなんて」
 彼の目が緩慢に白竜の出で立ちを巡り、
「避暑、というわけではないみたいだね」
「黒崎天音。君はアクリトのフィールドワークに同行して、ここに来た筈です。アクリトが死んだというのは本当ですか?」
「……アクリト? 嗚呼、彼は……彼はいいんだ。彼はアンプルを作ってくれた」
 天音の虚ろだった瞳が次第にハッキリとし始めたのを感じながら、白竜は質問を重ねた。
「君もそのアンプル作りに関わった?」
「関わった……うん、僕は、関わった。
 だって、アクリトは言ったんだ。あのアンプルは僕の……」
 彼の言葉に白竜は僅かに目を細めた。
「死人である君を使って、アクリトはアンプルを作り出した」
「そういう、ことかな……」
 緩慢な口の動きで言って、天音が問いかけてくる。
「僕が、死人だって……分かったのは?」
「脈が……いえ、呼吸すら無いようでした。最初は、完全に死んでいるのかと」
「……そうか。昼間だから、かな」
「死人は日中の活動が鈍くなる……それに関係していると?」
「どうだろう。ねぇ、君はどう思う? ブルーズ」
 彼は、誰も存在しない虚空。傷んだ壁と農具の方を見やり、瞬いた。
「そこには、誰も居ない」
 白竜が言う。
 天音の目が白竜へと返る。
「……ブルーズを、見かけなかったかな?」
「……私は」
 白竜は首を振った。
 ブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)は、彼のパートナーだったか。
「居ないんだ。ずっと探しているんだけど、見つからなくて」
 彼の目から、一つ涙が流れた。流れて、渇いた肌に筋を描く。
 白竜は、ただそれを漫然と眺めていた。
 手を伸ばし、彼の薄く濡れた頬に指の背を触れる。
 何故、死人たる彼へ、無防備にそんな事をしたのか。
 白竜は、これを明確に説明出来ることは生涯無いのではないのかと、薄っすら考えていた。
 天音が白竜の指の温度を確かめるように瞼を閉じ、しかし、ゆっくりと立ち上がる。
 そして、彼は着崩れた着物の端を引きずりながら、白竜の横を通り過ぎていったのだった。

「白竜?」
 と、背後から声を掛けられたのは、あれから随分と経ってからのような気がした。
 実際にはそれほど長い間など無かったのだろうが。
「だい、じょうぶか?」
 世 羅儀(せい・らぎ)の問いかけに、白竜は立ち上がり、振り返った。
「問題はありません」
「さっき、ここから誰か出ていったようだったけど……」
「黒崎天音です。アクリトのフィールドワークに付き添っていた。
 アンプルは彼のデータを元に造られたようです」
「……なら」
「分かっています。
 私たちは彼を『持ち帰らなければならない』。
 しかし、村から出るための手立てが無い以上、それをまず先に見つけなければならない。
 あるいは、秘祭の終わりまで待たなければならないか……」
 白竜は言って、納屋を出た。
 外には夜が近づいていた。
 山の木々を揺らした風に吹かれ、涙に触れていた肌は固く冷えたようだった。


 用水路に沿って伸びた砂利道が交差する十字路、その角にスゥっと高く伸びた一本杉のてっぺんに腰掛けて。
「それにしても――」
 中願寺 綾瀬(ちゅうがんじ・あやせ)は、漆黒の ドレス(しっこくの・どれす)の端をたなびかせながら、村の気配を感じていた。
 穏やかな日の感触に包まれ、村は平穏であるように思えた。
 静かで、何事も無く、息を潜めている。
「『死人』とは面白いものですわね」
「面白い?」
 ドレスの問いかけに綾瀬は、薄く頷き。
「生者から見れば、それは既に“死んで”いるにも関わらず、それでも“生きる”事への激しい執着心のもとに、生者を襲い、生気を得ようとする存在」
「消えたくないんだろうね、皆。
 パラミタでは、私みたいに魂が魔鎧になっちゃりして、死者が生き返るなんてのはそんなに珍しい事じゃないけど、地球だとこういうのって珍しいんでしょ?」
「そうですわね。それに、地球では多くの場合、黄泉返りは禁忌でもある」
「振り返っちゃって塩の柱になったり」
「生き返りを赦された人物は数少ないですね。
 消えたくない――だから、人は魚を食べ、獣を食べ、植物を食べる。
 そういった、他者の生命を奪うという点から考えますと、死人と生者の違いなど、あって無きものかもしれません。
 ただ……もしも死人の願いが成就して、永遠の存在となり、この村の外へと進出し、世界の全てが死人と化した場合――
 死人たちはどの様にして生気を得るのでしょうか」
「『永遠』が何を差すのかは誰にも分からない。だから、山場弥美と死人の悲願の先に何があるのかも、誰も知らない」
「もしかしたら、死人だけの世界となって、後はただただ朽ち果てて行くだけかもしれない……それはそれで観てみたい気も致しますが」
 綾瀬は杉の木の上で立ち上がった。
 そして、彼女は、ワッと影の粉を広げるようにドレスから翼を突き出し、杉を蹴って軽やかに飛んだ。


 公民館を拠点にした生者の契約者たちは、夜に備えて、其処此処の護りを固めていた。
 ダリルを介し、各所より集められた情報から、涼司が死人に狙われていること、弥美は涼司を用いてヤマを顕現させようとしていること、そして――死人たちを封じる儀式にも、また涼司の存在が必要だということを皆は知った。
 公民館の多目的室。
「山葉くん……!」
 六興 咲苗に呼ばれ、涼司が振り返る。
「君は……」
「猟友会の六興の――」
「六興さんの……孫?」
 涼司の問いに頷いてやる。
 そして、咲苗は白衣の下から、筒を取り出して涼司に手渡した。
「これは?」
「“爆弾”」
 言った咲苗の顔を涼司がまじまじと見やる。
 咲苗は眼鏡の奥からその顔を見返しながら続けた。
「僕が作ったんだ。機晶爆弾より威力は少ないから、距離を誤らなければ切り札の一つくらいにはなるかな、って」
「その白衣の下に……もう二つ持ってるな。これより、大きいのを」
 涼司が幾分か低い声で問いかけてきたので、咲苗は薄っすらと笑んで頷いた。
「一つは、秘祭会場で使うつもり。
 もう一つは……もしもの時のために、ね」
「自害なんて考えるな。例え――」
 涼司の顔が近づいて言う。
 咲苗は、ほんの少し困ったように眉根をハの字に寄せてから、涼司に言った。
「ここに来る途中でね。
 お父さんに会ったんだ。昼間なのにすごくグッタリしてた。
 それで、その手にね、“腕”を持ってたんだ」
「……腕?」
「お母さんの腕。お母さん、昔、小さかった頃にお祖父ちゃんの銃を悪戯してて間違って腕に大きな傷が出来ちゃったんだ。
 それは消えない傷になって――だから、すぐ分かった。
 お父さん、お腹が空いて食べちゃったんだね」
「…………」
「六興の家にも行ったんだ。
 そこは、もうめちゃくちゃで……お祖父ちゃんが必死に撃ったんだろうって銃痕が壁や畳のあちこちにあって、それから、たくさんの血の跡があった」
 咲苗は、ゆっくりと涼司から離れた。
「ね、山葉くん、仇取ってよ。僕のアンプルもあげるからさ」
 彼にアンプルを投げ渡し、咲苗は白衣を翻した。
「いろんな人がいる中で、一番信用できるのは君だからね」
 多目的室を出ながら、手を振って「大丈夫」と付け加える。
「僕も覚悟は出来ているから」


「日が沈む……」
 ソルファイン・アンフィニス(そるふぁいん・あんふぃにす)は公民館の窓から、山間の向こうに沈みゆく光を見ていた。


『そうだ。殺さなければならない。生存者を、俺は』
 ロイ・グラード(ろい・ぐらーど)との電話は最初っからトんでいた。
 ラルク・アントゥルース(らるく・あんとぅるーす)は、「あー」と声を挟んでから。
「俺が聞きてぇのは、そうじゃなくてだな……」
『アクリトか? アクリトは死んだ。残念だがアクリトの生気を吸えなかったのは残念だが、嗚呼、そうだ問題は無い。残念だが大事なのは結果だ。結果的に問題は無い。とても残念だ』
「そうじゃなくて」
 カシカシと頭を掻きながら続けようとしたラルクの言葉をロイの声が遮る。
『重要なのは、生存者を殺さなければいけない、俺は、生存者を。生存者は残る生存者は何人だ。分からないんだ。誰もが分からない。誰が生存者なのか分からない。誰が死人だ。俺は殺さなければならない』
「……死人と生者を区別してぇなら、適当なとこを撃っておけ。傷が治りゃ死人だし、それ以外は生者だ。って、そうじゃなくて」
 ラルクはこれ以上、邪魔されないように口早に続けた。
「弥美の方はどうなってる?」
『弥美? 山場弥美? 弥美は駄目だ。あれは子供だ。子供は駄目だ。子供は苦手なんだ。子供は駄目だ駄目だ子供は駄目だ苦手なんだ子供は駄目だ――そうか。山場弥美を殺しに来る者を殺せばいい。弥美に逆らえる者は生者だ。間違いない。そうだ。子供は駄目だ苦手なんだ子供は……』
 何かしらのループに突入したロイの声を捨ておいて、ラルクは携帯を切った。
「まあ、とにかく弥美は無事らしいな」


 あれから、どれくらいの時が経ったのか。
(……闇だ)
 鷹村 真一郎(たかむら・しんいちろう)は、山中の湿った暗がりの中で漏らした。
 口を動かさずに、思考の端でひっそりと。
 頭上でざわめく木々の音は遠く、どこか他人事のように聞こえる。
 人里から離れた山の深い森の茂みの奥、腐葉土の匂いの中に埋もれるように彼は蹲っていた。
(……闇だ)
 もう一度、漏らす。
 誰かを陥れるつもりは無かった。
 この、罪深い存在を増殖させるつもりなどあるはずも無かった。
 ただ知らなかったのだ。
 ほんの僅かな生気を恵んでもらうだけでも、“殺してしまうなどと知らなかった”のだ。
(無知は……罪だ……)
 音も無く、温度も無く、感触も無く、ただ淡々と理性を駆逐していく薄暗い本能に思考を削られながら、彼は嘆いた。
(知らなかったから、殺してしまっても仕方なかった? そんな事、思えるはずも無い。そうだろう? 事実は変わらない。俺は、殺した。罪を犯した。決して犯してはならない罪を――)

 『しかし』

 と、本能は囁く。
(それは……他の人達と、何が違うという?
 皆、無知だ。
 知らずに人を殺している。知らずに搾取し、他者の権利を貪り、生きている。いや、違う。知らないフリをしている。誰かのせいにしている。自分は見て見ないフリをするべきだと考える。今、目の前の『生』のために、“仕方ない”と考える。
 人は食べなければ死ぬ。それが誰かの死によってなりたっている食事だとしても。
 それと――)
 同じだ、と結論しそうになった己の考えに、ハッとする。
「違う」
 空には鳥の鳴き声が聞こえていた。
 重い重い頭をゆっくりともたげる。
 葉の影の重なる遙か向こうに夕闇が見えた。
(俺は、『犠牲者を出したくない』……それだけが、確かな事だ。
 ……ルカルカ。
 俺は、君が生きる世界を愛している。だから、罪を忘れない。無知を嘆き……そして――)


 喉が渇いて。
 クロス・クロノス(くろす・くろのす)が目覚めるとボロボロの天井があった。
 竹の梁に板を重ねただけの簡素な天井だ。
 ぐったりと力無く伸ばされていた手の甲には湿った土の粘りを感じた。
 視界の端で見つけたのは、壁に並べられた錆びかけの農機具と乱暴に散らばったそれらだった。
 思考が鈍く定まらないまま、頭を起こし、のったりと視線を一周させる。
 自分は何故ここに居るのか。
 何故、血塗れなのか。
 そもそもここは何処で、果たして自分は一体なんなのか。
「――まっ、いいやぁ」
 と、彼女は舌っ足らずな調子で言った。
 とにかく、喉が渇いて仕方ない。
 乾いて、指先まで力がちゃんと入らない。
「お腹すいたぁ」
 彼女は身体を起こして言った。ゆらゆらと立ち上がりながら、目玉を揺らし、そして、ふと――
「ノート」
 呟いた。
「あったよね、ノート。なにか、たくさん書いた、ノート。ノート、ノート」
 それを探して、彼女は壁をガリガリと爪で擦った。
「何が書いてあったっけ。何書いたっけ。バカねぇ、何も、ほら、ううん、ねえ? 何もイイコトなんて書いてないじゃない、バカねぇ」
 ガリガリと壁を引っ掻いていた爪の先が、ピシッと乾いた音を立てて剥がれた。
 それもすぐに再生する。
「お腹すいたぁ」
 彼女は二、三度、頭を壁にゴツゴツと打ち付けてから、足を引きずり引きずり小屋の外へと出た。
 扉を開けて空を見上げると、夜に月が昇っていた。