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あの頃の君の物語

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この世界に明日などない。毎日が今日なのだから〜ラムズ・シュリュズベリィ〜

 古びた手帳が転がっている。
「ん? 何でしょうかね、これは?」
 シュリュズベリィ著 『手記』(しゅりゅずべりぃちょ・しゅき)
 それを拾ったラムズ・シュリュズベリィ(らむず・しゅりゅずべりぃ)は細くどこか病的な白さをした指でその手帳をめくった。
「……良くもまぁ、こんなものが書けるものですねぇ。一体誰が書いたんでしょうかねぇ?」
 パラ、パラと静かな部屋に紙をめくる音が響く。
 ラムズは少し眉根を寄せた。
「文字の上から書き殴ってるのは少し感心しませんね。殆ど潰れて読めないじゃないですか……」
 ずいぶんと書き込んである割に、名前が書いていないのも、ラムズには気に入らなかった。
 きっとこれを書いた人間は不注意な人間に違いない。
「いや、アンバランスな人間ですかねぇ……」
 書き殴っている割に、字は変に丁寧だ。
 しかも、手帳の線の上にちゃんと文字を書いていて、はみ出してはいない。
「変な性格ですね……これ、同じ人物が書いてるんですよねぇ」
 顔にかかる長い焦げ茶の髪を払いながら、ラムズは読み進める。
 おかしな丁寧さとか、妙な几帳面さとかは手帳から読み取れるのだが、字が同じ人物が書いているのだろうかと時々、疑問に思うところもある。
「ここは少し読めそうです……ね」
 開いたページを、ラムズはじっと見た。
『湿気が酷い
奴等の所為と知っていても腹が立つ
爆薬は十分過ぎる程持って来たが、爆発に至る物が幾つあるだろうか
あの屑は何時だって信用出来ない』
「口が悪いですねぇ……」
 パラッと次をラムズがめくる。
『先生が化物を仕留める
素手であの化物を殺せるのは先生位だろう
俺はまだ物に頼るしかない』
「……爆発に至る物じゃなかったんでしょうか。素手? 化物? 何かくっついてしまいそうですねぇ」
『小さい化物を見た
化物でも餓鬼を孕むらしい
死ぬと動かなくなる所は良く似ている』
「化け物で無くても餓鬼でなくても大体は死ぬと動かなくなる気が……しませんねぇ。死んで動くのもいますし、アレはやっかいです。おとなしく止まればいいのに……」
『爆薬の仕込みを終える
先生が封鎖の準備に取り掛かった
明日爆破予定
店主が騒がしい』
「……店主ごと、爆破してしまえばいいのにねぇ」
『爆発は中途半端に終わる
湿気が足を引っ張た所為だ
仕方ないので先生と虱潰しに殺し回った
言い方としては蛙潰しの方が適切かもしれない』
「蛙はぴょこぴょこ動いて潰すのが大変なんですよね。一撃で潰せなくて、少しずつ潰していくしかないときもありますし」
『俺 正正正正正正正正一 先生 正正正正正正正正正正正正止』
 そこに来て、ラムズは確かめ算をするように、正の数を指でなぞった。
 そして、くくっっと笑い出す。
「ここで正の数が止まっているのは……どうしてでしょうねぇ」
『最後のガキがおかしな事を口走る
化物の考えている事は良く分からない
先生が先に帰る
後始末は何時も俺だ』
 そこまで読んで、ラムズは部屋の棚を見た。
「後始末の時に持ち帰った物があったんですよね……」
 棚を開けようとして……。
 そこで、ラムズの記憶が途切れる。


 古びた手帳が転がっている。
「ん? 何でしょうかね、これは?」
 ラムズ・シュリュズベリィ(らむず・しゅりゅずべりぃ)はそれを拾い、糸目をさらに細めて手帳をめくった。
「……良くもまぁ、こんなものが書けるものですねぇ。一体誰が書いたんでしょうかねぇ?」
 パラ、パラと左手で紙をめくる。
『俺 正正正正正正正正一 先生 正正正正正正正正正正正正止』
 そこに注目して、ラムズは薄く笑う。
「……最後の『俺』の部分が正の字の書きかけではなく、一(1)なのには意味があるんですよね。これは……」


 古びた手帳が転がっている。
「ん? 何でしょうかね、これは?」
 ラムズ・シュリュズベリィ(らむず・しゅりゅずべりぃ)はそれを拾い、シュリュズベリィ著 『手記』(しゅりゅずべりぃちょ・しゅき)に言った。
「こういうのは余り言いたくありませんが、読物は選んだ方が良いですよ?」
 手記が振り返る。
 薄汚れたローブの中身が見えないが、ラムズは構わず続けた。
「貴方が良くても、周りからして見れば不快に感じてしまうかもしれませんからね」
 ゆらっと手記が動いた気がした。
 それをラムズは了解と受け取った。
「……えぇ、分かって頂けると幸いです」


 本が積み上げられた静かな部屋。
 部屋には多数のメモが貼られ、なんのためにあるのかわからない彫刻にまで貼られている。
 そこで左手に持った万年筆を振りながら、ラムズが呟く。
「そうですよ。餓鬼はおかしなことを言って困りますねぇ。●殺し? ふふふ……」
 後ろでうにょうにょっと触手を伸ばしながら、手記が尋ねる。
「――どうしてずっとぶつぶつ一人で話してるの?」
 しかし、ラムズは答えない。
「湿気のせいで中途半端な爆発をして……中途半端に色々飛びましたねぇ。先生」
「一人で何言ってるの?」
 もう一度、手記が問う。
 今度は椅子をくるっと回して、ラムズが振り返った。
「? 手記、何か言いましたか? 気のせいでしょうか」
「うん、言うたのじゃ。どうしてずっとぶつぶつ一人で話している?」
 その問いにラムズは口の端を軽くつり上げた。
「何もおかしなことはありませんよ」
 病的に白く、節くれ立った指を組んで、ラムズは笑う。
「だって、私は一人で話してるのではないですから」


 太陽が沈んで登る。
 クトゥルフ神話学科主任であるラムズの部屋にも分厚いカーテンの向こうにほんの少し明かりが見える。
 でも、ラムズに明日は来ない。
 昨日がないから。
 それがなくてもラムズは気にしない。
 人は覚えていないことを気にすることは出来ないから……。