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第18章 寂しさを埋めるのは

「環菜さん、陽太、見送りありがとう」
 飛空艇の発着場で、御神楽 陽太(みかぐら・ようた)御神楽 環菜(みかぐら・かんな)と共に母の影野 栞と最後の挨拶をしていた。昨日の夕方から今日にかけての2日間、彼等は母と同じ時を過ごした。夕食を振る舞い、蒼空学園を案内し――鉄道事業も見せたいところだったが、慌しくなるからと次の機会にすることにして、今は、別れの時。
「環菜さんは、あんなに大きな学校を1人で作って経営していたのね。そんなに凄い人が陽太と結婚してくれるなんてまだ信じられない気がするけど……」
 和服に身を包んだ栞は、しみじみと、その事実を噛み締めるように1度瞼を閉じ、2人に微笑む。陽太は、妻が創設した素晴らしい学び舎、そこに通う学生たちの輝きを見せたいと、誇らしい気持ちで栞に学園を紹介していた。その姿は堂々と、また生き生きとしていて、栞に息子の成長を感じさせた。
「陽太も頑張ったのね。これからも環菜さんと仲良くね」
「はい! 俺は環菜をずっと支えていきたいと思います」
 迷いなく答える陽太に、環菜は「もう……」と、普段の冷静な表情に少し照れを交じらせる。それから、栞に向き直った。
「私1人では学校を建てることは出来ませんでした。私は出資しただけです」
 それ以降に建築・設計他、学園の設立までには多くの人の手が掛かっている。
「今は、こうして引退していますし」
「ふふ、そうね」
 環菜の言葉に栞は何故か嬉しそうに微笑み、じゃあ、と足を乗艇場の方に向ける。ここから空京まで移動し、彼女は新幹線で日本に帰るのだ。
「楽しかったわ、また会いましょうね」

 その前日、陽太は環菜と、自宅で料理を作っていた。結婚してしばらくが経ち、環菜も少しずつ料理の腕を上げていた。料理本、及びネット検索して手に入れたレシピは必須だが、それでも美味しい、と感じられる料理が作れるようになっている。
 2人は栞を迎えた時間をゆっくりと過ごせるように、この日からの2日間は休みを入れていた。そして、まだ明るい時間から、彼等はキッチンに立っている。
「母さんがパラミタに来るとは……驚きです。良い思い出を持って地球に帰れるようにしたいですね」
 ふと思い立って、来てくれるということだった。父は忙しいから、栞1人で。暮らしぶりを見てもらうということで、少しだけ緊張もしているが。
「陽太、卵入れるわよ」
「は、はい! お願いします」
 ボウルに入った溶き卵を、環菜が必要分量だけ流し入れて行く。精一杯おもてなしをしたいと用意した金の卵だ。これで3日間満腹に……ではなく、特別に美味しい料理を食べてもらえるだろう。
 そこでチャイムが鳴り、陽太達は慌てて手を洗い、玄関に向かった。そこではエリシア・ボック(えりしあ・ぼっく)がドアを開けて栞を迎えている。エリシアが住む家は御神楽邸の近所にあり、この日は栞を迎える為にこちらに赴いていたのだ。陽太が蒼空学園に入学する前、彼女は陽太の実家に居候していた。その為、2人は既知の中だ。
「ひさしぶりですわね、栞」
「エリシアさんもお元気そうで何よりだわ」
「母さん、来てくれてありがとうございます」
「ご無沙汰しています、こちらにどうぞ」
 陽太は暖かく母を迎え、環菜が彼女をリビングに案内する。
「もう少しで夕食が出来ますから、それまでゆっくりしていてくださいね」
 環菜なりに歓迎の意を示しているのだが、表に現れているのは普段の冷静な態度だった。だが栞は、それなりに環菜の性格を把握しているのか、笑って応えた。
「ええ、そうさせてもらうわ」

 出来立ての料理が食卓に並ぶ。エリシアと栞、陽太と環菜が並び対面して座る。クモサンマを初めとした雲海産物にツァンダで採れる野菜などを使った、地球では味わえない食材を選んで調理した。
 塩とスパイスが適度に効いた料理を食べながら、エリシアは昔話に花を咲かせる。栞と陽太、彼の父と一緒に暮らしていた頃を思い出す。
「地球にいた頃も陽太は冴えなかったですわね……今よりも」
「今よりも、ということは……」
「今も冴えないということね」
 箸を止める陽太に、環菜がはっきりと断言する。栞も苦笑して「そういうことになるわね」と言葉を続けた。
「そ、そんなあ……」
「おまけに向上心が少なくて……色々と苦労しましたわ。ところが、ある年の夏頃から、俄然やる気を出して」
 エリシアはそう言ってから、環菜達の方をちらりと見る。がっくりとした陽太に、環菜は「冴えない所も私は好きだけどね」とフォローを入れていた。フォローになっているか多少怪しいが、陽太は「環菜……ありがとうございます!」と笑顔になっている。
「全く……誰かさんのおかげですわね」
 やれやれ、というように、エリシアはふ、と笑顔になった。

 食後には、陽太自らが淹れた紅茶を飲みながら和気あいあいと歓談した。お風呂が沸いたところで、環菜が言う。
「暖かいお湯でのんびりと旅の疲れを癒してください」
「うちの浴室は広くて豪華なんですよ! ちょっと自慢です」
 栞が入浴している間に、2人は客室のベッドメイキングをした。真っ白で、ふかふかのベッドでゆったりと寝られるように。

 そして朝になり朝食を一緒に摂って学園を案内して――
 今は、また夫婦でリビングに落ち着いている。毎日2人で過ごしている家なのに、昨日が賑やかだったからだろうか。少し、いつもより家が広い感じがした。
「……どうしたの、陽太」
 感情が表情に出ていたらしく、環菜が隣から声を掛けてくる。
「いえ……少しだけ、寂しくなってしまって」
「……そうね。少し静かになったわ。でも、ここに私がいるでしょ」
 寂しいけれど、でも……そう、こうして、愛する妻が一緒にいてくれるから。
 夫婦で過ごすいつもの日常がここにあるから。
「はい。環菜が隣にいてくれて、俺は幸せです」
 その幸せと大切さをかみしめながら、陽太は、他愛ない会話で午後の時間を楽しんだ。