リアクション
第1章 巡る巡るよ、時は回る 5
その日、アムトーシスでは街の一画を使って、ある競技が行われていた。
それは、日本に古来から伝わる戦闘訓練法であり、古くから日本男児はその訓練を受けて屈強な肉体と強靱な精神を得ると言われている。その名も――『羽根突き』。どんな羽根をも見逃さない動体視力、どんな羽根の動きにも対処出来る反射神経、そして晴れ着を着ることによって培われる無駄な動きをしない所作。それら全てを総合的に身につけることが出来るものこそが、『羽根突き』と呼ばれる伝統なのだ。
と……いうように、フォーキンス社出版の『日本のお正月』には記されていた。
そのためか。その日行われていた『羽根突き大会』は、血湧き肉躍るとんでもない戦争になっていたのだった。
「ウラアアアアアアァァァ! 必殺、グレイティスシュート!」
「ぐぼららぁぁっ! ま、まさか、ここで倒れるなんて……グハッ!」
「オレ…………この戦いが終わったら結婚するんだ」
「レイラアアァァァァ! 死ぬなあああぁぁ!」
街の一画全体が総合スタジアムと化した競技場内では、建物や水路を巧みに使って銃弾や剣の代わりに羽子板と羽根と呼ばれる球を使うというサバイバルゲームが展開されている。かたや一方では鉛のような重さと弾丸のスピードで迫る羽根に吹き飛ばされて壁に激突する参加者もいれば、一方では羽子板ブレードが敵の身体を肩から腰にかけて袈裟斬りする。
ムチャクチャと言えばムチャクチャであるが、人々はそれなりに競技を楽しんでいるようであった。
(なにかが…………なにかが違う気がする……っ)
その中には、違和感を感じながらも皆に混じって戦うシャムスの姿もあった。
そしてシャムスと一緒にタッグを組んでこのサバイバルゲームを乗り越えようと戦うのが、『羽根突き』=『日本の伝統的戦闘訓練』と信じて疑わない契約者、レジーヌ・ベルナディス(れじーぬ・べるなでぃす)であった。
「シャ、シャムスさんっ! 来ます!」
「……チッ、させる……かっ……!」
前方に見える晴れ着にたすき掛け姿のレジーヌの横から、彼女を追い抜いて飛び込んで来た敵の姿。
瞬時にシャムスはその対応を判断し、身を沈めて下方から敵を羽子板でたたき落とした。血を吐き、倒れる敵。
「安心しろ、みね打ちだ」
(みねって……どこ……?)
そもそも血を吐いている時点でなにか色々と違う気はするのだが、レジーヌはそれ以上気にしなかった。
彼女にとってみれば、こうして大好きな日本文化をシャムスと堪能しているだけで満足なのだ。それにしても日本人は古来から実に厳しい訓練を積んでいるんだなぁと、そんなことを考えつつ。
――と、
「朝斗くん、逃がさんよっ!」
妙に関西弁の語感が混じった口調でそんなことを叫ぶ男の声が聞こえてきたのは、シャムスたちが敵と羽子板ブレードと羽根による大攻防を繰り広げていたそのときだった。
雑踏の中から、うさぎでも跳ねたかのように飛び出てくる人影。
「あれは……朝斗?」
「陣くんまで出てくるなんて聞いてないよ!」
朝斗いう名を持つその人影は嘆きを背後に向けた。続けて朝斗を追って飛び出してきたのは、七枷 陣(ななかせ・じん)と呼ばれる契約者とそのパートナーのジュディ・ディライド(じゅでぃ・でぃらいど)である。
陣は少しは悪いと思っているのか、苦笑いを浮かべていた。
「うん、何か……うん、ゴメン。ルシェンさんの本気を見たんでやむを得ずなんや。いやー仕方ないねー」
「最後が棒読みだよ!」
「なーに、だいじょぶだいじょぶ。ちゃんとルシェンさんとの間には入ってあげるし、それにほら、朝にゃんデビューinザナドゥってオチも良いんじゃないかな? なにせこの作者、コメディが苦手なくせ普段からに〆切り破りの常習犯っていうダメダメな作家だからさ。こうでもしてごまかさないといけないんだよね〜」
「作者って誰だよ! 作者って!」
「あー、なんつーか、神? ほら、天は言ってます。『汝、拒むなかれ』」
「それって拒否権ないじゃん! 横暴すぎるよ神さま!」
もはや朝斗自身何を言ってるのかも分からなくなってきているのだが、なんにせよ身の危険からは逃げなくてはならない。羽子板戦争が繰り広げられる戦場を、ドタバタと駆け抜けた。ぶっちゃけ、邪魔。
陣の毒虫の群れで進行方向を塞がれると、朝斗はすぐに方向転換しようとした。だが、あざとい陣の手法は上手いこと出来ている。徐々に、袋小路に向かって追いやられていった。
そこには、すでにジュディが待ち構えている。
「フフフ、萌えるならば男の娘も一応アリじゃな」
「アリじゃないですうううぅぅぅぅ!」
よからぬことを考えている顔の彼女は、泣いて叫ぶ朝斗に向けてレイスのアルトとネーゲルを差し向けた。幽霊姉妹が彼を拘束したのを見計らって、奈落の鉄鎖を唱える。足下に円を描いた闇から現れた鉄鎖が、朝斗の足を捕縛しようとした。
むろん、それでやられるような朝斗ならとっくに捕まっている。捕縛する――かに見えた瞬間、並々ならぬ動きでそれを回避し、壁を蹴って行き止まりだった壁の向こうへと跳躍する朝斗。
その瞬間、目の前に飛び出てきたのは先ほどまで彼を追い詰めようとしていた陣だった。
「オレが捕縛すると見せかけてジュディが本命! ……と思った? ざーんねーん! やっぱりオレが捕縛役で――」
「じゃまっ!」
「ぶっ」
作戦としては良い線を行っていたのだが、ペラペラと喋るおしゃべり根性が災いしたのか、喋っている間に朝斗に顔をぶん殴られた陣。メリッと音を立ててめり込んだ拳が、彼の顔にくぼみを作った。
「ごめんね、陣くん。だけど……だけど…………僕は、捕まるわけにはいかないんだ! …………あ、羽根突き大会の皆さん、ご迷惑おかけしましたー!」
まるでなにか悪の組織にでも追いかけられているかのように振り向きざまにそう告げて、朝斗は周りの人たちに謝罪しつつその場をピューッと立ち去った。
「……まったく、なさけないのう陣。どれ、うすの中で突かれた餅みたいな顔になっとるが……醤油はいるかね?」
「いらない。ていうか、正月早々に何やってんのオレ? とか思ったら負けだよなコレ」
「うむ。我らの悲願はまだまだ続くぞ。さっそく、ルシェンたちと次なる朝斗の行動パターンを分析せねば。ほれ、行くぞ」
「あーい」
そしてズルズルと……朝斗はジュディに連れられて羽根突きの戦場を後にした。
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「ね、あの、だから……羽根突きって言うのは交互に羽根を打ち合って、打ち損なった方が顔に墨を塗られ――」
「くらえマッキー、アターック!」
「わ、わわっ。それっ」
(……全然話聞いてないし)
たとえ、フォーキンス社出版『日本のお正月』に書かれている羽根突きのことをどれだけ丁寧に説明しようと、目の前の二人は聞く耳を持たず、勝手に羽子板を使って遊び始めていた。
むろん、そこに羽根突きらしいおしとやかさなどない。
なかばバドミントン的なスポーティさを兼ね備え始めたパートナーたちの羽根突きを見ながら、墨塗り係となった地球の契約者、
本宇治 華音(もとうじ・かおん)はため息をひとつ吐いた。
いつも落ち着きがなくて自由気ままに行動してしまう
ウィーラン・カフガイツ(うぃーらん・かふがいつ)ならまだしも、大人しくて物静かな
マーキー・ロシェット(まーきー・ろしぇっと)まで、彼に半ば無理矢理かり出されてエセ羽根突きをさせられていた。
獣人特有のスピードで縦横無尽に駆け回って羽根を叩くウィーランに、それを正確に打ち返すマーキー。ここまでくると曲芸レベルだな、と華音が思ったのは、おそらくはおかしなことではなさそうだった。
と、そんな呆れとも感心ともとれる顔になっていた華音の傍で、クスッと笑う声がひとつ。
「アムドゥスキアスさん……」
「楽しそうだね、二人とも」
アムドゥスキアスは、片手になにやら紐らしきものを持っていた。
何だろうとその先へ華音が視線を送ると、そこにいたのは同じ契約者仲間の
杜守 柚(ともり・ゆず)と、そのパートナー、
杜守 三月(ともり・みつき)である。
(ああ、凧ですね……)
笑顔へと破顔した表情で、彼女たちは空にフワフワと浮かぶ凧を操っていた。
その凧に描かれているイラストは三月たち自身が描いたものか。アムドゥスキアスが描かれた凧に、
魔神 ナベリウス(まじん・なべりうす)の三人娘が描かれた凧、そして三月が描かれた凧もあった。デフォルメ化されたイラストが風に揺られてくるくると回る様子は、どこか踊っているようにも見えて楽しそうだ。
「アム〜、どっちが先に落ちるか勝負だね! 凧揚げ対決ってところかな」
「そんなことしていいの? 勝つのは僕だよ?」
「お、言うね。果たしてどうかな?」
お互いに不敵な笑みを浮かべて、二人は凧をぶつけ合う。
(凧揚げってそういうことじゃない気が……)
思ったが、華音は突っ込まないでおくことにした。
それよりも、いつの間にかエセ羽根突きをしているのが三人になっているほうが気になる。着物姿の柚が、ウィーランたちとはしゃいでいるのだ。
「華音さん〜! こっちで2対2でやりませんかー!」
「あ、柚さん。三月を倒しちゃったらそっちに行くから、繋いでおいてね〜」
「だからアムっ! かってに勝つって決めるなってっ……!」
自分を呼ぶ声が聞こえて、それに重なるマイペースなアムドゥスキアスとツッコむ三月の声。こうしていると、色んなことが幸せに感じる。みんなが、ただ一緒に、楽しんで、笑っているのを見ると――。
(うん……)
華音は、嬉しそうな笑みを浮かべながら立ち上がった。
「……墨塗り係の真打ち登場…………ですね!」
「うわあぁ……華音が本気モードだあぁ」
その後、ウィーランたちの記憶に華音という羽根突きの悪魔の姿がすり込まれたとか込まれなかったとか。
真実を知る者は、たっぷり墨を塗られた本人たちしか知らない。
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