波羅蜜多実業高等学校

リアクション

■□■第五章――三日目――夜明けまで


■０――三日目――００：００


「弥美様が六角寺に移られたらしいぞ」
　と村人たちが話しているのを、村に住まう少女童子　華花（どうじ・はな）は民家の軒下で聞いた。
　野良猫がそうするように、身を縮こまらせ、眠っていたのだ。
　薄っすらと目を開け、息を潜めながら、視線を巡らせる。
　村人たちは、こんな真夜中だというのに、まるで昼間のような調子で話をしていた。
　見えたのは幾つもの足先だけ。
「明日の儀式のためか？」
「しかし、例年は本家じゃろ。
　そいで、明日、家々を回ってから閻羅穴へ向かって」
「今までとは違うようだからなァ？
　いや、実際、違ってもらわなきゃ困るんだよ。俺たちはもう――」
「腹、減ってきたな……試しにパンを食ってみたんだが、一向に満たされないんだ。
　やっぱり、生気じゃなきゃ駄目なんだろうか？」
「だが、もう、この村に生者は少ないぞ。
　契約者を相手にするのは分が悪いしな……残りの村の人間も何処ぞに隠れちまったみたいだし」
「穴は、嫌よ……だって、二度と上がってこれないんでしょう？　永遠に暗闇の中で彷徨うなんて……」
「しかし、段々と正気でいられなくなってきてんのが、自分でも分かるんだ……このままじゃ、まずいよな？」
「――弱いもんを食うか？」
「馬鹿言え」
「六興の……ほら、頭領の息子の――あの人、奥さんを、ね？
　ほら、とても仲良さそうにしてたのに。でも、食べちゃったでしょう？
　それから、なんだかオカシイのよ。ね？　気のいい人だったのに」
「やっぱ、そういうのはイカンのだなぁ」
「あー……おなかへっちゃった」
「生気、欲しいなぁ」
　そんな会話に聞き耳を立てながら、華花は、深く息をついていた。
（……何だろう）
　トキトキと胸が奇妙に鳴っている。
（聞いてたら……オラも喉が渇いてきたような気が、する）
　自分が何を欲しているのか。
　朧げと感じるものの、その正体を具体的に説明することが出来ない。
　気づけば、村人たちの足は何処かへ消えていた。
　そして、華花は初めて、自分が自分自身が何者であるのかが分からない事が、とても怖い事なのだと思った。
（……知りたい）
　得体のしれない渇きに喘ぎながら、思う。
（弥美様なら、オラが何者か分かる……？）


「死人たちの間で『山場弥美が六角寺に居る』という噂が流れている」
　橘　恭司（たちばな・きょうじ）は古い木の根元で独り言を吐くように言った。
　手の中でリンゴを弄びながら。
「おそらく、罠だろう。
　噂の広がり方が奇妙だ。弥美を狙う生者を釣り上げるつもりかもしれないな」
　虫の音が聞こえ始めており、恭司はわずかに目眩を感じていた。
　死人となった時から、歌のようなものに対する嫌悪感が湧くようになっており、それは段々と酷くなっていっているようだった。
　手の中のリンゴを見下ろす。
　旨そうだとは思えない。
　もう、自身はこれを食べることに何の魅力も感じなくなっている。
「……そろそろ、なのかもしれないな」
　こちらは、本当に独り言だった。
　一つ、息を置いてから、木の上の方へとリンゴを放り上げる。
　ガササっと葉の中へと飛んだリンゴは返ってこなかった。
　先ほどの話を続ける。
「罠だとはいえ、生者が六角寺へ行く可能性がある。
　できれば――そんな連中を助けてやってくれないか？
　本当なら、俺が行ってやりたいとこだが……それも叶わないようだから」
　生者に近づいた時、自身の欲求を何処まで抑えられるかが不安だった。
　自嘲気味に笑う。
「卑怯かもしれないが、おそらくもう礼を言うタイミングは無いだろうから、先に言わせてもらっておく。
　――ありがとうな」
　言い残して、恭司は木を後に歩き出した。
　
「私は守り神の天狗か何かですか」
　緋桜　遙遠（ひざくら・ようえん）は木の上に腰掛けた格好で、閻羅穴の方へと向かっていく恭司の背を見送りながら零した。
「上手く気配を消して動いてたつもりなんですけどね……」
　手の中のリンゴをシャクりと一齧りし、苦笑する。
　リンゴを投げてくれた彼はこれからどうするのだろうか。
　あの口ぶりでは、自ら穴にでも飛び込ぶつもりなのかもしれない。
　リンゴは、美味かった。
「さて……死人も思っていた程、便利ではないようですし、死霊術の参考にするにも向かないのは分かってしまったんですよね」
　村の外の方を見やる。
「もう用も無いですし、さっさと帰りたいのに秘祭による結界だかのせいで村からは出られない」
　嘆息して、シャリ、とリンゴを齧る。
「となれば、生者の方々に事態を解決してもらうしかないわけですね。
　……気は向きませんが、遙遠も頑張りますか。
　リンゴ一つ分ぐらいは、せめて」
　
　
　さやさやとした風。
　川の水が円い音を立てて流れている。
（――皆死人になれば、皆太陽の下で、生きられない）
　スウェル・アルト（すうぇる・あると）は月明かりを返す川面と、その淵の草の影を眺めながら考えていた。
（私だけが、太陽の下で、生きられないのでは、ない）
　死人となるその前から日の光に弱く、傘を差してでなければ外を出歩くことすら叶わない己と、皆、同じように……。
　そんな事を考えてしまっていた自分に気づき、スウェルは、自身の理性が、やはり少しずつ失われているのだと自覚した。
　その内、その全てが無くなってしまう気がする。
　そうなったら、どうなるのだろう。
（……そうなったら、何も考えられないだろうから、今の内に、少しだけ考えて、おきたい）
「聞いたか？」
　作曲者不明　『名もなき独奏曲』（さっきょくしゃふめい・なもなきどくそうきょく）（ムメイ）の声に、スウェルは振り返った。
　ムメイが頭に腕を組んだ格好で無邪気に笑う。
「寺の話」
「山場弥美が六角寺に移ったという話か？」
　ヴィオラ・コード（びおら・こーど）が言って、スウェルの方を見やる。
「思ったより、早く伝わっているようだな」
「って、やだなー、兄さんったら何で俺様に教えてくれてないのかなー？」
　あはははっと笑うムメイをキッチリと無視するようにヴィオラが続ける。
「この話、思ったより早く広がっているな。生者側にも伝わっているのだとしたら――」
「生者が、来る？」
「だろうねぇ」
「使わない手は無いな」
　ヴィオラが言って、自身のこめかみに指先を置く。
「道は覚えている。行くなら急いだ方が良いだろう」


　六角寺――。

　堂の中に、山場弥美は居た。
　彼女は中央で像に向かって、背筋を伸ばし、正座していた。
　微動だになく、静かに佇んでいる。
「弥美……様？」
　童子　華花（どうじ・はな）は、踏んだ床のあげた軋みにビクビクとしながら弥美のそばへと寄った。
　そして、その背を見ながら、自身も正座をし、少しの間だけ、弥美からの反応を待った。
　虫の音が聞こえていた。
　何時まで経っても返らない声に、華花はひとつ大きく息を吸ってから。
「教えて欲しいんだ。弥美様。オラは……オラは死人なのか？」
　彼女の声だけが響く。
「この村で、オラだけが妙な力を持っていた。
　だから、オラはこの村の“何か”ではないのだと思ってた。
　だけど、そうじゃないのか？
　皆……死人になった皆は、『渇いた』と言ってた。生気が欲しいって言ってた。
　それを聞いてたら、オラも、渇いてきて……」
　言いながら、華花は渇きを抑えきれなくなってきていた。
　立ち上がり、弥美の背へと迫り、口を大きく開けた。
（ち……血が、欲しい）
　“吸血鬼”としての本能に従い、弥美の首元に齧り付く。
　が、その感触は生身のそれではなかった。
「――な？」
「山場弥美に害為す者」
　ギッ、と床を軋ませる音も僅かに姿を表した氷室　カイ（ひむろ・かい）が華花へと襲いかかってくる。
「うわ、あああ！！」
　そちらへ火術を放ちながら、華花は転げるように堂を駆け出た。
　火術を払ったカイが迫ってくる。
　と。
「まあ、そんな事だろうと思ってましたよ」
　華花とカイの間に、ブリザードが展開し緋桜　遙遠（ひざくら・ようえん）が夜空から、降りて来る。
「山場弥美の偽物を使って生者を誘き寄せる、といったところでしょうか？」
「思ったより釣れなかったがな――やはり、俺は山場の言うように死人に向かない性分なのかもしれないな」
「分かりやすいのは、好きですよ。こちらも、分かりやすく『生者のサポート』といったところですし」
「分かりやすいだけじゃ、駄目らしい」
　【緋陽】と【蒼月】の二対の正宗を抜き放ったカイと遙遠が斬り結ぶ。
　その激しい金属音を背に、華花は必死で駆けてその場を離れようとしていた。
　
「ッ――」
　カイの刃が遙遠の腕に深く裂く。
　遙遠は距離を取るために後方へ飛びながらペトリファイでカイを石化させようとしたが、それは失敗に終わった。
　更に踏み込んできたカイの方へと、アンプルを突き出す。
　警戒したカイの刃が、アンプルを斬り飛ばす。
　割れて散ったその中身は、ただのビタミン剤だったが一拍を稼ぐには役に立ってくれた。
　その間で、華花の逃げていった方を素早く一瞥する。
　華花は何とか、この場を逃げられたらしい。
「ひとまず、こちらも」
　と、遙遠が上空へ逃れようとした、その時、アシッドブレスが頭上に散布され、彼の動きは制された。
　すぐに側面への移動へ切り替えたところで、遙遠は、機を伺っていたらしい高月　玄秀（たかつき・げんしゅう）に腕を取られた。
　傷口に触れる玄秀の手。
「死人も悪くはありませんよ」
　暗がりから覗いた玄秀の顔が耳元で囁く。
「ふふ……我々が永遠を手に入れる為、貴方には犠牲になって貰いましょうか」
「残念ですが――」
　ダルく重くなる意識。
　残された僅かな時間を使って、遙遠は隠し持っていた、本物のアンプルを取り出し、自身の腕に刺した。
「向かない性格みたいですので」
　アンプルの中身を自身に押し込んで、遙遠の身体は瓦解した。

　華花は暗闇を駆けて逃げていた。
（血……血が……）
　最早、恐怖よりも何もよりも血を得ることへの欲求が上回っていた。
　ブナ林の向こう。
　月明かりの下に傘を差した白髪の少女を見つける。
　華花は何を考える間もなく、そちらへ向かって走った。
　林を駆け出て、少女を押し倒す。
「血を、血を、飲ませて」
　傘が地面に転がる。
　そして、彼女は一息も付かず少女の首筋に歯を立てた。
　口の中に広がる、奇妙な血の感触。
「ぅ、え……ぉ」
　すぐに襲った嘔吐感は本能によるものだった。
　これは、違う、求めていたものと、違う何かが混ざっている。
　頬に触れた少女の手。
　ちくり、とした感触があって、脱力感が華花を襲う。
「これで、一緒」
　少女の声が聞こえて、華花は、奇妙な安心感と共に自身が死人になったのだと知った。