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あの頃の君の物語

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あの頃の君の物語
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一番安らげる場所〜ネージュ・フロゥ〜

 春の暖かい日差しが降り注ぐ。
 ネージュ・フロゥ(ねーじゅ・ふろう)が通う幼稚園にもその温かい日差しがさしこんでいた。
 園児たちが遊ぶお部屋にも廊下にも、そしてトイレにも、その日差しは差し込んでいた。
 ネージュの幼稚園には可愛らしいトイレがあった。
 ただタイル貼りなのではなく、壁にはひよこさんやうさぎさんが貼られていて、とても彩りがあり、可愛らしい。
 しかも、ただ可愛いだけの絵ではない。
 うさぎさんに吹き出しがあり
『トイレが終わったら、お手々を洗うピョン』
 などの文字が並んでいる。
 かわいいキャラの絵と言葉で、子供に生活習慣を身につけさせようという狙いだ。
 もちろん、園児であるネージュたちはそんなことは知らないが。
 もう一つ、幼稚園らしい特徴がある。
 トイレは基本的に1つなのだ。
 仕切りはあるが、男の子も女の子も同じトイレ。
 トイレのお部屋の円形の室内の壁に沿って、男の子用の可愛い丸い陶器と女の子用の小さな小部屋が並んでいて、その真ん中には円形の手洗い場があった。
 そこで男の子エリアと女の子エリアで分かれているのだ。
 手洗い場にも工夫がされていて、子供が使いやすいように小さなポンプにハンドソープが入っている。
 他にも蛇口に届かない子のために踏み台もある。
 そのじゃぐちの1つからちょろちょろと水が流れていた。
 誰かが蛇口を閉め忘れたのだろう。
 あるいは幼児の力では、しっかりしめたつもりでも締め切れなかったのかも知れない。
 小学校や中学校になると子供がトイレ掃除をすることになるが、幼稚園だとまだそれはできないので、業者が入って掃除をしている。
 そのおかげで園のトイレは並の小学校よりずっと清潔で綺麗だった。
 トイレが好きになる子は、幼児期にこういう綺麗なトイレを体験したのかも知れない。
 汚いトイレを経験していると、外のトイレは怖い、暗い、汚いと寄りつかなくなる。
 外で排尿が出来なくなる子もいる。
 そう考えると、トイレが好きというのは生きる上で重要な能力であり、幸せなことなのかも知れない。


 その園のトイレに沢城 鈴がやってきた。
 置いてある踏み台につまずかないように注意しながら、きょろきょろする。
 鈴は親友を探しに、このトイレに来たのだ。
「ねじゅちゃ〜ん」
 一度呼んでも反応がなかった。
 今度は少し大きめの声で鈴は呼んでみた。
「ねーじゅちゃ〜ん!」
 トイレに声が響く。
 その声にネージュの意識が少し反応する。
 鈴は鍵の付いていない小部屋の扉を開けて、ネージュを呼んだ。
「またねじゅちゃんねてた! ……ほらおきて! おきてって!!」
 優しい花の香りとせせらぎの音。
 そして暖かな日差しの気持ち良さに、ネージュはドロワーズを下ろしたまま、トイレに座って眠ってしまったのだ。
 温厚な親友の大きな声に、ネージュはハッとして目を開いた。
「はわっ!?」
 慌てて立ち上がったネージュだったが、ドロワーズがひっかかってよろけ、頭上の水タンクに頭をぶつけてしまった。
 後ろの壁にもたれてばたんきゅーしてしまったネージュを見て、鈴は溜息をついた。
「もう……わたしがいないとねじゅちゃんは……」
 鈴は呆れながら、ネージュを手助けし、彼女と一緒にトイレから出た。


 綺麗に手を洗ったネージュはまだちょっと痛い頭をさすりつつ、ガラス張りになった天窓を鈴と歩いた。
「ねじゅちゃん、だいじょうぶ?」
「うん、だいじょうぶ。それよりごめんね、むかえにきてくれて」
 謝るネージュに鈴はちょっと大人びた肩のすくめ方をした。
 アニメのお姉さん系キャラの真似をしたのかも知れない。
「まいにちねじゅちゃんをおこしてるから、わたしのおしごとだって思ってる」
「おしごと?」
「おひるねのあとのおしごと。ねじゅちゃん、おひるねのじかんがおわってもいつもいないんだもん」
 鈴の言葉に、ネージュはあははとちょっと申し訳なさそうに笑った。
 いつもその頃にはトイレで寝てしまっているのだ。
 呆れる鈴の言葉をなんとも否定できない。
「あ……」
 桜の花びらが舞い散るのが天窓の向こうに見えた。
 窓の方を見ると、市街地と東京湾が。
 そして、その上空にはお空の島……パラミタが見えた。
「いつ見ても大きな島だね」
 2人は手を繋いで大きな島を見た。
「テレビでふしぎないきものがいるって言ってたよ」
「はねが生えた人とかもいるんだってね」
「すごいよね、お空の島ってゆうえんちみたいになってるのかな?」
 空の彼方にある大きな島を見上げながら、ネージュはぎゅっと親友の手を握った。
「いつか鈴ちゃんといっしょにお空の島に行きたいね」
 ネージュの言葉に、鈴は優しく笑った。
「そうだね。いっしょにね」
 空を桜が舞う。
 桜色に染まる空の下、2人の園児はまだ見ぬパラミタに思いを馳せるのだった。