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あの頃の君の物語

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吹雪の日に〜クローラ・テレスコピウム〜

 
 ソビエト。
 今のパラミタの多くの学生たちにとっては歴史上のことでしかない国の名であるが、クローラ・テレスコピウム(くろーら・てれすこぴうむ)にとっては違う意味を持っていた。
 クローラの始祖は、元々はギリシアの家系だった。
 それがソビエト時代に捕虜として連行されたのだ。
 ソビエト国籍になるときに、クローラの家の本来の家名は放棄せざるを得なかった。
 そして、家名はテレスコピウムになる。
 テレスコピウムは望遠鏡の意味。
 始祖がつけた望郷の銘。
 テレスコピウム家はその後、軍拘束下監視下のため、軍属として生きるのは必然となった。
 教導団には軍人の家系のものが多くいるが、クローラの状況は彼らとはまた違うものだった。


 2009年6月。
 パラミタが出現すると、各国がこぞってパラミタに調査団を派遣しようとした。
 だが、パラミタがどのような状況か分からない。
 ロシアは『失われてもよい者』を集めて先行派遣することにした。
 派遣する立場の人間は「これは大変な名誉である」と言った。
 「君たちはこの国の『本当の市民』と認められ『国家の代表』としてかの地に行くのだ」
 言っている者も聞いている者も何一つ信じていない言葉。
 そんなことを聞いている時間があるならば、息子に一言でも何かを伝えたかった。
「行ってくるよ」
 それしか息子に言えなかったことを、クローラの父と母は悔やんでいた。
 パラミタに拒絶された人々は出現したドラゴンの炎に焼かれた。
 そして、その死すら、無かったことにされた。


「クローラ」
 セリオス・ヒューレー(せりおす・ひゅーれー)の呼びかけにクローラはゆっくりと振り返った。
 パラミタが出現したときに4歳だったクローラはすでに15歳になっていた。
 子供の頃からヒューレー家に預けられていたクローラはセリオスと兄妹同然に育った。
「セリオス」
 親友の名をクローラが呼ぶと、セリオスは柔らかな微笑みを見せた。
「今日、午後からひどい吹雪になりそうだよ」
 早く帰ろうと促すセリオスと共にクローラは家に帰った。
 ヒューレー家は元共産党員だった事もあり昔から財の私有化がある程度認められていた。
 そのため、クローラを育てる経済的ゆとりもあったし、現在もそれなりの生活が出来ていた。
 家に帰った2人を待っていたのはヒューレー家の父と母……だけではなく、見慣れぬ兵士がいた。
「こちらをお届けに来ました」
 兵士が渡したのは、小さな箱だった。
 中には室が余りよく無さそうな僅かな衣服と時計や筆記用具といった日用品。
 それから、鋼の十字架が二つ。
 最後に黄ばんだ封筒が入っていました。
「テレスコピウムご夫婦は亡くなりました」
 息を飲む音がした。
 それはセリオスの母の発したものだった。
 セリオスの父は厳しい表情を崩さず、セリオスは心配そうにクローラを見守っている。
 そして、クローラ自身は表面上は無表情だった。
「……お届け頂き、ありがとうございました」
「うむ」
 クローラの態度に満足したのか、兵士は一つ頷くと帰っていった。
 

 兵士が帰ると、クローラは手紙を開いた。
 そこには遠くから見たパラミタの様子が完結に書かれていた。
『本当に島が空を浮かんでいます。島……というには大きすぎるかも知れません。島の端は見えるけれど、その広大さははかりしれません』
 それ以外にも何か書いてあったのかも知れないがわからなかった。
 そして、続いて、クローラへの幸福を願う文章が綴られていた。
『あなたにこれからの神の祝福がありますように。どうか、幸せに。人として正しく在れ、願わくば自由であれ』
 検閲を受けることを考えて、曖昧な表現にしたのだろう。
 でも、それはクローラには遺言に思えた
 小さな頃から、多分、両親は死んでいるだろうと思っていた。
 行ってくるよと言ったまま帰ってこなかった両親。
 ヒューレー家の父と母が、クローラに「そのうちお父さんとお母さんは帰ってくるからね」などという期待を持たせるようなことを言わなかったのが、クローラにとって救いだった。
 クローラは聡い子であったから、そんな嘘は意味がないとヒューレー家の親はわかっていたもかもしれない。
 手紙以外の品は本当にささやかなもので。
 でも、そのささやかなものから、小さい頃に別れた両親の匂いがする気がして、クローラはそっと手に取った。
 手にすると……涙が出た。
 セリオスはそんなクローラをそっと抱きしめてくれた。
 涙が収まると、クローラはセリオスに自分の生い立ちと自分の家のことを話した。
 どんな反応になるかわからなかったが、セリオスは穏やかな表情でクローラに言った。
「話してくれて、ありがとう」
 自分を受け入れてくれた親友に、クローラはまた涙が出そうになった。
 しかし、涙以外の感情も溢れてきた。
「俺は……誰を、何を恨めばいい?」
 クローラの緑の瞳に暗い光が灯る。
「パラミタか? 国か? 運命か?」
「……違うよ、クローラ」
 セリオスはクローラの隣に座り、優しく言った。
「ご両親はそんなことは望んでいないと思うよ」
「望んでいない……なぜ?」
「書いてあったでしょう。願わくば自由であれって……」
 セリオスに言われて、クローラはもう一度、手紙を見た。
『人として正しく在れ、願わくば自由であれ』』
 その言葉を何度もクローラは胸に刻んだ。
 両親の遺言は、クローラのそれからの人生の指針を決めることになる。


 数年後、セリオスと共に軍学校を卒業したクローラだったが、衝撃的な出来事が起きる。
 セリオスが強化人間の処置を受けたのだ。
「パラミタに行きたいんだ」
 柔らかな微笑でそう話すセリオスに、クローラはそれ以上に何も言えなかった。
 クローラはパラミタがどんなところか調べた。
 何も知らない者から見ると、ファンタジーの夢の大陸であるパラミタ。
 しかし、そのパラミタも実は夢の国でないらしいことが、パラミタから戻ってきた人たちの話を聞いてわかってきた。
 同時に、そのパラミタの影響を受ける地球の国々も夢の世界ではない。
 そして、パラミタへの道を開くのに払われたたくさんの犠牲。
 その犠牲であったクローラの両親。
「俺は……正しく自由に生きようとする者を守るよ」
 クローラはセリオスにそう語った。
 それが両親の遺志に応える事であり、自分自身を自由にすることであるかもしれないと感じたからだ。
 人として正しく生きる事は色々な事情から時に困難だ。
 誰もが主権を犯される事なく生きられる世界ではないのだ。
 主権を侵すものを、犯罪を、犯罪者を、理不尽な運命を、クローラは強く憎んだ。
 クローラは正しく自由に生きようとする者を守るため、パラミタに旅立つことにした。
 セリオスの両親はクローラが一緒にいってくれることに安堵した。
 息子を一人で未開の地に送るのは心配だったのだろう。
 クローラのパラミタ行きは今まで自分を育ててくれたセリオスの両親への恩返しにもなった。
 クローラとセリオスは一緒にパラミタに旅立った。
 その時、クローラの手には形見となった二つの鋼の十字架があった……。