リアクション
第3章 それぞれの歩く道 1
商店街を歩いていたのは、地球の契約者のひとり、メイベル・ポーター(めいべる・ぽーたー)という娘だった。
ぱっちり開いた大きな瞳にかかる、まるでミルクのような温かみある乳白金の髪が特徴的な娘である。彼女はどこか、日向ぼっこをする猫のようなのんびりとした雰囲気が彼女にはあった。
そんなメイベルもまた、他の契約者たちと同様にこのアムトーシスの『お正月』を楽しむためにやって来たのだが――。
それまでゆっくりとだが進んでいた彼女の足が、ふと止まった。同時に、視線がある場所を見つめる。そこにあったのはベンチで、彼女はそこに移動すると、ようやく落ち着ける場所が見つかったというような安堵の表情でそこに座った。
(やっぱり……本来のお正月とはちょっと違うのですぅ……)
ベンチの背にもたれかかりながら、そんなことをぼんやりと思う。
むろん、それは致し方ないことだった。人間、魔族に限らず、誰しも直接、見聞きしたものではなく、書物を通して知っただけのものを再現しようとすれば、やはりちぐはぐなものになってしまうものなのだ。それはなにせ想像に任せなくてはならない部分もある上に、書物そのものもある程度想像で書かれていたり、ひどいときはデタラメに書かれていたりするときもあるからだ。
かつて日本の文化がアメリカ等の諸外国に伝わった時も、同様の現象が起きた。いや……それから何十年と経った今でも、忠実に再現されることはむしろ少ないかもしれない。しかし、別にそれはおかしいことではないとメイベルは思う。
(これはこれで……楽しいですし……)
たとえちぐはぐで、元になった文化の民からはおかしなものに見えたとしても、いずれはそれもひとつの文化として昇華されていくことが可能なのである。まして、日本の正月も元来、日本にあった固有のものと外来のものが融合し、それが独自のものとして定着したものだ。
もしも、ザナドゥに正月という概念が伝わり、それがザナドゥ独自の正月として新たなに文化として定着するなら、それは素晴らしいことだ。なにより、そうなれば、地球とパラミタ、ザナドゥというものがより近しく感じられる。それは、とても素敵なことではないか。
と――色々頭の中で巡ったが、メイベルはそれよりも気になることがあった。
「セシリアたち……遅いですぅ」
彼女のパートナーであるセシリア・ライト(せしりあ・らいと)とフィリッパ・アヴェーヌ(ふぃりっぱ・あべーぬ)のことである。
なんでも目的のものがあるらしく、その買い物に行っているのだ。メイベルはしばし待機ということである。
するとちょうどそのとき、セシリアたちが戻ってきた。
「お待たせ〜!」
「おっそいですぅ…………何を買ってきたんですか?」
「ふふ、これですわ」
そう微笑んで、フィリッパが差し出したのはホカホカのお饅頭だった。
そもそもお饅頭という文化がないため、アムトーシスではこれを機会に作ってみたらしい。見た目は丸く、実にシンプルな形をしているが、その表面にはアムトーシスの街を描いた印が精巧に刻まれていた。
「なんと、お饅頭の中身にはダークフィッシュの身が使われてるんだって!」
料理好きのセシリアは、未知の料理を食べることにも興味があるのか、嬉しそうに言う。
「なんですかぁ、それ?」
名前からして不吉な予感がして、メイベルは顔をしかめる。
「この近くの湖でしか捕れないザナドゥ独自の魚のことですわ。小ぶりの魚で、一般家庭にも良く出てくるお魚みたいですの。日本のサンマとか、そういう類のものかもしれませんわね」
「へー……」
そう聞くと、どことなく美味しそうに見えてくるのが不思議である。
二人と目を合わせると、メイベルは彼女たちと同時に勇気を振り絞ってそれを口にした。
ぱくっと、一口。
「あ……美味しいですぅ」
ふんわりとした饅頭の生地とダークフィッシュの身が良くマッチしていた。
「ねー! 評判も良かったし、やっぱり人気のものは美味しいんだね」
「この生地に描かれているイラストも素敵ですし……名物になれば良いですわね」
シンプルに塩味で味付けされているのも、その美味しさのゆえんか。ただ、惜しむらくは――。
「でも……この色だけは、ちょっといただけないですぅ」
中身に詰まっているダークフィッシュの色は、まるで毒沼を思わせる黒みをにじませた紫色だった。
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「へー…………魔族の国っていうぐらいだから、もっと暗くてどす黒いイメージがあったんだけど、意外とそうでもないのね」
「アムトーシスは特に、芸術の、街だから」
商店街の道を歩く契約者の
スウェル・アルト(すうぇる・あると)は、自分の肩の上に乗っている小さな人影と会話していた。
人影の名前は
ランタナ・チェレスタ(らんたな・ちぇれすた)。まるで精霊か小人かと誤解されることもしばしばあるが、これでも歴とした花妖精という妖精の一種族で、スウェルのパートナーでもある娘だった。
頭の上にはまるで髪飾りのように小さな花がちょこんと生えている。その花こそが、花妖精の証でもあり、彼女の象徴でもあるランタナの花だ。その和名が七変化と呼ばれるように、ランタナの花は数々の色彩を持つ。彼女の頭に生えているそれが鮮やかな薄紅色をしているのは、彼女自身の心の奥にある情熱のようなものを感じさせてくれた。
「そうですよ、ランタナ。ザナドゥというのはそれぞれが持つ長所や嗜好を重んじる国なのです。どす黒いなんてとんでもない。むしろ私たち魔族は美的センスの塊なのです!」
ランタナに向けて声を張り上げたのは、こちらもまたスウェルのパートナーである
アンドロマリウス・グラスハープ(あんどろまりうす・ぐらすはーぷ)だった。ザナドゥ出身のうさんくさい悪魔は、自国を誇って胸を張る。
だが、どうやらランタナには彼の言葉が通用しなかったようだった。
「はいはい。そう思うなら、あなたみたいなトンデモ悪魔も、少しは美的センスを磨きなさいよ」
「ムムッ……私だって美的センスはありますよ! 心外ですー!」
わざとらしく怒るアンドロマリウス。
それを呆れるような目で見ていたとき、ランタンは、自分を肩に乗せてくれているスウェルがなにやら顔をきょろきょろさせていることに気づいた。
「スウェル、誰かを探しているの?」
「いえ。ともだちも、楽しんでいるかなと」
「ふむ……それはたぶん、あの魔族の少年の事でしょう?」
アンドロマリウスには心当たりがあるようである。
しかし、彼が答えると、ランタンはなんであなたが答えるのよといったジロリとした視線を向けた。
「あっはっはっは」
「なんで笑うのよ!」
「そうだ、スウェル、アンちゃんはひとつやりたいことが見つかりました」
「やりたいこと?」
唐突な話だったが、先ほどまでどこに行きたいかという相談もしていたのだ。別段、おかしくはない。
小首を傾げるスウェルに、アンドロマリウスは子どものように弾んだ声で言った。
「アンちゃんはひとつ、彫刻が欲しいです!」
「彫刻……」
アンドロマリウスがにっこりと笑う。戸惑うような視線が横に動き、自分を見たのに気づいて、ランタンもアンドロマリウスの言葉に重ねた。
「もっと出店、見てまわりましょう?」
その笑みは、何かを察したような笑みで、その代わり自分の計り知れないそれが、少し寂しそうなものだった。
彼女たちの提案を聞いて、スウェルはゆっくりと宙を見上げた。
(もしかしたら、レドに、会えるかも。そうなったら、嬉しい)
レドは、この街に来てスウェルが初めて出会った魔族の友人だ。彫刻が好きで、絵画が好きで、お母さんの彫刻を一生懸命に彫っていた。そんな彼にまた出会うことが出来たならば、そのとき、自分は『平和』を実感できる。
(ただ……それよりも、アンちゃんとランちゃんに、気を使わせてしまった)
まだまだ未熟だと、スウェルは頭を振った。
(でも、ありがとう)
彼女がこくっと頷いたのを確認して、アンドロマリウスたちは早速商店街の芸術作品が立ち並ぶ場所に向けて歩を進めた。
きっとその場所には、一心不乱に金槌を振ってノミを打つ魔族の少年の姿があるに違いなかった。
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